ゴウガの最期
これはナユタがソルトフレートに着いた日の出来事。
場所は世界の中心と呼ばれる場所。
ナユタの祖父のゴウガは、大瀑布の上空を飛び、人々から世界樹と呼ばれる、巨木で支えられた大地を目指していた。
あのルフや、ドラゴンも飛ぶ危険な地。
だが、小さな人間の得物など興味がないようだ。
空の支配者と呼ばれるモノ達も、気にする様子もなく飛び去って行く。
ゴウガは邪魔されることなく、その大地に降り立つことが出来た。
いや、もしかしたら襲わなかったのは、恐れたのかもしれない、このちっぽけな人間の存在を。
大地にわずかに生い茂る草木と花々の横には、世界樹の幹が天空まで届くように伸びている。
その太さだけで、数百メートル、いや、それ以上かもしれない。
1本の樹ではなく、根からはさらに大木が大瀑布の流れにも負けず伸びている。
それらも踏まえると、とてもではないが、大きさを測ることは出来そうにない。
ゴウガは幹に触れ、語りかけるように声を出した。
「ふむ。ここらにしようかの」
そう言って、幹の下に座り込む。
流れる滝の音も静かだ。
それはそうだ、ここはあの瀑布すら見下ろせるほどの高度の場所。
吐く息は白く、吸う息は薄い、常人ならばすぐに気絶してしまう。
鳥たちも飛ぶのを拒むほどの過酷な環境にもかかわらず、ゴウガは平然としていた。
ゴウガは目を瞑り、今までの事を思い出していた。
友と呼べる者達との出会い。
その中で育んだ絆や友情。
時には恋もあった。
苦難も苦楽も苦汁も飲んだ。
国を守るための戦争もやった。
世界を救おうと立ち上がったこともあった。
勢いで魔王に告白もした。
天界でも好きに生きた。
そんな自分にも子供は出来た。
無茶は止めた。
出来る事だけ、守れるものだけを守った。
孫も出来た。
他は何かあっただろうか?
ゴウガは1つ1つを噛みしめる様に思い出す。
知識の神との約束で、”ワールド・ライブラリ”(世界図書館)を返した今となっては、記憶を掘り返すしか術はない。
ゴウガはしわくちゃの顔で笑う。
自分の想像だ。
少しくらいは脚色しているかもしれない。
嫌な思い出も、良い思い出にすり替わっているかもしれない。
満足げな表情だ。
その時だった、ゴウガの目の前の空間が歪む。
キュウに似た球体が宙を飛び、ゴウガを見下ろしていた。
球体はゴウガに語り掛ける。
その声色は、機械の音声ではなく、若い女性の声だった。
「お疲れ様です。こちらにいらしたことを感謝します。決心は固まったということでよろしいでしょうか?」
「”タマ”か、固まるも何もどうせじゃ。最後は役に立って死んだ方がましじゃろう」
タマと呼ばれた球体は、自分の体でゴウガの頭を容赦なく叩く。
「いたたたっ」
頭を抑える仕草をするゴウガは、それでも笑っている。
「効いていないのは分かってますからね。
もうあなたを懲らしめるのは、神聖魔法でもないと無理です」
ゴウガは声を出して笑い始める。
「ハハハ、何を言う。流石に儂も、もう防ぎきれる自信はゼロじゃ!
なんなら魔法をかけてみてもいいぞ、そして文字通りの命も賭けよう」
「そこは威張る所ではありませんよ」
「カラ元気じゃ」
そう言って細くなった腕と足を見て嘆く。
「出汁に使う骨みたいじゃな、全くここまで衰えたくはなかったわい」
「やめて、あなたのスープは不味そう」
「ハハハ、言うてくれるな。ほれ、いつポックリ逝くか分からん、出しておくれ」
タマは何もない空間から、小さな大豆ほどの粒を取り出した。
「世界樹の種。それを食べて死んだら発芽するわ」
ゴウガはそれを受け取り、マジマジと見つめ、手を広げた。
「なんじゃ、世界樹というからには、こーーんな大きいッ、種を想像しておったが」
「最初はそんな物よ。それが、こーーーんな大きいッ、木になるんだから不思議よね」
「不思議って、タマにも分からぬことがあるのか」
「もちろんよ。世界は不思議だらけ、一番謎だったのは、あんたの存在だけどね」
「謎は解けそうか?」
「うん。バカだったという結論に至ったわ」
「まあたしかに、ここまで来ると常人には理解されまい。
ところで、これだけじゃあ飲みにくい、良い酒でもないか?」
タマは顔の表示を呆れ顔にし、体をフワフワさせた。
最後の頼みとあっては、断れない性格らしい、どこかの球体とまるで同じだ。
「はい。年代もののワインよ。えーっと、たしか孫の誕生日の」
「うむ。それが良い」
取り出したワインを手に取ると、コルクが自然に抜けた。
種を口に入れワインで流し込む。
「美味い。保存状態も良かったのだろう、ちょうど良い飲み頃じゃ」
「そりゃね。専用のワインセラーも用意させられた、私の身にもなって味わってよね」
「固い事は言うな。タマと一緒に飲めれば最高じゃったのにな」
「味の再現は出来ないこともないけどね、残念」
「何度かそっちに行ってやろうと思ったこともあったがの、力及ばずですまんの」
「こられても困るんだけど、やりかねなくてヒヤヒヤしたわ」
「ハハハ、もうあと百年はあればの」
「流石にそこは寿命として諦めなさい」
ゴウガは、やがてワインを飲み干すと横になった。
「眠くなって来たわい」
「そう」
タマはそれだけ言い、ゴウガの横に着地した。
ゴロゴロと転がっているとゴウガに捕獲される。
「やはり一人では寂しいの」
「はいはい、眠るまでは付き合ってあげるわよ」
「おー、ありがたい。最後にガールフレンドが出来た。儂もまだまだやれるもんじゃの」
「それだけ冗談言えるのなら、まだもちそうね」
そして沈黙が訪れる。
夜になり、朝を迎え、また夜を迎えを繰り返し、どれほど経っただろうか。
辺りは雪に覆われていた。
2人はすっかりと雪の中に埋もれてしまった。
それでも雪の中で、かぼそい声は聞こえる。
「どれくらい持つかの?」
タマはその問いに、寿命のことではなく答えた。
「あなたの経験なら、数千年は持つ世界樹へと成長できるでしょうね」
「そうかそうか、結構すごいな儂」
「はいはい、凄い、凄い」
「もっと褒めてくれてもいいんじゃぞ」
「はいはい、凄い、馬鹿」
……。
「おやすみなさい」
そして声は聞こえなくなり、季節は春になった。
雪が解け始める。
ある日。
ゴウガの眠った場所から小さな芽が顔を出した。




