12話 新年祭 1
バリュノアのメインストリートを突き抜けると、水路をひとつ隔てた後、桑の木々に取り囲まれた開けた公園に出る。
そこはアールハート特区と呼ばれる場所で、区画内には評議会議事堂や各庁舎、裁判所等が集まっていた。
この区画の中央には自然豊かな憩いのスペースと、民会を開くことが出来る野外ステージとがある。政治への関心のある無しに関わらず、ここで開かれる祭や催事は市民の楽しみのひとつとなっていた。
かくして今夜も、バリュノア新年祭と冠した大規模な宴が催されているところである。宴会仕様に飾り立てられた公園では、既に多くの市民や観光客によってワイン樽が次々と空にされていた。
祭りの目玉である牛の丸焼きは、ドンラン家からの提供品で、一晩かけてじっくりと焼き上げたシンプルながらも誰もが唸らざるを得ない至極の逸品に仕上がっていた。
肉の下に敷き詰められた芋や人参は、牛の脂を限界まで吸い上げ、口に含むだけでトロリと崩れる今日しか食べられない隠れた人気メニューである。
アールハート商会の屋台もいくつか出店しているようで、こちらも負けず劣らず人だかりが出来ていた。
砕いたナッツを混ぜ込んで揚げ焼きにしたクレープは、カリっとした食感が賑やかで、レモンの蜂蜜漬けやシナモンを添えるなど、味のバリエーションも楽しむことが出来た。
また、栗粉とドライイチヂクを混ぜ込んで作ったパンや、つまみに最適な塩豆の燻製といった新作メニューの試食にも長蛇の列が出来ている。
そんな賑やかな祭の様子を遠目で眺めている1人の男が居た。子煩い取り巻きから逃れ、最低限の護衛のみを連れて、パイプと杖だけを手にのんびりと構えている様だけ見れば、人の良い好好爺と紹介されても疑うものはないだろう。
だが、彼が身にまとっている星空を模したタッセルマントには、金糸や銀糸どころか、ありとあらゆる宝石を織り込んだかのような細緻な装飾が散りばめられており、選び抜かれた最高水準の技術と素材とが惜しげもなくあしらわれていた。
古くは帝国貴族の血を引くその老獪は、慣例通り複数の母たちによって育てられた。多種多様な血筋を差別なく取り入れる風習は、“神に見放された不毛の大地”で生き抜くための本能的習性である。
故に、神聖光国近隣由来の白磁の肌に、東国由来の黒髪を蓄え(といっても今ではすっかり白髪へと変貌を遂げているが)、体格は帝国由来のがっしりとした筋肉質に恵まれていた。
しっかりとした髪量を丁寧に後ろへと撫でつけ、口周りから顎にかけて綺麗に整えられた髭からは、彼の几帳面さと神経質さとが伺える。
彼の者の名は、アイザック・ドンラン。
商業ギルドを長年牽引してきた辣腕のギルド長にして、ドンラン商会会頭、そしてバリュノア評議会議長その人であった。
彼がアールハート家との間に永遠に埋まることのない深い溝を拵えた後、バリュノアは帝国との関係を急速に進展させ、自由貿易路線へと大きく舵を切り直した。
元々、アールハート家はドンラン家にとって足枷以外の何者でもなかった。彼らは常々輸入関税を引き上げてでも帝国との貿易、特に武器の輸出に関する項目に強く反対していた。穀物相場を釣り上げられようが、粗悪品を掴まされようが、戦争を回避することこそが第一であると強く表明していたのだ。
が、ドンラン家にしてみれば、それこそが驕りだった。戦争を回避するしない以前に、この街の民が飢えては話にならないのだ。帝国は常にこちらを監視し、至る所にスパイを忍び込ませている。奴らは赤子の手を捻るよりも簡単に我々を潰せるだろう。この街を真に守りたいというのであれば尚の事、帝国に頭を下げるべきなのだ。属国に下ることさえ辞さないという選択こそが、この街とこの街の利益を救うだろう。
そうアイザックは信じていた。
「博愛主義者なら博愛主義者らしく、救い切れる人数くらい正確に把握するべきだ。そうは思わんかね、小僧」
アイザックは落葉しきっている桑の木々を見向きもせずに、虚空へと言葉を放った。
すると暗闇が答えた。
「そこまで大それた考えは、正直持ち合わせてないんですよ。どの道、僕ひとりがどう動いたところで、今更、痛くも痒くもないんじゃありません?」
「新顔の子供はどうする気だ? え? 後継者に据えるというなら、それ相応の覚悟がいるぞ」
「さすがの僕でも現行法じゃ無理だって、わかってますよ。血族じゃないってことは、見た目からして丸わかりですし? そもそもゴリ押しする気も、生き方を強いる気もないんです。それより、あんまり虐めないでやって下さいね」
「殊勝なことだな」
と、アイザックは鼻で笑う。
「貴方の方が僕よりよくご存知のはずだ。欲しいモノなら奪えばいい。けれど、維持していくことこそままならないものだと」
「ふん。つまらん話だ。で、本題はなんだ?」
「実はお願いに上がりました、閣下。ようやく僕にもやりたいことが見えてきましてね。なので、一時休戦しましょう。なんなら自由貿易でもなんでも、お任せします」
「そこまでお前が入れ込むとはな?」
「閣下こそ、子育ての大先輩じゃないですか?」
「どの道、小僧抜きでも成立させたわ」
「お手数かけて申し訳ない」
「北はそんなにもきな臭いか」
「それはどうぞご自身で」
「……行け。そろそろ時間だろう」
ではまた、と言って暗闇は去った。