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6話 旅立ち

「フェルデール、お前ここを出るんだってな!」

「宣教師を選ぶなんて、あんたらしいわねぇ」

「年少さんたちにも、ちゃんとお別れしとくんだぞ? あいつら絶対泣くからな? 俺はお前抜きでやる寝かしつけが怖いよ……」


 フェルデールが長年慣れ親しんだ大聖堂や食堂、教室を巡っていると、馴染みの職員たちが和かな表情で声を掛けてくる。見知った顔は大分減ってしまったものの、幼い頃からお世話になっている彼らとの別れは感傷を誘った。


「どうかお元気で。本当に長い間、ありがとうございました。皆さんに育てて頂けたことは僕の誇りです」

「寂しくなるよなぁ。たまには里帰りしてこいよ。他の連中ときたら、さっぱり顔も見せねぇ」

「無茶はするんじゃないよ? あたしらはあんたの味方だからね。それにしてもヴェリウスがいないのが残念だわねぇ」

「このタイミングで呼び出しとは、大司教様もお人が悪い」

「大丈夫です。きっとまたどこかで会えますから。あいつなら絶対、瞬く間に出世していきますよ」


 そう言って、すっかり大人びた顔つきになってしまった少年は、学友たち一人ひとりとも丁寧に別れの挨拶を交わし、故郷を後にしたのだった。


 あのオークションの日、特殊機関レクトルレガロによる一連の脅しや、数年に渡って強いられてきた“非人道的行為”に対し、内心では怯えきり恐怖に支配されていた少年は、シャオムからの突然の申し出に、頷くことも首を振ることも出来ないでいた。


 痺れを切らした商人があの手この手を使って、ようやく過去のアレコレを引き出すことに成功すると、彼は胸を張ってこう言った。


「それくらいなら大丈夫。何の問題もないよ。だって光国以外に恩寵がある場所なんて存在しないもの! 君たちは唯一神だなんだと崇めているけど、僕のご先祖様がいた東国には東国の神様がいるし、大陸最大の版図(はんと)を誇る帝国にだって別の神様がいる。魔物の被害は確かに甚大だけれど、僕らは僕らなりに、それこそ何百年と歴史を重ねて来ているんだよ」


 時間ギリギリまで粘るシャオムに結局根負けしてしまったフェルデールは、ひとまず正面から出られるよう手続きを踏むと約束し、押しの強い商人の猛攻をかわしたつもりでいた。

 

 しかし、その翌日からひっきりなしに届く謎の手紙には驚かされた。朝となく夜となく届けられるそれは、様々な動物たちに括り付けられていたのだ。

 

 慌てて羽ペンを取り『犬や鳥は目立ち過ぎます』と配送方法にクレームを付ければ『じゃあ次からは鼠だ』と応えるシャオム。諦めて『迷惑です』と直球を投げてみるものの『もし、このことで君の身に危険が迫っているのなら、躊躇なく僕のせいにしてしまいなさい。保険に手紙も残しておくといい。君に懸想した哀れなおっさんのひとりくらい連中も気にしないだろう。だって絶対慣れてるはずだもん。昨日今日の販売形態じゃないよねアレ』と強気の姿勢を崩さない。

 その熱意は一体どこから来るのだろう。


 一方、そんな事務的なやり取りとは別に、手紙には必ず、“外の世界”の話が毎回書き綴られていた。

 それらをまとめるとこうだ。

 

『僕が住んでいる隣国はね、“神に見放された不毛の大地”と呼ばれている場所にあるんだ。丁度、ここと帝国の中間くらいかな?


 いやぁ、これがまたなんにもない場所でねぇ。特産品と言えば魔物から獲れる素材くらいしかないんだよ。それでも最近、ようやく努力が実ってきててさ? 近隣のダンジョンから魔法鉱石をかき集めて武器を造ってみたら、これが大当たり! 遂にこんな大国にまで行商出来るようになったんだから、たいしたもんだよねぇ。


 そうそう、僕らの街は基本的に移民で成り立っているから余所者は大歓迎なんだ。なんなら永住してくれたって構わないよ。ただ神官を続けるのは難しいかもなぁ。それこそ色んな人種が集まっててさ、信じるものもバラバラのままなんだよね。


 あ! あと、魔物と戦う技術は磨くべきだね。命の存え方は身に付けておいて損はないよ。魔物さえ倒せるようになっちゃえば、お金も貯まるし、そしたらどこへでも行けるようになるだろう?』


 そして、極め付けとばかりに最後通牒を突きつけてくる。

 

『君は僕を拒否出来るし、僕はそれを受け入れる用意がある。さすがの僕も、ずっとここに留まるわけにはいかないからね。ところで、君は今後、教団の横暴を拒否出来るのかな? それとも、全てを受け入れる覚悟が出来たのかな?』

 

 たとえ少年相手でも決して手を抜かない男、それがシャオムという商人だった。上げて落として迫るなど実に大人気ないのであるが、それだけ焦っているのだとも考えられる。


 さて、これを受けようやく重い腰を上げたフェルデールは、教団本部へ正式に異動願いを提出した。やるだけやってダメならば、いっそ清々しく断る決意も固まるだろうと思ったからだ。

 すると返信は、意外なほど呆気なく明確に答えを告げて来た。神聖ヴェルティルオス教の宣教師の証である銀製の腕環が送られてきたのだ。

 

 大前提として受理されるわけがない、と考えていた少年は大いに動揺した。ずっと荒んだ生活を強いられてきたのだ。この虚飾に塗れた聖なる組織が素直に自分を解放するとは微塵も思えなかった。

 

 そこで再びシャオムへの手紙にペンを走らせる。『怪しい』とは書けるが『怖い』と書くのには抵抗があった。それを認めれば今にも崩れ落ちてしまいそうだったからだ。


 そもそも、この得体の知れない商人の手を借りてまで自分はここを出たいのか? 出るべきなのか? 大人しく、それこそ人形のように身を任せていたほうが安全なのではないか? もし失敗すれば、この人の命も、己の命も危ういだろう。

 現状維持こそが正解だと思う心は、より楽な方へと思考を逃そうとしてきた。


 それに対し生存本能は、完全に真逆の警告を発して来る。

 物心ついて以来、表門から見送った学友の数よりも、消えてしまった学友の数のほうが多いこと。消えた人間たちは教師や職員を含め、二度と帰ってくることはなかったこと。

 そして、近年強制されようになった見知らぬ人間たちとの“雑事”。フェルデールをじっと見つめてくるヴェリウスの青い瞳。日に日に広がりを見せる黒い痣。無言で送られてきたずっしりと重い教団の腕環……。


 気付けば思いのままに書き殴ってしまっていたが、手直しすることさえもどかしかった。助けてくれとも帰ってくれとも受け取れる、乱れに乱れた悪文を、パンを齧りながら待っていた灰色鼠の背中へと括り付ける。

 信じられる神さえ失くした少年は、その小さな動物に己の運命を託すしかないのだ。

 

 間も無くして届けられたシャオムからの返信は簡潔だった。


『まずは街道へ。聖像のある道標からは山路へ。道なりに進むべし。倒木を乗り越えた所にある岩山で待て。近隣の森林は猟師の狩場。絶対に近付かないこと』

 

 記載されていた決行日を不安気に見つめながらも、フェルデールは覚悟を決めたのだった。


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