41.悪夢の続き
フェリシアは熱を出して、そのまま部屋にこもって寝込んでしまった。
部屋に食事を運んでも、気持ちが悪いとほとんど摂らなかった。
何日経ったのだろう?
フェリシアは繰り返し様々な夢を見た。
何度も見た悪夢、初めて見る悪夢。
悪夢ばかりだ。
一つは何度か見た夢だ。
デッドロック館の居間、アームチェアにいる父と会話している。
父は今よりもっと具合が悪いようだ。
「お前はなぜいい子でいられないのだろうね?」
「お父さまはなぜいい人でいられないのかしら?」
雨が激しく降っている。
父は心配そうに外を見た。
「ルイは?まだ帰らないのか?こんなに雨が降っているのに」
「どこかで雨宿りしているんじゃないのかしら?」
オルフェは本当は家にいた。けれど悪い予感がして、今は会わせたくなかった。
フェリシアは微笑み、甘えるような声で言う。
「お父さま、オルフェに伝えたいことがあるのならあたしに話して。オルフェには必ず伝えるから」
今度は初めて見る夢。
先ほどの夢の続きだ。
父の机の中から取り出した紙束を暖炉にくべている。
燃えて…燃えて…早く早く…
燃やしている紙束の文章は心が揺れるので読まないようにしていた。けれど絵なら嫌でも目に入る。
父が描いた絵だろうか。オルフェによく似たとても美しい女性の肩から上を描いたスケッチ画があった。
自分はそれを二つに裂くと火にくべた。
これは本当にあったことじゃない。
お父さまがあたしとオルフェにあんなことを言うから、こんな夢を見るのよ。
でも、もしお父さまがあたしだけにオルフェと兄妹だなんて話をしたら?
そしてお父さまがあたし以外に誰にも話さず亡くなってしまったら?
あたしは絶対にオルフェにこのことは話さないだろう。
オルフェにも誰にも。
「お前はなぜいい子でいられないのだろうね?」
いい子でなくていいの。あたしはオルフェさえいれば。
ああ、これもまた何度も見る悪夢だ。
オルフェとの結婚式を邪魔するお父さまの幽霊の夢。
嫌だ。なぜこの夢をもう一度見なくちゃいけないの?
祭壇に並んだフェリシアとオルフェの後ろから声がした。
「この結婚はなりません!」
だめ。オルフェ、振り返らないで。
けれど何度も見た夢の通りになる。
横にいるオルフェはフェリシアに言った。
「お父さまだ…」
そして父の幽霊ははっきりと告げた。
「この結婚はなりません。なぜならこの2人はどちらも私の子ども。兄妹だからです」
そして今度は初めて見る夢だった。
教会の中、フェリシアは赤ん坊を抱いて牧師の前にいた。
赤ん坊の顔は見えないが黒い髪をしている。
「この子は罪の子。祝福はできません。亡くなったとしても教会の墓地に埋葬することはできないでしょう」
フェリシアは泣いた。
「なぜ?この子になんの罪があるの?」
場面が変わった。
今度は初めて見る夢だ。
自分はベッドに横たわるやつれた金髪の女性の横で椅子に座り、彼女を見守っている。
金髪の女の人はやつれてはいるがとても美人だった。
この顔はよく知っていた。
大人っぽくなってるけど、まさかラエル?
でも雰囲気がなんだが違う。
ドアが開いて、ラエルの専属メイドだったスーザンが入ってきた。
じゃあ、この女の人はやっぱりラエルだ。でもスーザンは伯爵家を辞めたはずだけど。
スーザンは赤ん坊を抱いていた。
そしてその子をラエルに見せようとそっと彼女の顔の傍に近づけた。
ラエルの赤ちゃんなんだ。
赤ん坊の後ろ姿を見てどきっとする。黒髪の子どもだった。先ほどの夢で見ていた自分の子どもを思い出す。
「かわいいわ。なんてきれいな子かしら…」
ラエルは赤ん坊を見つめると、微笑み、そっとその子に手を近付けた。
「お願い。抱かせて」
フェリシアはやつれたラエルの背を支えながらゆっくり起き上がらせた。
スーザンが赤ん坊をラエルに抱かせた。
その時、初めてフェリシアにも赤ん坊の顔が見えた。
顔を見て心臓が止まりそうだった。
まだ生まれたばかりだろうか。とても小さかった。
ラエルが言った通り、とてもきれいな子だった。
そしてその子はオルフェにそっくりだった。
頭が割れそうだ。
まさかラエルとオルフェの子どもなの?
ラエルが泣きながら子どもに言った。
「生まれてきてくれてありがとう」
ラエルはフェリシアの方を見た。
「この子…ルイにそっくりね…」
そっくりって。じゃあ、やっぱりオルフェとの子どもなの?
「彼の子どもの頃は…どうだったのかしら?」
やめて。この夢は間違ってる。
あたしとオルフェは結婚して、その子はあたしたちの子どもだったはずでしょう?
違うの?
オルフェはラエルと結婚したの?
じゃあ、あたしは?
頭が割れそう。胸も苦しい。
また初めて見る夢だ。
モンタギュー伯爵邸の庭にいた。
遠くにまた、大人になったラエルがいて、木々が並ぶ庭園の道を一人で歩いていている。
やはり自分の知っているラエルとは雰囲気が違う。親しみやすかった彼女が、いかにも貴族のレディらしくなっていた。
突然、大きな木の陰にラエルが引き込まれた。誰かに引っ張られたようだった。
ラエルすぐに再び現れた。木の陰の誰かと話していた。戸惑った表情から次第に頬が染まっていくのが見えた。
フェリシアは嫌な予感がした。
あたしは姿を見せた方がいいのだろうか?
真っ赤になったラエルが一歩下がったので、木の陰からもう一人の人物が現れた。
オルフェだった。やはりとても大人っぽくなっているけれど。
夢の結婚式では隣にいるにも関わらず、近すぎてきちんと顔を見ることはできなかった。
今見るオルフェは背がすっかり高くなり、肩幅も広くなって、細いけれどしっかりした逞しい体つきになり、顔は更に彫りが深くなり、震えるほど美しかった。
オルフェはラエルを引き寄せるとキスをした。
ラエルは驚いて逃げようとするが、オルフェは放そうとしない。更に抱き寄せて深く口付ける。
そしてラエルまでオルフェの背にそっと手をまわした。
くらくらする。自分はいったい何を見ているのだろう?
2人はおそらく自分に気付いていない。
この場を立ち去らなくては。
いや、この悪い夢から覚めなくては。
その時、オルフェの方が少し向きを変え、キスをしたまま閉じていた目を開けた。
オルフェと目が合った。
オルフェは驚くことなくフェリシアをじっと見つめる。
今まで見たことのない冷たい眼差しだった。
フェリシアは悟った。最初からオルフェは自分が見ていることに気付いていた。
わざと自分に見せつけていた。
なぜ?
オルフェは子どもの頃からいつも優しかった。
なぜあたしにこんな意地悪をするの?
なぜそんな目であたしを見るの?
嫌だ。嫌だ。
お願い。もうこんなものをあたしに見せないで。
また別な夢の世界にいた。
夜だろうか。
暗い長い廊下を歩いていると、光が漏れている部屋があった。
その部屋から小さく笑い声がした。
オルフェの声だ。
楽しそうに笑っている。
元の世界に戻ったのだろうか?
先程冷たい眼差しで自分を見たオルフェとは全く違う、心から楽しくて、嬉しそうな笑い声だった。
嬉しくなって、声をかけようとしてそのドアに近付いた時、モンタギュー伯爵家のメイドのスーザンの声がした。
「お子さまを抱いてみますか?」
「大丈夫かな?小さくて壊れそうだけど」
オルフェがスーザンに答えた。
フェリシアの足が止まった。
ドアの向こうで動く気配がした。
「本当に俺とそっくりなんだな。すごく不思議な気がする」
「だ…だぁ…」
別な小さな声が聞こえてきた。
「まあ!赤ちゃんが!お父さまが分かるのかしら?」
スーザンの驚く声がした。
そして再びオルフェの笑い声が聞こえた。
「瞳の色だけ俺と違う青なんだな。ラエルと同じ矢車草の青だ」
ラエル?メアリーではなくて?
どういうことだろう?別の世界のオルフェではないのだろうか。
赤ちゃんは前に見た夢のラエルが抱いていた子だろうか?
オルフェの楽しそうに笑う声は姿が見えなくてもどんな表情で笑うか知っていた。ただ思い浮かぶのは3年前の少年の顔だった。
現在の凄まじいまでの美貌が、どんな笑顔になるのか分からなかった。
「夢を見ているみたいだ。2年前は考えられなかったよ。こんな幸せがあるなんて」
そのオルフェの幸せをあたしが壊した!!!
知らないわよね?
あなたは子どもの頃と変わったあたしを憎んだ。
でもあたしは3年振りに会った、子どもの頃と変わったあなたに恋をしたの。
オルフェ、子どもの頃からもう一人のあたし、本来の自由なあたしのようなあなたが大好きだった。
でも再会した時、最初はあなただと分からなくて、あまりの美しさに衝撃を受けた。
ルイ・オルフェ、伯爵家を訪れたあなたにあたしは人生で初めて恋をした。
あなたの妻、メアリーと同じようにね!
ドアを叩く音がした。
また別な夢?
嫌!もう見たくない。
ドアを叩く音は続く。
「フェリス、眠っているの?」
オルフェの声だった。
そしてフェリシアはようやく目が覚めた。
今の声も夢?
いるのは自分の部屋の箱型ベッドだ。
「オルフェ?」
ベッドから起き上がり、立ち上がると箱部屋の扉を開けた。
見慣れた自分の部屋だ。
全部、お父さまがオルフェと自分に話したことも含めて、悪い夢ではないのだろうか?
「オルフェ、入ってきて」
オルフェが食事のトレイを持って入ってきた。
フェリシアが知っている優しい目をした14歳のオルフェだ。
「オルフェ!オルフェ!」
フェリシアはベッドから起き上がった。頭に乗せられていた、熱さましの白い濡れたタオルが落ちた。
そしてベッドから降り、走ってオルフェに抱きついた。
「わっ!」
食事のトレイが床に落ち、皿とグラスが割れた。
「フェリス、怪我ないか?」
耳元でオルフェの声がする。
フェリシアは抱きついたまま首を振った。
「片づけるから。ちょっとだけ離して」
フェリシアはそのまま首を振った。
「怖い夢を見たの…たくさん」
オルフェの手が背中に回されて抱きしめてくれた。
「そうか…」
「全部夢よね。夢よね」
オルフェはしばらく黙っていたが、そっと言った。
「そんなに嫌なのか?」
「嫌!絶対嫌!」
「ずっと離れずにいられるのに?」
「嘘!」
フェリシアは顔をあげてオルフェを見た。
「出ていくって言った!」
オルフェは優しい目でフェリシアを見つめた。
「フェリスが嫌なら出ていかないよ」
その時、他の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
赤ちゃん?
夢の中でラエルが抱いていた赤ん坊を思い出した。
「フェリスの姪っ子だ。元気だな」
「姪?」
フェリシアはようやく思い出した。
どのくらい時間が経ったんだろう?
一昨日?それより前?ヒューが子どもを連れてデッドロック館に戻ってきた。
フェリシアは部屋に閉じこもっていたから2人に会っていない。
大嫌いなヒューが怒鳴っている声に耳を塞いでいるうちに眠ってしまった。
もう悪い夢は見たくなかった。
涙を拭くと、オルフェから体を少し離した。
「赤ちゃんかわいい?」
「フェリスに初めて会った頃と似てる」
「じゃあ、とってもかわいいんだ」
オルフェは少し笑った。
「今ヒューもいないし見に行こうか?あ、でも俺もフェリスも服が濡れているなあ」
そして階下のナンシーを呼んだ。
「あら、フェリシアお嬢さん、ご気分は?もう大丈夫ですか?」
「ナンシー、悪い!ここを片付けてくれる?フェリスにリネットを見せたいんだ」
フェリシアはナンシーに手伝わせて顔と体を拭き、急いで着替えた。
きれいになると気分が変わる。
やはり着替えて部屋の外で待っていたオルフェは、フェリシアをかつての子ども部屋へと案内した。
そこがヒューの娘、フェリシア・リネットの部屋になっていた。
ドアを開けると見慣れない若い女性が黒髪の赤ん坊を抱いてあやしていた。
「フェリス、ノラだよ。リネットの乳母だ。ノラ、こちらがこの家の娘のフェリシアだ」
ノラは赤ん坊をそっと揺らしながら、フェリシアにお辞儀をした。
「はじめまして。フェリシアお嬢さま」
4日前にヒューと赤ん坊のリネットがデッドロック館へ戻ってくると、新たに赤ん坊のリネットを世話する乳母のノラ、下男としてノラの夫で屈強な体格のライリーの20代前半の若いハドソン夫婦がデッドロック館に住み込みで雇われた。
ヒューはすっかり酒と薬に依存するようになり、いつ暴れ出すか分からず、下男の2人、60代半ばの下男のピーターと20代後半だが小柄なホレスだけでは不安で、ヒューを取り押さえられる力の強い男が必要だった。
「フェリシアお嬢さま、赤ちゃんを抱いてみますか?」
ノラが言った。
フェリシアの心の中で夢の中のラエルの声が蘇る。
「お願い。抱かせて」
そしてスーザンがオルフェに言った言葉も。
「お子さまを抱いてみますか?」
だが、それらを心の中から必死に追い出してノラに言った。
「うん!抱いてみる!」
ノラは赤毛で細かい天然パーマの髪に、そばかすいっぱいの顔で、明るく健康そうで、人見知りの強いフェリシアも最初から好感が持てた。
ノラがそっと小さなリネットをフェリシアの手に渡し、抱き方を教えてくれた。
「まだ首がすわってないので、お首や頭がぐらぐらしないように支えてあげて。そうです。もう一方のお手を、赤ちゃんのお尻の下に入れて支えてあげて、抱き寄せてあげてください」
緊張して、手が震えた。
赤ん坊は、小さいのに結構重たかった。
そしてまたラエルの声が蘇った。
「この子…ルイにそっくりね…」
恐る恐るリネットの顔を見た。
女の子なのに凛々しい眉、大きな少し吊り上がりの黒い目。ふっくらした唇。
「本当だ。あたしに似てる!」
フェリシアは久しぶりに声を上げて笑った。
「だろ?」
オルフェも嬉しそうに笑った。
* * * * * * *
フェリシアとオルフェが父のマンスフィールド子爵と話してから1週間が経っていた。
マンスフィールド子爵は3人で話した翌日には村で一番信頼できるサイモン牧師を呼び、オルフェが自分の実子であることを話し、一時的にオルフェの将来のために必要な書類を全て預けた。
子爵は娘も、これから戻ってくる息子も全く信用していなかった。もし自分が倒れでもしてそれらが見つかったら、全て燃やしかねなかった。
そして病に陥っている自分の代わりに動いてくれる友人の弁護士、ゲーブルを首都ドルトンから呼び寄せる手紙を書いた。どのくらい自分の命が持つか分からないがオルフェと、ヒューのせいで潰れかねない子爵家を救わなければならなかった。
ゲーブルと直接会ってから全てを話したかったが、フェリシアが知ってしまった以上、ヒューにも話さなければならなかった。愚かな息子が何をしでかすか分からないので、手紙には隠さず全てを書き、郵便局員を呼び直接渡した。
大丈夫だろうか?間に合うだろうか?
念には念を入れ、子爵はもう一人の人物にも手紙を書くことにした。
自分が健康だったら書いただろうか?
彼は手紙の内容を信用せずに破棄するかもしれない。
彼が幼い娘を養女に出して30年近くも経っている。
迷った末に手紙を書いた。そしてその手紙を弁護士のゲーブルに託すことにした。
子爵は彼に一度も会ったことはなかった。
ルマーニュから再びエインズワースに亡命したはずだった。ドルトンか、老いた彼はどこか保養地にいるかもしれない。
それはオルフェの唯一残った母方の親族、子爵の2度目の妻ディアーヌの父、オルフェの祖父、ルマーニュ革命で処刑されたルイ21世の甥のルイ・アントワーヌ・シャルトル伯爵だった。
亡きディアーヌは息子に父の名を取ってルイと名付けた。




