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プール 3

 二日後の午前。プール監視にきたアルバイトの石上知香乃が、嬉々とした様子で鶴川に話しかけてきた。


「ツルさん、ツルさん。知ってます?」

「何を?」


 いきなり「知ってます?」と言われて答えられるわけないでしょ、と鶴川は内心でつっこんだ。どうして世のなかには、こういう話し方が好きな人がいるのだろう。先月の街コンで同席した、アパレルショップの店員だという女性も、同じような感じだった。それだけが理由ではないし、向こうも自分とは合わないと思ったのだろうけど、最後まで当たり障りのない会話に終始して結局、連絡先すら交換しなかった。


 見た目も違ったしなあ。


 鶴川の好みは、美人というよりは「可愛い」系だ。姉のスズケイみたいなタイプとも言えるが、そもそも彼女は肉親だし、じつは酒豪なうえに強引なところもあるという中身をじゅうぶんすぎるほど知っているため、もちろん外見だけのサンプル扱いである。

 どうでもいいことを考えつつ、知香乃の言葉を聞き流していた鶴川だが、意外な単語が耳に入った気がして我に返った。


「――で、幸太朗君が――デートして――」

「え? 今、幸太朗がデートって言った?」

「だから言ったじゃないですか。ツルさんのクラスの幸太朗君とカリンちゃんを、私、植物園で見たんですよ」

「幸太朗とカリン?」

「はい、間違いありません。あのマジックで描いたみたいなぶっとい眉と、小学生のくせに私よりいいスタイルは、誰がどう見ても幸太朗君とカリンちゃんでした」


 妙な断定の仕方はさておき、知香乃ならたしかに彼らを見間違えることはないだろう。プール監視がちょうどスクールの時間に重なったときは、知香乃や太一も準備や後片づけを手伝ってくれるので、生徒たちとも顔馴染みになっているからだ。


「植物園って、あの(きり)()()のだよね?」

「はい。私も昨日、彼氏と行ってたんです。気を遣って声はかけませんでしたけど」


 桐ヶ谷というのは、箱根方面にある隣町の名だ。そこには自治体が運営する大きな博物館があり、ちょっとした植物園も併設されている。


「あの二人、つき合ってるんですかね? 私はてっきり、佳奈ちゃんが幸太朗君の彼女だと思ってましたけど」

「いや、それはないと思うよ」


 幸太朗に限って、そんな大胆な行動には出ないはずだ。鶴川の見るところ、たしかに佳奈もカリンも幸太朗に好意を持っているようには思うが、肝心の彼がはっきりしないのである。


 ていうか、どっちも好きなんじゃないかな。あのリア充め……。


 後半はなかば本気で羨みながら、鶴川は考えた。それにしても、カリンだけを誘って植物園デートとは一体どういうことだろう。幸太朗が気にしていたバタフライの上達と、何か関係があるのだろうか。

 考えたままプールに目をやったとき、「あ」と自然に声が出た。今は手前の二コースを使って『アクアビクス中級』のレッスンが行われているが、参加者のなかに見慣れたオレンジ色のキャップが、軽快に動く様が見えたからである。龍子だ。

 彼女はここのところ、プールでのあらゆるレッスンに次々と参加している。一瞬だけ、例の都市伝説がちらりと頭に浮かんだが、鶴川はすぐに別の言葉を思い出した。


「ホウレンソウ……か?」


 つぶやきを聞いた知香乃が、隣で「え?」と首を傾げたものの、曖昧に手を挙げただけで鶴川は思索を続けた。

 二日前、幸太朗にバタフライのコツを訊かれた龍子は、たしかそんなアドバイスをしていた。なんのことかよくわからなかったし、聞き間違いかとも思ったのでわざわざ二人に尋ねるようなこともしなかった。が、彼女からさらに何かを説明された幸太朗が、明るい顔で何度も「はい!」と頷く姿が印象に残っている。

 とはいえ、植物園でほうれん草を見ることがバタフライになんの関係があるのだろう。というか、あそこの植物園は野菜まで展示されていただろうか。


「けど、幸太朗君も意外にやりますねえ。佳奈ちゃんというものがありながら」


 知香乃はプール内に目を配りつつ、まだそんなことを言っている。だが鶴川も、あえてどちらかと考えるならば、むしろ佳奈の方がデートの相手として相応しい気がした。何せ、子どもの頃から一緒にいる幼馴染みなのだ。


「ああ見えて幸太朗君、意外にチャラ男なのかなあ。だとしたら、お姉さんとしてはショックだなー」


 引き続き能天気な感想をつぶやいていた知香乃だが、その口調が突然変わった。


「あ! お疲れ様です!」

「お疲れ様。ごめんね、みんなが仕事してるのに」


 聞き慣れた声に鶴川も振り向くと、トレーニングジムのサブチーフ職にある花村和美が、水着姿で歩いてくるところだった。


「お疲れ様です、ツルさん」

「お疲れ、ハナちゃん。そっか、今日明日は連休って言ってたっけ」

「ええ。でも、ちょっと泳ぎたくなって。休日も職場に来るなんて、予定がないみたいで恥ずかしいですけど」


 言葉通り、花村は恥ずかしそうに笑う。休日にも身体を動かすのはさすがプロのトレーナーという感じだが、幸太朗と違ってデートの予定などないからかもしれない。

 すると花村自身が、その幸太朗の名前を口にした。


「知香乃ちゃん。今、幸太朗君がどうとかって言ってた?」


 知香乃や太一ほどではないが花村やチーフトレーナーの北も、用があればプールに顔を出すことはあるので、「鶴川コーチと仲良しのトレーナーさん」「ジムの一番偉いお兄さん」といった感じで、スクール生とは知り合いになっている。特に小学生クラスの最上級生である幸太朗たちは、「早く高校生になって、北さんや花村さんに筋トレを教えて欲しいです」などと憧れるような台詞をしばしば口にしてくれるので、彼らからしても可愛い存在のようだ。


「それなんだけどさ――」


 知香乃よりも先に、鶴川がみずから説明することにした。一昨日、幸太朗が龍子から、バタフライのヒントをもらっていたことも合わせて伝える。


「――というわけなんだ。どう思う?」

「へえ。幸太朗君がですか」

「バタフライは全然関係ないんじゃないですか。二股ですよ、二股! じつは女の敵だったんですよ、幸太朗君たら!」


 こちらは無責任な台詞を残した知香乃が、アクアビクスの終了に合わせて、縦方向のプールサイドへと歩いていく。コース区分用の看板をもとに戻したり、ストレッチマットを洗ったりするつもりなのだろう。なんだかんだ言いつつも、相変わらず仕事はちゃんとこなす子なのである。


「うーん。俺もきっと、何かわけがあると思います。どうせなら、虎牙林さんに直接訊いてみればいいんじゃないですか? 何をアドバイスしたのかって」


 彼女がいるから泳ぎに来たわけではないだろうが、オレンジ色のキャップを目ざとく見つけた花村は明るく言った。同時に、レッスンが終わってプールサイドへ上がってきた龍子に、「こんにちは」とにこやかに頭を下げる。


「あ、花村さん! こんにちは! やっとプールで会えましたね」

「はい、ようやくお会いできました」


 嬉しそうにやり取りする二人を見て、鶴川はなんだかデジャヴのような感覚を覚えた。この感じは――。


 ああ、幸太朗とおんなじだ。


 佳奈に主導権を握られたり、カリンの積極性に戸惑ったりしながらも、彼女たちと一緒にいて活き活きしている幸太朗を見るときと同じ、微笑ましい気持ち。

 鶴川の思いを知ってか知らずか、振り向いた花村が「ツルさん、幸太朗君のこと訊いてみますか?」と確認してきた。


「あ、そうだね」


 我に返った鶴川は、龍子へと視線を移した。


「虎牙林さん、一昨日の幸太朗へのアドバイスについてなんですけど」

「え? ああ、バタフライのヒントですね。ごめんなさい、鶴川さんがいらっしゃったのに、なんだか差し出がましいことをしちゃって」


 スイムキャップを外した龍子が頭を下げてきたので、慌てて両手を振ってみせる。


「いえいえ、全然いいんです。こちらこそ、生徒がいきなり変なことを訊いちゃって、すみませんでした」

「とんでもありません。幸太朗君、真面目だし本当にいい子ですね」


 優しく目を細めながら龍子が言ってくれたので、鶴川はあらためて質問してみた。


「ちなみに、どんなアドバイスをしてくれたんですか? 聞き間違いかもしれませんが、ほうれん草がどうとかって聞こえた気がするんですが……」

「あら、聞こえちゃってたんですね」


 答えた龍子は、いたずらっぽく笑って花村にも笑顔を向けた。


「そうか、花村さんにもそのお話をされたんですね」

「はい。といっても、僕もちょうど今聞いたばかりですけど。それと、関係あるかどうかはわかりませんが、幸太朗君を植物園で見かけたっていう石上の話も一緒に」


 花村の報告に、龍子はなぜか「へえ!」と嬉しそうな顔をした。


「じゃあ本当に、私のヒントを実践してくれてるんだ」


 そうして、まるで見てきたかのように続ける。


「植物園って、カリンちゃんも一緒ですよね?」

「えっ!?」

「なんでそれを?」


 花村も鶴川も目を丸くしてしまった。龍子が授けた謎のヒントには、カリンとデートするような指示まで含まれていたのだろうか。

 ふたたびいたずらっぽい笑みを浮かべた龍子は、花村に目を合わせると、さらに意外なことを言い出した。


「ちなみに花村さんは、バタフライは?」

「え?」

「お得意ですか?」

「あ、いえ。僕も四泳法のなかでは一番苦手です。多分うちのスクールで言えば、ぎりぎり上級ってくらいじゃないかな」


 きょとんとしたまま彼が答えると、龍子の表情が明るくなった。


「じゃあ、ちょうどいいかも」

「はい?」


 ますます笑顔になった龍子は、あっさりと誘いの言葉を口にした。


「花村さん、私たちも出かけましょう」

「は?」


 思わぬ台詞に、花村は思考回路が停止している様子である。隣で聞いていた鶴川も、一瞬だけぽかんとなったほどだ。だが龍子は、なんでもないような顔で、どんどん話を進めていく。


「次のお休みっていつですか?」

「明日も休みですけど、あの、ええっと……」

「グッドタイミングです! 土曜だから私も休みなんです。何かご予定はあります?」

「な、なんにもありません! いつもありません!」


 何度も首を振って、訊かれてもいないことまで答える同僚の姿に、鶴川はつい笑ってしまった。きっと龍子には、何か意図があるのだろう。けれどもそれにしたって、花村にとってまたとないチャンスだ。


「いいじゃん、ハナちゃん。虎牙林さんと出かけてきなよ。うちは別に、外で会員さんと会うのも禁止されてないし。常連さんの声をリサーチがてら、って感じでさ」


 あえて「デート」という単語を使わずに背中を押してやると、花村もようやく照れくさそうに頷いた。


「じゃ、じゃあ僕で良ければ。喜んでお供させていただきます」


 誘いを受けた男性というよりは、秘書か部下のような返事に、鶴川はまた笑ってしまった。龍子はと言えば、花村に承諾してもらえたことが心底嬉しそうだ。


「ありがとうございます! じゃあ、あとで私の連絡先をお渡ししますね。時間とかは、あらためて連絡させてください!」


 輝くような笑みで言い残した彼女は、そうしてご機嫌な様子で去っていった。

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