第8話 桜秀、2人の業《表》
桜秀視点になります。
一筋の汗が、シタリと頬を伝う。
背中に、しっかりとした重みを感じながら、俺、明智桜秀は帰路についていた。
あのあと‥‥
握手を交わしていると、保健室の先生が突然帰ってきた。
「あんたたち、なにしてるの」
まさか握手してるとは思わない。呆れ顔で言われしまう。
「いや、これは」
慌てて説明をしようと手を離すと、何かが倒れ込んできた。
織田さんだ。
離した手を肩に添え、なんとかベットに座らせる。触れたところは、熱く、苦しそうに肩で息をしていた。
しまった、と思った。
いくらなんでも、病人相手に話しすぎた。
相手が普通に振る舞ってるからと言って、配慮に欠けていた。
保健室の先生には、また呆れられてしまい、織田さんを家に送って行きなさいと言われた。
親に頼まないのか、と聞くと、一人暮らしをしていると言われた。
そういった経緯で、織田さんをおぶって帰っているのだが‥‥
「おい!キンカンアタマ!」
その言葉に思わず、びくりとする。
「お、織田さん‥‥?」
そっと、声をかけるが、なにも返ってこず、寝息が聞こえてくるだけだった。
寝ぼけているみたいだ。
きんかん頭、とは信長様のつけた前世の光秀のニックネームである。
きんかんみたいな頭をしているから、きんかん頭。
そのままである。
秀吉には「ハゲネズミ」など、信長様はたびたび家臣にニックネームをつけていた。
信長様としては、親しみを込めて呼んでいたようなのだが、絶望的にネーミングセンスがない。だから、呼ばれた方は渋顔をする者も多かった。
前世から、子供みたいに不器用な人だった。
不器用で、純粋で、どうしようもない人だった。
その人が、今、俺の背にいるなんて考えられない。
しかも、女性に生まれ変わっているなんて。
信じられないけれど、これが事実だ。
実際、織田さんは信長様の面影を充分残している。
最初に会った時は、驚いた。
そこには、どこにでもいるような女子生徒が立っているだけのに、どうしても信長様に見えたのだから。正直、混乱した。
その子が、学校を案内してくれることになって、困惑は確信に変わった。
不器用なところも、無邪気に笑うところも、すぐに慌てるところも変わってない。
一挙一動が信長様に重なる。
なのに、信長様とはまったく別の人間。
俺は、父親が転勤をしたから、ついて来て、たまたまこの学校に入った。
彼女に再び会えたのは、偶然だ。
偶然だけど、必然のように。
しかし、もしも本当に信長様なら、俺はしなければいけないことがある。
俺に会うのは、不快だろう。裏切り者なんだから。
でも、言わなきゃいけない。あの日の真実を。
だから、強硬手段をとって、織田さんに迫った。罪悪感と不安を抱えて、生徒会選挙にまで立候補して、脅してまで。全部話したら、この学校を辞めようと決意して。
なのに。
「生徒会選挙の応援演説をしてくれ!」
俺は見誤ってた。織田信長、いや。織田撫子という人間を。
想像を悠に超えてくる彼女を見て、驚き、慄くとともに、思った。
目の前にいるのは、織田撫子なのだと。16年間生きてきた、信長様とはまた別の人間なのだと。
「んん」
「織田さん?」
気づくと、織田さんはもぞもぞと動いていた。起きたのかと思って、声をかけるが、無反応だ。
また寝言かと思って、進みだす。が、問題が発生した。
織田さんが腕を俺の首に回してきたのだ。今まで少し離れていた体がピッタリと密着する。背中に柔らかい感触が押し付けられて、俺は単純に焦った。
「織田さん!起きて下さい!そして、離れて!!」
しかし、できる範囲で体を揺さぶるものの、起きる気配はなく、「んー」と声にならない声を出している。
「織田さん!織田さん!」
「みつひで‥‥‥」
呼びかけていると、ふと呼ばれたその名前に硬直する。
光秀。
懐かしい名前に、動けなくなってしまう。
「みつひで、すまない‥‥」
彼女は、腕の力を強める。
「本当に、私のせいで‥‥すまない‥‥すまな‥い」
「‥‥‥‥」
彼女は、俺の名前をひたすらに繰り返し続ける。
まるでそれが、償いであるかのように。
「織田さん。俺は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
黄昏時。
静寂。
初夏の香り。
何も、言えなくなる。
「はいはい。そこまで」
何か、言おうとして声をかけると、急に背中の重みがなくなった。後ろを振り返ると、豊臣が織田さんを抱えていた。その目は、不機嫌そうに細められている。
「あのさあ、いい加減この子にちょっかいかけるのやめてくれない?」
迷惑、とバサリと斬られてしまう。が、こちらも黙ってばかりはいられない。
「‥‥ちょっかいじゃない。織田さんの応援演説は、俺がすることになったから」
「は?!」
俺の言葉に驚愕の色を隠し切れていない様子だ。
「どういうこと」
「そのまんまの意味だよ。‥‥和解した」
「お前、まさか、あのことは言ってないだろうね?」
豊臣に睨み付けられる。親の仇でも見るような目だ。実際はそれに近いものがあるのだろうが。
「あのこと」とは、きっと本能寺の変の時のことを言っている。俺は少し黙ってから、答える。
「‥‥言おうとは、した」
「おまえっ」
「でも、言わなかった」
「当たり前だ。‥‥これ以上、この子を傷つけないでくれよ」
豊臣の言うことは、充分分かっている。分かっているが。
「それは、正しいことなのか‥‥?」
それが、正直な気持ちだった。
隠していて、何になるのかと。俺だったら、隠されているのは嫌だ。共闘するなら、尚更。
しかし、俺の言葉に豊臣は静かに舌打ちをする。
「もういい。ほんっとうにお前嫌い」
そう、吐き捨てて、織田さんを抱えながら、俺の前を去っていった。
手のひらを眺める。まだ僅かに、織田さんをおぶっていた時の熱を帯びている。
しかし、その余韻に浸る間もなかった。
唐突に、スマホの着信音が聞こえてきたのだ。父からだった。スライドをして、電話に出る。
「もしもし、父さん」
『まだ帰ってきたないのか?』
「ああ。今、帰ってるところだから」
『‥‥‥なんかあったんじゃないだろうな?』
「大丈夫やて」
『お前は大丈夫でも、母さんは大丈夫じゃないんだから』
「‥‥‥ああ」
『早く帰ってこい』
「分かってる」
そして、電話を切る。最後の一言は、ワントーン低く、素っ気なく。
父は別に俺の心配をしているわけではない。ただ、俺を監視したいんだ。監視しなければいけないだけだ。
別に構わない。
そうでなければ、俺たち家族はきっと壊れる。
一度、俺が壊しかけたのだ。父は、それを修復したいだけ。
多分、これは俺の前世の業なのだろう。
そっと手を開く。
手のひらには、もう熱はなく、ただ冷たさだけが残っていた。