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10.天使たち

 ルイ・オルフェとの出会いから2日経った。


 昨日は性懲りもなく抜け出して、その日お芝居に出演する役者さんの控室を窓からのぞき見したら、お姫さま役の女優さんと目が合ってしまい「かわいい天使がのぞいているわ」と、窓を開けてくれた。

 既に姫君の衣装を着た彼女は美しく、今夜は観に行けなくて残念だと話すと、「私もお見せできなくて残念ですわ」と頭を撫でてくれて、彼女が呼んできた相手役の騎士と悪役の王まで窓辺に来て、「美しいレディ」とそれぞれから手にキスしてくれた。

 姫君の女優の名はリリー・レーマン、騎士はブルーノ・モートン、悪役王はヘンリー・ドーセットと教えてくれた。もっと大きくなったらドルトンにお芝居を観に行くと3人に約束した。


 昨夜のお芝居とパーティは成功し、朝食の後、部屋の窓から次々と馬車で帰っていく人々をぼんやりと眺めていた。

 私がパーティに正式に参加できるようになる社交界デビューはまだ6年先だった。小説『デッドロック館』でメアリーは、ドルトンで開かれる舞踏会でのデビュタントの前にルイ・オルフェに出会い駆け落ち結婚、結局デビューはしなかった。


 この2日間ずっとルイ・オルフェのことが頭から離れなかった。

 私が創作した残酷で不幸な男主人公と昨日出会った私に優しくしてくれた美少年は本当に同一人物なのだろうか?


 私は結局ルイ・オルフェと一言も会話をしなかった。

 

「大丈夫?」

「パラディン?お姫さまと聖騎士(パラディン)だね」

 彼が私にかけてくれた言葉を何度も思い返した。


 私が創作した物語にはない言葉だ。

 そもそもルイ・オルフェはメアリーにあんな優しい言葉はかけない。

 彼は昨日と今日はフェリシアと荒野に出て遊んでいるのだろうか?もう私のことなど忘れてしまったのかもしれない。


 悶々としながら本日10時、私は歴史の勉強中だ。

 勉強は嫌いではないけれど集中できない。


 私が一昨日無断で家を出たことはミス・ゴドウィン以外に知られることなく終わった。そう遠くに行ったわけでも行方不明で邸が大騒ぎになったわけでもなかったし。

 ただしミス・ゴドウィンに1週間外出禁止と言われた。


「あの子にお礼を言いに行きたいわ」

 ルマーニュ語の授業が終わり、休憩中に小さな声で言った。


「午後に私がデッドロック館に行ってまいります」


 でも少し私を気の毒に思ったのか「何かご伝言があれば伝えておきますよ。あのお坊ちゃんに会えるかどうかは分かりませんが」と言った。


 やはりだめか…。

 そもそも私はルイ・オルフェに会いたいのか会いたくないのか。

 でも、助けてくれたのだからお礼になにか渡したいなと思った。


 この世界で長生きをしたいのなら、できるだけルイ・オルフェとフェリシアに関わらない方がいいことは分かっている。

 でも一度だけ…一度ならなら関わってもいいだろう。


 休憩時間が終わった時、私は思いついた。

「先生、ちょっと待っていてください」


「あ…お嬢さま、授業…」


 私は部屋から1冊の本を持ってきた。

 さらさらっと本の見返しに短い手紙を書く。


「ルイ・オルフェ様


 私を助けてくれてありがとうございます。

 お礼を込めてこの本をあなたにお送りします。


  メアリー・ラファエル・モンタギュー」



「この本に手紙を書いたから渡して」


 最初❝霧の中の王子さまへ❞などと書こうとしたがやめた。

 宛名は昨日ミス・ゴドウィンがルイ・オルフェと彼の名前を言っていたからルイ・オルフェ様でいいだろう。

 万が一あの家の意地悪息子ヒューに見つかって取り上げられたらたいへんなので、はっきり宛名と私の名前を書いておいた。


 子どもの頃のフェリシアとオルフェは一緒に好きな本を読んで、想像の世界を作っていた。それは夢のある童話の冒険物語だった。

 フェリシアは読書家ではなかったが、好きな本は何度も読んで、その本にたくさんの書き込みをした。そしてフェリシアが嫁いでデッドロック館に残していった本を、彼女の死後オルフェは昔を思いながら繰り返し読んでいた。


 ルイ・オルフェ自身は子どもの頃、何か本を持っていただろうか。

 彼は育ての親であるアーネスト・マンスフィールド子爵が亡くなるまでは、きちんと教育を受け、勉強好きで優秀だった。

 マンスフィールド子爵の死後はヒューに下男に落とされ、フェリシアとオズワルドの婚約を知ってデッドロック館を出ていき3年後に立派な紳士となって戻ってくるが、独学でかなり勉強したはずだった。

 物語の後半では、大人になったルイ・オルフェが本を読んでいる場面が何度か出てくる。元々本が好きだったのだ。愛読書の1冊が、今私が持ってきた本だった。


「お預かりします」

 ミス・ゴドウィンは本を受け取った。


「素敵な贈り物ですね」


 表紙を表にしていたからタイトルが見えたのは当然だけど、ミス・ゴドウィンは嬉しそうな顔をして言った。


「あの方が好みそうなご本ですね」


 私は凍りついた。

「あなたは誰?」


 ミス・ゴドウィンの方が凍りついた。


 薄々気付いてはいた。彼女は❝こちらの世界❞の人ではない。


「なんのことでしょう…?」


「そうだわ。なぜルイ・オルフェを知っていたの?メイドから聞いたなんて嘘よね。執事ならともかく、メイドが子爵家の子ども達のミドルネームまでいちいち言うかしら?」


「ええ…と、荒野を散歩に行ったらデッドロック館のお嬢さんとあの男の子が遠くで一緒に遊んでいるのをお見かけして、お嬢さんが名前を呼んでいたんですよ」


「なら単にオルフェと言うわよね。フェリシアだけが彼をオルフェと呼んでいたから」


 これは後で「お嬢さまこそなぜフェリシア様だけがオルフェと呼んでいることをご存知なんですか?」とつっこまれなくてよかったと思った。私がルイ・オルフェという名前を知っているのは、彼自身が一昨日会った時に名乗ったからと誤魔化せたけれど。


「あなたは…『デッドロック館』を読んだの?」


 ミス・ゴドウィンは観念したようだ。

「はい…」


 やっぱり…

 でも私はこの人を知らない。


 名乗ろうか一瞬迷ったけれど言った。

「私はシリウス・ケイン。あなたは誰?」


 シリウス・ケインはアデル・グレイのペンネームだ。

 姉妹3人で出した詩集も『デッドロック館』もこの名前で出版した。


 ミス・ゴドウィンは最初怪訝そうな顔をした。

 まあシリウス・ケインは男性名だから私と結びつかないのかもしれない。


 けれどその後に、これ以上ない驚愕の表情に変わった。


「え!も、もしかして…もしかしてアデル・グレイですか?えっ!ええええええっっ!」


 私の方が驚いてしまった。

 なぜ私の本名を知っているの!?


 ミス・ゴドウィンは私の手を握った。目がぎらぎらしている。

 影のある暗い雰囲気をたたえた彼女がそうすると、なかなか怖い。


「本当に本当にお嬢さま、アデル・グレイなんですか?信じられない!大ファンなんです!『デッドロック館』はもちろんお書きになった詩も読んでます!大学の卒業論文もアデル・グレイと『デッドロック館』の予定なんです!」


 思いもかけない言葉に戸惑う。

 正直に言えば何を言っているのか分からない。


「なんのことか分からないわ。一応分かるのは全然売れなかった『デッドロック館』の稀有な読者よね?そもそも作者のシリウス・ケインが女性で、アデル・グレイだとなぜ知っているの?」


「ええっ!全然売れてないですって?どの図書館にも置いてあるし、たくさんの本屋さんにも置いてあります。世界中のね」


 ミス・ゴドウィンの興奮は治まらないようだ。


「あ…、『デッドロック館』は最初男性名で出されたんですよね。そのお名前、あまり馴染みがなかったので最初分からなかったです。今ではセーラさんの『エマ・グリーン』もですが、作者名は本名になっていますよ。イギリス、いや世界文学史上に残る偉大な女流作家なんです」


 ミス・ゴドウィンは少し落ち着いたらしく私の手を離した。


「ああ…そうか。先走ってしまいました。私は葛城花音(かつらぎかのん)といいます。あなたが亡くなってから160年かな?未来の日本人です。あなたの『デッドロック館』は世界中のいろんな言葉に訳されて、世界中のたくさんの人がずっと読み続けて、世界中の本屋さんで売っていて、世界中の図書館に所蔵されているんですよ。名著として日本で出版された世界名作全集にも入っています」


 ようやく理解できてきた。


 涙がこぼれて私の方が彼女の手を握った。

 目の前にいるのは天使だ。

 私の死後に、私が書いたたった1冊の本は世界中で読まれたのだ。



*  *  *  *  *  *  *



 夜、ルイ・オルフェはデッドロック館でその本を一心不乱で読んでいた。

 一昨日霧の中で助けた少女の家庭教師の女性が、2日前のお礼と共に持ってきてくれた。

 あの女の子が一緒でないのが残念だった。昨日と今日、ルイ・オルフェはあの少女と出会った場所に行ったのだが会えなかった。


 デッドロック館にルイ・オルフェが来てから、これまで彼に会いに来た人などはなく、しかもモンタギュー伯爵家からだったので、取りついだナンシーは驚いていた。


 改めて先日のお礼を言われ、「こちらのご本はお嬢さまからお礼にと坊ちゃんにですよ」と少女の家庭教師の女性から本を渡されると、彼女に聞いてみた。


「あの子…」

「はい?」

「失礼。あのご令嬢、名前はなんて言ったっけ?いや、もう一度ご令嬢のお名前を伺ってよろしいでしょうか?」

「レディ・メアリー・モンタギューです」

「もっと長い名前だった気がするけど」


「ああ、メアリー・ラファエル・モンタギュー様です」


 そうラファエルだ。確か天使の名前だった。ふわふわとした金髪のあの子に似合っていると思った。


「また近い内にお会いになれますよ。きっとね」

 家庭教師の女性の目が光り、意味深げに笑った。



 モンタギュー家の家庭教師のミス・ゴドウィンがデッドロック館へ来た時、屋敷には自分と女中のナンシーしかいなかったからその訪問をフェリシアは知らない。

 2日前にメアリー・ラファエルと会ったことも言わなかった。今まではほとんどのことをフェリシアに話していたのに。


 本はとてもおもしろかった。


 『千夜一夜物語 シンドバッドの冒険』


 大きなクジラの上にできた島、空を覆うような巨大な鳥ロック、ダイヤモンドがいっぱい落ちているけれどたくさんのヘビがいる深い谷、おんぶしたら離れないおじいさん、こんなにおもしろい物語は初めてだった。


 新しい本ではない。

 持ち主が心から好きだった本だろう。所々に書き込みや絵もあった。


 最後のページに彼女が書いた地図があった。

 海の真ん中には鍵のような奇妙な形の島があり、「私の島 ガールダイン」と書いてあった。


 ルイ・オルフェは本を一旦閉じ、もう一度開くと、表見返しにある名前を声に出して言った。

「メアリー・ラファエル・モンタギュー」


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