幕間 7代目当主の回想
この街は王を抱かない。
確かにそう心に銘じ、城塞都市バリュノアの創始者一族として生を授かったアールハート家7代目当主は、およそ30年程前、運命を呪っていた。
彼が最初に不穏の芽を感じ取ったのは、商売敵であり政敵でもあるドンラン家が、評議会議長の座席を狙い出した時だった。
おそらく帝国の後ろ盾があったに違いない。資金繰りに追われていたはずのドンラン商会が、突如として過去最高益を計上し、商業ギルド長の座を奪い取るや否や、我が物顔で評議会に乗り込んで来たのだ。
時を置くことなく一般選出議員の顔ぶれも一新され、ドンラン家の趨勢に一役買っているようだった。
アールハート家を追い落とせるだけの力を供与されたドンラン家は、いよいよ手段を選ばなくなったらしい。このままでは強硬手段も十二分にあり得るぞ、と由緒正しき商人の血が警告を発していた。
無論、当主は警戒を怠らなかった。
冒険者ギルドに掛け合って優秀な傭兵を雇い入れたし、妻子には不自由させるけれども守りの厳重な議員宿舎に住居も移した。家族一丸となって、否、アールハート商会一丸となって、この事態に備えられるよう、信のおける従業員だけに出入りを絞り、身の回りを固めていた。
だというのに、どうしてこんなことになったのだろう。私は大馬鹿者だ。でなければ、大間抜けだ。見てくれ、この現状を。確かに毒を使われる可能性は考えていた。口にするものには重々注意を払い、家族にも従業員たちにも言い聞かせてきた。それなのに、どうして我が子が倒れているのだ? 邪魔なのは私だろう? なぜ私を狙わない? 頼むから目を覚ましておくれ……。
この街は神を抱かない。
だから縋れるものになら何にだって縋ってやる。
学術ギルドが派遣してくれた薬師は、ただ首を横に振るだけに終わった。未知の毒に対抗し得る設備も知識も足りないのだという。
古い友人である同ギルド長ミュリオルは、小さな針のひとつでさえも子供ならばあるいはと言葉を濁した。肩を落とす私に全力を尽くすと約束こそすれ、事態は何ひとつ変わってくれやしない。
こんなことになるのなら、子供たちが犠牲になるくらいなら、いっそ何もかも放って逃げ出してしまえばよかった。私は間違えたのだ。不遜にも家族を守り切れると思い込んでしまったのだ。
そう嘆く私の元に差出人不明のメッセージが届く。我が子を助けるか、未来を捨てるか。2つに1つの道が示されていた。嗚呼、それしか道がないだなんて。当主失格と言われても仕方がないのかもしれない。
憔悴しきった愛妻に私は告げる。
取引を受け入れようと思う。
子供たちの命には変えられないよ、と。
我々が事業から手を引くことを条件に解毒薬を寄越すというのなら、そうするしかない。これによりアールハート家は帝国との貿易事業から全面撤退することになる。たとえそれが、この街の息の根を止めることになろうが、私にはもうどうしようもない。
民は飢えるかもしれない。
民は戦に狩り出されるかもしれない。
否、この国に限った話ではないのかもしれない。
神も王も抱かぬこのバリュノアが帝国に奪われれば、あの神聖光国でさえ滅んでしまうかもわからない。
もし仮にそうだとしても、不甲斐ない私は愛するシャウラとシャオムを選ぶよ。いつか皆の首を絞めることになろうとも、我が子の命を私は選ぶ。どうか笑ってくれ。どうか生き延びてくれ。親子4人でまた食卓を囲もう。議員の仕事など放り出して旅に出よう。
なぁ? ドンランよ、これで満足か?
お前の望みは叶ったか?