スパダリだけど、痴漢
「遅くなっちゃったな」
あたしは夕暮れの帰り道を歩いていた。
人通りの少ない、寂れた商店街から住宅地へと抜ける通りだ。
「失礼!」
そんな男の人の声がしたかと思うと、スーツを着た腕があたしの首を絡め取り、一瞬であたしはさらに人気のない路地裏にワープしていて、金網に押しつけられて身動きが出来なくなっていた。
「なっ……、なっ…! なんなのっ!?」
あたしの目の前には背の高い、立派なスーツを着こなした、二十歳代半ばぐらいの黒髪イケメンが立っていて、あたしの両肩を掴んで動きを封じている。
「どうも」
そのひとは育ちの良さそうな声で、名乗った。
「痴漢です」
痴漢には見えなかった。痴漢って、もっと気持ちの悪いものだと思ってた。もっと息を荒くしてて、げっへっへとか嫌らしい笑いを浮かべてて……目の前のひとはそんなイメージとは正反対にクールで清潔感に溢れていた。
ぷにっ
唇を触られた。
唇を指で、ぷるぷるぷるってされた。
「ぷぁっ! らりするんれすか!」
『ウーム』みたいな研究者みたいな顔つきで、そのひとはあたしの唇を好きなように弄ぶと、やがてすぐに、言った。
「ごめん、飽きちゃった」
「えっ?」
「へんなことして、ごめんね」
スッと後ろへ下がり、あたしを解放すると、ニッコリ爽やかに笑い、去って行こうとする。
「ごめんで済むと思っちょーかやー!」
ズーズー弁丸出しでそう叫ぶと、あたしは彼の背中にキックを入れた。
「ぶぉっ!?」
彼が吹っ飛び、白いコンクリートの地面に倒れる。
すると角に隠れて見ていたらしいもう一人の男の人がダッシュで出て来た。
「なにをするんだっ! ハルさん、大丈夫!?」
出て来たのはどう見ても高校生ぐらいの可愛い男の子だった。痴漢男の名前は『ハル』というらしい。
「なんだ。尾けてたのか? ナツキ」
可愛い男の子の名前は『ナツキ』のようだ。
「ハルさんっ! なんで痴漢なんかしたんだよ!?」
ナツキくんがあたしを庇ってくれた……
「女なんかに興味もっちゃったのかよ!? しかもこんな地味OLなんかに!?」
庇ってくれたわけではないようだ。
「なんでも出来る執事たるもの、痴漢も出来なければならんと思ってな」
「そんなの出来なくていいよっ! ぼ……ぼくだけを見てよっ! そんな女なんかより……」
「その女には触ってみただけだ。そして、つまらなかった。俺が見ているのはおまえ一人だけだ、ナツキ」
「ハルさんっ!♡」
「ナツキ♡」
なかなかいい感じだ。
イケメンと美少年の絡み合い。
それを堪能しながら、あたしはスマホで110番していた。
「あっ。もしもしー? ……事故か事件か? 事件です」