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29話 焔の意志 独白

 かつて僕らは確かに同じ時を刻み、同じ試練に耐え、迫り来る非道を前に支え合っていた。


「なぁ、どうして何も言わなかったんだ?」

「……?」

「だって、ほら……その、大聖堂で見ちゃっただろ? あー、いや、都合が悪いのはお互い様だからいいんだけどさ」


 僕の人生に大きな変化を齎した、あの夏の日の夜。忘れようにも忘れられない記憶を抱えつつ、その災禍のきっかけとなった張本人の銀糸を梳いているだけで、否応なく頬が熱くなる。


「ふふっ」

「なっ、なんで笑うんだよ。あ! ほら、動くと絡むってば。後で困るのはヴェリウスだろ?」


 どことなく虚ろな青い瞳を輝かせ、大人しく世話を焼かれている銀髪の少年の表情は明るい。

 心許し合えるほど語り合えたかどうかはわからない。けれど、孤児院での生活とはまた別の顔を見せてくれる彼の変化を眺めるのは、僕の小さな楽しみのひとつだった。


「ありがとう」

「まさか身支度も人任せだなんて、聖都では一体どんな生活してたんだ?」


 髪も服も、時には食事でさえも自発的には動こうとしないヴェリウスの世話を焼くうちに、すっかりお節介が板についてしまった。


 院長先生の屋敷に呼び出される際は、いつも決まって同じ個室へと押し込まれ、短い待機時間を一緒に過ごすことになっていた僕たちは、身支度の合間に交わされる一瞬の交流に癒しを求めていたのかもしれない。


「フェル」

「どうした?」

「これ、あげる」


 ヴェリウスの手の中には赤いスミレの花が一輪握られていた。


「オークションのときのスミレ? にしては赤いな。珍しいやつなんじゃないのか?」

「食べて、早く。誰か来る前に。お願い」

「えぇっ? う、うん、いいけど……なんで花?」


 僕らが教団に虐げられ続けた3年間、ヴェリウスは事あるごとに赤いスミレを食べるよう何度も何度も勧めてきた。

 最初こそ世話焼きのお礼なのかな? と思い、なんの疑問も抱かず食べ続けた。あれは僕たちにとって最早挨拶に近い行為だった。

 

 だからルーシーがとっておきだよ! と言ってアロエを手渡してくれたとき、遂に点と点が繋がったのだ。

 

 今ならわかる。

 あの時、大司教のスミレの茶や腕環による洗脳から僕を守ってくれていたのは、他ならぬヴェリウスだったのだと。

 気の遠くなるような地獄の責苦を正気のままで耐え抜くだなんて、早々出来るものじゃない。

 真っ赤なスミレに込められた何か……魔核の夢の花畑。きっと深い意味があるに違いない。


 もう洗脳は怖くなかった。

 2人への信頼は自信へと変わる。

 むしろ底をついてしまった恩寵を補給するチャンスでさえあるかもしれない。


 魔核の夢を見届けた僕は、今のうちにとイバラからララを引き離そうとした時、埋め込まれて以来はじめて魔核の“意志”を感じた。

 そうではない、と引き留められたかのようだった。


 あの夢の言葉が浮かぶ。

 

 《光よ、呪いの焔の、贄となれ》


 光魔法を扱えることは僕の誇りだった。

 誰かに治してくれと頼まれると嬉しかった。それは、僕の力への信頼があるからこそ発せられるものだったし、その信頼に応えられると喜びは更に増した。孤児の僕でも、この世に貢献出来るのだと、生きていていいのだと思わせてくれる数少ない瞬間だったからだ。

 

 だから光魔法が好きだった。

 味方を守り、助け、鼓舞する力は、掛け替えのないものだった。親に望まれなかった僕にとって、それは大きな慰めだったのだ。


 どうやら“意志”は、光の力を捧げろと言いたいらしい。もしかするとあの光神は、もう誰にも何も与えたくないのかもしれない。


 幸いにして僕は、このバリュノアに降り立ったことで手放す準備がすっかり出来てしまっていた。躊躇が微塵もないことに内心少し驚いたくらいだ。

 

 今はただ、どこかの誰かじゃなくて、目の前に居るバカでどうしようもない友達を救いたかった。

 たった数日しか一緒に居なかったのに、出会いなんて本当に最悪だったのに、不思議だなぁと思う。

 

 僕はドンラン家のすべてを憎むところだった。話を聞いただけなのに、全てが悪だと決めつけかけていた。

 もちろん、彼らの罪が全て消えるわけじゃない。

 シャオムさん……否、師匠の家族は、ドンラン家からの攻撃で崩壊してしまったんだ。過去は覆らないし、命も還らない。


 でも、どうやらララを憎むことだけは、今後も出来そうになかった。

 だって、こんな必死な顔で、今にも死にかけてるってのに、僕の敵を睨み付けたまま逝こうとしてる。関係ないんだから逃げたらいいのに、とんでもないとこで責任感じちゃうんだもんなぁ。

 うん。やっぱりバカかもなのかもしれない。

 だいたい、お嬢様だってのに、ぐちゃぐちゃのボロボロじゃないか。そうまでして僕とルーシーを守ろうとするだなんて、見直さないわけにはいかないよ。むしろ、ちょっと悔しいくらいだ。


 最後に僕は、師匠が言っていたことを思い出した。


「僕はね、君を救ったつもりはないんだ。ただ、ちょっとだけ世界に抵抗したかった。変えたかった。人に出来ることなんて、たかだか知れているからね。それでも、その一石にこそ、人生の面白さが詰まってるんじゃないかと思うんだ。小さな一投が、やがてひとつのうねりとなって、明日へ受け継がれていく。変化を楽しめるようになったら、きっと一人前さ!」


 どうなるやら楽しみだねー! と荒野を背にして語る師匠に対し、隊商の傭兵たちは「まーた、なんか言ってるよ」と呆れながら僕の肩を叩いてくれた。「商人の口車には気をつけな」という忠告も添えて。

 そうして過去のトラウマをひとつ下ろした僕は、バリュノアへと辿り着くことが出来たのだ。

 あの空気がちょっと恋しくなってきたな。


 帰りたい場所は、守りたい場所だと思う。

 お礼を言いたい人もたくさん出来た。

 たぶん世界は僕が思う以上にずっと広い。

 だったら、こんなところで立ち止まれない。

 僕の因果は、僕の手で断ち切らないと。

 

 そうして僕は光魔法を手放した。

 これが贄だというなら喜んで返すよ。

 神様なんて信じちゃいないけど、僕の敵はあの女で、君らの仇もあの女なんだろ?

 だったらそれで十分だよね。


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