49.雪合戦
「メリークリスマス!ラエル!」
雪の中、クリスマスイブにフェリシアとオルフェがモンタギュー伯爵邸に来てくれた。
「もうちゃんと歩けるようになったのね。良かった!」
フェリシアが嬉しそうに言ってくれた。
骨折していた足もすっかり良くなり、もう松葉杖なしに歩けるようになった。
「ありがとう、フェリシア。お久しぶり、オルフェ」
フェリシアと抱き合い、オルフェは手にキスをしてくれた。
フェリシアは2週間近く寝込んでいたそうだけど、見た目はすっかり元気そうだった。
「こんにちは」
私と並んでいたダニエルが2人に挨拶した。
ダニエルは3日前から伯爵邸に滞在していた。
彼もフェリシアの手にキスをした。とても自然で、彼に比べるとオルフェはまだぎこちなさを感じた。
ダニエルの弟ヘクトルもこちらに来たがったそうだが、風邪で熱があるそうで結局来られなかった。
ホーソン家では10日ほど前にダニエルとヘクトルの両親であるホーソン子爵夫妻が大喧嘩をして、ジェイド伯父は家を出て遠方の領地アレンフィールドに行ってしまった。その後にクリスマスもそちらで過ごすと連絡があり、当分戻らないのではとダニエルは溜息をついた。父と兄が不在、母の機嫌も最悪で、病気になったヘクトルは寂しそうだったと。
「なんでうまくいかないんだろうな」
ジェイド伯父は良い領主で、領民とは気さくに接するので人気があった。
美貌で人当たりも良い彼は、女性を中心に社交界でも人気が高かったが、なぜか自分の妻と子どもたちとだけはうまくいかなかった。
最近はダニエルとはよく話すようになったそうだが、珍しく父の方から相談事をしてきたと思ったら衝撃的なことを告げられた。
「まさか父上に隠し子がいたなんて。もしも自分に何かがあったら、僕にその子を頼むって言うんだよ。もうすぐ母上が子どもを生むっていうのに」
そして困ったように私の方を見た。
「父上の恋人のこと、誰か君は知っていた?」
私は頷いた。
「私も最近知ったの」
ダニエルはまた溜息をついた。
「母上にはとても言えないな」
「これ、あなたへクリスマスプレゼント。あたしとオルフェから」
フェリシアがにこやかに言い、オルフェがテーブルに少し大きめの包みを置いた。
「何かしら?」
開けてみると、それは凝ったモザイク模様の美しい裁縫箱だった。
「わあ!フェリシア、オルフェ、ありがとう!素敵だわ」
ソファで並んで座っていた2人に同時に抱きついた。
「いつも綺麗なハンカチを頂いているから。ぜひ使ってね」
笑顔でフェリシアは言った。
いつも?戸惑った。
フェリシアにハンカチを送ったのは一度だけだったから。オルフェへ私が何度かハンカチを送ったことを知っているのだろうか。
「そうか、ハンカチか…。余計なもの贈っちゃったかな」
ダニエルが言った。
ダニエルからのプレゼントはルマーニュ製の最高級のレースのハンカチだった。
「そんなことないわ!あんな綺麗なレースのハンカチ、見たことないわ」
慌てて言ったがその場が和んだ。
私からのオルフェとフェリシアへのクリスマスプレゼントはツリーの下に置いていた。
オルフェにはドルトンから取り寄せた、たくさんの色の絵の具が入った水彩絵の具セットとスケッチブック、フェリシアには金の美しい装飾のブレスレットだった。ダニエルには先に彼の瞳と同じ色のエメラルドのカフスボタンを渡していた。
その日、庭に積もった雪は多かったが、よく晴れていた。
それでダニエルが以前言った通り、ミス・ゴドウィンも入れて5人で雪合戦をしようということになった。
ミス・ゴドウィンは2週間前に話したアンドレ・デュトワについて、やはり何か気付いたようだった。翌日寝不足な目で起きて来て、あれだけ彼とセーラのことについて聞きたがったのに、何も聞かなくなったから。しかも意味ありげにこっそり私を見ている。
せめて私がセーラと同様にアンドレに恋をしていたとでも思ってくれればいいけれど。女子校で若い男性教師が生徒に恋心を抱かれるのはよくあることだ。
「ヘクトルが来なかったから人数が合わないな。オズワルドでも誘う?」
ダニエルが言った。
「お兄さまは絶対にやらないわ」
私は首を振った。兄は狩り以外、スポーツはあまり好きではなかった。
「人数は合わないけどモンタギュー伯爵家対デッドロック館でいいかしら?」
フェリシアが言うと
「私は結構ですから、伯爵家チームはお嬢さまとダニエル様でやってくださいな」
と、ミス・ゴドウィンが遠慮する。というよりも、どうにか逃げたそうだ。
「それよりも女子3人対男子2人でやらない?」
私が言うと「え!?」と、全員が驚いた顔をした。
「作戦があるの。大丈夫よ」
投げるのが苦手そうなミス・ゴドウィンにはひたすら雪玉を作ってもらい、私とフェリシアはひたすら投げることにした。
いざやってみると、男性陣はひたすら遠慮してゆるい玉しか投げてこない。特にオルフェは私に、ダニエルはフェリシアに遠慮して、それぞれ自分の親族に向けて足元や体の横に向かって、当たらないように投げた。
男性陣がそうなので、私はダニエル、フェリシアはオルフェにと、結局親族同士で投げ合うことになってしまった。
ダニエルは避けるのが上手で、私は真剣に投げてしまう。ゆるい玉にわざと当たって、私の投球力を褒める。紳士的と言えば紳士的だけど、完全に子ども扱いだ。
「もうダニエル!真剣に相手をしてよ。私は大丈夫だから!」
「至って真剣だよ!」
笑って言い返された。
ふとオルフェの視線を感じて、そちらを見ると目が合った。
その隙にフェリシアがオルフェの肩に雪の玉を当てた。
「オルフェ、隙あり!」
「フェリス、けっこう痛かったぞ」
と言いながらオルフェは少し強い玉をフェリシアから少し手前に投げつけた。雪が飛び散る。
フェリシアは嬉しそうに笑った。
「だめよ!当たるようにちゃんと投げてよ」
やっぱり2人はとても仲がいいなと思った。
なぜだろう?ふと別な風景と重なった。
雪合戦。遠い昔の…。
雪を投げ合いながら響く少年少女笑い声。
それは前世のアデル・グレイの記憶だった。
12歳の頃、妹のメグと、ロバートとその兄のフレッドのチャーチ兄弟と雪合戦をやったことがあった。
その時はちょうど人数が合ったから男女混合、私とロバート、メグとフレッドで組んで雪合戦をした。その時も兄弟は私たち女子に遠慮して、私とメグには投げず兄弟同士で投げ合っていた。
そんなことを思い出してぼんやりしていたら、ダニエルがあやまって投げた雪玉が思いっきり顔面に当たってしまった。
世界が当たった雪で真っ白になった。
たいして痛くなかったが、驚いたあまり、後ろへひっくり返ったしまった。
「なんてことするんだよ!」
怒鳴る声がした。オルフェだ。
私はまだ過去の夢の中にいた。
過去の雪合戦でも、あやまってフレッドが私の顔面に雪をぶつけてしまった。
「なんてことするんだよ!フレッド!」
いつも優しいロバートが珍しく怒って兄に向かって叫んだ。
そして「アデル!」とすぐに私を助け起こし、手で優しく雪を払ってくれた。
「アデル、大丈夫?」
心配そうに私を見つめる綺麗な黒い瞳。
私は言った。
「大丈夫よ、ロバート。全然痛くなかったわ」
夢の中ではなく❝今❞の私が。
辺りが静まり返った。
首を振ると顔から雪が全部落ちた。
私は自分の間違いに気付いた。
戸惑った顔のオルフェとダニエルが見えた。オルフェはダニエルの胸元を掴んだまま止まっていて、私を見ている。
「ごめんなさい、オルフェ。ちょっと昔やった雪合戦を思い出してぼうっとしていたの。ロバートはずっと昔の小さい頃の友だち」
「ロバート・チャーチ…」
囁くような小さな声が後ろから聞こえた。
振り返るとミス・ゴドウィンがお祈りするような胸で手を組んだポーズで夢見るように目をきらきらさせていた。
なぜあなたがこの名前を知っているのよ。しかも何か誤解をしているようだし。
「ごめん、ラエル。当てるつもりなんてなかったんだ」
ダニエルがオルフェの手を振り払って私の所に来て起こしてくれた。
オルフェはダニエルに振り払われて我に返り、私の方へ走ってきた。
「大丈夫?ラエル。ごめん。すぐに君の所に行くべきだったのに。ごめん」
そして頭や顔に残っていた雪を優しく払ってくれた。
なんだか申し訳ない気持ちになった。
「雪合戦なんだから当てるのは当然よ。気にしないで」
「やっぱり女子対男子は無理だな。冷えてきたし、一旦屋敷に戻ろうか」
ダニエルが明るく言った。
5人で屋敷に向かうと、門から馬に乗った男性が急いで入ってくるのが遠くに見えた。
「あれ、今来たのは家のフットマンのバンクスのように見えたけど」
ダニエルが言った。
「おーい!バンクス!」
ダニエルは彼に向かって手を振った。
「ダニエル様」
馬から降りた若い青年がダニエルの方に急ぎ足で来た。近づいてきたので気付いたが、彼は顔がひどく青ざめていた。
「ダニエル様、お会いできてよかった。ヘクトル様のご容態が悪化されてたいへんな状態なのです。それに感染したらしく奥さままで高い熱を出されて」
ダニエルの顔色が変わった。
「ただの風邪だと。違うのか?」
バンクスは首を振った。
「違ったようです。すぐにお戻りになってください。旦那様の方にも使いを送っています」
「分かった。すぐに用意する」
ダニエルとバンクスは屋敷の方に急いで入っていった。
「大丈夫かしら?」
フェリシアが心配そうに言った。
「大丈夫よ。きっと」
私は言った。
家に戻ると、父の書斎で、父とダニエルが話し合っていた。バンクスも一緒のようだ。
母も心配そうに書斎の前に来た。
フェリシアとオルフェには今日は帰ってもらうことにして、それぞれへのプレゼントを渡し、デッドロック館へと馬車を出した。クリスマスパーティは中止だ。
暫くして書斎から父が出てきた。
「ヘクトルとエリザベスがひどい熱を出しているそうだ。すぐに馬車を出して、私もダニエルと一緒にホーソン家に行ってくる」
「たいへんだわ。私も一緒に行きます」
母が言い、父は頷いた。
1時間後、ダニエルと両親はホーソン家に向かい出発した。
馬車を見送りに来た私に母は優しく微笑んだ。
「あなたが一生懸命準備していたクリスマスパーティが中止になってしまって残念ね。マンスフィールド子爵家のご兄妹とダニエルと一緒に過ごせるクリスマスを楽しみにしたのにね。2ヶ月後のあなたのお誕生日にぜひ埋め合わせをしましょうね」
そして母は私の頬に優しくキスをした。
「ヘクトルもエリザベスも大丈夫よ。安心して待っていて」
けれど嫌な予感が拭いきれなかった。
「お嬢さま、子爵家のみなさまはきっと大丈夫ですよ」
ミス・ゴドウィンが私を慰めてくれた。
「それならいいけど…」
ミス・ゴドウィンにだからこそ、この不安が言えた。
「『デッドロック館』のダニエル・ホーソンには家族などいないのよ。若くして子爵になったの」
ミス・ゴドウィンは息を呑んだ。
「何かあったのですか?」
「分からないわ。私は書かなかったから」
2日後、ホーソン子爵家から、ヘクトルとエリザベス伯母さまが亡くなったとの知らせが届いた。エリザベス伯母さまのお腹の中にいた子どもも一緒に。
遠い領地にいたジェイド伯父さまは吹雪で足止めにあい、2人の臨終には間に合わなかったそうだ。
父と母は帰ってこない。
そしてなおも悪い知らせが届いた。
2人の看病をしていたお母さままでひどい熱を出しているとのことだった。
私と兄はすぐにでもホーソン家に向かいたかったが、私たちまで感染してはいけないからと父から止められた。それは母の願いでもあると。