第6話 体調が悪くなりました
「‥‥」
下駄箱を開けると、何かが入っていた。
何か、というと。
まあ、黒い手紙だ。
間違ってもラブレターには選びそうもない、真っ黒。
ふと、小学校の時に習った真っ黒な魚の物語を思い出した。確か、烏貝のように、と表現されていて、この手紙の色を表現するにはピッタリである。
‥‥‥そんなことを思い出したって、現実逃避以外のなにものでもないのだが。
少し前からこういうことが続いていたのだ。
毎日下駄箱にこんな手紙が入っていると不気味でしかない。
下駄箱の前でしばし思案する。このまま下駄箱の中に残しておくか、手紙の中身を見るか‥‥
手紙の中身を見ても、もれなく不快な気持ちにしかならないだろう。
ただ、このままにしておくのも気が引ける。とりあえず持ち帰って開けてみることにする。
毒針でも入ってなければいいか。
そう、振り切って、とりあえず鞄の中に入れることにした。
「おっはよー!あれ、何か今、隠した?」
「おはよう。何も隠してないぞ」
絶妙なタイミングで桃吉がやってきた。慌ててて手紙を鞄にいれる。
「‥‥ふーん」
桃吉は疑り深い目でこっちを見ていたが、それ以上は追求してこない。
こちらが何も言うつもりがないからだ。頑固な私の性格をよく分かっている。
「それより、この間のデートはどうだったんだ?」
生徒会選挙会議を蹴ってまで行ったデート。皮肉と嫌味を込めて、聞いてみると、憂いを帯びた顔をされた。
「ああ、あれね」
そう言いながら、そっと頬に触れる。
ほんのり左頬が赤くなっている。
「なんかね、引っ叩かれちゃった」
「はあ?!おま‥」
「違うって!こっちに非があった訳ではないよ!多分」
「多分て」
「付き合ってって言われたから、断っただけなのに‥‥」
その言葉に、私は、すんと真顔になる。
「おまえ、そういう、ところだぞ」
女の子をその気にさせといて、振るとか。
不特定多数と遊び耽っているところとか。
なにがこっちに非があった訳ではない、だ。
「さっさとちゃんとした彼女をつくりなさい」
真面目に言ったつもりだが、ふはっと、笑われてしまう。
「お母さんかな」
「誰が、お前を産むか」
珍しく軽口に私が乗ったら、もともと笑っていた桃吉が爆笑してきた。調子に乗り過ぎた。
「‥‥あのなあ」
流石に見かねて、不満げに声をあげる。しかし、それは遮られる。珍しく真面目な顔をして、言った。
「俺はね、特定の彼女を作る気はないんだ」
「なんで」
「好きな子がいるから」
さらりと言いのけたその言葉に、思わず目を丸くする。
好きな子がいるって言ったのか。今。
驚いて動けなくなる私を置いて、スタスタと桃吉は行ってしまう。
「ちょ、まてまてまてまて。聞いたことないぞ!」
「言ってないからね」
「はあ?!」
桃吉が私に隠し事なんて。
前世からそんなことするような奴ではなかったのに!
更に追求しようと、桃吉に追いつこうとするが、桃吉は、ほんのり耳を赤くしていた。
「おまえ、照れて‥‥」
「ちょっと黙って」
‥‥‥へえ。
私は桃吉に追いつき、ニヤニヤとからかう。
「そっかーおまえ、好きな子いたんだな」
「シャラップのぶちゃん」
「前世の上司にそんな口聞いてもいいと?」
「‥‥今更」
「いかにも余裕ぶって遊び人風情してるのに」
「‥‥‥」
「いやあ、意外と純情だったとは」
「もうやめて下さいお願いします」
珍しく敬語を使ってきて、もう限界だったようなので、攻撃の手を緩めることにした。
久しぶりに満足である。
「‥‥それじゃ、俺、こっちだから」
「ん。じゃあ、放課後」
教室に着いたので、何も言わずにさっぱりと別れる。
まあ、顔はニヤニヤとしたままだったと思うが。
席について、さっそく一時限目の準備をする。
すると、何人かのクラスメイトがやって来て、授業や課題で分からなかったところなどを私に聞きに来る。
これも、生徒会長になる為にやっていることだ。
「作戦」とまでは言えないが、こういう積み重ねが大事なのだ。
結局、人望を集めるのは、どれだけ相手が自分に利益をもたらしてくれるか、だ。
その片手で、それにしてもあの桃吉がねえ、と考えを巡らす。
まあ、今世はともかく、私の生きている間、前世はなんだかんだと妻一筋だっからな。
そういうものなのだろう。
そうこう考えているうちに勉強を教え終わり、席に自分一人になる。
まだ時間があるので、今日の授業の予習でもするかとバックを漁ると、黒い手紙が見えた。
さっき下駄箱で回収したものに加えて、だ。
そして、教室に入ってからなんとなく感じていた鋭い悪意の視線。その主を探し出そうとしたが、不意に消えて、捉えることは出来なかった。
⭐︎⭐︎⭐︎
「‥‥」
思わぬことに、私は黙りこくるしかなかった。
なんということだ。
目を凝らしても、何回試してみても結果は変わらなかった。
目の前には、38.5という数字。
遺憾ながら、それが私の体温である。
これはきっと、学校を休むべきであろう。もし、ぶっ倒れでもしたら、迷惑だ。
しかし、休みたくない。
意地でも休みたくない。
なぜなら、私のプライドが許さないからだ。
あれから、例の手紙は毎日入れられていた。
中身は案の定、私を悪く書いてあるものだった。
そして最後には、「生徒会選を降りろ」と。
大方、桜秀派の人間がこんなことをしているのだろう。こんなところで休んだりしたら、手紙の主が何を思うのか考えたくもない。
更に、桜秀の生徒会選出場が、予想通りに注目を集めている。桜秀はこの間の中間テストで、いくつかの教科で学年1位をとっただけあって、注目の的になっていた。
総合1位は、なんとか死守したが、なんといっても転校早々この成績である。一気に注目を集めたのだ。
これが思ったよりも痛手だった。これじゃあ、いくら学年1位をとっても、桜秀を目立たせる為の脇役にしかならない。
今、学内では明智桜秀ムーブが来ている。
選挙で勝つためには新たな打開策を打たねばなるまい。
よって、私に学校を休むという選択肢は存在しなかった。
気合を入れて、家をでる。
うん。大丈夫だと思えば、大丈夫だ!
「おっはよーのぶちゃん」
と、そんなタイミングで現れてくる桃吉。
いつもは朝が弱いからといって、登校時に一緒になることはないのに。
「うわあ、すごい嫌そうな顔」
「‥‥そんな顔してない」
そう言って、顔を背ける。
いくらごまかしたって顔をまじまじと見られたら、熱があることくらいバレてしまう。
そしたら、強制帰宅を迫られること間違いなし。
「ん?なんか様子、おかしくない?」
しかし、不自然に顔をそらした私を不審がる桃吉。顔を覗き込もうとしてくるので、必死でよける。よける。
今回ばかりは桃吉も意固地になって、拉致があかない。
なので、思いっきり足を踏んづけて、すねを蹴る。
「いっ?!」
「桃吉のばーかばーーか」
「ちょ、いきなりの罵倒‥‥!」
足を抑えて悶絶する桃吉を置いて、全速力で逃げていく。
逃げるが勝ち、だ。
逃げ切って、学校の下駄箱に着く。
「はあ‥‥」
確実に、熱が、上がった。
いくら体力に自信があると言っても、本調子じゃない時に走るべきではなかったかもしれない。
懊悩しながら、下駄箱を開けると、例の如く黒い手紙が入っていた。さすがに頭にくるが、放っておくしかないのがまた腹が立つ。
それを乱雑にバックに入れて、教室へ向かう。
「うわあ!」
と、気づくと目の前には康久がいた。
「いいいつから、そこに」
「さっきです。桃吉先輩から様子がおかしいってラインがきたので」
とりあえず黒い手紙は、見られていないようでほっとする。
それにしても、あいつの情報もこいつの行動もはやすぎる‥‥!
康久も不審そうにこちらを見ている。熱があるのがバレてしまう。
‥‥こうなったら、仕方あるまい。
「大丈夫で‥‥って。え?!」
バッと心配する康久に飛びつき、服を脱がす。
康久、とても慌てる。
「ちょ、撫子さん?!」
康久の言葉を聞きもせず、いい感じにはだけさせて叫ぶ。
「康久が、あられもない姿に!!!どうしたんだ!」
どうしたもこうしたも、私がやったんだがな。
その光景に色めく女子たち。‥‥‥男子たちも?
とにかく康久の元に生徒たちが群がりはじめて、私と距離ができた。
「ちょっと‥‥なでしこさーん!撫子さん!助けてください」
悲痛な康久の声が聞こえてくるが、何も知らないフリをして、とっとと逃げる。
ごめん!康久。
これしか方法がないんだ。私の天下統一のために犠牲になってくれ‥‥っ
なんとか教室にたどり着いて、一呼吸する。
するといつものようにクラスメイト数人が駆け寄ってきて、勉強の質問大会を始めるので、それを捌いていく。
授業中は、内容を聞きながら、対策を講じる。
休み時間は、もうやら心配した桃吉がクラスに何回もやって来ているようなので、女子トイレに立て篭る。昼休みも教師に頼まれたことや生徒会仕事をこなす。
そうして今日1日を過ごしたのだが。
何も、思い浮かばなかった。
むしろ、熱のせいで頭がぼんやりとして、作業効率が下がった気がする。勉強を教えるのも、いつもより言葉がキツくなってしまった。
これで、私の人望が下がったりさたら‥‥
そう考え、絶望する。
熱のせいか、思考がマイナス方向に向かっている。
まずい。他のことを考えよう。
これから教師に頼まれたことがあるから、それを終わらして‥‥
「織田さーん!ちょっとわかんないとこがあるんだけど」
と、そのタイミングでクラスメイトから声をかけられる。
「悪い。あとで、いく」
虚勢を張って、そう答えてしまった。体力はもう限界なのに。
このあとは、頼まれごとを終わらして、クラスメイトの勉強を見て、生徒会の仕事である見回りをする‥‥と。
ああ、1日が長い。
ふらふらと、教師のところに行って作業する。
どうにかして、終わらせる。その間の記憶は、曖昧だ。
急いで教室に戻ると、一つの席に人だかりが出来ていた。不思議に思って、近づくと、真ん中には広げられたテキストと桜秀の姿が‥‥
その光景に、絶句する。
私の姿に気づくと、先程声をかけてきた男子が笑顔で言う。
「あ、織田さん。明智に教えてもらったからもう大丈夫っす」
そう、話すクラスメイトの声が聞こえる。
「明智くん、すごーい分かりやすい」
「さすがだよなあ」
「どうやって勉強してんの?」
桜秀を称賛する声は、遠い。
「この間のテストも凄かったし」
「ねーっ」
謙遜する桜秀の声などもう聞こえてこない。
「生徒会選挙、明智くんも出るんだよね?頑張って!」
だが、一人が発したその言葉だけが、私に直に届いて、目の前を真っ暗にする。
いや、真っ白か?
グラグラする。
なんで。なんで、なんでなんでなんで。
ずっと、私が目指してきたのに、なんでまたお前は‥‥
そこで、自分の体が倒れていくと同時に、意識がシャットアウトしていくのを感じた。
ただ、その瞬間、私の腕を掴む感覚だけが、私の中に残った。