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3.メアリーの嘆き

「オルフェは言ってないわ」

 フェリシアはなぜか勝ち誇ったように言った。


「あなたが自分で言ってたでしょ。デッドロック館に来てからはオルフェの部屋で毎晩寝てるって」


「それは…私の部屋がもらえなかったから仕方がなくて」

 確かに言った。でもフェリシアではなくスーザンに話したのだ。


 駆け落ち結婚をして、暫くはホテル生活の後、マンスフィールド子爵家の領地を回り、子爵家デッドロック館に戻ってくると、この館の主の夫人である私は自分の部屋を貰えなかった。


 その時は前マンスフィールド子爵ヒューが存命で、領地も館も既に次男であるルイの所有となっていてヒューは辛うじて爵位だけを維持していた。ルイはヒューとその幼い娘のフェリシア・リネットを追い出さなかったので、ヒューはまだデッドロック館で主人のような顔をしていた。


 この館にルイの嫁の部屋などないとヒューは私に言い放ち、ルイはさっさと外へと出ていってしまった。

 夕食の時にようやく顔を合わせたルイはとても暗い顔していたが、私にとっては死活問題なので、懸命に抗議をした。彼は私の最初は無表情で私の言葉を流していたが、しばらくしておもしろいといった表情になった。

 彼はないなら仕方がないと笑った。明らかに私をばかにしていた。

 結婚前は優しかったのにどうして変わってしまったのだろう?


 私は困惑して言った。

「私はどこで寝たらいいの?」


「使用人と一緒か、そうだ。リネット、あの子に頼めばいいだろう?」


 伯爵令嬢である私がなぜ使用人と一緒に?

 ヒューの4歳の娘フェリシア・リネットと一緒のベッドなど身震いがしたが、疲れていたので仕方がなかった。


 立ち上がりリネットの部屋に行こうとすると、ルイに手首を掴まれた。

「本気でおねしょ癖が直らない子どもと一緒に寝る気か?」


 彼は笑っていた。

 ほっとした。冗談なのだ。ルイは意地悪をしただけで私の部屋は用意してくれたのだろう。


 だが彼は、食堂から私の手を掴んだまま出て、そのドアの前に連れてきた。


「来たいならどうぞ。奥さん」

 それは彼の寝室だった。



「ご夫婦が一緒の寝室をつかうのは当たり前のことですよ。特に新婚でいらっしゃるもの」

 翌日デッドロック館の古参のメイドで、他の貴族の家でも働いたことのあるロイド夫人は言った。


 私は外の世界を何もしらなかったからそうなのだろうと納得した。

 ただルイはもっと言い方があるのにと思ったけれど。


 私は混乱し、心臓が壊れそうだったのに。

 完全な夫婦になったのはその夜だった。


 そして毎朝朝食の時、彼はなぜ平然としていられるのかと思った。

 あの晩以降、毎晩彼は私を求めたから。

 私は恥ずかしかったし、余韻も残っていた。甘い余韻。私は彼を深く愛していた。


 そして恋に溺れた愚かな私は、彼は不器用なだけで私を愛していると思った。


 デッドロック館に来た翌日、12歳のキッチンメイドのデイジーに、モンタギュー伯爵邸へ、兄への手紙を渡してくれるよう頼んだ。

 この館は子爵家だというのに、私の専属メイドどころか、女性の使用人はロイド夫人とデイジー、リネットの乳母からそのままメイドになったノラしかいないのだ。

 手紙には兄の許可なく結婚したことへの謝罪、結婚を認めてほしいとの懇願、昨日夫婦でブリッジミアに戻ってきて、デッドロック館で暮らしている報告だった。


 伯爵家から戻ってきたデイジーは、手紙は執事に渡し、伯爵家ではフェリシアが妊娠という嬉しいニュースがあり、そのうちきっといい返事が来るだろうと言った。

 これで何もかもうまくいくだろうと私は安心した。

 そしてフェリシアの妊娠のことは、ルイは知っているのだろうかとふと思った。


 2日後、兄から返事が来ないので再びデイジーを伯爵家に送ると、返事どころか2度と手紙などよこすなと言われたとデイジーは泣きながら帰ってきた。

 フェリシアが流産したそうだった。ルイと私が戻ってきたこと、私が幸せそうな手紙を送ってきたことが原因だと、ひどい言いがかりだった。


 結局私はきちんとした自分の部屋は貰えなかった。着替えと化粧をする部屋はあるものの、そこにいる時は常に誰かメイドが一緒で、伯爵家で1人自分の時間を楽しみ、寛いで過ごした私の部屋とは大違いだった。

 デッドロック館で私は昼間は居間にいて読書をするか古いピアノを弾くかで、話し相手が欲しい時は台所まで行き、メイドたちと話すことになった。


 妊娠して伯爵家に戻った時、幼い頃から私の世話をしてくれたスーザンに、デッドロック館での愚痴をこぼした。スーザンがフェリシアに話すはずはない。どこかで私たちの会話を聞いていたのだ。

 そしてそのことをこんな言い方をされるとは。


「夫婦なのだから寝室が一緒で何が悪いの?あなたとお兄さまだって」


「あたしたちは最初から別の部屋よ。結婚前にそうしたいって頼んだし。あなただって知ってるでしょ?子どもができないと分かってからは一緒の時なんてないわ」


 そうだった。フェリシアが兄と結婚し、一緒に食事を取るようになったが、夕食後、おやすみなさいと兄夫婦は別々の部屋に行った。

 父と母も寝室は別にしていたから、兄夫婦もそうだろうと、結婚前は何の疑問も抱かなかった。


「あんたには分からないわよ。あたしがどんなに苦しかったか。今も苦しいか。いい?万が一デッドロック館に戻るならあたしの部屋を使いなさいよ!あたしのベッドで寝なさいよ!オルフェが何か言ってきたらあたしがあげたって言いなさいよ」


 フェリシアは泣いた目を血走らせ、私の肩を掴み言った。

「あたしが帰りたくて仕方がないデッドロック館の女主人になって、オルフェと結婚して、毎晩抱かれて、オルフェとそっくりの赤ちゃんを生んで何が不満なのよ!」


 気分が悪すぎて私は途中から彼女の言葉を聞くことなく、ぼんやりしていた。彼女が肩から手を離したら私は倒れていただろう。


 フェリシアはヒステリックに笑い出した。

「部屋がない?部屋をあげたらあんたは自分の部屋に閉じこもりっきりになるでしょうよ。そのうち今みたいに食事も部屋に届けさせて。それに意地っ張りのオルフェに夜にあんたの部屋を叩いて通えって?笑えるわ」


「奥さま!」

 スーザンとフェリシア付きのメイドのナンシーが部屋に入ってきた。


 スーザンは私を庇うように抱きしめた。

「奥さま、メアリーお嬢さまはとてもお具合が悪いのですよ。どうか労わってくださいまし」

 スーザンは泣きながらフェリシアに頼んだ。


「フェリシア様、いい加減になさってください」

 ナンシーも言った。彼女はフェリシアが嫁いできた時、マンスフィールド子爵家から一緒に来た、フェリシアより数年年上のメイドだった。フェリシアの兄ヒューの乳母だった女性の娘で、ヒューの乳兄妹だったそうだ。

 そのせいか使用人にも関わらずフェリシアには、かなり自由に口をきいていた。


 それにしても兄はいったいなぜこんな勝手な女と結婚したのだろう?しかも彼女の言いなりだ。


 今なら分かる。フェリシアは何でも言うことを聞いてくれる兄も、何不自由なく暮らせる伯爵夫人の生活を気に入ってはいたけれど、決して兄のこともこの伯爵家のことも愛してはいなかった。

 彼女が愛したのはルイ・オルフェ、そして生まれ育ったデッドロック館とその周辺の荒野だった。


 スーザンとナンシーがフェリシアを宥め連れ去った。

 出ていく時にフェリシアは泣きながらなおも叫んでいた。


「そうか。彼女をヒューから守るためだったんだわ。酔っぱらったあいつなら彼女に何かしかねないものね。だから1人でいられないように。ばかみたい!ばかみたいだわ!」


 何を…言っているんだろう?

 ルイが愛しているのはあなたなんでしょう?

 勝手なフェリシアは時に私を哀れみ、時に羨ましがった。私の話を聞かず一方的に話し、1人で納得した。


 私はようやく1人になれた。


 ビュービューッ!ザザザザザザッ!

 風の音の中に雨音が混ざっている。嵐になるのだろうか?


 常に強い風ばかり吹く、短い夏以外何もない荒野のどこがいいのだろう?


 丘の上で、更に強い風が吹き付け、玄関の前の大木が折れ曲がったデッドロック館のどこがいいのだろう?

 ルイに抱かれている夜は風の音など気にならなかったけれど。


 もし私が死んだら、私とルイの子どもはフェリシアが育てるのだろうか?

 本当の親子のように。

 兄と一緒に?

 それともルイと一緒に?


 嫌だ。絶対に嫌だ。


 フェリシアなんて死んでしまえばいいのに。

 そしてルイは一生後悔で苦しめばいいのに。


 泣きたかったが、息が苦しくなった。

 そしてそのまま眠ってしまった。


 その夜、伯爵邸でぐっすり眠ったのは子どものレイモンドだけだったと後で知った。

 私も時折息苦しくて目覚めたものの、そのままうつらうつらと2日ほど眠った。


 どこかで…とても悲しい嗚咽が聞こえてきた。

 男の声だ。


 お兄さまだろうか?



 目覚めた時、風はやんでいたが、屋敷の中は慌ただしく、多くの人の動き回る音がした。

 声の様子から屋敷の者だけではないようだった。


 スーザンが来て、そっと教えてくれた。


「奥様がお亡くなりになられたのです。お嬢さまとお話になった後、嵐の中、外を彷徨われて、倒れている所を連れてこられたのですが、高熱が下がらず昨夜とうとう…」


 フェリシアなんて死んでしまえばいいのに。


 なんてこと!

 私の恐ろしい願いが叶ってしまった。


 そんなことがあったのに私は気付かず眠っていたのだ。

 フェリシアと言い争いをしたままだったことに、後悔が押し寄せた。

 ルイが戻ってくるまでは私たちは、友人として、義理の姉妹として、うまくいっていたのだ。

 嫌いだが、本当に死を望んではいなかった。


 けれど少し経って、ひそひそと聞こえてきたメイドたちの会話でそんな気持ちは吹き飛んだ。


「奥さまはマンスフィールド子爵の名前を叫びながら嵐の中を彷徨っていたんですって」


 マンスフィールド子爵?ルイだ。

 噂好きのメイドたちの会話は続いた。


「え?子爵は奥さまのご兄弟でメアリーお嬢さまのご主人でしょう?なんでまた…」

「血は繋がってないのよ。子爵は養子だから」

「やだ。子爵の奥さまであるメアリーさまが苦しんでいらっしゃる時に密会を?」

「ううん。デッドロック館に人をやったら子爵はお家にいて、知らせを聞いてとても驚いてたって。すぐに捜索に加わったそうよ」


「まあ!」

「でも恋人同士ではあったんじゃない?子爵が奥さまのいる場所を見つけて、びしょ濡れの奥さまを抱きかかえて伯爵家に連れ帰ってくれたのだから」


「旦那さまは口止めしたけど、村の何人かがが子爵の名を叫ぶ奥さまの声を聞いたって」


「村でも噂になっているの?」

「そりゃそうでしょ?」


「かわいそうな旦那様。メアリーお嬢さまも」

「赤ちゃんもよ」


 怒りが込み上げてきた。

 ファリシアは最後までなんという恥さらしなことをしてくれたのだろう!


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