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2.美しい子ども

「奥様、メアリーお嬢さまがお目覚めに?」


 もう一つ別の声がした。ほっとする優しい声だ。

 結婚をして家を出る前に私の専属メイドをしていたスーザンだった。30代半ばだが彼女はずっと若く見えた。美しく優しい、年の離れた姉のような存在だった。


 今ここにいるのはこの2人だけのようだ。


「よかった。お目覚めになられて。お水を飲まれますか?」

 スーザンの言葉に私は力なく頷く。


「赤ちゃんは…?」

 かすれた小さな声で私はスーザンに聞いた。


 激しい風の音で私の小さな声はスーザンに届いただろうか?

 心配になってもう一度言った。

「赤ちゃんは?元気の?」


 スーザンは小さな頃のように、私の頬にそっと触れ優しく微笑んだ。

「とてもお元気ですよ。お隣の部屋で眠ってらっしゃいます」


「会いたい…」

 私も小さな頃のように甘える声でスーザンに言った。


 スーザンは頷いて「お連れしますね」と言うと部屋を出ていった。

 ドキドキした。ようやく息子と会えるのだ。


 1人残ったフェリシアが椅子を持ってきて私の枕元に座った。

 風で壁に映るフェリシアの影も揺れる。

 彼女がいると1人でいるよりも不安になった。スーザン、どうか早く戻ってきて。


 フェリシアと目が合った。

「良かったわね。無事に赤ちゃんが生まれて」

 彼女は静かに言った。


 私は何も言わずフェリシアを見つめた。

 私はこんなに具合が悪いのだから、無事とは言い難かった。


 バンバンバンッ!ザザザザザザッ!

 雨も降ってきたのだろうか?


「あなたの赤ちゃん…」

 フェリシアが言いかけた時、扉が開き、スーザンが入ってきた。

 私は息を呑んだ。彼女が腕に抱えた白い布から黒い小さな頭が見え、心臓が早くなった。


 赤ちゃんは黒髪なの?ルイと同じ。


 スーザンは私の方に微笑みながら屈むと、そっと子どもを見せてくれた。

「とてもきれいな赤ちゃんですよ」


 子どもは起きていた。

 なかなか目を開かない子どももいるそうだが、この子はぱっちり目を開いていた。


 目を開いているということはこの子が生まれて私はどのくらい眠っていたのだろう…。

 2日?3日?

 生まれてからそう経っていないだろうに、スーザンが言った通り、私の赤ちゃんはとても綺麗な顔立ちだった。


 金髪揃いの我が伯爵家にはない黒髪。生まれたばかりなのに鼻筋の通った整った顔…


 私が愛した彼にそっくりだと思った。ルイを小さくしたみたいだ。

 けれど瞳の色だけは私と同じ、モンタギュー伯爵家の青だった。


 ああ、本当にルイと私の子どもなんだわ。


「かわいいわ。なんて…きれいな子かしら…」

 私は必死に手を赤ん坊に近付けた。


「触ってもいいのかしら?」

「もちろんですよ」

 スーザンが優しく言った。


 指で頬をほんの少し触れた。

 温かく柔らかかった。


「こんにちは。はじめまして、私の赤ちゃん」


 スーザンは涙ぐみ、肩が少し震えていた。


「お願い。抱かせて」

 私が言うと、フェリシアが私をゆっくり起こしてくれ枕を背にあててくれる。

 そしてスーザンが赤ちゃんをそっと腕に抱かせてくれた。


「ああ…」

 涙がこぼれた。


「生まれてきてくれてありがとう」

 息子の額にそっとキスをした。


「嬉しいわ。あなたに会えて」


 子どもの頭が動き、青い瞳がじっと私を見つめた。

 愛おしくてもう一度そっとキスをした。


 気が付くとフェリシアが、子どもをじっと見ていた。目を見開き穴が開くほど。

 彼女はひどく青ざめていた。


 不安になり、私は子どもを抱く手に力を込めた。

 何なの?

 でもスーザンがいるから大丈夫よね?


「この子…オルフェにそっくり…」

 ようやくフェリシアが言った。


 生れてからどのくらい過ぎたか分からないけれど、フェリシアもこの子を見るのは初めてなのだろうか?

「そうね。そっくり。でも瞳の色は私と一緒だわ」


 その時、激しい風の音に交じって速足で近付いてくる足音があり、バタンンとドアが開いた。

 この屋敷の主、モンタギュー伯爵である兄のオズワルドだった。


「メアリー!」


 スーザンが赤ちゃんを連れに出ていった時、兄に私が目覚めたことを知らせたのだろう。


「オズワルド」

 フェリシアは立ち上がると兄に席を譲った。


 私は子どもをスーザンに返して、椅子に座った兄と向き合った。

「お兄さま…」


「体は大丈夫か?」


 私は頷き、息が苦しかったが何とか言った。

「この家で出産させてくださり、ありがとうございました。お陰様で無事に子どもを生むことができました」


「大事にするように」

 そう言った兄の目には、今は私への軽蔑の色はなかった。

「お前は私のたった一人の妹なんだ」


 私はほっとした。そして兄には聞きづらかったが心配なので聞いた。

「ルイにはこの子のことを知らせたのでしょうか?」


「知らせていない。お前はこの家にいないことになっているから。知らせた方がいいのか?」


 私は首を振った。

「知らせなくて結構です。今は」


 いずれは知ることになるだろう。でも先に延ばしたかった。


「この子の名前を考えていました」

 私が言うと兄は顔を強張らせた。彼の名前でもつけると思ったのだろうか。


「お父さまのお名前を頂いてレイモンドと」


「いい名前だ」

 兄は小さく頷いた。少し複雑そうなのは、兄自身もきっと自分の息子にこの名をつけたかったからだろう。


「お前さえよければこの子の名付け親になりたい」

 そこまでは良かったが兄は続けて言った。

「それからこの子のミドルネームに私の名をつけたいのだが」


「レイモンド・オズワルド?」

 私より先にフェリシアが言った。

 私はフェリシアの方を見、彼女も私の方を見た。

 それは明らかにルイへの当てつけだった。夫と兄の仲はとても悪かった。最悪と言っていいほど。


「オルフェに黙って勝手に?さすがにひどいでしょう?オルフェにとって、たった一人の血の繋がった家族なのに」

 先ほどまでおとなしくしていたことが嘘のように、フェリシアは普段の気の強い彼女に戻った。


「あはっ!未来のレイモンド・オズワルド・マンスフィールド子爵。マンスフィールド家にない名前ね」

 呆れたように笑った。


「フェリシア、何がおかしいんだ?祖父や伯父の名を取るなんてよくあることだろう?」


 子どもを抱き立っているスーザンは困ったように2人を見ている。

 私は既に疲れ果て2人に言った。

「お兄さまのご自由に」


 そしてスーザンに言った。

「スーザン、ありがとう。もういいわ。赤ちゃんを連れて行って」


 スーザンは微笑み、頷いた。


「また明日会わせてね」

「もちろんですわ」


 スーザンと子どもは出ていくと、兄は私に優しい声で言った。

「メアリー、大きな声を出して悪かった。寝るか?」


「ええ」

 そう言うと、兄とフェリシアが私に手を貸し、寝させてくれた。


「ありがとうございます」

 私が言うと、兄は私に頷き、出ていこうとフェリシアを目で促した。

 けれどフェリシアは私を見つめたまま、首を振った。

 私に言いたいことがあるのだろう。


 兄は溜息をつき「メアリーを疲れさせるんじゃない」と言って出ていった。


 2人きりになるとフェリシアは早速私に早口で話しかけてきた。

「ねえ、あなたはいいの?」


「オルフェはオズワルドが大嫌いなのよ。オズワルドの方も。あなただって知ってるでしょ?子どもに当てつけで名前をつけるなんて本当にあなたはいいの?赤ちゃんがオルフェに嫌われてもいいの?」


 やはり子どもの名前のことか。気分が悪くて眠りたいのに。


 いらいらして言った。

「長男の名前くらいいいじゃない?あの子はモンタギュー伯爵になる可能性もあるし。オズワルドは兄だけでなく2代目のモンタギュー伯爵の名前よ。私たち兄妹の曾祖父の名前でもあるわ。モンタギュー家にはよくある名前なの。そうね、2番目の息子にルイの名前でもあなたのお父様の名前でもつけたらいいでしょう?」


 逆効果だった。フェリシアは屈み、私の枕元まで詰め寄った。

「何?2番目の子って!あなた戻る気でいるの?オルフェと別れるって言ったじゃない!」


 フェリシアの剣幕に息が苦しくなってきた。

「戻る気はないわ。私がいなくなったらルイも他の人と再婚することだってあるでしょう?」


 フェリシアは涙を浮かべながら、なおも激しく言い続ける。

「あなたって最低ね。本当はオルフェと別れる気なんてないでしょう?あんなに好きだったくせに。最低な結婚生活って言いながら、毎晩ずいぶんと仲良くしてたそうじゃない?」


 私は目を見開いた。

 恥ずかしさのあまりすっかり目が覚めた。

 レディがなんて下品なことを言うのだろう?信じられなかった。それに夫婦間のことをなぜフェリシアが知っているのだろう?


「ルイが言ったの?」

 私は聞いた。


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