20話 はじめての戦い
地鳴りと共に突如として姿を現したアースクローラーの幼体は、体長10メートルほどの大きさしかなかった。
最初に現れた成体の約半分ほどの大きさである。
逃げ出して来た道をそのまま引き返したこともあり、山の斜面からひょっこりと顔を出してみるだけで、美味しい餌の在処がすぐにわかった。小難しい考えを持てるような頭脳はないため、やはり真っ直ぐ進むのみである。
瓦礫の山のひとつに的を絞ったらしい幼体は、その手前に停められていた馬車を見向きもしない――どころか易々と踏み潰し、積み重ねられた木の根や、朽ちかけた植物の残骸に喜び勇んで食いついた。
咄嗟にララフォードを庇おうとした東国の巨漢は、お嬢様と女の子を後ろへと放り、その身を挺して飛び散る馬車の残骸から2人を守った。
アースクローラーによる無意識のテールウィップは、馬車や瓦礫の山を吹っ飛ばすだけでは飽き足らず、地面を抉るようにして快活に動いている。
腰を抜かしたもう1人の黒服は、武器を落としたまま後退り、己の安全を確認すると、城塞目掛けて走って逃げ出した。
突然、放り出されてしまった女の子は、フェルデールの右腕に受け止められた。転ぶ事そのものに慣れていないララフォードは、前のめりに倒れ込みそうになりながらも、その左腕に支えられ、なんとか地面と接地せずに済んでいた。
フェルデールは2人を受け止めつつ安全な位置まで下がろうと、女の子を小脇に抱え、ララフォードの方は仕方なく引き摺って後進を試みる。
「なっ、なんなのです! 貴方、無礼でしてよっ」
「はぁ? 死にたくないなら自分で逃げろよ」
「こ……腰が、抜けてしまいましたわ……」
じゃあ黙ってろと睨め付けるフェルデールの目は冷たいが、後進は続ける。せめてあのテールウィップの範囲外まで抜け出したい。そこからは走って逃げなければ。吹っ飛ばされてくる飛来物は光魔法で防御力を高めるしかない。
「まっ、ま、待って下さい、あの魔物、しょ、植物が大好物なんです、だから、何もないところ、を、さ、探さないと、です」
フェルデールの脇で女の子が必死に訴えかけてくる。とても大事なことなのだ、と。
「南には何がある?」
「の、農地です」
「東が果樹園だから、西か」
「西には桑がありましてよ。わたくしのシルクの源なんですの」
「通用口の鍵は?」
2人同時に被りを振られる。
詰んでいる。
城塞を回り込むには植物のある場所を通らざるを得ない。ひとつ望みがあるとすれば、残さざるを得なかった巨漢の元へと戻り、所持品の中から鍵を拝借するくらいだろうか。確か腰紐に括り付けてあったはず。
「わかった。行ってくる」
その選択肢は一見無謀であるかのように思われた。だが、長年光魔法に頼ってきた光国人としては意外と現実的な判断でもあった。なぜならば、最大レベルの防御魔法は剣撃でさえも容易に退けるし、仮に怪我を負ったとしても回復魔法を使えばいいという刷り込みが強くあったからである。
制止する2人を積まれていた石材の側へと残し、防御魔法を重ね掛けると、フェルデールは脇目も振らず走り出した。
未だにご馳走を屠り続けているアースクローラーを尻目に、既に事切れている男の元へと駆け寄ると、焦りから滑り落ちそうになる腰紐をなんとか手繰り、鍵を手にする事に成功した。
けれど幸運はそう長く続かない。
目も耳も鼻もないアースクローラーの判断基準は、“美味しそう”か“美味しくなさそう”がすべてなのだ。ボロボロになってしまっているご馳走よりも、活きのいいご馳走のほうが美味しいに決まっている。
アースクローラーの幼体は動きを止め、ご馳走の気配を探っている。城塞は、前回の経験からして近付くなと本能が囁いている。東は既知の食事しかないだろう。南か、それとも西か……。
ふと、とても美味しそうな予感がした。
芳醇で、それでいて蠱惑的な。
それはこれまで味わったことのないものだ。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
まだ小さいけれど、それはこの世で一番美味しい気がする。そんな気がする!
アースクローラーは移動を開始した。心持ち楽しそうに見えるのは決して気のせいではないだろう。幼体は一生懸命に伸縮を繰り返し移動する。
これにいち早く気付いた女の子は、横にいたララフォードをバシバシと叩くが、腰を抜かしたままの彼女を引き摺る力はない。
「なんてことでしょう。遂にわたくしの美貌が魔物にまで……」
「はっ、はははは早く逃げないと!」
「いいえ! 元帝国貴族たるもの、降り掛かる火の粉は払わねばならぬものなのです」
動けないとは絶対に言いたくないのか「見てらっしゃい!」と、意気揚々と懐から扇を取り出したララフォードは、得意の風の刃を召喚する。正確なコントロールはこの際どうでもよかった。とにかく生き残らねばならない。ありったけを叩きつける!
しかし、アースクローラーには擦り傷ひとつ付かなかった。だが、これは何だろう? と思わせるだけのことはした。お嬢様はやってのけたのだ。時間稼ぎを。
黒服が残していった曲刀を拾い上げ、アースクローラーの真後ろから追いかけていたフェルデールは、感覚器官を惑わされ、すっかり無防備さを晒しているその背を一気に駆け登った。
そして、首とおぼしき箇所目掛け、力一杯曲刀を振り下ろす。2度、3度。幼体とはいえ分厚い外殻を前に、あっという間に曲刀の刃がこぼれていくのがわかる。
ようやく自身の背に攻撃が加わった事を悟ったアースクローラーは、馬乗りになっている何かを振り落とそうと暴れ出す。
その動きに耐えられず地面へと投げ出されてしまったフェルデールは、曲刀を取り落とし、魔物のすぐ側で天を仰いでいる。
女の子とララフォードが息を呑むより早く、にじり寄ってきたアースクローラーは、青年の頭上目掛け、大地を掘削するために造形された鋭い無数の牙を傾けてくる。
もう後がないフェルデールには躊躇はおろか、狙いを定める工程さえも許されない。ただ、持てる力の全てを放出するしかなかった。
光属性攻撃魔法は、魔物の牙をすり抜けて、口腔内の柔肌を貫くようにして解き放たれた。
すんでのところで動きを止めたアースクローラーだったが、まだ油断は出来なかった。
ひとまず下敷きからは逃れておこうと、フェルデールは石材の位置まで這い出ると、すぐ横まで来ていた2人に鍵を見せる。
「無事でよかった。今にうちに逃げよう」
どんな時でも安全確保が最優先。
それがシャオムのやり方だと彼は学んでいた。
ドンラン家の対応ならば、大家さんに指示を仰いだほうが確実、という側面もあるかもしれないが。
ララフォードに肩を貸し、女の子の手を取った3人は、魔物の死骸から少しでも離れようと行動を開始した。そのため周囲の変化に気付ける者はいなかった。彼等の背後でポトリと落ちたドロップアイテム“インスタンス・ダンジョン”への通行証が緑色に光り輝いていたのである。
通行証が指し示すダンジョンへと移動するためには、設定されている条件をクリアする必要がある。図らずも今回、それを達成してしまった3人の足元には、勢い良く展開する魔法陣の力が迫っていた。
「ちょっと貴方たち? 何か光ってますわよ?」
「な、な、なんですか、これ?」
「……魔法陣?」
こうして城塞の裏手で忽然と姿を消してしまった3人だったが、目撃者はいなかった。
ただひとつ言えるのは、愛娘を溺愛するアイザックの執念は生半可なものではないということだ。
この夜、護衛に付けたはずの黒服を捕獲したアイザックは、躊躇なくそれを吊し上げ事の全貌を詳らかにさせた。そして直ちに各首脳陣へと情報が共有されたのだった。
しかし、救出しようにも通行証と鍵となる条件が揃わない限り手の打ちようがないことが判明すると、アイザックはたちまち憔悴し、体面を繕うことさえ放棄して項垂れてしまったという。
あの陽気でおしゃべりなシャオムでさえも無言のまま外の風景を見つめだす始末であったことも手伝って、バリュノア評議会は開闢以来初めて議事進行が停止したのだった。




