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11.荒野

 ミス・ゴドウィンとの約束の1週間がたち外出許可が出たので私はミス・ゴドウィンと荒野へ散歩に出かけた。小犬のパラディンも一緒だ。

 今回は霧に隠れることなく、秋の一面茶色の荒野が広がった。

 草の香りがする。今日の風は比較的穏やかだった。小鳥の声も聞こえた。


「ベックフォースの荒野と似ていますか?」

 ミス・ゴドウィンが聞いた。


 私は頷いた。

「似ているわ。とても。この間はなぜ霧くらいであんなに不安になったのかしら?ベックフォースの荒野そのものなのに」


 パラディンが突然走り始めた。普段は屋敷の中にいるので、広い世界に出られたので嬉しかったらしい。

 姿が見えなくなったが敢えて呼び戻さなかった。


 ミス・ゴドウィンは歩きながら足元のヒースを見た。季節は過ぎたけれどまだ僅かに花はある。

「野生のヒースって意外と丈が低いんですね。園芸店で見たヒース、こちらではエリカって一般的には呼んでいますが、品種が違うのかもしれませんがもう少し丈が高かったから」


 そして彼女は荒野をざっと見まわした。

「ここに来られて嬉しいです。私、グレイ姉妹の聖地ベックフォースにずっと行ってみたかったんです。夏に一面のヒースを見た時の感動ったらなかったです。今の枯れかけた荒野も孤独な感じでいいですね。曇り空の中、強い風の吹く中に立つと、ああ『デッドロック館』の世界なんだって大感激しました。この前の真っ白な霧の荒野も私は良かったです。アデル先生の詩の中の死の世界のようで」


「そう。アデルで健康だった時はよく死の世界を思ったわ。でもせっかく本当に死んだ時には、死の世界は少しも見られなかったの。天国にも行かなかったし、幽霊にもならなかった。私より先に逝った兄のセドリックにも会えなかった。もちろん母や一番上の姉にも。今日はいつもよりも体調が悪いなって気絶して、目覚めたら小さなメアリーとしてベッドの中で寝ていた」


「そうだったんですか…分からないものですね」


 気付くといつの間にか小鳥たちの声が消えていた。

 そしてミス・ゴドウィンは静かに言った。


「実は私ももしかしたら死んだのかもしれないんですよ」


「え?」

 そういえば160年後の未来の彼女はなぜ本の世界のこちらに来たんだろう?


「最近少し思い出しました。なぜこれまで思い出さなかったのか、なぜこちらの世界にきてしまったのか考えなかったのが不思議なんですが。最後の記憶は大学が休みで実家にいた時です。3月の穏やかな午後で、ネットで『デッドロック館』について英語で検索していて。大きな地震があったんです。本棚も倒れました。その後の記憶が曖昧になってしまって、大きな地震だったから死んでしまったのかもしれません…」


「はっきり分からないんでしょう?」

 私が言うと、ミス・ゴドウィンは頷いた。


「あなたによると、私はあの時死んだのは間違いないけれど、あなたはいつか戻れるかもしれないわ」

「そうでしょうか?」


 風で荒野一面のヒースの葉が揺れる。私はアデルで会った時に最後に見た、セーラが持ってきた枯れたヒースの枝を思い出した。


「2人で死の世界にいるみたいね」

「私も思いました」


 その時だった。

 ワンワン!という声がしてパラディンが戻ってきた。

 そして小鳥たちも再び囀り始めた。


 ミス・ゴドウィンはう〜んと両手をあげて背伸びをした。

「とりあえず今は憧れの『デッドロック館』の世界を楽しんでします。名前すら出てこないモブですが。ついにルイ・オルフェとお話ししてしまったし!そして今はルイ・オルフェのお嫁さんとこうして並んでお話しできているのですから」


 どうやら去年ミス・ゴドウィンが来たばかりの時、部屋から奇妙な笑い声と共に聞いた「ついに来たよ。モンタギュー伯爵家!お嫁さん、超美人じゃん!」のお嫁さんとは、ルイ・オルフェの将来の妻となる私のことらしかった。


 荒野をなおも歩き、ミス・ゴドウィンから、アデルの死後のグレイ家のことを聞いた。

 ミス・ゴドウィン、前世の葛城花音は大学で(女子も正式に卒業できるそうだ。羨ましい)アデル・グレイについて研究しているので、グレイ家について詳しかった。


 アデルの死後、妹のメグも姉のセーラも長くは生きなかった。

 特に2つ下の妹メグは、アデルの死から5ヶ月後、アデルと同じく肺を病み、亡くなっていた。


 きょうだいで1人残されたセーラはどんなに辛かっただろう?たった1年の間に弟と妹2人を亡くしたのだ。

 そのセーラもメグの死から6年後に亡くなっていた。結婚し妊娠中に体調を崩し、お腹の子どもと共に亡くなったそうだ。38歳だった。死因は肺結核とされている。生涯書いた長編小説は代表作の『エマ・グリーン』を含め四編になる。

 セーラの結婚相手は私の知らない人かと思ったら、父の下で働いていたショーン・ライアン副牧師だった。セーラは別な人にずっと恋をしていたし、彼女が彼の求婚を受け入れたのは意外だった。


 5人の子どもたち全員に先立たれた牧師の父はグレイ家でただ一人長寿を全うした。セーラの死から6年後に84歳で、老衰で亡くなった。


 セドリック、私アデル、メグ、セーラ、グレイきょうだい全員の死因とされる肺結核は160年後の花音の時代には治療薬もあり治るそうだ。


 家族についてもっと詳しく知りたいかと聞かれて首を振った。

「もういいわ。ありがとう。教えてくれて」


 160年後の未来、ごく普通の牧師一家だったグレイ家について、多くの研究がされているそうだった。私もよく知らないグレイ家の先祖のこと、セーラやメグが家を離れていた学生の頃や家庭教師をしていた頃のこと、彼女たちの友人や関係者たち、驚くことに私たちが食べていたものまで研究がされていた。


「グレイ姉妹で一番謎なのが先生、アデル・グレイなんです。ほとんど家から離れず、お友だちもいらっしゃらないので、手紙もほとんどないし。小説の自筆原稿も残っていない。一時期『デッドロック館』はセーラさんかお兄さんのセドリックさんが書かれたという説もあったんですよ」


「原稿?死ぬ前に全部燃やしたわ」


「えええええっ!な、なんてもったいない!」

 ミス・ゴドウィンは十字を切った。実はキリスト教徒ではないらしいのに。


「ところでミス・ゴドウィン、いい加減私のことを先生って呼ぶのはやめない?私は10歳の姿だし、2人きりの時でも変だわ」


 そう言いながらも、愛するかつての家族のことを教えてくれたので彼女にお礼はしたかった。

「じゃあメアリーではなく一度だけアデル・グレイとして。アデルか『デッドロック館』のことで何か質問があるなら言って。答えるわ」


「本当に?先生、いえメアリーお嬢さま。わあ、どうしよう!」

 ミス・ゴドウィンは暗い雰囲気の美人なのに、容姿と言葉がちぐはぐでおかしい。


「では…」

 と言いながら少し困った表情だ。


「どうぞ」


「一度だけなんですよね…。どうしようかな?すごくお聞きしたかったことがあるんですが」

「せっかくだから言って」


 ミス・ゴドウィンはなおも迷った様子だったが言った。

「アデル・グレイの詩に「R.C.」っていうタイトルの詩がありますが、それはどなたかのイニシャルですよね。どなたなんですか?」


 R.C.!

 驚きで固まってしまった。まさかその名前が出てくるとは!


 しばらく黙ってようやく言った。

「なぜその詩を知ってるの?」

「はい?」


 動悸が激しくなった。頭に響くほど。

 『デッドロック館』を出版する前、自費出版という形で、3姉妹共同で詩集を出していた。けれど私はその詩を入れてはいなかった。


「その詩ってセーラとメグと3人で出した詩集に入っていたかしら?」

 そもそも3姉妹の詩集は2冊しか売れなかったのだ。


「アデル・グレイ全詩集っていうのが出ていて…」

「全詩集ですって!どこから私の原稿を!」

「セーラさんです」


 また私の部屋を漁ったのか。人が死んだからって全く勝手に!とセーラに文句が言いたかったが、もはやそれもできなかった。


「あ、でもいいです。すみません」

 ミス・ゴドウィンも困っている。


 私はもう一度言った。

「なぜその詩を?」


「憂鬱な少年を歌った詩ですよね。寂しくて好きなんです。そう思ったのは私だけではないんですが、このR.C.って、もう一人のルイ・オルフェじゃないかと」


「そうだったの…。残念だけど架空の人物よ」

 半分は本当だ。私が作った架空の人物。


「そうなんですか。残念だなあ」

 聞きづらそうだったミス・ゴドウィンは少し饒舌になった。

「謎に満ちたアデル・グレイの研究が進むと思ったんですが」


「R.C.は誰なのかといろいろ研究されてるんですよ。そのイニシャルはアデルの身近な人物、ご親族や関係者の誰にも当てはまらなくて、謎のままで。一応は研究家たちの中で候補はいるみたいですがはっきりしなくて。でも架空の人物だったんですね」


 今度はがんがんと頭が痛くなってきた。

「候補ですって?誰だというの?」


「え?」

「誰だと研究家は言っているの?」


「え〜と」

 困ったように彼女は言った。


「誰だと研究家は言っているの?」

 私はもう一度言った。


「グレイ家のご近所さんのどなたとか、先生がお書きになるつもりだった2作目の長編の登場人物ではないかと」


「研究家って最低ね。2作目は書いていないし架空の人物よ」


「そうですか!そうですよね!」

 彼女はそう答え、必死に興味津々なことを隠そうとしているが、私の態度でおそらく気付いただろう。

 近所の誰かとは!当時の村の名簿でも残っているのだろうか?


「あの子はあなたの友人に相応しくないと思うのよ」

 アナ伯母の言葉を思い出した。アナ伯母は母の死後、グレイ家に来てくれて、私たちきょうだいの母親代わりだった。



「そうだ!今のお話はなしで。セーラさんがご友人のヘレン・ラッセルさんに宛てた手紙にあった情報なんですけど」

 ミス・ゴドウィンの明るい声で私は我に返った。


 犬のパラディンが心配そうに見ていて、私と目が合うと尻尾を振った。


「手紙?」

 ヘレン・ラッセルはセーラの親友だった。家にも何度か来たことがあるし、私やメグも親しくさせてもらった。

 セーラとヘレンが手紙のやり取りをしていたのは知っていた。でも…


「人の手紙を読んだの?」

「え?でも最終的にヘレンさんが寄贈されたそうですが」

「最低だわ」


 自分が送った手紙は、送った時点で自分では処分できない。セーラがあまりにかわいそうだ。

 私自身は家族以外への手紙はそうないと思うけれどどうなんだろうか?


「すみません。お嫌でなければワンコちゃんのことです…」

「ワンコ?」

「グレイ家のお犬さまのその後です」


「あ…」

 思い出す。グレイ家には2匹の犬がいた。

 私の死の直前まで一緒にいたウルフ。マスティフやいろんな犬の血が混ざった大型犬だった。荒野を散策する時は彼がいつも一緒だった。

 それからメグが飼っていたシルフ。本当の名前は風の精シルフィード。

 こちらはメグが家庭教師をしていたブラドック家からもらった美しいスパニエル犬だった。

 どちらも私にとても懐いていて、私が文章を部屋で書く時傍にいてくれた。餌やりは私の仕事で、死の前夜まで2匹にやっていた。


「ウルフ?シルフ?」

「お犬さまの名前、さりげなく韻を踏んでますね」

 (ウルフ)風の精(シルフ)


 ミス・ゴドウィンの話によると、ウルフは死んだ私の傍にずっといて葬儀にもついてきたそうだ。ウルフは何日も何日も私の寝室に行き、私の姿を求めた。セーラが外出から帰ると、後ろから私も入ってくるのではと期待し、尻尾を振りながら彼女の後ろを見ていたそうだ。そして私の死から3年後に安らかに旅立った。

 ウルフの死後、シルフはしばらく元気をなくした。立ち直りはしたが、活発だったシルフはとてもおとなしい犬になり、3年後に眠るように旅立ったそうだ。

 妹たちの思い出の犬たちとの別れに、セーラはとても悲しくてならないとヘレンに手紙に書き送った。

ウルフの首輪がベックフォースにある私たち姉妹の博物館に展示されているそうだ。私が描いた2匹の絵画も。


 腰を落としてパラディンの頭に抱きつく。温かさが伝わる。パラディンはパタパタと尻尾を振っている。

 この子とはきっと最後まで一緒にいられる。


 その時思い出した。

 アデルとして死んだ時、死後の世界は見なかったけれど、最後に一つの風景を見た。

 一面のヒースの花畑、手をつないだ幼い少年少女が走っていく…


 今目の前に広がる風景は夢で見たような一面ピンクの花盛りではないけれど、ヒースが広がる荒野、まるで最後に見た風景の続きのように、荒野の遠くから二つの影が近付いてくるのが見えた。

 黒髪の美しい少年と少女、2人はそれぞれ馬に乗っていた。


 ルイ・オルフェとフェリシアだった。


 2人が一緒の姿を私は初めて見た。もっともルイ・オルフェとは1度しか会ってはいないが。黒い馬に乗る彼の姿は絵画のようで、遠目にもやはりとても美しかった。


 2人はとても楽しそうに何か話し、笑いながら馬を走らせていた。やっぱりすごく仲がいんだ…

 それは『デッドロック館』で私が描いた幼い日の幸せな2人の姿だった。


 ルイ・オルフェがこちらを見た気がした。

 私はそっとミス・ゴドウィンの後ろに隠れた。ルイ・オルフェにお礼にいきたいと言ったのに、実際の彼を見ると無理だった。しかも今日はフェリシアと一緒だ。


「隠れなくても…」

 ミス・ゴドウィンが言った。


「彼、こちらを気付いていましたよ」


 強い風が吹いてきた。

 いつの間にか少年と少女は行ってしまった。


「気付いたからこちらに来たんですよ」



 目を瞑った。


 夏の荒野、一面ピンクの花盛りのヒースの花畑。

 走っていた少年が途中で振り返る。


 アデル、アデル、アデル…


 ルイ・オルフェ?

 R.C.?


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