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ジム 1

フィットネスクラブが舞台のライトミステリです。


©Lamine Mukae

◆本小説は著作権法上の保護を受けています。本小説の一部あるいは全部について、著者の承認を受けずに無断で転載、複製等することを禁じます。

   ◆◆◆


《こんにちは。先日は、素敵な絵葉書をどうもありがとうございました。北海道、いいですね! 自分も行ってみたいです。お陰様で、もうすっかり健康優良児ですから。

 仕事も楽しくやっています。いろいろな方と触れ合うのは勉強になりますし、きっと将来に繋がると感じています。貧乏暇なしで、相変わらずプライベートはさっぱりですけど(笑)。

 またメールさせてください! それでは》


   ◆◆◆




 今日の彼女は、午後から現れた。

 トレーニングジムの窓際に、ずらりと並んだトレッドミル。四月下旬の明るい陽射しが差し込むそのエリアで、左端の一台に乗って、彼女も黙々と走っている。もう二十分ほどになるだろうか。

 ロングスパッツの上から、重ねて穿いた短パン。袖の短いTシャツ。オレンジ色をした派手なランニングシューズ。ツインテールの髪が揺れるスレンダーな後ろ姿に、それらが相変わらずよく似合っている。フォームも明らかに、走り慣れた人のものだ。


「ハナさん。レッスンの参加人数、今のうちに数えちゃった方がいいですよね」


 呼ばれた(はな)(むら)(かず)(よし)は、ハッと我に返った。「大人しい犬みたい」と親にまで言われたことのあるつぶらな目を、短髪の下で何度か瞬きする。またしても、彼女に見とれてしまっていたらしい。


「ああ、うん。ありがとう、()(いち)


 寝起きのようなサブチーフトレーナーのリアクションに、学生アルバイトの()(たけ)太一は怪訝そうな顔をしている。ただ、それも数瞬のことで「じゃ、行ってきます」と、記入用のバインダーを片手にすぐ歩き出してくれた。

 ジムの奥、太一が向かう先には、ガラス張りのレッスンスタジオが二面。その片方、大型の『Aスタジオ』で開催されているピラティスクラスの光景に、花村もあらためて目を向けた。




 花村たちが勤務する『レボリューション(しょう)(なん)店』は、神奈川県の西側、(はこ)()山の麓に広がる城下町に建つ、会員数三千人程度の中規模フィットネスクラブである。

 フィットネスクラブのなかには、トレーニングジムを各種マシン用とバーベルやダンベルなどの「フリーウェイト」用の、二フロア確保している大型クラブがあったり、逆にジムはマシンのみで、プールや風呂もなくシャワーだけ、代わりに会費がリーズナブルという小型クラブも最近は増えている。

 レボリューション湘南はそのいずれでもなく、三階建てビルの一階にプール、二階にジムとスタジオという「フィットネスクラブ三種の神器」と呼ばれる設備をバランス良く揃え、さらに近年は最上階にささやかなカフェも増設した、言わば昔ながらの「町のスポーツクラブ」だ。実際にオープンから二十年以上が経過しているし、会員も地元の人がほとんどで、隣町出身の花村自身も幼い頃、クラブ内のスイミングスクールの生徒だった。


 でも、親会社がテレビ局なんだよな。


 花村が内心でつっこんでしまう通り、地域に根づいている一方で、じつはクラブを運営する『株式会社レボリューション』は、民法キー局の一つ『ファー・イースト・テレビジョン』の子会社だったりもする。十年ほど前、個人経営の小さなスポーツクラブだったここをレボリューションが買収し、そのまま全国チェーンの一店舗としたのだとか。

 とはいえ、まるで関係ない業種なのに、フィットネスクラブやスポーツ関連会社を系列に持っている大企業は、ファー・イースト・テレビジョン以外にも意外と多い。


 ――そりゃあ、会社のイメージアップにうってつけだからね。


 いつだったか、チーフトレーナーの(きた)(ゆう)(いち)(ろう)が花村に教えてくれたが、それが正解なのだろう。スポーツ産業が持つ、「健全」「さわやか」「活動的」といったポジティブなイメージは、たしかに多くの企業が求めるものだからだ。

 北は、愛用する縁なし眼鏡の奥で目を細めながら、「でも本業は、あくまでもテレビ屋だからねえ。というわけで我がクラブの浮沈は、助っ人のプロトレーナーであるハナちゃんにかかってるってわけ。これからもよろしくね」とも言っていた。三十歳の彼は東京にあるスポーツ系の専門学校を出てはいるが、トレーナーとしての勤務を特に希望することもなく、株式会社レボリューションに入社したのだという。


「僕は、そこまで熱心な生徒じゃなかったんだ」


 と本人もあっけらかんと認めるように、北は最低限の知識こそあれ、トレーナーとしての実力は花村にすら及ばない。けれども、ジム内のカウンターから常に周囲を観察する姿はじゅうぶんチーフらしいし、冷静で穏やかな人柄は会員、スタッフ問わず多くの人から信頼されている。


 そんなチーフが「助っ人」と呼ぶ花村は、株式会社レボリューションの社員ではなく、業務委託を受けたトレーナー派遣会社の所属である。フィットネスクラブの運営会社にもかかわらず、レボリューション自体はトレーナーの育成や採用をほとんど行っていないため、自社トレーナーは北と同様のチーフクラスが各店舗に二、三名存在する程度、あとは花村のような派遣社員や、フリーランスの人間に頼っているのが実態だ。さらにその下、つまり現場の大部分に至っては、アルバイトばかりなのだった。

 ただしこれは、レボリューションに限った話ではなく、日本全国のフィットネスクラブが抱える問題でもある。結局フィットネスクラブという場所を、「プロのトレーナーが運動を教えてくれる施設」という認識ではなく、カフェやコンビニと同じような感覚で設立・経営するからだろう。


 なんだかなあ。


 そのお陰で仕事にありつけているのも事実だが、業界の現状を考えると、花村は少々複雑な気分にもさせられる。

 花村自身はもともとスポーツトレーナーを目指しており、大学も多数の体育教員やトレーナーを輩出している国立大の、スポーツ医学科に進んだ身だ。そこではトップレベルのトレーナーによる指導の下、学内の様々な部活で現場実習もさせてもらえるようになっており、難関と言われる「日本スポーツ協会公認アスレティック・トレーナー(AT)」資格も、在学中に見事取得することができた。


 しかし、資格を取ってから先が大変だった。スポーツ選手と違って、トレーナーは三十代や四十代で引退するような職業ではない。つまり、ただでさえ前が詰まっている状態なのだ。当然ながら、大学を出たばかりでなんの実績もない若者が、どこかのスポーツチームや、ましてやプロ選手のトレーナーなどになれるわけがない。

 また、花村本人も在学中に多数の学生アスリートを担当させてもらったことで(名門ということで、学生のうちからオリンピックに出るような同級生もいたほどだ)、逆に学んだ知識を一般人や子どもたちにも提供できれば、という想いを漠然と抱き始めていたところだった。


 ――ハナちゃんのそういう視点、トレーナーとして凄く大事よ。あんたならきっと、いい仕事に巡り合えるわ。


 恩師の(おか)(もと)()()准教授は、安心させるように言ってくれたが、進路がなかなか決まらないのはやはり焦った。すると、努力は見ていたよとばかりに大学四年の秋、OBの一人が起ち上げたというトレーナー派遣会社『ウィン&ウィン』が、向こうから声をかけてくれたのである。

 かくしてちょうど一年前、大学卒業と同時に花村はウィン&ウィンの契約社員となって、すぐにレボリューション湘南へ派遣されたのだった。


 でも、二十三でサブチーフってのもどうなんだろう……。


 自分で疑問を抱いてしまうのもなんだが、派遣二年目に入ったばかりの身ながら、花村はすでにジムのサブチーフトレーナーになっている。フリーランスの前任者が家業を継ぐために退職してしまい、クラブは後釜を探すために、大急ぎでウィン&ウィンへトレーナー派遣を依頼したのだとか。


 ――あ、ハナちゃん。今日からサブチーフだから。ウィン&ウィンさんに払うギャラも上げて、ちゃんと手当てがつくように言っておくね。


 レボリューション湘南で働き始めてから、三ヶ月と少しが経った昨年の夏。二十三歳になったその日に、花村はなんとも軽い調子で北に告げられ、今に至っているのだった。




 花村が視線を戻すと、ちょうどツインテールの彼女が、ランニング速度を落とし始めていた。クールダウンに入るようだ。同時にトレッドミルのデッキ部分が、小さな機械音とともに水平に戻っていく。運動強度を上げるため、彼女はいつもインクライン、すなわち傾斜をつけた坂道状態でランニングするのである。

 完全にウォーキングへと移行した横顔が、コンソールパネル脇のホルダーに置いてあったボトルから、美味しそうに水を飲む。汗染みがスポーツブラの形を浮き立たせている背中から、花村は慌てて目を逸らした。


 クールダウンがてらのウォーキングも終わり、トレッドミルが停止した。

 備えつけの雑巾でパネルやデッキ部分を丁寧に拭いた彼女は、上気した顔でもう一度周囲を確認したあと、トレッドミルを下りて階段の方へと歩き出した。これでおしまいか、もしくは一階のロッカーに戻って、汗で濡れたウェアを着替えてくるのだろう。


「お疲れ様でした、()()(ばやし)さん」


 ジムカウンターの前を彼女が通りがかったタイミングで、花村は笑顔で声をかけてみた。


「どうも」


 だが、ツインテールの彼女――虎牙林(りゅう)()という名の若い会員は、短く答えると軽く頭を下げただけで行ってしまった。きちんと目も合わせて微笑んでくれるものの、なんとも素っ気無い。


「ハナさん、また振られちゃいましたね」


 様子に気づいたもう一人のアルバイトスタッフ、(いし)(がみ)()()()が笑いながらカウンターに寄ってきた。ジム内を見回ってトレーニングマシンのシート位置を直したり、初心者でも大丈夫なように、重りを軽いものに戻してくれていたところだ。


「また、ってなんだよ」

「だって虎牙林さんに声かけても、いっつも会話が続かないじゃないですか」


 面白そうに笑う知香乃は、近くの専門学校でトレーナーの勉強をしている、二十歳の女の子である。そのため、正式なアスレティック・トレーナーの資格を持つ花村のことは、一応尊敬してくれているらしい。らしいというのは、年齢が近いこともあってか時折、こうしたからかうような言動をしてくるからだ。「なんかハナさんて、従兄弟のお兄ちゃんに似てるんですよ」という、よくわからない理由だったが。


「虎牙林さんは、みんなにあんな感じだろ」


 別に残念でもなんでもないぞ、という口調で答えると、知香乃も「まあたしかに」と納得した顔になる。

 すると、レッスンの参加者数を数え終わった太一も、バインダーを戻しつつ会話に加わってきた。彼は知香乃と同い年だが、こちらはごく一般的な大学生で、四年制大学の経済学部に通っている。


「でも、たしかにもったいないよなあ。美人なんだし、もっと愛想よくすればいいのに」

「人見知りする性格なんですかねえ」


 知香乃の言葉に合わせて、花村も軽く首を傾げた。


「どうなんだろう。フロントではちょくちょく喋ってくれるって、スズケイさんが言ってたけど」


「スズケイ」とは、クラブのフロントチーフを務める鈴本(すずもと)ケイのことである。童顔とポニーテールがトレードマークの、レボリューション湘南の看板娘と言っていい女性だが、じつは二十六歳で、そのうえ酒豪ということはスタッフだけが知っている。スイミングチーフの(つる)(かわ)(よし)()はスズケイと幼馴染みで、しょっちゅう飲みにつき合わされているのだとか。

 花村のリアクションに、知香乃と太一がすかさずつっこんだ。


「あ、やっぱりチェック入れてるじゃないですか。ハナさんもなんだかんだ言って、面食いなんだ」

「今、彼女いないって言ってましたもんね。虎牙林さん、年も近い感じだし、いいじゃないですか」

「別にそういうわけじゃないよ。ほら、仕事仕事。知香乃ちゃん、ベンチプレスのところちゃんと見といて。太一はマシンとストレッチマットの消毒をよろしく」


 放っておいたらカフェか学食にいるようなトークが続きかねないので、花村は軽く手を叩いて話を打ち切った。

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