表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/77

19.コケモモパイと守護天使

 アデル・グレイ 「R. C.」より


 荒野の空は 夜明けより幾時が過ぎても

 暗い雲間を裂いて 僅かな光ももたらしてはくれない

 その乳飲み子は 誕生より幾時が過ぎても

 神はこの子の運命に 少しの微笑みも洩らしてはくれない


 悲しみの少年は 暗い荒野を駆け続け

 幼い日の喜びを 知らないでいた

 青空は 厚い雲に阻まれ続け

 天使たちは少年の存在を 知らないでいた


 荒野の彼方を見続けた 子ども時代は

 速やかに通り過ぎてゆく

 足元に目を落とした 青春時代は

 より長く影の闇がのびてゆく



 岩山へ1人の少年と少年の恰好をした2人の少女が登っていく。


 ラエルは途中、見覚えのある場所をちらっと見た。

 オルフェと2度目に会った時に教えてくれた彼の秘密の洞穴だった。そこから一番近い道を通り過ぎたけれど、今もフェリシアも知らない場所なのだろうか。


 楽園の天使たちは あなたを運命から守らない

 ただ紙の上の物語のよう

 あなたの美貌は 何の実も結ばない

 ただ岩の上の雑草のよう



 3人は目的の場所にたどり着いた。

 岩山の一番高い場所からはずっと続く荒野が見渡せた。

 高い山も周辺になかったから荒野が遙か遠くまで広がっていた。


 ラエルは見た。

 荒野が1年でもっとも美しいピンクのヒースの花が一面に咲く風景を。


「ああ、なんて綺麗なのかしら!」

ラエルが感嘆の声をあげた。


「これを見せたかったの」

 フェリシアが嬉しそうに言った。

「あたしがこの世で一番好きな風景よ」


「私も一番好きな風景になったわ」

 ラエルはフェリシアに向かって言ったが、なぜかその隣にいたオルフェと目が合ってしまった。


 その時強い風が吹き、ラエルが被っていた帽子が飛んだ。

 オルフェが拾って彼女に持ってきて、ラエルが受け取ろうと手を差し伸べると、彼はすぐに帽子を差し出さずラエルをじっと見つめた。


「オルフェ?」


 ラエルが帽子の中に入れていた金髪は風によって下ろされ広がっていた。


 一面に広がるヒースの風景はオルフェもまた一番好きな風景だった。

 その風景と金の髪に青い瞳の少女が一つの絵のように一溶け合って、ビリー副牧師が話してくれた常春の楽園にいる天使ってこんな感じなのかな?とオルフェは思った。


「ごめんごめん」

 我に返ってそう言うとラエルに帽子を渡した。



 アデル・グレイの「R. C.」はこう結ばれる。


 枯れ果てよ ヒースの花園よ

 枯れ果てよ 子どもの涙よ

 大地は あなたになんの祝福も用意していない

 天に 祝福されない者に



*  *  *  *  *  *  *



 アデル・グレイの死から2年後、流行作家となった姉のセーラ・グレイは妹が残した『デッドロック館』を校閲再販する際に、18篇の詩をアデルの残したノートやその他の紙片から選んだ。それらの詩は全て、先に三姉妹共同で出版し、アデル自身が選んだ詩とは別の作品だった。


 セーラが選んだ18篇の詩の一篇が「2人の子ども」で、対になる二つの詩を一つにしたものだった。セーラはその詩がとても気に入り、ぜひ世に出したかった。

 アデルが23歳の5月、同じ日に書かれた二篇の詩。一つが「R. C.」、もう一つが「喜びの子」だった。



 アデル・グレイ 「喜びの子」より


 喜びの子よ あなたは夏の太陽のように光り輝く髪と

 深い青い海の瞳を持っている

 祝福の天使よ なぜあなたはこの世界に降りたのか

 暗い陰鬱な空の下に 荒野に


 あなたは 常春の花園に住む者だった、

 そこは永遠に青空が続き 陰ることを知らない

 祝福の天使よ 何を間違い天の園から

 下界へと舞い降り その子どもと共に泣くのか



 「2人の子ども」の詩は、悲しみの少年は『デッドロック館』のルイ・オルフェ、喜びの子は「幸福」という意味の名を持つフェリシアとも言われている。


 うーん、「悲しみの少年」は美貌という所も含めて確かにルイ・オルフェのイメージだけど、「喜びの子」はフェリシアなのかな?黒い髪黒い瞳のフェリシアは金髪碧眼の喜びの子と容姿からして違う。

 転生前のカーミラ・ゴドウィン、葛城花音かつらぎかのんはアデル・グレイと『デッドロック館』について調べながら思った。


 悲しみの少年ルイ・オルフェに、フェリシアは喜びや愛をくれたけど、彼女はルイ・オルフェを救うどころか、一度彼を捨て、より深い悲しみに落とした。

 本人は捨てるのではなく、救うつもりだとメイドのナンシーに言っているけど、裕福な他の男と結婚して、その旦那の金でヒューの下男にされているルイ・オルフェを開放するって、ルイ・オルフェにも旦那のオズワルドにもとても失礼で残酷ではないかと思う。まあ、それについてはフェリシアに相談されたナンシーも指摘してるけど。

 

 父マンスフィールド子爵の死後、ヒューの下男になったルイ・オルフェとフェリシアは久しぶりに昔のように沼地で遊び、モンタギュー伯爵邸に忍び込む。

 そして強盗と間違えられ、放たれた犬にフェリシアは噛まれ、2ヶ月間伯爵邸で過ごすようになる。回復しデッドロック館に戻ったフェリシアはすっかり貴族生活に感化され、伯爵家の跡取り息子オズワルドと交際するようになり、彼からプロポーズされる。

 『デッドロック館』研究書の年表を見るとプロポーズ時、フェリシアは14歳でオズワルドは17歳。早くない?

 まあ14歳の子どもだったからこそ、後に死ぬほど苦しむ選択をしたわけだけど。


 フェリシアは明らかに迷っていて、その迷いを誰かに止めてもらいたいと、台所で大きな鍋でシチューを作っていたナンシーに相談する。誰もいないと思っていたが、台所の隅に隠れるようにあったソファーにルイ・オルフェがうとうとと眠っていた。

 久々にヒューは遠方に出かけていた。だからルイ・オルフェは疲れて、念のためヒューが入ってこない台所の隅で眠っていて、フェリシアも普段のヒューに聞かれないような小声ではなく、普通の声で話した。


 それらが全て災いした。

 暖炉のパチパチという音、シチューのぐつぐつと言う音やもうもうとした湯気はルイ・オルフェの気配を消した。

 フェリシアはナンシーの意見が正しくても、心の中ではその正しさを認めつつも、つい逆らって反対の意見を言ってしまう天邪鬼な性格だった。

 ナンシーはその時、全面的にルイ・オルフェに同情的だった。


「ルイさんが気の毒ですわ。彼はあなたが他の人と結婚したら裏切られたとどんなに悲しむでしょう」


 フェリシアの返答が

「だって今の私がオルフェと結婚できると思う?自分をおとしめることになるわ」

 ひどい…。花音はこの部分のフェリシアはどうしても好きになれなかった。

 ルイ・オルフェはデッドロック館にあった自分の部屋から追い出され、馬小屋で寝泊まりし、髪に櫛を入れることもなく、服装もぼろぼろだった。


 その時ナンシーはルイ・オルフェが静かに立ち上がるのを見る。慌てたナンシーは必死にこの話題を終わらせようとするが、ルイ・オルフェに背を向けているフェリシアは気付かず話続ける。


 ルイ・オルフェは台所から出ていくと、そのまま誰にも告げずデッドロック館を去ってしまう。


 フェリシアはナンシーのおかしな様子に気付かずに話し続けた。

「だからナンシー、あたしがどれほどオルフェを愛してるか絶対にオルフェに言ってはだめよ。オルフェはあたし以上にあたしなのよ。今のあたしよりずっと。あたしの魂とオルフェの魂は同じものなの。オルフェがあたしの元を離れるなんて考えられない。どうしてもそうすると言うのなら、あたしは絶対に結婚なんかしないわ」


 ルイ・オルフェは3年間行方知れずになる。

 フェリシアはルイ・オルフェがいなくなった夜、気が違ったように風の強い荒野を一晩中探し回り、倒れてしまう。

 幾日も、晴れた日も嵐の日も、荒野でルイ・オルフェを探し回り、本当に行ってしまったと悟ると高熱を出し、熱が下がっても長い間臥せっていた。自分の半身を失い、心からの笑顔を失い、荒野に行くこともなくなった。見た目だけは淑やかな貴婦人となり、2年後婚約者のオズワルドと結婚した。


 花音は思う。

 この時、ナンシーがオルフェに気付いた時にフェリシアに言っていたらと。


 「彼、行っちゃいますよ」と。



*  *  *  *  *  *  *



 マンスフィールド子爵家は、三百年続く歴史はあるが貧しい貴族だった。昨年老執事が引退した後、今のところは後任を置かず、使用人は4人で、下男2人に女中が2人、ベテランで初老のロイド夫人と19歳のナンシーだけだった。他に通いのお手伝いとしてわずか8歳の少女デイジーがいた。


 10月のある日、ロイド夫人は怪我をしてデッドロック館にはおらず、ナンシーだけだった。前日に3人の子どもたちがそれぞれバケツにいっぱいコケモモを摘んできたが、汚れた服を幼いデイジーと2人で洗濯するのはたいへんだった。


「ごめんなさいね」

 そう言ったのは子爵家の子どもたちフェリシアとオルフェの大の仲良しの伯爵令嬢メアリーだった。彼女の服は伯爵家で洗濯するから関係ないのに。


 メアリー嬢は続けてナンシーに聞いた。

「もしよかったら明日、お台所を使わせてもらえないかしら?」


「はい?」

 相談を受けてナンシーはびっくりした。


 そして翌日、ラエルは朝からミス・ゴドウィンも連れ、馬車に乗ってデッドロック館に遊びに来た。

「あのね、今日は私、2人にパンとコケモモのパイをご馳走しようと思うの」


 外に迎え出たオルフェとフェリシアはラエルの言葉に驚いた。

「パンとパイ!?」


「材料は持ってきたし、昨日ナンシーにも相談してお台所を使う許可を貰ったの。ミス・ゴドウィンも手伝ってくれるし大丈夫よ。相談しなくてごめんなさい。今日の午前中、私はお料理を作るので外に遊びに行けないけど、午後は行けると思うわ」


 ミス・ゴドウィンは冷や汗をかいていた。転生前は大学まで自宅通いで料理は母親任せでまるでしていなかった。


 馬車の中でラエルから計画を打ち明けられた。

 オルフェとフェリシアは食が細く、食べ物にも食べること自体にも興味が薄くて心配だと。


「自分で書いたとはいえ『デッドロック館』でのフェリシアとオルフェの死因の一つは絶食なの。生きる気力を失って」


 アデル・グレイ生涯のほとんどを牧師館で過ごしたので、常にメイドはいたものの、ある程度は自分で料理をこなした。死を迎えた日も、朝にパンを作っていたほどだった。


「フェリシアとオルフェに少しでも食べることに興味を持ってもらって、幸せになってほしいなって」

「親心ですねえ」

「デッドロック館のナンシーが手伝ってくれるそうだけど、ミス・ゴドウィンも参加してくれるわよね」


「うう…」

 憧れの作家アデル・グレイと世界名作『デッドロック館』の物語の語り手の1人ナンシーと一緒にお料理なんて…。でも私、本当に本当に、お料理が全然できないのよ!ミス・ゴドウィンの中の花音は叫んだ。


 ミス・ゴドウィンにとって幸運だったことに、オルフェとフェリシアも初の料理体験に参加することになった。


「2人が参加してくれるならコケモモのジャムも作りましょう!」

 ラエルは楽しそうだった。


 ナンシーはスープも作り、ソーセージも焼くとのことでいいご馳走になりそうだ。

 ミス・ゴドウィンも次第に楽しくなり、大好きな本の登場人物たちをこっそり観察する。


 ミス・ゴドウィンと一緒にパイ生地を作ってねかせ、ぐつぐつと煮ているジャムの鍋をかき回すフェリシアは楽しそうだった。フェリシアはナンシーに習って初のジャガイモの皮むきにも参加した。


 ラエルはオルフェと一緒にパンをこねていた。

 ラエルはもちろんのこと、オルフェは力が強く要領がいいので手つきも良く、なかなかいい感じだった。パンの出来も二人の雰囲気も。


 ああ、悲しみの少年と喜びの子がパンをこねている…。

 ミス・ゴドウィンは思った。

 ラエルはちょうど喜びの子の容姿だった。


「なんだか新婚さんみたいですね」

 ついぽろっと洩らしてしまった。


 ラエルとオルフェのどちらも黙っているので、外したかなとミス・ゴドウィンが落ち込んでいるとラエルが言った。


「パパはパン作りなんてしないわ」


 パパ、どちらの父だろう?

 間もなく12歳のラエルも幼い頃は父のモンタギュー伯爵のことをパパと呼んでいた。それともアデルの父セドリック・グレイ牧師だろうか。

 確かにどちらも、新婚でも長年連れ添っても、妻と一緒にパンをこねるイメージはなかった。


 出来立てのパンもコケモモのパイやジャム、スープやソーセージもとてもおいしかった。

 そしてフェリシアもオルフェも食べることが好きになり、また料理をしたいと思った。


 ナンシーは後片付けは全部自分がしますと言ったが、今日の料理は最後までやりたくて、ラエルは皿を洗い、食器棚に入れる手伝いもした。


 オルフェがすぐに隣に来て、ラエルが入れようとした皿を要領よく次々と片付け、結局ほぼ全部を彼が全部入れてしまった。

 その場にミス・ゴドウィンがいたら、新婚夫婦のようとますます思っただろう。けれどその時はちょうど2人だけだった。


「ありがとう」

 ラエルが言うと、オルフェがじっとラエルの顔を見て「頬にコケモモのソースがついてるよ」と言った。


 オルフェは今ラエルのそばにミス・ゴドウィンがいないこと、ナンシーはフェリシアの方に行ったことを気付いていた。


「え?どこ?」

 ラエルは慌て頬を触ったが、本当はついているソースなんてほとんどなかった。


 オルフェは笑ってラエルの頬に指で触って拭うとそれを舐めた。

「甘いな」


 ラエルは赤くなった。

「紳士がすることじゃないと思うわ。そうハンカチ!あげたでしょう?」


「紳士じゃないから」

 そう言うとオルフェは顔をラエルの頬に近付け、さっとキスをした。


「まだ甘い」


小説『デッドロック館』でフェリシアがオズワルドにプロポーズされ承諾し、オルフェが偶然聞いてしまい出ていくシーンはかなり『嵐が丘』に近いです。

アデル・グレイの詩とした「R. C.」と「喜びの子」のベースは、『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテの詩「A・EとR・C」と「歓びの子」です。「R. C.」の方はイメージは同じですがほぼ私のオリジナルです。「喜びの子」の方は「歓びの子」に近いことをお断りしておきます。

これから増える登場人物たちで少しずつ『嵐が丘』やブロンテ姉妹から離れてオリジナルになっていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ