54話 殺意
よろしくお願いします
ベイカーの叫びが町中にこだます。まるでオモチャを取られた子供の様だ。
そんな彼の目からは、その娘は絶対にやらんぞとの強い意思が伝わって来る。まあそれでもこの娘は貰って行くんだけどね。
自慢の用心棒が全員倒れ、立って居るのが自分1人の状況で強気に出るベイカー。
「…… この町はワシのホームだ、ワシが言えばそれが真実に変わる」
この町の絶対権力者でも有るベイカーが自信満々に話し出す。
「いいかよく聞け小僧、今からワシはこの町の兵士を呼ぶ。そうなれば貴様は牢獄行きだ。町の入り口で見ただろう? 犯罪者の未来は試し斬りの人形か実験材料と相場が決まっている」
町の入り口付近に立たされていたのは犯罪者だったらしい。まあ犯罪者と言っても、でっち上げで犯罪者にされた者がほとんどだろう。
この町に法は無い。金を持つ権力者が全てを牛耳る、それが奴隷の集まる町の実体なのだ。
「そうなったならワシは、喜び勇んでお前を買ってやろう。そして死ぬまでジックリと痛ぶってやるわい。いや、死にそうになっても殺さず、生き地獄を味合わせてやるぞ!!」
そして下卑た笑顔を見せるベイカー。奴隷となった僕に拷問を加える。彼の中では既に決まった未来なのだ。
何でだろう、この世界に来てから出会った権力者は皆クズばかりだ。それも反吐が出るほどの……
自分を中心に世界が回っていると錯覚している救い様のないクズ。今の僕なら権力を振り翳すだけの、こんなクズを殺す事も朝飯前だ。
だから彼に現実を見せてあげよう。今までの道理が通じない相手を怒らせたらどうなるかと云う現実を。
「…… 成る程あんたは強引に僕に戦いを無理強いして、その際に交わした僕との約束を破り、僕に有りもしない罪をなすり付けて殺すと言うんだね?」
殺気なんて放った事は無いが、今の僕からは色濃い殺意の意思が出ていると思う。それでも僕は最後の確認をする。
僕が一線を踏み越える前の最後の確認だったが、ベイカーから帰って来たのは相手を屈辱する嗤いだった。
「勘違いするな小僧、ワシはこの町ではありきたりな未来の話をしているだけだ。ありきたりの未来の話しをな。グヒヒヒヒッ!」
この様なクズにもはや遠慮は無用だろう。ならば僕も、この弱肉強食の世界ではありきたりな死を彼に与えよう。
(…… 最初の殺人がこんなクズ野郎で良かった)
そんな僕の変化を感じとったのか、アレスがブラックエルフの娘の手を取ると、少し離れた場所に避難させる。
ブラックエルフの娘に名前を聞きたかったが、今はその時ではない。僕は彼女をアレスに預けると、ベイカーに向き直る。
今から僕がやろうとしている事の巻き添えになったら目も当てられないからね。
僕は自身の手に火炎の煌玉を持つと、魔法3回分のフルブーストで発動させた。すると上空10メートル程の所に直径10メートルの火球が現れた。
火球の温度は1000度程か、輻射熱だけでも体感温度は90度前後。昔お祖父ちゃんと行ったサウナに近い温度だ。
こんな場所で火球を放てば、ベイカーはもちろんこの町にも甚大な被害が出るだろう。だがそんな事は構わない、このおっさんを殺す。それだけの事だ。
「なっ! な、な、な、何だぁぁ?!!」
輻射熱で上空の火球に気付いたベイカーが驚愕の声を上げる。
「あの火球が見えるだろ? 今からあの火球をあんたに放つ。生殺与奪の権限が有るのは僕だと云う事を、あんたに教えてあげるよ」
この世界に来て人生初の殺人を経験すると云うのに、僕に躊躇は無かった。この者は僕を殺すとはっきりと言ったのだ、ならばもう遠慮はしない。
先のブロンとの戦いの余韻が残っているのか強い殺意が僕の脳裏を染めていく。もう後先の事なんて考えられない。
「ヒッ、ヒイィィ〜!!」
これから自分が死ぬと悟って断末魔の叫びを上げるベイカーだったが、思わぬ人物の行動で僕は、火球を放とうとしていた手を止めた。
「ま、待つにゃ! セイジ殿は落ち着くのニャン!!」
何と僕を止めたのはニャトランだったのだ。あのニャトランが僕の前に飛び出て、身振り手振りを交えながら僕を止めるのだ。
「そんにゃ事したら他の奴隷さん達も死んでしまうにゃん。セイジ殿は落ち着くにゃん!」
「…… あ、あのニャトランが真面目な事を言っている…… 」
あのニャトランがまともな事を言って居るとあって、僕の手は完全に止まってしまった。だがその間も火球はまだ上空にあり、アジレスコの町をサウナに変えたままだ。
確かにあのまま火球を町中で落としていたら大惨事になって居ただろう。ニャトランに止められて正気に戻れた。
どうやら僕もベイカーにムカつき過ぎていたようだ。先の戦いの余韻か、いや、封印が解けた事で力が増した魔導書に引かれてどうにかしていたのかも知れない。
それが思わぬ者の制止によって冷静になる事が出来た。
(…… ニャトランの言う様に冷静にならなきゃな)
ニャトランのおかげで僕は冷静に戻れた。だがーー
「……た、太陽があんな処に……」
「あ、暑い! なんて暑さだ…… 」
「……い、一体何が起きているというんだ!?」
(やばい、火球を消すのを忘れてた……)
僕が上空に停滞していた火球を消すと、涼しい風が流れ込んで来て辺りを冷やす。この風で僕のヒートアップしていた頭も冷えていく。
「あ、暑さが引いていく……」
「おお涼しい…… 」
「な、何が起きていたのかは分からないが、助かったのか……」
上空にあった火球を消しても町の人々の喧騒は治らない。一先ずは知らんぷりをしておこう。
僕が殺そうとしていたベイカーの方を見ると、お漏らしをした様でその場にへたり込み地面を濡らしている。
彼の周りには離れ見ていた町の人々が集まり、ザワザワと騒ぎだした。
「お、おい、あれは奴隷商のベイカーだぞ」
「お漏らししてるぜ……」
「酷い有様だな、いい気味だぜ」
「様を見やがれ!」
余程に嫌われていたのだろう、町人から出るのは彼を嘲る声ばかり。
町の住民達の声が聞こえたのかベイカーは、「へ、へひゃあぁ〜!!」とばかりに変な叫びを残して、走り去って行ってしまった。
「あら、逃げちゃったよ…… (どうせ執念深そうな奴の事だ、また何らかのちょっかいを出して来るはず。めんどくさいがその時に対応しよう……)
執念深そうなベイカーの事だ、この後も何らかのちょっかいを仕掛けてくるだろう。だがその時々に対処すれば問題は無い。
そんな事より今はこの事態を治めてくれたニャトランに礼を言うのが先だ。。
「ニャトラン、止めてくれてありがとう。君が止めてくれなければ大変な事になっていたよ……」
僕はニャトランに向き直ると礼を言って行う。彼が止めてくれなかったら、この町は大惨事になっていた事は間違いない。
「良かったニャ。セイジ殿が元に戻ってくれて、嬉しいニャン」
最近は魔導書の力を使い過ぎているせいか、ひどく好戦的で力に酔っている節がある。
アレスも言っていたが魔導書を使う事で、僕の属性が闇寄りに、邪悪で好戦的に傾いて来ているのかも知れない。
この世界に来て封印が解けた魔導書の弊害は、僕の予想以上に大きい様だ。
それでもお祖父ちゃん曰く、『魔導書を制御出来て初めて所有者なのだ。魔導書に使われている間は真の所有者とは呼べない』
僕も魔導書に使われるのでは無く自分の意思で制御出来る様にならなくてはいけないだろう。
「…… ニャトランありがとうな」
きっと僕の暴走を止めたいという、彼の強い思いに彼自身のスキルが反応したようだ。僕はもう一度ニャトランに礼を言う。
「? どういたしましてにゃん」
何故かもう一度お礼を言われた事を理解出来ていない様だが、それでもお礼を言われて嬉しそうなニャトラン。
ニャトランはそれでいいのだ。それともう一つ確かめたい事がある。
「なあニャトラン、ひょっとして「この町の奴隷を助けたい」て思ったりした?」
「はいですにゃ。無理やり働かされて奴隷さんは可哀想ですにゃん、できる事なら助けてあげたいですにゃん」
「……やっぱりそうだったか…… 」
「ん? 何ですかにゃん?」
「い、いや、もういいんだ」
どうやらこの町の奴隷解放というニャトランの願いが発動してしまった様だ。怠け者でぐうたらなニャトランだが、根は優しいニャンコだ。
今回の一連の騒動には少なからず彼のスキルが関係している様だ。
(うう〜む、さてどうしたものか…… )
ニャトランの願いはこの町の奴隷の解放。ニャトランがそう願ってしまったからにはそれは現実に成る。
その為に僕に出来る事があれだろうか……
とにかく今は騒ぎに乗じてこの場を足早に去る事が得策だろう。
ありがとうございます。




