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4.ただ一つの恋の終わり

 次に目覚めた時は夜だった。

 どのくらい眠ったのだろう?本当に眠ってばかり。

 しかも体はだるく、少しもよくならなかった。


 フェリシアと最後に会ったあの晩ほどではないけれど、今夜もまたやはり風が強かった。


 ビューッ!ビューッと強い風の音が聞こえる。

 私に何かあったらと隣の部屋が少し開いていて、スーザンがその部屋のソファで眠っていた。


 私が眠っている間にフェリシアの葬儀は終わっていた。


 「メアリー伯母さまやダニエルは来たの?」と、スーザンに聞いた。伯母と従兄、2人が来ていたのなら会いたかった。

 私を大切に思ってくれる2人なら、私とレイモンドを救ってくれるかもしれなかった。


 スーザンは首を振った。

「いらっしゃいませんでした。ご葬儀の日は天候が悪かったので本当に内輪で」


 名家の伯爵夫人の葬儀をそんなに質素にしたとは。

 そしてルイは?と聞きたかったが躊躇われた。


「マンスフィールド子爵もいらっしゃいませんでした」

 スーザンの方が私の気持ちを察して教えてくれた。彼女はいつだって私の気持ちを考えてくれている。


 フェリシアの葬儀の時、ルイはどこにいたのだろう?

 

 夢の中で聞いた悲しい慟哭はルイだったのかもしれない。

 彼は血の繋がらない姉であるフェリシアを深く愛していた。おそらく女性として。

 彼女に裏切られてもなお。


 フェリシアもまたルイを愛していた。

 ルイの気持ちを知りながら、私の兄オズワルドと結婚しておいて。


 フェリシアが私の息子を見つめる青ざめた顔を思い出した。

 最後に言い争った時よりも、今はその顔が思い出される。


 あの後で彼女は嵐の中を出ていった。

 「オルフェ!オルフェ!」と叫びながら。


 私の夫ルイ・オルフェをミドルネームのオルフェと呼ぶのはフェリシアだけだった。

 そしてフェリシアを愛称のフェリスと呼ぶのはルイだけだった。


 いつも表情を変えないルイも、フェリシアに対しては素直な喜怒哀楽を見せた。

 私も兄も途中で黙ってしまうフェリシアの剣幕に立ち向かえるのはルイだけで、堂々と言い返し、彼女を黙らせた。そしてルイのあの美しい顔に平手打ちをあびせる女性もフェリシアだけだろう。


 2人には私が決して入れない絆があった。


 でも、フェリシアにとって私こそ幸せに見えたのだろうか?


 レイモンドが生まれる前、兄夫婦と食事を取る時、2人はちらちらと大きな私のお腹を見ていた。

 伯爵家に戻ってから、スーザンからフェリシアは流産後、子どもを授かるのは難しいとのことを聞いた。


 私が生む子が男子なら、モンタギュー伯爵となる可能性があった。

 だからこそ、兄は勘当した私をしぶしぶ受け入れてくれたのだろう。結婚後、何度も家に帰りたいと手紙を送ったのに返事をくれなかった兄が。


 でもフェリシアの方は…さすがに言葉にも表情にも出さなかったが、私と子どもを幾度も殺したいくらい憎んでいた。


 どうしてよ?あなたを殺したいのは私の方だわ。

 窓から見たフェリシアがルイにキスをしていた姿を思い出した。

 何か言い争って、ルイが彼女の手を振り切ろうとすると、それを遮って首に手を回したのだ。そして彼は拒まなかった。

 

 本当は子どものこともあって、ルイの元に少しは戻る気でいたけれど、それを見た瞬間にその気持ちは完全に消えた。疑惑であったことが本当だと分かった。

 汚らわしい。2人はとても。


 お気の毒なお兄さま。

 お兄さまはどうしているのだろう?あれから姿を見ていない。

 お悔やみの言葉ともう一度息子を託したかった。


 スーザンは私の目が覚めると、レイモンドを連れて見せてくれた。

 バラ色の頬、きめ細かな白い肌、澄んだ青い瞳、長い睫毛、整った顔の本当にきれいな子だった。

 とても健康で、新しく雇用した乳母からミルクもよく飲むそうだ。

 泣き声を聞いた時、こんな声をしているのだと感激した。

 もう少し大きくなって、お話ししたらどんな声なんだろう?


 でも聞けない。この子の成長は見られない。


 はっきりと気付いていた。

 私はもうすぐ死ぬと。



 次に目覚めた時、部屋に彼がいた。


「ルイ?」


 私の夫ルイ・オルフェ・マンスフィールド子爵だった。

 誰が彼を通したのだろう?

 お兄さまは彼を絶対に屋敷に入れるはずがなかった。


 ルイは無表情だった。

 私を死の世界に引きずり込もうとする死神のように、真っ黒なマント姿でベッドの横に立ち、私を見下ろしていた。


 彼は最愛の人、フェリシアを失ってさぞ苦悩しただろうに、やつれてはおらず、変わらずとても美しかった。


 優美な物腰はかつて下男の生活をしていたとは思えない。

 生まれながらの貴族のような完璧な佇まいだった。


「息子を生んでくれてありがとう」

 言葉は優しいけれど、冷たい声だった。


 やはり知られていた。

 子どもの存在を隠して出て行ったのに。


 ルイと最後に話した時、子どもの存在は隠して離婚を切り出したが、全く相手にされず拒絶された。

 ルイにとって、たとえ全く愛のない妻であっても、大嫌いな兄に自分のものを渡したくなかったのだろう。


 力なく私は言った。

「子どもを、私のレイモンドを連れて行かないで。この屋敷で立派な教育を受けさせてあげて」


 見下ろす彼は無表情だ。


「あなたはあの子を愛さないでしょう?私が生んだ子どもですものね。今の時点ではレイモンドが次のモンタギュー伯爵よ…。お兄さまはいつかまたご結婚されるかもしれないけれど…」


「分かった。約束しよう」


 そして彼は屈み、私に顔を近づけた。

「ところで再婚だって?オズワルドが?」

 耳元で私に小声で言う。


「心配はいらない。間違いなく息子が伯爵だ」


 え…?


「そして思い出深いこの屋敷は息子を通じてもうすぐ俺のものになる」


「どういうこと?お兄さまは?そうよ。なぜあなたがここにいるの?」

 かすれた声で私は言った。


「オズワルドはフェリスの葬儀の時に倒れたんだよ。意識がなくなってみんな死ぬかと思った。一応は目覚めたけれどもう喋ることも歩くことも難しいらしい」


「なんてこと…」

 だから兄は私の所へ来られなかったのだ。

 スーザンに聞くと言葉を濁していた。私の体調がもう少しよくなってからと思っていたのだろう。


 それでこの男が屋敷にも自由に出入りを?

 そして私は最後にお兄さまと話すこともできないのだわ。


 涙が流れた。

 けれど私は言わなければならない。

 私は耳元へ顔を近付けていた彼へと顔を真っすぐに向けた。

 そして必死で力を振り絞って両手で彼の顔を挟み聞いた。


「なぜ私を憎むの?」


 ルイは目を見開いた。

「憎む?」


「お兄さまのことはまだ分かるわ。でも、私のことも嫌っているのではなく憎んでいたでしょう?」


 弱っている私の手など振り払えたはずなのに、彼はそうしなかった。


 彼は私を見つめゆっくり言った。

「君は俺を何も分かっていない」


 そして部屋を見回した。

「ここが君の部屋か。豪華できれいだな。そりゃあ帰りたくもなるだろうな」


 口元だけで彼は笑った。

「君は俺が汚い下男の服装だったら見向きもしなかっただろう。それとも、また泥棒呼ばわりかな」


 泥棒?

 私はそんなこと一度だって彼に…


 はっと思い出した。私が幼い頃だ。

 夜、玄関ホールを出た所で、下男たちに両手を後ろにつかまれ、私たち家族の前に連れてこられた泥だらけの少年がいた。彼は私たちをすごい目で睨みつけた。

 私は怖くなって父の後ろに隠れた。


「この子こわいわ。お父さま」

 それから私はとてもひどいことを言った


「ごめんなさい…」

 私は彼から手を放した。


 あの子は泥棒じゃなかった。

「フェリスをどうしたんだ!放せよ!」

 そう叫んでいた。


 すぐに父の後ろに隠れたから、その子の姿は一瞬しか見ていなかった。

 そう、あの子はルイだったんだわ。


「あの後父から泥棒じゃないからあの子に…謝るようにって…」


 息がまた苦しくなった。

 目を瞑ってしまったからルイの表情は分からなかった。

 でもぐったりとたれた左手を掴んだ手の感触がした。


「メアリー」

 彼が私を呼んだ。声に戸惑いがあった。


「ラエル…」


 私は目を開いた。


 その時、ドアをノックする音がした。

「メアリー様?どなたかいらっしゃっているんですか?」


 そしてドアが開き、スーザンとナンシーが入ってきた。


「メアリーお嬢さま!」

 スーザンが叫び声をあげ、ルイを押しのけ、私の枕元へ駆け寄った。


「お嬢さま!メアリーお嬢さま!お苦しいのですか?」

 スーザンは泣いていた。


 私は苦しい息をしながら言った。

「レイモンド…レイモンドをお願い」


 最初スーザンは自分に言われたのかと思い頷いた。

 けれど私の目線に気付き、私に見えるようにどいた。


 再び彼が傍に来たことを感じた。

 涙で歪んでルイがよく見えない。

「ルイ、お願い。レイモンド…レイモンド…どうかレイモンドだけは…」


 ルイの美しい顔が霞んでいった。


 私のただ一つの恋の終わり。


 ついに何もかも見えなくなった。

 そして最後に思った。


 この世界を作り出した神様…

 もしいらっしゃるのなら…


 どうか…

 私の望みを…


 私の願いを…


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