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第5話 健康は長寿の秘訣



「なるほど。そういう経緯だったんですね。何もなくてよかったです」


長い事情聴取を終えての、帰り道である。

私が見たものを康久に説明した。


「それにしてもなんか引っかかるんだよな」


「引っかかる?」


「話しかけられてもすぐに答えられなかったってのは、おかしいだろう。私は何回も話しかけたし、充分時間はあった」


しかも、私が聞かないうちに言い訳がましいことを言っていた。


「あとは、ほかにおかしかったところはありますか?」


「あとは‥‥」


康久がわざわざ聞くからには、理由があるのだろう。何か気になったところはなかったかと考えを巡らす。


「‥‥そうだな。手が震えていたかな」


「なるほど」


納得した顔を見せる康久。


「何か分かったのか?」

「いくつか候補はありますけど」


多分そうだと思う、と小さな声で言った。


「ただ、本人の意思があるので、僕たちにはどうすることも出来ないですけど」


「何も、しないのか?」


「そうですね」


「私としては本人の意思なんて無視するけど」


腰に手を当てて言うと、少し前を進んでいた康久は足を止めてこちらを見る。


「実際、被害は出ている。事情はともかく、解決策ぐらい出すべきだと私は思うぞ」


どうだ、とばかりに堂々と言う。しかし康久はあまり気が進まないという風に、目をそらす。

多分、こいつは何か分かっているのだろう。それを明かさないだけだ。だが、こちらも引く気はない。


「‥‥分かりました。その代わり、大ごとにしたくないので、明日先生に確認してきても大丈夫ですか?」


康久が折れたことで、今回の件は次の日に持ち越すことになった。






⭐︎⭐︎⭐︎







次の日の朝。

私は朝から1年の教室の前で待ち伏せをしていた。他でもない康久を、だ。

アイツのことだから、適当に濁して、先生に話を聞きにいくこともしない可能性がある。

アイツはなんだかんだと私に忠誠があるわけではないのだ。

なので、わざわざ朝から下級生の教室まで足を運んでいる。

上級生ということで、珍しいのだろう。

周りからチラチラと様子を窺われているのが分かる。


しかし気にせず、参考書のページを繰る。


「おはようございます」


「おはよう」


「朝から勉強なんて流石です」


「まあな」


「でもここではなんですので、教室にお帰り下さい」


「確かにそうだな。帰るよ‥‥‥って、は?!」


軽く背中を押されたので、教室に帰ろうとして、気がつく。私が話しているのは康久だと。


「は、お前、何」


「気付かれてしまいましたか」


相変わらず康久は笑みを絶やしていなくて、むかつく。さりげなく私を帰そうとしているのが分かる。

その意図を笑顔で隠しているだけだ。


「まさか撫子さんに待ち伏せをしてもらえるなんて‥‥嬉しいです」


「変態か」


いつも通りの調子でにこやかに喋る康久に静かにツッコむ。


「それで、先生のところに行くんだろうな?」


「行きますよ。僕一人で」


「私も行くから」


もう歩き始めている康久についていく。康久は眉をひそめたが、私は何を言われても、引かないので、康久が妥協した。


「分かりました。ただ、撫子さんは何も言わないでくださいね」


分かったと、頷いて、私は康久についていく。

どこに向かうのかと、尋ねると、資料室だと言う。朝のこの時間は、先生がいる時間らしい。


資料室に着いて、康久は扉をノックする。


「失礼します」


「おや、徳川くん。どうしたんだい?」


「昨日、大丈夫でしたか?」


「いやー、悪いね。歳をとるとこういうこともあるんだね」


康久は他愛もない世間話を繰り出す。そららに対して、先生もにこやかに答えている。


「最近、寝食しっかりとれていますか?」


「そうだね‥‥最近、生徒会選挙もあって忙しいからね」


康久の突然の質問に、目を丸める先生だったが、それでもにこやかに答える。

康久は、まさか、昨日のことを単なる疲れ、と思っている訳ではないだろう。では、この質問の意図はなんなのだろうか。

そして、康久は更に鋭い質問を投げかける。


「それでは、食事の血糖値は最近気をつけていますか?」


「君‥‥‥」


2人の間にシンと重たい空気が流れる。

しかし、分からない。


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥血糖値ってなんだ?」


「撫子さんちょっと黙ってください」


笑顔で冷たいことを言われたので、とりあえず黙る。

そのあとも、2人にしか分からないような会話が繰り出される。


「君には、すべて分かってるのかな」


「なんとなくですが」


「それなら、そっとしておいてくれないかな」


「僕はそうしようと思ったのですが、先輩が聞かなくて」


「なるほどねえ。尻に敷かれているわけだ」


「そうですね」


はっはっはと2人して笑う。いやいや、おかしいおかしい。誰かツッコんでくれ。


「そっとしといては、くれないのかな?」


「病院に行ってくださるなら」


「‥‥病院にはあまり、行きたくないかな」


康久と先生の押し問答が始まる。私としては、まどろっこしいことこの上ないが、「黙っとけ」と言われたので、口を挟まない。

しばらく時間が経った。


「でもね、私は。私は、ね‥‥‥」


そこで、先生の体がふらついた。

そしてその先には、机の角がある。非常に危ない状況に私の体は迷わず動いた。


「先生!!」


走り寄って、先生の体を支える。意識が混濁しているように見える。


「‥‥い」


「先生?」


「‥‥‥さちえ」


先生は短い単語を繰り返している。素人の私でも、危険な状態であることは分かる。


「康久!職員室に行って‥‥」



康久に指示しようとしたが、彼は首を振る。


「貸して」


私は先生から手を離され、代わりに康久が抱きかかえる。そして、いつの間にか持っていた飲み物を先生の口に流し入れる。


「それは?」


「コーラです」


「コーラ?!」


「僕が対処しておくので、撫子さんは職員室に行ってください」


さっきと完全に立場が逆だ。

しかし、仕方ない。

康久が何をしているかは分からないが、彼は前世から薬学オタクだった。きっと今世でもそうなのだろう。


ここでは彼に任せることが最善だ。


私は走って、職員室に向かった。






⭐︎⭐︎⭐︎





「すまないね‥‥」


「いえ」


放課後になった。先生は意識を取り戻しており、私たちはお見舞いに来た。

私たちを見た瞬間に、先生は頭を下げる。そして、静かに康久に問うた。


「いつから、気づいたんだい?」


「撫子さんから、症状を聞いた時です。貧血、意識の混濁、手の震え。それから‥‥」


康久はそこまで言って、言葉に迷う。しかし、先生は康久を静かに促した。


「いいよ。なんだい?」


「以前、職員室にお邪魔した時に、先生が奥様に特製弁当を毎日つくってもらっていると話していたのを聞いたことがあったので」


「じゃあ、君はわたしの妻が先月亡くなったことを知っているんだね?」


「お悔やみを‥」


「そういうのはいいから」


先生は一瞬悲しそうに目を伏せてから、弱々しげに笑う。その姿は、痛々しく、見ていて胸が痛くなる。


「君の予想通りだよ。‥‥‥‥わたしは糖尿病を患っていてね。前までは、妻が気を遣ってくれていたから、なんとか教師の仕事も続けられたんだ」


窓の外を見ながら、語り始める。私たちは、それを静かに聞く。


「しかし、私の病気の面倒をみているうちに、妻は自分のことを疎かにしてしまったんだ。気がついたときには、妻は末期のガンにかかっていて‥‥‥妻は幸枝というのだがね。亡くなってから、尚更彼女の存在の大きさを感じ入ったよ。

低血糖のこともうまく隠していたんだけど、こうなってしまった以上もう、教師は続けられないだろうね」


やりきれない話だと思う。

しかし、先生は直接言葉にはしないが、「やめたくない」という気持ちが隠せていない。

だから、私は自然に口から言葉が出てしまった。


「それで、いいんですか?」


「どういうことかな?」


先生の顔が強張る。康久に「撫子さん」と諌められるが、私はやめない。


「教師をやめる必要はないと思います。仕事が好きでしょう?」


「だけど、こんな体では無理だよ」


私は尚も食い下がる。

割り切る事は躊躇わないが、諦めることは好まないのだ。


「康久!長寿の秘訣はなんだ?」


私が康久に問いかける。突然の質問に驚いていたようだが、冷静に答えてくる。


「適度な運動としっかりと寝食をとることです」


家康時代の口癖。それは、「長寿の秘訣は、適度な運動と寝食をとること」だった。結果、家康は73才まで生きた。対してそれにあまり耳をかさなかった私の享年は、49才。効果は歴然である。

まあ、私の場合、死因が家臣に裏切られて自害だから、関係ないと言えば関係ないがな。はっはっは‥‥‥

‥‥‥‥

私は、話続ける。


「その為には、この仕事は必要だと思います。もちろん、ハードワークは良くないが、適度な運動は取れます」


「しかし‥‥」


「他の先生方は、あなたにやめられると困るようでした」


「‥‥‥目の上のたんこぶ位に思われているんじゃないかな」


「そんなのいたとしても一部ですよ。先生くらい仕事が出来る方がいないと、他の先生の方が過労死しますよ」


私の言葉に先生は少し笑って、「失礼だよ」と注意した。ごめんなさい。


「君がそう言ってくれて嬉しいけど、私はもう‥‥」


あーもう。まどろっこしい。


「それが!奥様の願いだとでも思っているんですか?!」


「‥‥‥!」


「奥様が、自分を蔑ろにしてまであなたを守ってきたのは、あなたにこの仕事を続けて欲しかったからでしょう!」


私は、もう相手に失礼だとか、他人の癖に踏み込みすぎだとか、そんなものお構いなしに言い続ける。


「そんなに辞めたいなら、生徒に愚痴をこぼさないで、一人で黙って辞めればいいでしょう!」


「撫子さん」


康久に再び諫められて、私はようやく黙る。私は頭を下げようとしたが、先生はそれを止めた。


「君は‥‥‥‥なんていうか、大物になるね」


先生は、スッキリした晴れやかな顔をしていた。そして、少しだけ涙を滲ませて、言った。


「ありがとう。妻の想いを思い出したよ。もう少しだけ、教師を続けてみようと思う」


窓からは清らかな光がさして、先生の決意を祝うかのように照らしていた。






⭐︎⭐︎⭐︎





私と康久は生徒会業務のため、学校に戻ってきた。

最後の見回りをしていると、不意に、康久が口を開く。


「撫子さん」


「なんだ」


「なんで、あの時、先生に物申すことが出来たんですか?」


物申すってなんだ、とツッコむが、康久は真面目な顔をしていた。


「‥‥‥‥‥‥別に。あの先生は授業が分かりやすいし、生徒にも人気がある。引き留めておけば、恩を売ったし、何かあった時、使えるかもと思っただけだ」


「嘘ですね」


前に進む私の腕をとって、康久は言う。


「そういうの、すぐに分かります。撫子さんの言葉は、全て本気でした。打算性はなかった」


「言葉にするな。恥ずかしい」


私は僅かに目を逸らすが、康久にいつものような余裕はない。

康久は‥‥家康は、すぐに相手のことを見抜く。

空気の読める秀吉とも駆け引きのうまい光秀とも、また違う鋭さがある。だけど、その鋭さゆえに苦しんできたことも、私は知っている。


「僕には、あなたのように本気で先生を心配することは出来ませんでした。病気に対して対応することは出来ますけど、そのあとのことは‥‥先生が教師を辞めることは、他人事としてしか捉えられていませんでした」


「‥‥‥‥」


「どうしたら、あなたのように熱く、他人を思いやれるようになれるのですか?」


康久は自棄になったかのように、言い放つ。

まったく。今日は、慣れないことをして疲れたというのに。世話のかかる"弟"だ。

私はツカツカと康久の元に歩み寄り、そして、両頬をビッと引っ張った。


「な‥‥なでしこさん‥‥?」


「ばーか」


「‥‥‥」


「お前は、少し人より冷たいだけ。合理的なだけ。自分を偽らないだけ。イコール優しくないなんてことにはならない」


私の言葉に康久は少し頬を赤くして、目線を下げる。頬が赤いのは、恐らく私が引っ張っているせいだと思うが‥‥


「対して私は、熱い分、短気だ。思いやるのは、気まぐれ。切り捨てるときは切り捨てる」


「‥‥‥そんなことないと思いますけど」


私が手を離すと、すぐに言い返してきたので、もう一度頬を引っ張った。


「私もお前も、いいところも悪いところもある。私たちは、"兄弟"だ。支え合って当然だろう?」


私が勢いよく言い切ると、康久はしばらくポカンとする。そんなに、変なことを言ったか、と訝しく思う。

康久はクスリと笑った。


「ありがとうございます。元気出ました」


「そうか?よかった」


「でも、一つ気になります」


「え?何が」


康久が眉根を寄せて、悲しそうに言うので、少しだけ焦る。


「僕たちは、兄弟なんですか?」


「え?え?そうだろう?」


前世の、幼き竹千代時代に、「兄のように慕っております」と言った彼のなんと可愛らしいことか。私はその時のことを忘れず、前世はもちろん、今世も弟のように思っていたのだが。

しかし、康久は意味ありげに微笑んで、私を覗き込んでくる。前世はまた違いますけど、と。


「今世で、あなたを"兄"だと思ったことはありませんよ?」


「‥‥‥‥‥‥‥‥じゃあ、姉?」


「さあ、どうでしょう」


クスクスと笑って、康久は先に行ってしまう。最後に、「先生と奥様の支え合いの関係は、素敵でしたね」と言葉を残して。

さっきまで、落ち込みモードだったのに、この変わり身の早さ‥‥‥

やはり、一筋縄ではいかない。手のかかる弟だなあ、と。


「って、おいてくなって!」


行ってしまった康久を慌てて追いかける。

別に、構わないのだが、私たちの荷物の置いてある生徒会には鍵をかけていて、私がその鍵を持っているのだ。

しかし、その時、慌てすぎたのか。角から現れる影に気がつかなかった。


どん、とぶつかってしまう。

相手は、尻餅をついてしまった。


「ごめん!」


明らかに、走っていたこちらが悪いので、謝る。そして、手を差し伸べる。


「大丈夫」


声を聞いて、クラスメイトだと気が付いた。

名前は確か‥‥


「北野さん、大丈夫か?」

「全然よ。こちらこそごめんね」


にこりと笑って、ゆっくりと去っていく。

その姿は凛としているが、どこか愛らしい。

ふわふわの髪が目の端に映る。

それを見たとき、わたしの記憶が、何かを捉えようとして、消えていった。

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