プロローグ
幌馬車が雪道を進んでいる。
茜色に染まりつつある空の向こうには、神聖ヴェルティルオス光国の象徴である大聖堂の尖塔が垣間見える。
黒衣に包まれた怪しげな御者は、毛並みのいい栗毛の馬を丁寧な鞭捌きで制すると、一路郊外へと進路を取った。森を抜け、農地を抜け、いくつかの里を隔てた先にある貴族専用の別荘地帯へと向かっているのだ。
すし詰め状態の馬車内に押し込められているのは、光国内に点在する大小様々な孤児院から寄せ集められてきた孤児たちだった。
ガタゴトと揺さぶられている少年少女の瞳は暗く陰っている。
「ねぇ、あなたスミレ組よね? これ治せる?」
麻袋を引き裂いたかのような粗末なローブ姿の少女が、隣に座る少年に声を掛けている。真っ赤に爛れてしまっている彼女の指先には、水ぶくれがいくつもあった。
「これって火傷?」
と聞き返した少年は、暖かそうなウールのローブにフードまで付けている。さぞかし快適でしょうね? という少女のジト目を感じ取ったのか、緩慢な動作でそれを取り払うと、中からアッシュブロンドの髪が現れ耳へと垂れ掛かった。傷を見ようと乗り出した瞳には深い緑が宿り、少女よりもずっと白く綺麗な肌を持っていた。
「うん。昨日ヘマしちゃったの。火魔法って扱いが難しいのよ。適性があるからって教わったんだけど、料理には向かないと思うわ。ただでさえ硬いパンが黒焦げ!」
スミレ組と呼ばれた少年が少女の手を取ると、光神の力を借り受けた魔法とされる貴重な回復魔法が発動した。慈愛の光が火傷の痕をみるみるうちに縮小させる。
同じ孤児であっても、数少ない光魔法の適性者である少年は、国による手厚い保護を受けていた。
「ふーん、光魔法ってやっぱり凄いのね。ところで、あんたは一体誰を人質に取られてコレに乗ってるの?」
あけすけな言動を隠しもしない少女に対し、少年は眉を顰めた。
表向きの好遇にこそ大差あれど、2人の“出荷先”は変わらない。
「それを君に言う必要ある?」
「ないわね! でも、どうせ暇だもの。ここに居る全員、揃いも揃ってみーんな売られちゃうのよ? 暗いったらないわ」
足をバタバタと動かす少女は、ボロボロになったオミナエシを胸に刺している。
「それにさ、制服連中が話してるの聞いたよ? あんたあのヴェリウスと仲良しなんでしょ? いいよね。スミレ組はさ。食いっぱぐれないんだから」
「やらされてることは同じだろ」
「同じじゃない。だって全然違うんだよ? ちゃんと見なよ。客の服とか靴とかさ。お金持ちはこっちにぜっーーーたい来ないの……あー、やだ、なんか惨めになってきちゃった」
口を尖らせ俯いている少女を前に、少年はため息をひとつ吐くと、胸に刺さっていたスミレを差し出した。
「今日だけでいいなら交換する?」
「いいの? ホントにいいの? 返さないよ私」
「今夜はヴェリウスがメインだろうから、あんまり意味ないと思うけどね」
「わぁ、ありがとう。嬉しい。あの銀髪美人相手じゃあんたでも敵わないんだね! って、怒った? ごめんね。私タチアナって言うの。あなたは?」
「……フェルデールだ」
余程スミレが嬉しかったのか、タチアナはひっきりなしに花の感触を確かめている。付けている花のランクで寄ってくる客が変わることくらい説明されずともわかっているのだ。
「あ。私すぐこうやってダメにしちゃうの。そっちの花もくしゃくしゃよね」
「いいよ。誰も気にしないさ。たぶんそろそろお役御免だろうし」
「そっか。神官サマは15歳までなんだっけ? うちの孤児院も変わらないよ。食い扶持は自分で稼ぐってとこは違うけど」
「でも、自室にまで制服が押し掛けてくることなんてないだろ?」
「うわー。そうなんだ。あいつらバケモノだね」
屈託なく笑う彼女につられて、フェルデールの緊張も解けてきた。
「もしもさ、もしもだよ? 無事に帰れて、明日が来て、友達を返して貰えたら、私もう、コレにはゼッタイ乗りたくないな。街で稼ぐほうが楽なんだもん。あんたたちもそう思うでしょ?」
タチアナは周囲に向けて言葉を放つが、反応は薄い。中には震えている子供もいるようだ。
「やだね。大人の食い物にされるって」
ポツリと呟いた言葉は轍の中へと掻き消えていく。
「どうしてこんな風に生まれちゃったんだろ」
彼女の疑問に答えられる者はいない。
「あーあ。私、自由が欲しいよ。15まであと何年かなぁ……。フェルデール、あんたはどうするの? ヴェリウスみたいに上層部お抱えの小姓か愛妾でも目指してんの? それとも大司教サマみたいに大聖堂で輝いちゃうわけ?」
ケラケラと揶揄うタチアナに悪気はないが、フェルデールはむっとする。
「どっちも嫌だね。信じてもいない神様になんて仕えたくない」
「あはは、なぁに? それ。ガキっぽい」
「君が聞いたんだろ。教団にいる限り自由なんてないも同然なんだから」
「……やっぱり孤児院から出られても変わんないのかなぁ? 私、出てったセンパイたちに会えたことないんだよね」
「きっと上手くやってるさ、辛かった場所には戻りたくないんだろ」
「だったらもっと可愛いがられるよう練習しとこっかな? あんたも媚の売り方くらいわかってんでしょ?」
ほら笑って笑って!
と漏れ出でる騒ぎ声は、子供たちを待ち受ける未来とは裏腹にカラリと響き渡っていた。
ご拝読ありがとうございます。ヒロイン登場まで暫くかかりますので、何卒お付き合い頂けましたら幸いです。