ヒステリック司書
図書館についてのエッセイを読みまして、なんとなく思い出したことを。
私もいい歳したおっさんなので、もう十分に昔と呼んでいい高校時代のお話です。
当時、よく話す運動部の友人たちは別のクラス。
昼食後にわざわざそちらに顔を出すこともないと考えていた私は、ほぼ毎日図書室で過ごしていました。
冷暖房があって環境は快適。
あの頃は本の虫だったので、時間があればジャンルを問わず何でも読んでいた時期でした。
で、うちの学校の図書室には司書的な人がおりました。
肩書きを曖昧に書くのは、ちゃんとした正規の資格を取得した方なのか、司書的な役割で勤めていた方なのか、今となっては分からないからです。
教師ではなく、図書室と図書委員のみを管理していたので便宜上、司書と呼んでおきます。
(よし、これでタイトル詐欺ではない)
その40~50代の女性司書は本の管理という面ではしっかりしていたと思うのですが、私語についてはあまりにも厳格なところがありまして。
本を読むところですから私語を慎むのは言うまでもないマナーでありルールなのですが、その取り締まりがとにかく、やかましいことこの上ない。
これは私が注意されたから逆恨みで書いているわけではなく、1度も注意されず静かに読書している側からしても不愉快でしかなかったからです。
高校生なので、本を選びながらちょっとした談笑になることくらいはあるでしょう。
そんな気にもならない程度の声を聞き付けただけで、そこまで飛んでいって注意するのです。
しかも「静かに」と一言だけ言えば済むことを、わざわざ壁に貼られた
「私語は止めましょう」
という紙を指差して「これが読めないの?」と聞く、遠回しな方法で。
それだけでもネチネチしてんなあと思ったものですが、少しでも反論や口答えされようものなら、その場で激怒。
火がついたようにぶちギレですよ。
でも相手を選んでいるのでしょう、女子限定で。
「なんなの、文句があるの!」
「口答えするなああああ!」
「ルールなんだからしゃべるなああああ!」
「気に入らないなら図書室を利用するなああ!」
人間ってしゃべるときは、感情を状況やら立場やらのフィルターにかけてから、口から出すものだと思うのです。
幼子ならともかく、ある程度の年齢を重ねていればなおさら。
なのに、ヒステリックに大声をあげるんです。
いい歳した、その場を管理する役にある人が。
図書室の奥まで響いてわたる、大ボリュームで。
内なる怒りの感情をそのまま表に出してきた声。
よく報道番組で録音されたクレーム音声や虐待親の怒声が流れますが、今思い起こしてもああいうトーンでした。
聞くだけで胸の中がささくれ立つ。
耳障りを通り越し、聞いた者の心を不快のさらにその先にまで到達させる、そんなタイプの声。
「私語は止めましょう」
怒りを本位にしたとき、彼女はこの貼り紙の本当の意味をたびたび忘れてしまうようなのでした。
なぜ私語はいけないのか?
うるさくしたら読書に集中できないからです。
そんな当たり前の前提を掲げながら、1番うるさくしているのが自分だと分かっていない。
さらに反論されて口喧嘩がエスカレートしたときは、服をつかんで部屋の外まで強引に連れ出して、
「お前はもう出入り禁止だ、2度と来るな!」
なんてやっていたこともありましたね。
この部屋において司書に何らかの権限・特権があろうと、さすがに度を越している。
さすがに私も気分が悪くなり、
「そんなに騒がなくても」
とやんわり言ったことがありましたが、
「私語は禁止されてる、私の果断な対処は正しい、まさか文句でもあるのか」
そんな答えが返ってきたような覚えがあります。
私は今怒ってるんだぞと目でアピールしながら。
その頃の私は理解しきれませんでしたが、社会に出て色々と経験し、それとなく悟りました。
ああ、あの人はきっと、図書室を自分の城だと思っていたのだ。
私語禁止への注意は、利用者の迷惑を考えたものではなく、自分の課したルールを守らないものへの城主としての攻撃・処罰。
そしてそれによって、図書室の要であるはずの「利用者の読書」が阻害されようと構わないのだと。
そうでなければ、あの対応には説明がつかない。
あれが生来の性格や人格から来ているというのなら、それはもう、私の中には語るための言葉がない。
図書室を3年間利用しましたが、読書経験と同時に、
「ヒステリックな管理者は場の空気を悪くする」
という、大人になっても通じる一種の通念を生で学べました。
終わり