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22.死霊

「フェリス――

君は今どこにいるんだ?」



「君は天国にはいない。いるはずがない!消えてなんかいない。消えているはずがないんだ!君は俺の苦しみなんか何とも思わないと言っていたよな。そうだ。何度だって言ってやる!フェリス!俺が生きている限り絶対に、絶対に安らかに眠るな!君は俺に殺されたと言っただろう?だったら俺の前に化けて出ろよ!殺された人間は殺した奴に取り付くはずだろ?だったら俺に取り憑いてみろよ!どんな姿でもいい。どんな姿でもいいから、ずっと俺の傍にいてくれ!だけど…だけど君のいない奈落に俺を一人置き去りにだけはしないでくれ!」


 アデル・グレイ著 『デッドロック館』より



 ミス・ゴドウィンは料理を始めとする家事はすべて苦手だったが、物語を語るのが上手いという特技があった。


 デッドロック館で子どもたちが初めて作った昼食の後、空が暗くなり風も強くなってきたので、ミス・ゴドウィンの物語を聞いて、その後にコケモモのパイでお茶にしないかとラエルが提案した。


 オルフェはちらっとラエルを見た。もう頬にしたキスのことは気にしていないようだ。まあフェリスやミス・ゴドウィンが気付くほどあからさまに意識されても困るが。


 ラエルは普段と少しも変わらない笑顔で言った。

「ミス・ゴドウィンのお話っておもしろいのよ。特に怖いお話が!」


「怖い話!?」

「それって幽霊話とか?」

 思いがけない提案にフェリシアとオルフェは目を丸くした。


 貴族の道楽で怪談話を聞いたり、ゴシック小説を読んだりするそうだけれど、ミス・ゴドウィンが語ってくれたのは、東洋の小さな国、日本の怪談で、『雨月物語』という本から「吉備津きびつの釜」という物語だった。



 ある富裕な農家に若い一人息子がいた。

 その息子、正太郎は怠け者で、仕事はせず酒と女が大好きで遊んでばかりいた。両親は良い嫁が来ればよくなるだろうと、真面目で美しいと評判の神官の娘磯良いそらと結婚させることにした。


 磯良の両親は念のため結婚の前に吉備津の社で占いをした。

 その占いは釜でお湯を沸かして吉や凶を占うものだった。

 お湯が釜から湧き上がる時に、吉兆の場合は釜が牛の吼えるような音で鳴り、凶兆の場合は鳴らないのである。

 釜は小さな音さえしなかった。

 両親は不安に思ったが娘自身が美男と評判の正太郎との結婚を楽しみにしていたのでそのまま正太郎と結婚させてしまった。


 磯良はよく働く良い嫁で、最初こそ結婚生活はうまくいっていた。しかし時が経ち正太郎の浮気癖は復活し、袖という名の遊女と付き合うようになり、家にも戻らなくなってしまう。


 磯良を気の毒に思った正太郎の両親は、息子を家の中に閉じ込める。けれどずる賢い正太郎は袖と別れるために金がいるのだと、善良な磯良をだまして彼女から金を貰い、家を抜け出し袖と駆け落ちしてしまった。

 これまで人を疑うことも知らなかった純粋な磯良は何が起こったのか理解できなかった。それ故に苦しみはいっそうひどく、嘆き悲しむうちに寝込んでしまう。


 一方駆け落ちをした正太郎は、袖の従兄の彦六を頼り、彦六の隣の家で暮らすようになった。

 ところが新居に移ってすぐに袖の病気になり寝込んでしまう。正太郎が苦しむ袖のうわごとを聞くと、ぞっとすることに袖の声が嫁の磯良になっていた。そして寝ついた7日後に袖は死んでしまう。


 正太郎は悲しみ、野辺に袖の墓を建てると、今更故郷にも帰れず、何もかも嫌になって、昼は寝て暮らし夕方になると袖の墓参りに行った。

 袖の死から10日ほど経った頃、袖の墓の隣に新しい墓が作られていた。

 誰だろうと思っているとその墓参りに来る若い女がいた。話を聞くと、仕えている家の主人が亡くなり、奥方があまりに悲しんで病に臥せっているので、自分が代わりに墓参りをしていると言った。正太郎は未亡人に興味を持ち、その女の案内で彼女に会いに行くことにした。

 女に連れられて小さな家につき、奥方を見舞うと、その姿を見て正太郎は驚く。奥方を名乗る女は磯良だった。


「久しぶりにお目にかかるものですね。ひどい仕打ちに対する報いがどんなものか思い知らせてあげましょう」

 磯良の顔はひどく青ざめ、力なくどろんとした目つきは物凄く、やせ細った指で正太郎を指さし言った。


 あまりの恐ろしさに正太郎は気を失ってしまった。


 正太郎が気付くと、そこは家ではなく荒野にある古いお堂だった。

 慌てて家に帰った正太郎は彦六に相談し、悪霊を祓う陰陽師に助けを求めた。

 陰陽師は正太郎を占うと「あなたはかなり危険な状態です。奥さんは7日前に亡くなっています。あなたが会ったのは死霊です。あなたを相当恨んでいて、最初に女の命を奪い、今度はあなたの命も狙っています。死霊がこの世で動けるのは亡くなってから49日間です。だからあなたは今日から42日の間、家の扉に護符を貼って閉じこもりなさい。そうすれば怨霊から逃れられるでしょう」と、正太郎の体に呪文を書き、朱色の文字で書かれた護符をたくさん持たせた。


 正太郎は言われた通り、家の戸と全ての窓に護符を貼りつけ閉じこもった。

 その夜、真夜中になると、家の戸口から「ああ憎らしい!ここに護符が貼ってあって入れないわ!」と恐ろしい声が聞こえてきた。

 それきり声は聞こえなかったが、正太郎は一睡もできなかった。


 そして次の夜は嵐となった。物を倒すような激しい風が吹き、雨が屋根を叩きつけた。

 真夜中になると、窓にさっと赤い閃光が走り「ああ憎らしいこと!ここにも貼ってあるわ!」と言う叫び声が聞こえてきた。


 こうして死霊は夜ごと家の周りを徘徊し、叫び声をあげ、その怒りに震えた声は一晩増すごとにすさまじくなった。


 そして42日目の夜になった。

 今夜一晩で物忌みの期間も終わると、正太郎はほっとして夜が明けるのを待っていた。

 最後の夜は死霊もあきらめたのか恐ろしい声は聞こえず、窓から夜明けの空が白々と明けわたっていくのが見えた。


 朝が来たと嬉しくなった正太郎は隣家の彦六に声をかけた。

「ようやく長かった物忌も終わったよ。久しぶりにあんたの顔も見たい。目を覚ましてくれ。俺も外に出るから」と言った。

 寝ぼけまなこの彦六はよく考えもせず「おお、よかったな。もう大丈夫だね。さあ、こっちへ来いよ」と起き上がり、早速自分の家の戸を開けかかけた。

 ところが半分も開けていないのに、正太郎の家の方から「うわぁぁぁ!」というものすごい悲鳴が耳に入ってきた。

 彦六が驚いて斧を持って飛び出してみると、外はまだ夜だった。

 明けたはずの夜は明けていなかった。空はいまだに暗く、月がぼうっと空の高い所にあった。

 冷たい風が吹き、恐る恐る正太郎の家を見たが正太郎の姿はなかった。


 灯りを持ってあちこちを探し回っていると、開け放たれた戸の横の壁に真っ赤な血がばったりとつき、地面にしたたり落ちていたが、正太郎の体はなかった。

 更に探すと軒先に男の髪の髻だけがぶら下がっていた。


 夜が明け、彦六は再び家の周囲や近くの野山まで探したが、正太郎はついに見つからなかった。


 陰陽師の占いと、吉備津の釜の凶のお告げはどちらも的中したと、人々は後々まで語り続けたのである。



 「どうでしょう?」と、時には嘆き悲しむ磯良になり、目を大きく開いて指差して死霊の呪いの言葉を発し、断末魔の正太郎の叫び声まで迫真の演技をしたミス・ゴドウィンは3人の子どもたちを見た。


 子どもたちは息を止め物語に聞き入っていた。

 その目を見ると怖がっていない。むしろきらきらしている。物語に魅了されたのだ。


「ねえ、正太郎はどうなったの?」

 フェリシアが聞いた。


「きっと磯良のお墓の中だわ。連れて行ったの。憎くて、それでも愛する夫を磯良はついに手に入れたんだわ。そして時が経って2人の亡骸は共に朽ち果てて一つになるのよ」

 とラエル。


「それってとてもすてきだわ!」

 フェリシアが目を輝かせた。


「49日か…。死んでもう会えない人が留まってくれて、呪いの言葉でも毎日来て聞かせてくれるんだ…」

 オルフェが考え深げに言う。


 さすが『デッドロック館』の作者と最後は幽霊になってしまう主人公2人だわ。ミス・ゴドウィンは思った。特にルイ・オルフェはフェリシアが死んだ時に「フェリス、絶対に安らかに眠るな!どんな姿でもいいから、ずっと俺の傍にいてくれ!」って叫んで、十数年経ってもフェリシアに会いたくて、彼女のお墓を掘り返すんだっけ。


「またぜひお話を聞かせてね!」

 ミス・ゴドウィンが何を考えているか知らない3人の子どもたちは楽しそうに言った。


 自分が語る物語をこんなに喜んでくれるのは嬉しかった。今度は同じ『雨月物語』から「菊花きくかちぎり」を聞かせてあげようかなと思う。死んでも約束を守りたい、会いたいと願うのが若い男同士のBL風味の物語で、これもまたお気に入り作品だった。


 お茶の準備をしていると空が晴れてきた。


 オルフェとラエルが話している。

「本当に晴れてきたのかな。実はまだ空は暗いのかもしれない」

「晴れてきたわ。虹も出てきた」



その夜、オルフェは夢を見た。


 真夜中、自分は死霊を待っている。

 激しい風が窓に吹きつけ、雨が屋根を叩きつける。ひゅうっと音がして、ついに現れたかと思うとそれは風の音だった。


 夢のようだ…。42日間もう一度彼女の声が聞けるのだ。もう二度と聞くことはないと思った愛しい女の声が。

 42日間、毎晩たっぷり彼女の声を楽しもう。意地が悪いだろうか。でもあれだけ俺を苦しめたんだ。それくらいいいだろう。


 42日目に必ずこの扉を開けてあげるから。

 連れて行くがいい。八つ裂きにされたっていい。

 そして君の墓の中で永遠に一つになろう。


「おいで!入っておいで!さあ、俺を連れていってくれ!」



 バタン!と扉が開く音がしてオルフェは目が覚めた。


 夢ではない。


「オルフェ!オルフェ!」

 フェリシアが泣きじゃくって目をこすりながらドアの前に立っていた。


「怖い夢を見たの…」


 「おいで」とオルフェはベッドから手を差し伸べた。

 フェリシアが飛びついてきたので抱きしめる。


「俺も怖い夢を見ていた。今日のミス・ゴドウィンの話の影響だろうな」


「今日のお話…?」

 涙をいっぱいためたフェリシアは一瞬不思議そうな表情になった。


「うん。そうかもしれない」



  少女の亡霊は言った。

 「あたしを中に入れて!ねえ、中へ入れてよ!

  あたしは帰ってきたのよ」


   アデル・グレイ著 『デッドロック館』より



 フェリシアはオルフェに、オルフェが見た悪夢とは違うとはなぜか言えなかった。

 それは前にも見た悪夢だった。

 でも今日ほど恐ろしいとは思わなかった。


 フェリシアは夢を見た。

 夢の中では自分はもう少し大きくなっている。15歳くらいだろうか。15歳の自分が見ている夢を、今の12歳の自分が夢の中で見ているのだ。


 自分の結婚式だった。

 華やかなものではなく、たった2人の簡素な結婚式だった。

 けれど夫となる人を心から愛していて、愛されていて、とても幸せだった。


 牧師が2人に結婚の意思を確かめ、誓いの言葉を求めた。

 その時だった。


「この結婚はなりません!」

 と後ろから声がしてきた。


 フェリシアはびくっとした。それはよく知っている声だった。


「この結婚はなりません。なぜなら…」

 後ろの声は続ける。


 横から夫となる人の声がした。

「お父さまだ…」


「そんなはずはないわ」

 涙がこぼれ、横に並んだオルフェを見あげた。


「違う。オルフェ、お父さまは死んだのよ」

 と首を振り、オルフェの手を握った。


 そして振り返り、絶望した。

 そこにはオルフェの言う通り父がいた。

 言いつけを守らなかった悪い娘を制するために来た父の死霊が。


 死霊の青ざめた顔は悲しそうだった。



 夢…


 悪い夢だわ。

 お父さまは今生きているもの。


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