異世界行っても町中華!
ファミリー、ビジネスパーソン、学生……
多くの人に愛される「町中華」に生涯を捧げた男、藤園明。
「安く旨く熱く」をモットーにすべての客を満足させてきた明だったが、命を削り、魂を込めて料理をしてきた結果、35年という若さで天寿を全うしてしまう。
そんな彼を待っていたのは、運命の女神だった。
「アキラよ。そなたはその手でつくった料理によって、たくさんの人を幸福にしてきました。そのはたらきに免じて、次の輪廻の行き先を選ばせてあげましょう。望みはなんですか」
「私はまだまだ、料理をしたりない。もっともっと、色々な人に、美味い中華を食べてもらいたい。生まれ変わっても、町中華をやりたい。ただそれだけです」
「分かりました。ちなみに、今の知識や技術を全て引き継ぐこともできますよ。ただ、あなたについての他の要素はすべて変わってしまうのですが……どうしますか」
「それはありがたい。ぜひ、その形でお願いしたい。私はただ、町中華をつくり、お客さんを笑顔にすることができればよいのです」
「いいでしょう。それでは、新たな世界で存分に鍋を振るいなさい。いつか私も食べに行ったら、そのときはよろしくお願いしますね」
こうして藤園明は、新たな世界で新たな人生をスタートさせた。
女神が語っていた「他の要素はすべて変わってしまう」の意味は、生まれてすぐに分かった。
新しい人生の舞台はいわゆる「異世界」というやつで、魔法や妖精、怪物が当たり前のようにいた。
王様が治める人間の国と、魔王が治める魔物の国は長年一触即発の関係だそうだ。
ただ、民間レベルでは交流があり、あらゆる文化で影響しあっているらしい――そのあたりの流れは、世界が変わっても大差ないのだなと感じた。
また、自分は女の子になっていた。
海沿いの地方都市ハクルダルテで食堂を営むトーエン家の長女、メイとして生を受けたのである。
元の世界の感覚で言えば充分美少女と言える見た目で、それはこちらでも同様のようだった。
そんな風に、世界が変わり、性別も変わり、他にも癖っ毛が直毛になったりと色々あったが、なんら不満はなかった。
町中華を始めやすい環境だったからだ。
科学技術は発展しておらず、電気やガスはなかったが、それらの代替法として魔法があった。
食材は、前世に戻ったかと思うほど似通っていて、名称こそ違うものもあったが、ほとんど不都合はなかった。
ただ、調味料の類は発展していなかったので、明――メイは前世と同じように、豆板醤、豆鼓醤、XO醤、五香粉、その他諸々を自家製でこしらえた。
そんなメイの、神がかった知識と技術に両親は舌を巻き、娘が15で義務教育を終えるとすぐに店を継がせたのだった。
こうしてリニューアルオープンした「レストラントーエン」あらため「桃源郷」は、天才料理少女が絶品を提供する店として瞬く間に人気を博し、大陸中の人間、妖精、ついには魔物達にまで広く知れ渡っていった。
そんなある日のこと――
「ごめんください」
「へい、らっしゃい!」
先の客のための回鍋肉を炒めながら、メイは入ってきた客を見た。
ナイフのような切れ長の耳――エルフ族だ。
元々は森に棲む妖精の一種で、最近は人と交わっている者も多いという。
客は色の白い男性で、パリッとしたコートを着ていた。
四季は日本と同じだから、この初夏に似つかわしくない服だというのは明らかだが、エルフというのはそういうものなのだろう。
「あいている所へどうぞ」
母が案内すると、客はまっすぐにカウンターに向かった。
真っ赤なカウンターテーブルに肘をつき、じっと厨房を見る。
もしかして同業者かな、とメイは笑った。
店を始めて半年になるが、これまでに何人もの調理人が興味を持って同じ席に座っていた。
「ご注文が決まりましたら、声をかけてくださいね」
母は水の入ったグラスを置き、他の客の相手に戻った。
メイは出来上がった回鍋肉を大皿に移し、父に渡した。
料理のほとんどはメイがこなすが、ご飯の盛り付けやスープの支度などは、父に頼んでいた。
「はいよ、ハイコーローお待ち!」
元はこういう言い方ではなかったのだが、メイの前世来の口調が伝染し、今ではトーエン家の全員が日本の町中華の雰囲気を身に纏っている。
賑わう店の中で、メイは熱気に気持ちを高めながら次々と料理を仕上げていく。
「すみません」
色白の客が、母を呼んだ。
「食べやすくて腹にたまるものをお願いできないでしょうか」
「はぁ……」
母が首を捻りながら、困り顔でメイを見る。
「船旅前ですか」
メイが笑顔で問うと、客は苦笑を浮かべながら頷いた。
「ええ、その通りです。実は、このハクルダルテに来るときの船でおおいに酔ってしまって……お腹を満たしておけば酔いにくいと聞いたのですが、それほど食欲があるわけでもなく……」
「ふぅむ……メイ、何がいいかしら? エルフの方だから、あまりゴロッとしたお肉なんかは避けた方がいいでしょうし」
二人の視線がメイに集まる。
粗食で有名なエルフ族に、どんな料理を提供するのだろう。
これまでになかった形の注文に興味を持った店内の客がみな、メイを見ていた。
「食べやすくて、しかも腹にたまるもの、ね。かしこまりました」
メイは冷蔵庫から、長ネギ、生姜、にんにく、豆腐、挽肉を取り出した。
それぞれを適切な形に、リズミカルに切っていく。
「お父さん、麺の準備しといて」
「麺って……ラーメンかい? 確かにスッと食べられるだろうけど、腹持ちがいいとは言えないんじゃないかい」
「いいから、いいから」
メイは特注の中華包丁を振りながら、今ではもう見慣れた細い腕を見る。
すっかり女の子になったもんだ。
顔と体が変われば、内面も随分変わるらしい。
かつての自分は、これほど愛想よく振舞ってはいなかった気がする。
メイは中華鍋に油をひき、生姜、にんにく、長ネギを入れ、弱火にかけた。
「さっきまではとても強い火だったのに、どうして弱い火なのですか?」
客は興味深そうに厨房の様子を眺めている。
「油に香りを移すためなんです」
「……おぉ、確かに何やら香ばしい香りが。これは、食欲をそそられますね」
「次はもっと刺激されますよ」
次にメイは、火を強めてひき肉を投入した。
じゅうじゅうと音を立てながら、ひき肉がじんわりと色を変えていく。
そこに豆豉醤と豆板醤を加えて炒め、馴染んだところでしょうゆを加え、さらにしっかり炒める。
店中に、複雑な旨味を含んだ香りが満ちていく。
「あれ、俺も注文しようかな」
「美味そうだよな」
「たぶんマーボードーフってやつだろ? 前に食ったことあるぜ、俺は」
客の呟きに、メイはにやにやと笑みを浮かべる。
肉のまわりに透明の油が浮いてきたのを見て、鍋肌から紹興酒、鶏ガラスープを加え、湯をきった豆腐を加える。
ジャッ、と湯気と香りが立ちのぼる。
「仕上げに砂糖、ごま油、ラー油を入れて、と……」
メイは父の方をちらと見て、湯の用意が出来ているのを確認した。
「お父さん、いいよ」
父は頷き、中華麺を投入した。
一分程待ってから、メイは水溶き片栗粉を入れた。
ここが肝心、とメイは火を弱めた。
中華の神髄は火力にある、と言われるが、それは強火が正しいという意味ではない。
香りを立たせるため、あるいは閉じ込めるために弱火も使い分けるという意味だ。
「メイ、あがったぞ」
「こっちも出来た!」
メイは手早く湯切りした麺を丼にあけ、特製の鳥ガラスープを注ぎ、その上に麻婆豆腐を盛り付けた。
「はい、お待ち! 麻婆拉麺です」
ゴトッ、とカウンターの高い位置に料理を置く。
前の店ではレギュラーメニューにしていたが、こちらではまだだった一品だ。
これを目当てに毎週末通ってくれていた加藤さんの顔が思い浮かんだ。
「では……」
客は恐る恐る丼を受け取り、箸で――そういえば、箸という文化があったことも驚きだったが――麺を持ち上げた。
持ち上げられた麺に麻婆のあんが絡んでいる光景を見て、メイは満足そうに頷いた。
ハフハフ言いながら、色白の客が口に含んでいく。
「ふむ……ふむふむ……!」
食欲がなかったはずの客は、二口、三口と食べ進めていく。
「見た目はパスタと同じような感じだが、まるで違う……スルスルと食べやすい。しかし、この上の……豆腐? というものが、腹の奥まで温めてくれて……」
周囲の客は、自分の皿を置いて、彼が食べ進める丼にくぎ付けになっていた。
「おいおい、あんなのありかよ」
「マーボードーフにラーメンなんて、旨い者同士なんだから旨くなるに決まってるよな」
「やべぇ、食ったばかりなのに腹減ってきたぞ」
こりゃメニュー表に入れておいた方がよさそうだ、とメイは苦笑した。
客はたちまち丼を平らげて、やがてスープまで飲み干してしまった。
満足そうなその顔は、どこか血色がよくなっているようにさえ見えた。
「ありがとうございました。ハクルダルテでの仕事が終わって、ヨクルフンムに帰る最後の日に、こんなにうまいものに出会うとは思っていませんでした」
ああ、なんとなく、この顔つきも加藤さんに似ているような気がしてきた。
彼を見ていた客の一人が、あっと声をあげる。
「……あれ? アンタもしかして、最近話題になってた音楽家のエルフじゃないか。ヨクルフンム生まれで、国のあちこちで活動してるっていう」
エルフは照れくさそうに頬を掻いた。
「ええ、恥ずかしながら、風の精霊の力を使った音楽を広めさせていただいています。この度は、このハクルダルテの領主様に、今後の活動を許可していただく相談に伺っていたのです」
「その顔を見ると、交渉はうまくいったって感じですね」
メイがにっこり笑うと、客は頬を赤らめて頷いた。
「新しいものを取り入れることが信条だと、快く受け入れてくださいました。とんとん拍子に、今後の段取りと手筈も整えられて。再来月には、またこの街に来ますので、そのときは……」
「ええ、ぜひ、またのご来店を」
客は微笑み、代金を置いて優雅に去っていった。
音楽家だと聞いた後だからか、気品があるように見えた。
「メイちゃん、さっきのやつ、メニューにいれてくれよ!」
「常連の俺らに食わせないで、一見に振舞うってのは納得いかねーぞ!」
笑いながら苦情を申し立ててくる客達に、メイは笑いながら謝った。
前世では、中国に行ったことはなかった。
有名な中華街で大枚をはたいたこともない。
自分にとって中華料理と言えば千円以内のナントカ定食やラーメンだ。
でも、自分はそんな町中華が大好きだったし、それを受け入れて笑顔になってくれる人達がたくさんいた。
いや、今、この世界にも、そういう人が目の前にたくさんいる。
「よーし、追加の注文があったら受け付けるよー!」
メイが声をあげると、店の熱気はまた一段と高まったのだった。
あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
麻婆ラーメン、大好きです。