10話 幸運の訪れ、不幸の訪れ
今から200年前のある異世界の娼館。
そこで住み暮らし働く1人の娼婦のお話し。
その女は8歳に成った時に口減しのため、両親に奴隷として売られてこの娼館にやって来た。
女の日常は単純だ。
先ず男に抱かれ、意味もなく娼館の主人や同僚の娼婦仲間に殴られ、豚が食べる様な食事で腹を満たす。そんなクソみたいな日常だ。
女の唯一の楽しみは、なけなしに貯めた小遣いで買う甘い水飴を舐めるその時だけ。
毎日に希望も見出せず絶望に暮れていた女。いつ死んでもいいと心は枯れ果てていた。
そんな中、女は52回目の誕生日を迎えた。
この世界では初老の範囲に入る歳だ。女を祝う者もおらず、今では客すらも途絶え、同僚の娼婦にいびられながら雑用をこなすだけの女にとって、誕生日は絶望でしかない。
近々に娼館の主人に捨てられる運命。
町の中なら僅かながら物乞いで生きて行く事も出来る。だがこの娼館の主人は残酷で有名な男だ。
自身の娼館がある町にゴミを残す様な事はしない。とうが立った娼婦の行く末は、森のゴブリンの餌と相場が決まっている。
彼女達の行く末は、無惨にも生きたままに引き裂かれて腹ワタを貪り食われる。そんな無惨な運命しかないのだ……
そんな運命が歳を重ねる毎に近づいて来る恐怖、それでも女にはただ生きる事しか出来ない、それが現状なのだ。
そんな絶望に暮れる女だったが、今年の誕生日だけは違った。珍しく客として女の元を80過ぎの老人が訪れていた。
年寄りとはいえ贔屓の客が付けば最悪な運命を長引かせることが出来る。
女は何とか老人の気を引こうと萎れた体をくねらせて老人を誘う。だが老人はそれ等の行為が目的でここに来たのでは無いと言う。
そして何気に、誕生日プレゼントが有ると彼女の前にある物を置いたのだ。
老人が置いた物は赤黒い表紙に人間の顔の様なモノが薄らと浮かぶ不気味な本だった。
『…… その魔導書は其方にしか扱えぬ。その魔導書を使い生を謳歌せよ、魔導書に選ばれし姫御子よ……』
老人はそうとだけ言い残すとミイラの様に干からびていき、その場に崩れ去りチリとなって消えてしまったのだ。
「ヒッ!…… 」
50年以上生きているがこんな奇妙な出来事は初めてだ。
8歳で娼館に売られてから起きた全ての出来事をひっくり返しても、いま目の前で起きた出来事には到底及ばない。
女はしばし呆然としていたが、勇気を出すとチリとなり消えた男が残していった魔導書に、自身の震える手を伸ばした。
老人は言っていた、自分はこの本に選ばれた姫巫女だと。何の事か意味は分からないが、何故か大丈夫な気がしたのだ。
女が本に触れた途端に身体中に力が湧き上がり生気が漲って行くのが分かる。
この魔導書は女にしか持つ事が出来ないジャジャ馬だ。男は生気を吸われて彼の様に干からびて死んでしまう。
本来の彼も本当は若い青年だったのかもしれない。
男が何処の誰で、どこから来て何の目的で女に魔導書を託したのか、詳し経緯は分からない。
だが女には、魔導書を開かずともその力の使い方が分かた。
その魔導書の持つ圧倒的な力の使い方が。そして悩む事なく女はその力を使った。
「…… わ、私は捧げる! この身に触れた全ての人間の魂を!!」
女が受け継いだ『傾城傾国』は、別名ソウルイーターと呼ばれる魔導書だ。
この魔導書は所持者がこれまでに触れた人間の魂を糧にその力を発揮する。魂の量に見合った願いを所有者に叶える。
女がこの世に生まれ出てより、彼女に触れた者の数は五千と少し。そして彼女が五千人を生贄にして求めたモノは奴隷からの解放と若返りだ。
生贄を糧に彼女の体が怪しく輝きだす。彼女の首に有った奴隷紋は消え、その体も見る見るの間に若返って行く。
そして動く者が居なくなりシーンと静まり返った娼館には、かつて野薔薇姫と呼ばれた美しい女性が1人佇んでいた。
五千人の生贄で奴隷からの解放と、およそ30年分の若返り。それが見合った結果かどうかは彼女にしか分からない。
「…… アハ、アハハハハハハハハ!! 凄い! 凄いわ!! この力が有れば私は何だって出来る! 何にだってなれる!!」
そして服装を整えて誰も居なくなった娼館を出ると彼女は、人で賑わう町の中心を目指して歩き出した。
彼女に5千人を生贄として魔導書に捧げた事への罪悪感は無い。魔導書に選ばれた彼女が幸福か不幸か、それは彼女本人のみが知り得る事。
後に彼女は3つの町と一つの国を滅ぼすと、それを対価に幾多の願いを叶えていった。そして力を付けた彼女は、自身の名をカンニバル.ローズと改め覇道の道を歩み出したのだ。
ーーーーー
僕が散歩から戻りシャワーを浴びるため地下室に行くと、いつものようにニャトランがソファの上で腹を上にグテっと寝入っていた。
その腹の上にはいつものようにタマがグテっと眠っている。
「…… 」
仲がいいなら良いのだが、何ともだらけた様子にため息が出る。
一先ず汗を流すためシャワールームに向かう。すると今度は、猫の抜け毛が至る所に落ちており不快感が半端ない。
「…… 」
猫という生き物は自由や変化気まぐれを象徴する動物だけど、この二足歩行の猫が象徴するのはきっと堕落だと思う。
昨晩の内にこの地下室の掃除を頼んでおいたのだが、期待は出来なそうだ。
一先ずニャトランの事は頭の隅に移し、シャワールームを掃除しつつ汗を流すと、制服に着替えて学校へ行く用意をする。
「さて今日はどの魔道具を付けて行こうか…… 」
最近、毎朝の日課になっている今日の魔道具選び。
アイテムボックスの中から目ぼしい物を見て行く。このアイテムボックスの能力は、実は魔導書の力では無い。
お祖父ちゃんが有れば便利だろうと、術式を組めば使える様に成るようにプログラミングしてくれたのだ。
(お祖父ちゃんありがとう、今日も一日頑張って来るからね)
地下室の壁にお仏壇代わりに貼ってあるお祖父ちゃんの写真に礼をする。そして改めて魔導具選びに移る。
今朝の一件で、精神耐性の魔道具の必需性が分かった。そのためお祖父ちゃんが作り置いてくれた''スピリット.ウェイ''という、常時精神を安定させる魔導具を常時身に付ける事にした。
「インビジブル(認識阻害)に"ジャッジ(悪意探知)''、"カウンター.マリス(悪意返し)''は必須。変わったところで"ホークアイ(鷹の目)"何てのも面白そうだね」
"ホークアイ''とはピアス型の魔道具で、効果は視覚の倍率遠視だ。100メートル単位で倍率が上がり、最大倍率では1キロメートル先の人間の毛穴まで見える様になる優れ物だ。
まあ学校には必要無いので待っては行かないけどね。本当にこんな便利な魔道具ばかりで、お祖父ちゃんには感謝仕切りだよ。
そんなこんなで自転車に跨り最寄の駅に向けて出発だ。僕の家から学校までは、自転車で15分、電車で30分、徒歩で15分とちょうど1時間程。
駅から我が家周辺には2時間置きだがバスも有る。最終バスは午後9だが、そんなに遅く成らなければ街灯も有るため歩いて行く事も出来る。
学校へ着くと昨日程では無いが未だに喧騒が残っていた。魔道具を付けているため僕に直接絡んで来る者は居ない。
チラッと相澤聖理奈の机の方を見て見るが、まだ来て居ないのか彼女の姿は見られなかった。
ホッと胸を撫で下ろすと自分の席に座る。画鋲などの嫌がらせを予想していたがそれも無い様だ。ちらほらと指や至る所に絆創膏をしている者が目に入るが気にはしない。
そして朝の喧騒も過ぎ授業が始まったのだが、この日なぜか相澤聖理奈が学校に姿を現す事は無かった。
実は彼女、昨日の放課後に僕を攫い痛め付けるために、仲間を募り色々画策していた様なのだ。
その結果、見事に僕の持つ魔道具"カウンターマリス''に悪意を返された様だ。殺意に限りなく近い悪意、カウンター.マリスの悪夢が発動する境界線を彼女は超えてしまったのだ。
彼女は半グレの先輩が運転するハイエース諸共、廃墟と化していた糞尿処理の施設に突っ込んで盛大に爆死していた。
彼女は事故にあった際に腕に酷い怪我を負った。そしてその上に、熟成された糞尿を浴び破傷風を発症してしまったのだ。
現状彼女は、最悪は腕の切断という本当に最悪な状況に陥っていた。ひょっとしたら顔にも傷が残る可能性もあるとの事だが、僕の知るところではない。
朝の担任の説明では、事故に遭い当分の間は学校を休むとだけ聞いている。まさか僕の持つ魔道具のカウンターによる災難だとは思いもしないからね。
『人を呪わば穴二つ』、誰にでも知らず知らずの内に不運は訪れる。
そうゆう事だ。
ーーーーー
私は可愛い。自分でもそう自覚していた。
なのに何なのよこの傷は……
私の顔の右半分が爛れてお化けみたいになっている。それに私の右腕も、もう学校には行けない…………
あの日あの時アイツを攫おうと、先輩の車で見張を付けておいた所まで向かった私達。
アイツは忍者みたいな奴で、目を離すと途端に居なくなる。だから先輩のパシリを見張りに付けておいた。
人を攫うのは何度もやっている。
私に振られて逆恨みした男や、私に男を取られた哀れな女とかいろいろ。
攫った後は2度と私に逆らえない様に徹底的にグチャグチャにしてもらった。そうすると最高に気持ちいいから。
だから今回のアイツも、今までの奴等と同じ運命を辿るはずだったのに……
何故か分からないけど、アイツにちょっかいを出そうとすると、酷いしっぺ返しが返ってくる。
悪夢を見たり、ジュースを溢したり、爪を割ったり、階段から滑り落ちたり……
私だけじゃない、アイツに何かをしようとすると誰でも関係なく、皆んな例外なく酷い目に合う。
正直、不気味な怖さを感じたけど、私の理不尽な怒りの方が優っていた。
今回もそうだった。アイツを攫って酷い目に合わす、そう決めただけで私は今こんな状態だ。
きっと今回がある意味の境界線だったんだと思う。
そうあの時、思い止まっていれば……
先輩が運転する車が事故った時、最初何が起きたのか分からなかった。
だけど私の右腕と顔に恐ろしい痛みが走ると共に、事故に遭ったのだと分かった。
その痛みの先を見ると、事故った際に鉄パイプが車ごと貫通して私の右腕に刺さっていたのだ。
と共に、割れたフロントガラスに叩き付けられた私の顔の右側が、グチャグチャに成っているのがサイドミラーから見えた。
あまりの痛さと現状に発狂するんじゃないかと思ったけど、そんな暇は無かった。
今度は破れたパイプから逆流してきた糞尿が、まるで意識を持った生き物の様に私達に覆い被さって来たからだ。
いつの間にか気絶していた私が次に目覚めたのは病院の中だった。
病院の先生に糞尿で窒息寸前だったと聞いた時には、胃の中の物を残らず吐き出した。
胃洗浄や傷の手当てで随分手こずったらしく、私の右腕は手遅れで処置の仕様がなかったと聞いた。
未だに糞尿の凄まじい匂いが身体中に染み付いているようで、吐き気が治らない。
顔の右側半分も治るかどうかはギリギリの線だしい。
私達が発見されたのは事故が起きてから一晩経った翌日の朝だと聞いた。助けられるのがもう少し早ければ腕も切断せずに済んだとか……
あの施設も違法運営だったためか、廃工場にも関わらず糞尿が片付けられずに残されていた。
普通は破傷風もこんなに急激に悪化はしないと聞いた。だけど私には、何故私達が今の状態に陥ったのかが分かる。
今の私のこの現状は、アイツを恨んで陥れようとしたから、そうだとしか考えられない……
アイツを陥れようとした私が悪いの? 怖い、何故か分からないけど凄く怖いの……
触れてはいけない何かに触れてしまった、そんな嫌な気分。
身体に染み付いた糞尿の匂いも気にならない程に不安が押し迫ってくる。
どうしよう…… どうしたらいいの?
アイツに素直に謝れば許してくれるかな?
いつになるか分からないけど、この顔の傷が良くなったらアイツ謝りに行こう。
素直に謝れば許してくれるよね?
とても怖いけど勇気を出して会いに行こう。
そして……




