9話 腕環【全文リテイク済】
シャオムとフェルデールを乗せた馬車は国境を越え、“神に見放された不毛の大地”と呼ばれる荒野へと逃れることが出来た。
南下を続けてきただけあって寒くはないが、ここからの道は、光神の恩寵が及ばぬ魔境が続く。
シャオムは街道沿いの町に寄り、隊商を組む必要があるのだとフェルデールに説きつつ、馬を走らせ続けていた。
魔物はもちろん、盗賊被害も後を絶たない寂れた街道を進むには、それなりの手筈が必要不可欠なのである。馴染みの傭兵たちと合流さえすれば安全だからと太鼓判を押すのも忘れない。
その上でフェルデールは、これまでの道すがらに聞かされてきたアールハート家を襲った悲劇を踏まえ、目的地を決めるよう問われていた。
「移民としてバリュノアに入るだけなら、何の問題もないだろうけど、僕が連れて行くということは、おそらくドンラン家のターゲットになる可能性があるんだよねぇ……」
迂闊だったなぁと唸るシャオムは、傭兵たちに身柄を預ける方法もあるし、行き先を帝国に変えても構わないよ、とアドバイスを添える。
「せっかく胡散臭い国から解放されたんだ。君には自由になって欲しいからね。助力は惜しまないよ」
どうしたい? と穏やかに尋ねる声音は優しい。追手を振り切ったとはいえ、命からがら祖国を抜け出すことになってしまった少年である。未だ安息とは程遠い心境だろう。
その証拠に、その顔色は決して明るいものではなかった。
「シャオムさんのご家族は、もう誰もいないんですか……?」
「まぁ……心労だろうねぇ、あれは。命を脅かされる生活って心身に堪えるからさ。君ならよくわかるでしょ?」
と、苦笑いする寂しげな男に救われた少年は、彼が命を懸けてくれたことへの恩義を感じていた。
「僕は……シャオムさんの、あの大迷惑な強引さがなかったら、きっと生き残れませんでした」
「それを言われると、おじさん辛いな! 否定出来ないだけに!」
「外の世界には宣教師が全然居ないって話も、未だに信じられません。旅立った先輩たちと合流すれば、何かわかるかと思ったのに……」
「こちらとしては、光国みたいな引きこもり国家の宣教師だなんて、居たら絶対見逃さないよ? そんなんだから、ついつい探りに行っちゃったわけだし?」
と戯けた素ぶりのシャオムは、御者台の隣に座るフェルデールの腕を見つめている。そこには宣教師の証である腕環が嵌められていた。
「そんな銀ピカ、一度見たら忘れないんだよなぁ? 一度、ミュリオルに見せたいくらいだよ」
「ミュリオルさんて、さっきの話の?」
「そうそう、うちの魔女様だよ。年齢不詳な上、とんでもなく強いんだ。そんでもって、そういった魔道具に目がない……」
商人の鑑定眼は警告を発していた。
経験上、それに従って後悔したことはない。
「うん。やっぱり、1人でちゃんと立ち上がれるまでは、大人の手がいるな! ドンランは僕がなんとかすればいいだけの話だし!」
と笑うシャオムにフェルデールは頷く。
行く道を選択するだけの気力はまだないが、彼の視線の先にあるものが礼になるのならば安いものだと思っていた。
「ペットの面倒は最期まで見なくちゃダメですよ」
ふと、鼠を思い出したらしい少年がそう添えると、ぎょっとしたシャオムはまじまじと彼を見つめ、なかなか鋭いな……と独りごちたのだった。