ロクショウ、ニアラズ
あるエメラルド鉱山に一人の男が働いていた。彼の頭には、ある認識がこびりついていた。いつから抱いているのかも分からぬ、断固不変の認識であった。
男を除く全ての者が、エメラルドとは、これまでに見つけたものも、これから見つけるであろうものも、グリーンであると認識していたが、男だけは『グルー』であると認識していた。
最も『グルー』という言葉自体、男の話を聞いた、彼の同僚の一人によるものである。
「ある日までに初めて見つけられたグリーンのもの、ある日以降に初めて見つけられたブルーのもの」
その同僚によると、男の認識を言葉にするとこのようになる。
男の認識は周囲にも伝わったが、皆一様に、男の認識が異常であるという感想を抱くに過ぎなかった。
幸いにも、ある日は遠くなく、男の認識を知る者の多くは、その日を迎えるのを内心で幾らかの楽しみにしていた。のみならず、男がどのような態度をとるか、怒るのか、それとも悲しむのか、を賭けの対象とする者も少なくなかった。当然、全てはエメラルドがグリーンであることを前提としていた。
不運とは唐突なもので、ある日まで数える程となった時期に、男は不慮の事故により命を落としてしまった。
男はその異常と思われる認識以外においては、至って穏和でどこか品を感じさせる、鉱山で働く者にあっては珍しい気質であり、また、多くの同僚から好かれる存在でもあった。そのため、誰からともなく弔いの酒席を設けようという声が上がり、どうせなら、と、ある日当日の仕事終わりに催されることとなった。
当日の仕事を終え、多くの同僚が弔いに訪れた。その日見つかったエメラルドは全てグリーンであった。
酒席が始まってから暫くして、気の合う者同士での小さな集まりが幾つか出来た。その内の一つは、特に男を慕う三人の集まりであった。
「当然ではあるが、やはり奴は間違っていたのだな」
口に酒を運びながら、巨漢が呟く。粗野なところがあり、また、男の認識に特に反発して、度々それを正そうとしてはいたが、それでも嫌な顔一つ見せない男に、一際の好感を持つ者でもあった。
同席する一人が鼻を鳴らした。
「ある意味では幸運だったのかも知れないな。遂に、自分の誤りを知ることはなかったのだからな」
彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。常がこのような態度なので、倦厭されることも少なくない彼にも、隔てなく付き合う男はやはり好かれていた。
「奴が改まる、絶好の機会だったのだがな。間の悪い奴だ」
巨漢が皮肉屋を睨みながら言う。その目には涙が浮かんでいるようにも見える。流石の皮肉屋も視線を逃れるように、また別の一人に向かった。
「お前はどう思うんだ。奴さんの話を一番聞いていたのはお前だろう」
皮肉屋の言葉に、巨漢も頷きながらその同僚に向かう。男の認識を聞き『グルー』とした者である。思慮深く、同僚の内では最も男との親交が厚い者だった。
「確かに彼は間違っていたのだろうが、どう間違っていたのだろうか。これまでに見つかった幾万もの、今においてもグリーンではあるが『グルー』でもあるエメラルドに対して、今日見つかった僅かなグリーンのエメラルドを以て、どうして確かにエメラルドはグリーンだと言えるだろうか」
そこまで言うと、彼は思案するように静かに俯いた。巨漢は手にした酒を一息に飲み干すと、鼻を鳴らす。
「それなら、これから幾百年も経てば、グリーンでしかないエメラルドの方が多くなるだろう」
勝ち誇ったように胸を張る巨漢を嘲笑するように皮肉屋が呟く。
「もし、ある日が今日でなく明日だったら?」
「同じこと。いつかはグリーンでしかないエメラルドの方が多くなるだろう」
皮肉屋はいよいよ嘲笑を隠さず、肩を竦めた。
「だったら、俺達も死んだ後だったら? 全てのエメラルドが見つけられた後だったら?」
巨漢は返す言葉が見つからないらしく、押し黙ったまま、酔いのためか怒りのためか、赤い顔で皮肉屋を睨みつけた。暫くして、半ば怒鳴るように言う。
「そもそもが変な言葉だろう。あんな言葉に沿うものなど、ない」
皮肉屋もこれには賛同するように何度か頷いてから酒を口に運んだ。
二人の会話を聞いているのかいないのか、静かに俯き、舐めるように酒を飲んでいた同僚が顔を上げた。
「それでは、グリーンと『グルー』はどう違うのだろうか。よしや違いを明確にできたとして、どちらかの言葉でしか、ものを表現することが出来ない理由があるだろうか」
その言葉を最後に、三人は黙ったまま酒を飲み続けた。
弔いの酒席は、日が変わっても続いた。




