11話 城塞都市バリュノア
遅々として進まない待機列から荒野を振り返ると、乾燥した大地が、黄色い地肌を露出させているのが見えた。
まばらに散らばった岩石の陰には、ローズマリーやラベンダーといった低木が見え隠れし、小高い丘の上にはオリーブの木々が連なっている。
都市をぐるりと囲う城塞の南側には、農地が広がり、斜面にはブドウやレモンらが並ぶ果樹園があるのだとフェルデールは聞かされる。
城塞都市バリュノアは、これらの展望の更に向こう側に乱立している、無数のダンジョン群に囲まれた場所にあった。そのため、ある種のオアシスとして開闢されたのがはじまりだとされている。しかし、大元を辿ると事実は少し異なっていた。
元々この土地は土着の民族であるバリュノア族の居住地に他ならなかった。
彼らは周辺ダンジョンから魔法鉱石を採掘し、鍛治や金属加工、細工といった技術を磨き上げ、他に類を見ない優れた武器や防具を造っていた。
これらの装備品は、“神に見放された不毛の大地”の中でも、特に強い上位種の魔物が跋扈するこの土地で、孤軍奮闘する彼らの生活を長らく支えていた。
当初の環境下では誰も寄り付くことすら叶わず、宝の持ち腐れになりかけていた稀代のバリュノア文化を運良く発見したのが初代アールハート家の当主なのである。
初代当主はバリュノア一族との交渉を見事成立させた後、ダンジョン攻略に喘ぐ冒険者たちとも手を取り合い、この愛すべき城塞都市の建造に着手したのだという。魔法鉱石と花崗岩とを融合させた特殊建材を惜しげもなく使ったこの城塞は、500年の時を経て尚、当代随一の建築物として評され続けている。
歴史講釈が一通り済んだところで、ついに待機列が動き出した。眼前にそびえ立つ城塞の表面には、深い青みがかった鱗のような模様が浮かんでおり、太陽光や月光を浴びることでその光沢が一層際立ち、城塞全体が淡い銀色を帯びて輝くことさえあるのだという。
フェルデールは、この優美さと堅牢さとを兼ね備えた城塞の壁面と、その門に目を奪われていた。
ふと見上げると、城門の真上に何かが嵌め込まれている。どうやらそこには、バリュノアの紋章を模ったレリーフが掲げられているようだ。
その紋章は、アールハート家の家紋である“フクロウ”と、古き友人であり、もう1人の立役者でもあるバリュノア一族が愛して止まない鉱石の代表“水銀”、そしてバリュノアの通貨単位でもある“マルベリー”をモチーフにデザインされていた。
紋章の下には、更にこんな言葉が付け加えられている。《人は誰もが王たり得る、故にこの門を潜る者、その一切を拒まじ》とあった。
これは、あらゆる移民を受け入れるという確固たる意志の元、初代当主が掲げたバリュノアのスローガンである。開闢以来500年。この言葉が違えられたことはない。
城門を潜った先には、出入国にまつわる様々な手続きが執り行われるキュレーブル・ホールがある。 外の壁面とは打って変わって、大理石をふんだんに用いた格式高い内装が施されている。
この場所の名称は、学術ギルド長ミュリオル・キュレーブルから拝借したものだそうで、不正品の持ち込みや特定の犯罪者を探知するための防御魔法がそこかしこに仕掛けられており、都市内の安全はここで担保されていると言っても過言ではないとのことだった。
冒険者ギルドに登録済みのメンバーは、携帯しているギルド証だけで保安検査をパス出来るため、ここでお別れとなった。
といってもフェルデールに関する手続きもまた、後日改めて行えるようシャオムがすっかり手配済みであったため、ほぼ手荷物検査のみで通行を許された。
そうしてようやく城塞を潜り抜けると、フェルデールの目に、見たこともなければ聞いたこともない圧倒的物量と情報とが押し寄せてきた。
城門広場には色とりどりの屋台が並び、子供から大人まで何かしらの飲料や軽食らしきものを買い求めている。
広場から真っ直ぐに伸びるメインストリートには、大小様々な商店が軒を連ね、その中を行き来する人間もまた、多種多様な人種が一堂に会していた。
城門から向かって右側には冒険者ギルドが居を構えており、商店街全域に目を光らせながら街の警備に一役買っている。
左側には旅客専用の宿場街が続き、その最奥には歓楽街も備わっているとのことだった。
質素倹約を旨とする教団施設に育てられてきたフェルデールにしてみれば、未知の領域に足を踏み入れたも同義であった。
そして思わずシャオムを振り返り、
「手紙には何もないって書いてありませんでしたっけ?」
と、恨みがましい目を向けてくる。
シャオムはシャオムで創始者一族の末裔であるにも関わらず、威厳どころか一片のプライドさえ見せず、こう宣った。
「そうだよ? 何もないよ。少なくとも僕の手の中には何もない。この活気は、この街のものだし、民の命は民のものだ。飛び交う金銭は商人たちのものであって、僕個人のところには一銭だって入らない。国として立ち行くための税は当然あるけれど、それは国庫からそう簡単に動かせるものじゃない。城塞を守るためには兵士も要るし、都市を管理するには官僚が要るからね。それに、ここいらには肥沃で平らな土地も殆どないから、食料供給には日々頭を悩ませている。帝国との貿易ありきで成り立っているだなんて、まだまだ自立とは程遠いよ。だからこの光景を未来に繋げるには、まだまだ努力が必要なんだよねぇ」
「こんなに人や物で溢れているのに?」
「帝国が小麦を売ってくれなきゃ、屋台ひとつ立たないんだなぁ」
「じゃあ帝国が貿易を打ち切ったら……」
「すぐさま閑古鳥が鳴いて、行商が立ち寄らなくなり、交易が滞って品数も減り、活気が潰えれば観光客も逃げちゃうだろうね」
「これだけ栄えていてもギリギリってことなんですか?」
「神も王も抱かない割にはよくやってる方でしょ?」
ヘラリと受け応えする道先案内人にジト目を送り続けるフェルデールは、世界の大きさに心躍らせつつ、食えない人だなぁと改めてシャオムという商人に対する考察を深めた。
「本当にアールハート家が創始者なんですよね?」
「誠に遺憾ながら、ね。でも、商人として見れば挑戦の余地はまだまだあるし、悪くない街だよ。議員としては、やや尻込み中だけど」
「僕がこの街で出来ることって、何かありますか?」
「おや、気に入ったかい?」
「気にいるも何もないですよ。だって、今まで選べたことなんてなかったんだから。与えられた世界が全てだったのに、そのほとんどが苦痛だったのに、閉じ込められるどころか、何をしていいかわからないだなんて……あのまま、あの国に居たら、僕、絶対死んじゃってた。それこそ物みたいに、何も知らないまま……」
年相応の興奮を隠しきれていない少年を見たシャオムは、満足そうに頷いている。若者はこうでなくちゃいけないよねぇ、と年寄り染みたことを考えているようだ。
そして、
「お師匠様、不束者ですが、よろしくお願いしますね!」
そう言って頭を下げるフェルデールに面食らった商人は、なるほど、これが衆目言質か! と唸らされたのだった。