トマスと鯨
僕は船上で島での出来事を皆に伝えた。
ルフに襲われたこと、女神に会えたこと。
本当は呪いだったけど、下着自体についていた加護と相殺し、今は魂魄レベルで結合し解除できない状態であること。
皆は黙って聞いてくれていた。
レナにアグニリングを返し、僕は皆に話しを続けた。
「無駄に終わってしまったけど、踏ん切りがつきました。
それでも僕は冒険を続けようと思っています。
で、あの、こんな僕ですけど、付いて来て貰えますか?」
レナはリングを、はめ直し笑い。
「何言ってるの!ずっとそういう約束だったでしょ」
アルトも笑い。
「そうですよ。一緒に伝説を作りましょう」
サリアは僕の鼻先に指を突き出し。
「元は私があんたを仲間に誘ったのよ、最後まで面倒みるのは当然でしょ」
カエデは静かに頷くだけだった。
こうして絆を再確認した僕達は、ソルトフレートまで戻った。
次の日。
僕はルフ島からの生還者として、街で話題になっていた。
食べきれなかったルフの卵焼きを、乗組員におすそ分けしたのも悪かったかもしれない。
今はもう行われていない、昔にあった伝統の中に、ルフ島で一夜を過ごすという成人の儀式があった。
その儀式の中でも、卵を盗って来る者などいるはずもない。
一部の人からは、とんでもない実力の持ち主ではないか?と一目置かれる存在になっているようだ。
実際はルフから隠れて逃げ回っていただけなのに。
老人の中には、この行動に好感を持っている人もいるけど、一部の若い人はルフが街を襲うかもしれないと不安がっている。
元々は女神が盗った物、こちらに矛先が向かなければいいけど。
もし襲ってきたら覚悟を決めて、全力で対応はするつもりだ。
さて、その成人の儀式をすると、本来なら勇敢な男として認められ、モテモテになると聞いていた。
いやー、困ったな。
ついにモテ期到来。
種族の雌雄を問わずに襲われるほどモテている。
「ニャー」「ニャー」「フー!」「シャー!」
猫に。
女性陣がたこ焼きを買ってくる間に、僕1人で休んでいると猫に絡まれた。
撫でていると、気持ちよさそうな姿を見た他の猫も集まり、いつのまにか『俺もにゃでろと』大混雑。
中には喧嘩を始める猫までいる始末。
もてる男は大変だ。
たこ焼き屋も多くの人が並ぶほどの混雑。
もう少し時間がかかりそう。
クラーケンでの勝利で誕生した、たこ焼き。
ツーブロがすでに屋台として試験的に販売を始めたそうだ。
商売となると、行動が早い。
いま使っているのは、クラーケンではなく普通の蛸。
元々この地域では、蛸を食べる習慣は無かった。
そのため蛸が獲れても海に戻すか、魚の餌に使われるくらいだったらしい。
食べられなかった理由は、容姿が悪魔に似ていることと、滑りがひどかったため。
ツーブロは滑りに関しては、塩を揉みこんで洗う工夫を施したらしい。
新名物として注目されるといいけど。
やがてサリアが、たこ焼きを持って来てくれた。
薄い木の容器に乗っている、たこ焼きは6つ。
女性陣が我さきにと食べ、一気に2つまで減ってしまった。
食べれるときに食べる、その鉄則と諦める。
残ったたこ焼きを頬張ると、やっぱり熱い、けど美味しい。
ソースの改良も重ねてあるのか、粘りが加わっており、それが良く絡んだ。
最後の1つを女性陣に勧めるが、サリアは横を首に振った。
「全部、食べちゃっていいわよ」
「え?でも悪いよ。レナ、食べない?」
「わ、私はいいかなー。お腹の調子も悪いし」
そこまで言うなら、と僕は最後の1つを食べた。
モグモグ。
!?、辛い!
中にとうがらしが大量に入っているのか、半分だけ食べた、たこ焼きの中は真っ赤だ。
はめられた、と思っても時すでに遅し。
汗が顔に出始め、息をするだけで辛い。
水を取り出し飲むが、辛さは当分は収まりそうになかった。
女性陣の方を見ると、サリアとレナが笑っている。
「「大成功」」
2人ではしゃぐ。
通りで大食感のレナが譲ってくれたわけだ、そこに注意がいかないとは、僕もまだまだ甘い。
ヒリヒリする口を窄めて怒る。
「ひどいよ!口の中が痛い」
レナは平謝りする。
「ごめんごめん、いやー、食べた時の顔は傑作だったわ」
サリアが発案者なのか、商品の感想に入る。
「中々に良い反応だったわ。これは売れるんじゃない」
せめて自分で試して欲しかった。
アルトは両手を合わせて謝ってくれるけど。
「すみません。2人を止められなくて」
知っていた時点で同罪だ。
今度の食事で覚えていろよー、と復讐心を燃やしていると、1人の老人が声を掛けて来た。
杖をつき腰が直角に曲がっていて、眉も髭も真っ白だ。
老人はさらに頭を下げ、地面につきそうなほど頭を下げた。
「私の名前は”トマス”と言います。ルフの卵を盗って来たという方は、あなたでしたかな?」
「はい、そうです」
「その実力を見込んで、実は折り入って頼みたい事がございまして」
「なんでしょう。出来ることであれば良いのですが」
老人は頭を上げてから説明し始める。
「ここから北西に”青の岬”と呼ばれる場所がございます。
その下にある洞窟には、街の守り神の”鯨”が現れることがありましてな、そこに様子を見に行って欲しいのです。
この時期ならば姿を見ることが多いのですが、今年はまだ一度も現れず、心配になっておりまして」
なるほど、困っているなら助けてあげたいけれど、危険がないのか分からない以上、そう簡単に『はい』とは言えない。
悩んでいると、誰かが勝手に手を上げた。
「はい!任せて下さい」
そう元気良く返事をしたのは、僕ではなくアルトだ。
断り難い状況になり、仕方なくマップを広げて見る。
青の岬までは、ここから歩いて3時間ほど、今から向かえば夕方には着きそうだ。
老人は付け加える。
「夕方に休憩で現れることが多かったですな。
もちろん鯨は温厚な性格、こちらが手を出さない限り、何もせんでしょう」
そうなると時間帯は、今がベスト。
その時、姿が見えていなかったカエデが僕達の元へ戻って来る。
「周辺の聞き込みをして来た。モンスターがいたとしても、せいぜいサーベルタイガーだそうだ」
それくらいなら対処できそうだ。
改めて僕が老人に請け負う事を告げる。
「わかりました。その依頼をお受けします」
「おお、ありがとうございます。依頼が終わりましたら、私の家のタンスの中の底を調べて下さい、それが報酬です」
僕達は早速、岬へと向かうことにした。
海岸沿いを歩く事3時間、夕日が見え始めた。
岬は目の前にある。
岩がせり出し、植物は何も生えていない。
先端で海面を覗くと、高い波がぶつかり、海面には白波が立つ。
慌てて覗くのを止め、後ろに下がっていた。
この下にある洞窟に向かうため、他に降りられそうな場所を探す。
岩が重なり合い、1人が通れそうなほどの小さい道があった。
僕達はそこから降りてみる。
岬の下には、大きな洞窟がぽっかりと口を開いていた。
そこには波が流れ込んでいるけど、岩場にぶつかり勢いは殺されているようだ。
カエデの調査で、今は満潮の時期、この洞窟は海中には沈まないと聞いていた。
あとは中が安全かは、入って見ないと分からない。
恐る恐る中に入って行く。
ピチョン。
「ひゃ!」
サリアがいきなり声を上げ、僕達も身構える。
レナがサリアの方を見た。
「なに?どうしたの?」
「首筋に水が掛かっただけ大丈夫」
ふー。
大きく息をつき、何事もなかった事に安堵する。
さらに進んで行くと、やがて暗くなり始める。
日差しがここからは、差し込まなくなりそうだ。
洞窟の中は、足元には砂、壁は岩が突き出している。
隙間からは海水が流れ込み、小さな波が起こっていた。
さらに奥に進むと完全に真っ暗になってしまう。
「ライト」
魔法で辺りを照らし注意深く進んでいると、僕の腕を掴んでくる人がいるのに気付く。
正体はアルトだ。
闇に怖くなったのか、灯りの近くに寄って来たようだ。
サリアもライトを唱え先を進んでいたけど、急に立ち止まった。
追いついた僕が見た光景は、丸く広がった空間の天井に、無数の赤く光る生物だった。
ライトを近づけると、それは一斉に動き始める。
コウモリだ。
「キー、キー」
僕達の頭上を鳴き声を上げながら飛んで行く。
やがてコウモリがいなくなると、洞窟内は静けさを取り戻した。
サリアは足元を気にしながら端っこを歩き始める。
海の匂いに混じり、糞尿の臭いが鼻を突く。
そんなコウモリの巣を抜けて行くと、辿り着いた先は行き止まりだった。
この場所は、鯨が余裕で泳げそうな大きさの地底湖があり、海水も流れ込んでいるようだ。
海面は激しく波打っている。
天井には大きな穴が開き、そこからわずかに夕日の光が差し込んでいる。
ライトがなくても見えそうだ。
そこで見つけたのは、座礁した鯨だった。
僕達はすぐに駆け寄ると、鯨はこちらを一度見たが動く気配はない。
立派な鯨だった。
全長は10メートルはある巨体に、所々に大きな古傷があるものの、それは生きるために戦い抜いた証に見えた。
僕達はすぐに救助しようと動き出す。
しかし、ここまでの巨体となると、人力ではどうしようもない。
今から応援を呼んでも間に合うかも分からない。
それほど鯨は衰弱している。
そこでサリアが提案する。
「時間がないけど、鯨を湖まで転移させる。皆は鯨に海水をかけ続けて」
指示に従い、桶や鍋で海水を汲んでは鯨に掛けて行く。
サリアは大きな魔法陣を描き始めるが、すぐに大きな声を上げてしまった。
「あー、もう!砂に描いた魔法陣が消えちゃう!」
それはそうだ。
ただでさえ脆い砂に、描くのは無理な話だ。
サリアが次の手段を考えている間も、僕達は休まずバケツリレー。
「こうなれば宙に魔法陣を描くわよ!」
次の指示が飛ぶ。
「アルトは手伝って、ナユタは私に掛けて頂戴」
そう言われたので、海水をぶっ掛けたら、なぜか怒られた。
「水じゃない!私が声を掛けたらディヴァイドをかけMPを分けて!」
なるほど、そっちのかけての意味だったのか、早合点。
サリアはびしょ濡れのまま続ける。
「アルトは鯨の後方に立って、私の魔力を受け止めるような感じで」
「はい!お願いします」
2人は鯨の両脇に立つ。
サリアが目を閉じ念じると、赤い線がアルトの方まで伸びて行った。
線がアルトに触れると停止する。
「魔力を流し続けて、その状態を維持してて」
さらに念じ続けると、線が鯨を包む込むように筒状に拡がって行く。
その中に幾何学模様が徐々に浮かび上がった。
赤く輝く幻想的な光景に見惚れている場合ではない。
残された僕達は、水を掛け続けなければ。
全体に模様が浮かび上がると、サリアが僕に声をかける。
「お願い」
「ディヴァイド」
MPを譲渡、半分は持って行かれた気がする。
魔力消費がとんでもない量だ。
さらに魔法陣の空いたスペースに、文字が描きこまれて行く。
アルトの方を見ると辛そうな表情。
念のためにディヴァイドをかけてあげた。
やがて魔法陣は完成したのか、サリアが叫んだ。
「転移!」
鯨は目の前から消え、地底湖の中央に出現。
そして湖に落下すると、大きな波が立ち僕達を襲う。
波に飲み込まれるが、引きずり込まれた者はいなかった。
鯨は動かない。
すぐに回復出来るはずもないので、僕達はその場で見守る事にした。
野営の準備をし終える頃、辺りは完全に闇に包まれた。
焚き火の灯りが、弱々しくも辺りを照らす。
夕食の準備をしながらも、気になって鯨の方を見るけど、生きているのか心配なほど動かなかった。
鯨はまるで心を読んだかのように、小さく潮を吹く。
『大丈夫、生きてるよ』と言っているような気がした。
夕食を終え、交代で鯨の様子を見ることになった。
率先し僕が引き受け、もう1人はアルトが名乗り出てくれた。
2人でずっと鯨の方を見ている。
アルトは呟くように言う。
「元気になると良いですね」
「うん」
どのくらい座礁していたかは分からないけど、乾いた体から長時間だったことは間違いない。
あの巨体の鯨が浮力もない状態だったのだ。
内臓などの負担も大きすぎるだろう。
あとは鯨の生命力に賭けるしかない。
夜も更けた頃に、残りのメンバーと見張りの交代に入る。
鯨が生きてくれているといいけど、僕は心配しながら寝袋で横になると、睡魔に抗えず眠りについた。
MPを譲渡しすぎてしまったからかもしれない。
翌朝。
鯨は地底湖を、忘れた感覚を取り戻すかのように泳いでいた。
その姿を見て僕は安堵する。
鯨はお礼を言うかのように、大きな潮を吹いた。
せっかく着替えた服がびしょ濡れ、ありがた迷惑な挨拶だったけど、気分は悪くない。
僕達の朝食が終わるのを黙って見続ける鯨。
残念ながら鯨が食べそうな物をもってはいないし、餌付けするのも違う気がする。
早く海に出て食べ物を自分で獲れるように頑張って貰おう。
その後もしばらく様子を見ていたが、泳いだり体を回転させる元気な姿を見て、もう大丈夫だと判断した。
これでお役御免だ。
名残惜しいけど、ずっとこの場所にいるわけにはいかない。
鯨に手を振り、僕達は洞窟を後にした。
街に戻った僕達は、報告のためにトマスさんを探していた。
漁師に話を聞いていると、奇妙な話になってしまう。
漁に使う網を修理しながら男性漁師は話し始める。
「トマス?もしかして昨年、亡くなった漁師のトマスさんかな。
鯨に助けられた人でね、毎年その鯨の事を気にかけていたけど、歩けなくなってからは、ここらで姿を見なくなっちまったな」
トマスという言葉に反応した、出航の準備をしていた漁師も話に加わった。
「白い眉に白髭と言えばトマスさんだな。直角に曲がってる腰が特徴的だよ。
え?その老人に昨日会った?冗談は止めてくれ」
僕達は言葉を失っていた。
まさか昨年、亡くなっていた人が、僕達の前に現れたとでも言うのだろうか。
漁師にトマスさんの家を教えて貰い伺うと、中には奥さんの老婆が1人いた。
老婆に事情を説明すると、家の中に招かれる。
そして話の通りにタンスの底を調べると、2重底になっている箇所があった。
中にはいくつかの銀貨と金貨。
そして、鯨の髭が置かれていた。
老婆は驚きながら口にする。
「あれま、本当にあるとは思わなかったよ。
私ですらこんな隠し場所があるって知らなかったのに。
お前さん達の言う通り、鯨が心配であの人が戻って来たのかもしれないね。
本当に不思議な事もあるもんだ」
報酬と言われていたけど本人がいないのだ、貰って良いものか悩んでいると、老婆が目を細める。
「あの人が言ってたんだ、それに鯨を助けてくれたんだろう、遠慮なく貰って行くといいよ。
全く死んでからも鯨、鯨と騒がしい人だね」
そう言われたので、僕達は硬貨だけ頂く事にした。
髭はトマスさんの墓にでも供えてあげて欲しい。
僕達はお礼を言い、家を後にした。
屋敷に戻る帰り道で、僕はサリアに聞いていた。
「死者だって気付かなかったの?」
「さあ、どっちでしょう?一言だけ言うとしたら、困ってる生者も死者も私には関係なしよ」
前を歩いていたアルトは足を止める。
「鯨の髭がありましたよね?あれって私達の助けた鯨のじゃないですよね?」
髭まで見ている余裕は無かったので分からない。
ただ、死ぬまで生え変わらないはずの髭だ、だとしたら別の鯨のだと思いたいけど……。
アルトが言いたいのは、おそらくこういうことだろう。
「つまり、あの鯨も幽霊だった可能性があると?」
ミステリーにミステリーが重なってしまう。
頭がこんがらがりそうだ。
そう言う事はサリアに聞こう。
「どうなの?」
「そこは安心していいわ。転移もしたし実体もちゃんとあったでしょ。
じゃなかったら海に簡単に戻せたわよ。
あー、でも鯨か……人間以外は専門外だわ」
謎が深まった気がする。
レナが話す。
「トマスさんが、もう一度出てくれば解決するのにね」
それはそれで怖いので、昇天してくれたと思いたい。
カエデが海の方を見て言う。
「なにはともあれ、無事に終わったんだ。それで良しとしよう」
それはそうか、あれこれ考えても仕方がない。
元気になって、また海で出会えた時に答えが分かるだろう。




