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68.『デッドロック館』秘話 再会1

「レディ・メアリー、お久しぶりですね」

 ルイ・オルフェは私の涙をとても自然に拭うと、腰を落とし、優しく私の右手にキスをした。

「デビューおめでとうございます。とてもお美しいです」


 彼はとても落ち着いて、紳士的な態度だった。あんな別れ方をしたのに。そして私がなぜ泣いているのかも問わなかった。問われても私自身も自分の心が分からないけれど。

 遅れて入ってきた彼がなぜ私がデビューだと知っているのだろう?もし彼が生粋の貴族で宮廷舞踏会慣れしているのなら、白いドレスに白の長手袋というデビュタント定番の装いで分かるだろうけれど、そんなはずはない。

 それにしてもなぜ、いったいなぜ彼が今夜宮廷にいるのだろう?


 手にキスをしながら、彼はゆっくりと視線を上げ、私を見つめた。穏やかに見えるが、何を考えているのか全く分からない。

 それにしても何という立派な貴公子ぶりだろう。彼の正装を見るのは回帰前の私たちの結婚式以来だった。でもその時はセレーナベリの村長からの借り物だったが、今回はかなり上等なもので、彼は一部の隙もなく完璧に着こなし、凄まじいほど美しく、私は情けないことに心臓が壊れそうなほど高鳴っていた。それは私だけではなかっただろう。彼はこの煌びやかな宮殿でも入ってきた時から目立つ存在で、既に彼と私はとても視線を集めていた。


 ルイ・オルフェとの思いがけない再会に私はしばらく何も言えず固まった状態だったが、次第に周囲の様子が見え、声が聞こえてきた。多くの人が私たちのことを見、ひそひそと話している。彼は全く気にしているようには見えなかったが、私は慌てて「ありがとうございます。マンスフィールド少尉」と言って、手を引っ込めた。


 マンスフィールド少尉、ルイ・オルフェをそう呼ぶのはとても久しぶりだった。

 私とルイ・オルフェの出会いでもある、彼とフェリシアの3年ぶりの再会。温かな春の午後、モンタギュー伯爵家の居間でフェリシアははしゃいでいた。

「ああ、オルフェ、ずっと会いたかったわ」


 彼女の夫で私の兄のオズワルドも同じ室内にいるのも関わらず、ルイ・オルフェの頬にキスをした。

「オルフェ、ねえ、あなた、すっかり紳士じゃないの。今までいったいどうしていたの?」

「軍隊にいたんだ。少尉だよ」

「将校なの?立派ね。とても誇らしいわ。そうだわ。姓はどうしてるの?」

「亡くなった母の姓を名乗ってた。ダリューと」

「ルイ・オルフェ・ダリュー、すてきな名前ね。それじゃあ、ダリュー少尉、会えてうれしいわ。ああ、なんて幸せなのかしら?」


 嬉しそうなフェリシアとは違い、ルイ・オルフェはとても落ち着いて、いや冷めていた。ところが、ようやく口元だけ笑った。

「いや、今はダリューじゃないんだ。君と同じマンスフィールドだよ」


「え?」

 フェリシアの表情が変わった。


「ああ、違ったね。君は今はモンタギューか。一月前にマンスフィールド家の弁護士が俺を訪ねてきてね、お父さまは俺を養子にしていたそうだ」


 そして彼は口元だけでなく、目も笑った。

「愛する妹、僕も君にずっと会いたかった」


 あの日のことを思い出しているうちに、ルイ・オルフェは立ち上がり、私の耳元で囁いた。「ずっと会いたかった」と。


 私は彼から逃れるように少し後ろに下がった。

 すると背中に誰かの肩が当たったと思ったら、肩を引き寄せられ、私の前にダニエルが庇うように立った。

「どなたでしょうか?」

 私はルイ・オルフェに問いかけるダニエルの後ろに隠れながら、ダニエルの腕にぎゅっと掴まった。


「ホーソン子爵」

 ダニエルの肩の向こうからルイ・オルフェの低い声がした。え?と戸惑ったのは私だけでなく、ダニエルも同様だった。私は回帰前にルイ・オルフェに従兄のダニエルについて話したことはなかった。


「私たちはどこかでお会いしたでしょうか?」

 ダニエルは怪訝そうにルイ・オルフェに問いかけた。

「ああ、失礼しました。初対面でしたね。はじめまして。ブリッジミアのルイ・オルフェ・マンスフィールド子爵です」


「え?子爵?」

 驚いて私はダニエルの背から顔を出してしまった。ルイ・オルフェは、あまり表情を変えない彼にしては珍しく、眉根を寄せ不快そうにダニエルを見ていたが、私と目が合うと微笑んだ。これもまた彼にしては珍しかった。

 そして愛想よく自己紹介するダニエルの方はちらっと見ただけで私に話しかけた。

「レディ・メアリー、前子爵の兄が亡くなったのです。もうすぐ2ヶ月になります」

 驚いた。 2ヶ月ということは、私がブリッジミアを去ってから間もなくヒューは亡くなったらしい。ヒューが亡くなるのは私が嫁いでから半年ほど後だから、まだ先のはずだった。一応ヒューとは兄オズワルドの妻フェリシアを通じて親族だが、兄からは葬儀の報せはなかった。


「お気の毒に。私も親族だというのに存じませんでしたわ。ご病気かしら?」

 そう言いながら私はまたルイ・オルフェから目を逸らした。

「事故でした」

 ということはやはり川で溺れたのだろうか?

 ルイ・オルフェと話すのは気まずかった。駆け落ちを直前で止めて以来の再会で、なんて白々しい会話だろう?


「親族?モンタギューの?」

 再び怪訝そうに言ったダニエルとようやく私の傍に来たイーディス伯母に、私は仕方なくルイ・オルフェを紹介した。


「イーディス伯母さま、ブリッジミアのマンスフィールド子爵ですわ。オズワルドお兄さまの奥さまフェリシアの2番目のお兄さまです」


「まあ、オズワルドの!」

 イーディス伯母は突然現れた美貌の遠い親族に興味津々だった。


「マンスフィールド子爵、こちらは母方の伯母のイーディス・ローレンス嬢です。そして改めて、父方の従兄のダニエル・ホーソン子爵です」


 ルイ・オルフェはイーディス伯母に、そしてダニエルにも丁寧にお辞儀し、「はじめまして。ルイ・オルフェ・マンスフィールドです」と伯母の手にキスをした。物腰は優美で完璧で、いつの間に彼はこんなに一流の貴族らしくなったのだろう?と思った。私たちが出会った頃の彼は、まだ時折粗野な部分も垣間見えたはずだ。そこもまた魅力的だったが。


 一応挨拶はしたので、ルイ・オルフェに心の中で空気を読んでと思いながら、「それでは」と別れの言葉を言いかけた。その時に、彼が再び私に話しかけた。


「レディ・メアリー、私の方もあなたにご紹介したい親族がいます」

 彼の横には、彼と一緒に会場に入ってきた、高貴な雰囲気の老人がいた。

「祖父でルマーニュ国のルイ・アントワーヌ・ド・ルーアン公爵です」


「まあ、このお方は…」

 イーディス伯母が小さく言う声が聞こえた。


 ルーアン公爵は優雅に微笑み「はじめまして。マドモアゼル」と私の手にキスをした。


「はじめまして。ルーアン公爵さま。ブリッジミアのメアリー・モンタギューと申します」

 私は公腰を落としお辞儀をし、緊張しながら言った。彼は先ほどご挨拶した女王陛下のように、いや年季が入った分、更に威厳と近寄りがたい高貴さに溢れていた。


「孫からあなたのお話はよく伺っています。とてもすばらしい方だと」

 老公爵は品の良い微笑みを浮かべ、優しく言った。


 混乱した。回帰前にルイ・オルフェに祖父がいるなんて一度として聞いたことはなかった。そして思い出した。デビュー前に貴族の名前について勉強したが、ルーアン公爵は先のルマーニュ国王ルイ21世の三男で、次の国王となる王太子であったが、革命でエインズワースに亡命している方だ。

 待って。そんな高貴な方がなぜ田舎の子爵家で下男をしていたルイ・オルフェが孫だと?まさか…ルイ・オルフェはこの方を騙しているのでは?


「本当に私は血の繋がった孫ですよ」

 私の表情で察したのかルイ・オルフェが、少し笑うと言った。


「ルーアン公爵の長女でダリュー伯爵家の養女となったディアーヌ・アントワネットとアーネスト・マンスフィールド子爵が密かに結婚して生まれたのが私です。いろいろ手違いがありましたが、この2ヶ月で全て明らかになりました。女王陛下にも1週間ほど前にご挨拶にあがりました」


「そうでしたの」

 あまりに回帰前と違うので、頭がおかしくなりそうだった。


「踊りませんか?」

「え?」

 ルイ・オルフェの言葉に戸惑った。

「あなたと?」

「舞踏会ですから」


 ルイ・オルフェが私に手を差し伸べ、私は咄嗟にその手を取ってしまった。

 周囲に目を走らせるとルーアン公爵は笑顔だ。イーディス伯母も笑顔で頷く。ダニエルはセカンドダンスは彼と踊ることはできないので、少し気に入らないようだが笑顔で「楽しんでおいで」と言うと、ルイ・オルフェに取られていない左手を一瞬握って耳元に「リラックス!がんばれ!」と囁いた。

 笑顔でダニエルに頷きかけた時、ルイ・オルフェに肩を引き寄せられ、ホールの中心へと向かった。


「あの…」

 踊れるのですか?と小声で聞いた。

 回帰前、セレーナベリでの結婚式の後、親切な村人たちが私たちのためにガーデンパーティを開いてくれた。その中にダンスがあり、村人たちは夫婦や恋人同士で踊った。村長さんが「新郎新婦もぜひ」と言ったが、ルイ・オルフェが「僕は踊れないので」と断り、私たちは踊らなかった。


「踊れますよ。姪っ子のデビューのために練習しましたから」

 ルイ・オルフェは思いがけないことを言った。


「え?リネットのデビュー?」

 ルイ・オルフェの姪といえばリネットだが、あの子はまだ3、4歳のはずだ。

「兄の娘のリネットをご存知ですか?」


 私は慌てて言った。

「フェリシアから彼女のことは伺ってたので」


「そう。将来のリネットのために一通り覚えましたよ」

 4歳の子のために?なんだか冗談の気もしたが一応謝った。

「失礼なことを申し上げましたわ」


「大丈夫ですから、僕の目を見てください」

 踊り始めると、彼はとても上手かった。そして私たちはとても息が合っていた。あんなに一緒に練習したダニエルよりも。


 最後に彼は踊りをアレンジして、私をリフトすると降ろした。


 音楽が終わり、彼と見つめ合った。

「お上手でびっくりしましたわ。何度か舞踏会に参加されたことが?」

「いえ、初めてです」

「え?」


「ぶっつけ本番ですが上手くできてよかった。姪っ子の時は時々失敗したのに。あなたとは相性がいいようです」

「舞踏会デビュー同士だったのですね」

 今更失敗しなくてよかったとほっとした。


 ルイ・オルフェはホールの中心から私の手を取り、ゆっくりと連れ出した。伯母やダニエルはどこにいるのだろう?

「あなたが上手に踊られるから僕も踊れたと思います。ずいぶん練習されたのでしょうね」

「ええ」

「ブリッジミアで?」

「ええ」

「デビューされる予定でしたものね…」

 声に少し悲しみを感じた。そしてまた疑問に思った。彼は知らないはずだ。私が社交界デビューを予定していて、駆け落ちをしたために中止になったことを。


「こちらでも先ほどのホーソン子爵と練習しましたわ」

「ホーソン子爵と?」

 私の手を取っていたルイオルフェの手の力が強くなった。

「彼はデビュタントのパートナーですから…」


「旦那さま」

 ルイ・オルフェに声をかけ、近付く人物を見て驚いた。彼の秘書のシアーズだった。懐かしくなった。一時、彼も交えてルイ・オルフェと一緒に領地の仕事をした。でも今のシアーズは私を知らない。


「あちらに」

 シアーズはルイ・オルフェに小声で話しかけ、ルイ・オルフェは頷いた。シアーズは私に向かってお辞儀をすると去っていった。


「秘書のシアーズです。家はあまり使用人がいなくて、彼は従者の役割までやってくれています。めでたく子爵になったので、これからは改善するつもりですが」 

 ルイ・オルフェは微笑みながら言った。

「シアーズによるとあちらのバルコニーが空いているようです。行きましょう」

「え?」


 ルイ・オルフェの足が止まった。

「今夜はあなたに会うためだけに来たのです。どうか少しだけお時間をください」


 私と会うためだけに?どういうことだろう?戸惑っているうちに、広いバルコニーに出た。


 窓を1枚閉めただけで音楽が遠くなった。

 バルコニーには月の光がいぱい差し込んでいて、宮殿の庭園が見下ろせた。


「まあ!木の迷路だわ」

 私はバルコニーの手摺に手を乗せ、見下ろした。

 家の庭にもツゲの木の迷路があったが、宮殿の庭園は更に立派だった。


 その時、ふいに後ろから抱きしめられた。

「ずっと会いたかった」


「何を…」

 意外にも後ろから腰に回された彼の腕は簡単に振りほどけ、私は少し離れて彼を正面から見た。


 ルイ・オルフェは私に近付くと、両頬を優しく手で挟むと上を見上げさせた。

「ずっと君に会いたかった」


 彼は私が今まで見たことのない優しい目をしていた。どういうことなの?

 彼は右手だけを私の頬から放すと、指を私の目の下に持ってきてそっと拭ってくれた。私は彼と先ほど再会したばかりの時のようにいつの間にか泣いていた。

「失礼。ハンカチを」

 そう言いながら左手も私の頬から放すと、胸ポケットからハンカチを取り出そうとした。その時、私は気付いて言った。

「あなたも泣いてるの?」


 信じられなかった。

 私の記憶の中で、ルイ・オルフェが泣いたのは夢の中で聞いた、フェリシアが死んだ時の慟哭だけだった。


「ラエル!」

 私は引き寄せられ、彼の腕の中にいた。


「オルフェ…オルフェ…」

 私の頭の上に彼が顔を寄せたのを感じた。

 私は回帰前には一度もしなかった、ルイ・オルフェの胸の中で号泣し、言った。


「ずっと会いたかった。あなたに」


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