第8話 願い
「ハアッハアッ」
瀬名りかは、息を切らして、走っていた。あまり体力のある方ではない。走るのも、好きではなかった。
しかし、この状況だ。走るしかないのだ。
(嘘でしょう‥‥こんなこと、今までなかったのに)
後ろを見ると、彼女を追いかけてくる大きな影が。
友達と別れた後の学校帰り。違和感に気づいたのは、しばらく経ってからだった。
誰かにつけられている。そう、感じたのだ。
今までにも、同じようなことはあった。けれど、それは友人といる時や明るい時間帯だけだった。自身の写真が入っている封筒が下駄箱に入れられることもあったが、いずれ収まると思って、彼女は我慢してきた。思わず友人には、少し相談してしまったこともあり、警察に行こうと心配されたが、事を荒立てたくなかった為、断っていた。
だけど、今回ばかりはそれを後悔した。人通りの少ない暗い道で追いかけられるのは、恐ろしくて仕方がない。
しかし、息は上がり、足は限界だった。
恐怖を押し殺して、ひたすら走るものの、あえなくして追いつかれてしまう。
振り返ると薄ら笑いをした男が彼女に目を合わせてきた。
そして腕を掴まれてしまう。その途端、ゾワリと粟立つ感覚が現れる。
「やっやめて!!」
声を上げるが、力は強く、ふりほどけない。恐怖が、彼女を襲う。
(やめて‥‥‥助けて!!かずくん!)
その時だった。
彼女の手を掴んでいた男が倒れたのが目に入ったのが。正確には、組み伏せられていたのだけど、それを彼女は知らない。
呆然とする彼女に、黒髪をたなびかせたその人から声がかかる。
「大丈夫か?!」
「織田、先輩‥‥‥‥」
「桜秀!警察に連絡!」
そう、撫子だった。
彼女が何も喋れない横で、撫子は次々に指示を出している。
ぼんやりと前を見ることしかできない私の視界に、彼が飛び込んできた。
「かずくん‥‥‥」
「りかちゃん‥‥‥ごめん、俺‥‥‥」
言い淀む彼に、彼女は迷わず彼の元に駆け寄り、抱きしめる。泣いている彼女を励ます様子を見て、撫子達は、静かに微笑んだ。
⭐︎⭐︎⭐︎
数時間前。
「彼女をストーキングするぞ」
「はあ?!」
「彼女のストーカーを炙り出す」
ただ驚くだけだった桜秀は、私のこの言葉を聞いて、真面目な表情になる。
「‥‥‥やはり、ストーカーがいるんですか?」
「2人に嘘をついている様子は見られなかった。恐らく、彼女の部屋は、ストーカーによって録画されてる。だから、彼の告白は晒されたと考えれば合点がいくだろう?」
一旦言葉をとめて、「それに」と付け加える。
「目安箱に入っていた中に、『ストーカーがいる』って書いてあるのがあっただろう。それから、聞き込みした中に『ストーカー』という言葉がチラホラ聞こえた。この2つが指し示すストーカーは、小宮のことを指している様子だったが、2人の言葉を信じるなら、違和感がある」
「なるほど」
桜秀の相槌に頷く。
そもそも、2人自身の言葉には矛盾がなかった。それなら、告白が第3者によって干渉されたと考えるのが妥当だろう。
「ああ、あと。小宮も連れて来い。事情を説明して、3人で尾行するぞ」
桜秀にそう伝えて、小宮を呼び出してもらう。
彼は最初、事情を聞くと、酷く動揺していた。しかし、彼女の危険を伝えると、ようやく決意をしたようで、私たちについていくことにした。
そして現在。
ストーカーは、小宮のクラスメイトだった。定期的に瀬名にストーキング行為を繰り返しており、彼女の私物に小型カメラを取り付けるほど悪質なことをしていた。小宮の告白現場は偶然、カメラにうつってしまっていたようだ。ストーカーは、それを利用して、小宮をストーカー犯に仕立て上げるつもりだったそうだ。
私がそいつを締め上げたので、警察が来るまでの間に、全て吐いてくれた。
警察を呼び、ストーカーを引き渡した私達。この後は聞き取りが行われるだろうが、小宮と瀬名をそっとしておきたい私たちはとりあえず警察官の方々を引き留めておく。
「かずくん、来てくれてありがとう‥‥!」
瀬名は少し涙を流しながら、小宮に言葉をかける。
「僕は‥‥りかちゃんを疑ったんだ。お礼を言われる資格なんてないんだよ」
「疑ってた‥‥?」
事情を知らない彼女は小首を傾げる。彼は自虐気味に語る。
「君に振られたことがクラスに広まったんだ。広まった原因が君だって、疑ってしまったんだ」
「え‥‥?!」
彼女は、その噂について知らなかったらしく、純粋に驚いている。こういう悪意のあるものは意外と当事者には知らされないものだったりする。
「君が苦しんでいたことも知らずに、勝手に復讐してやるなんて思ってたんだ!馬鹿だろう?!」
彼の叫びに、彼女は絶句する。手で口を押さえて、何も言えないようだ。2人の間に沈黙が流れる。その様子は痛々しくて、見ていられない。
「織田さん‥‥?」
桜秀が私に声をかけるが、無視して彼らに近寄って行った。
もどかしい2人に、私が言ってやる。
「確かにお前は馬鹿だ」
「‥‥‥!」
私の言葉に、小宮は心底ショックを受けたような顔をした。
「振られたからって、早とちりして、何も悪くない彼女を疑った。しかも、好きな彼女の隠していた苦しみに気づいてやることもできない。これを馬鹿と言わずして、なんと言おうか」
「やめ‥‥」
瀬名が小さな声で言うが、無視して続ける。
「そもそも、そんな仕打ちをしておいて、謝罪の1つもないのか?これだから、馬鹿はー‥‥」
「やめて下さい!かずくんをバカにしないで下さい‥‥」
「りかちゃん‥‥」
瀬名は震えながらも、こちらを強く睨んでいる。その健気な様子に、私は微笑む。
「なんだ相思相愛じゃないか」
「「え?」」
私の言葉に顔を見合わせて、すぐに赤くなる2人。あー初々しい。まったく、見てられない。
「小宮、素直になれ。捻くれた言葉を向けるんじゃなくて、素直に彼女自身を見ろ」
それでも、口を開いたり、閉じたりするだけしか出来ない彼に、もう一発喝を入れる。
世話のかかるやつだ。
「私は、お前の願いを叶えてやると言った。私は約束は守る。お前の、本当の願いはなんだ?」
ハッとした顔をした彼を見て、「もう大丈夫か」と思う。
邪魔者はさっさと退散した方がいい。
そう判断して、桜秀と一緒に私は帰路についたのだった。
しばらく歩いて、そっと振り返ると、2人は寄り添うように見つめ合っていた。
⭐︎⭐︎⭐︎
「結局、なんで瀬名さんは、小宮君を振ったのでしょうか?」
「それは、ストーカーがいたからだろう。彼と付き合ったら、小宮に危害が加わると思ったんじゃないか」
「彼のこと、すごい想ってるんですね」
「そうだな」
ふと、考える。
私にも、そんな風に他人を想うことはあるのだろうか。
前世も、今世も、私は恋をしたことがない。
妻がいたことはあるが、あれは政略結婚であり、単なる戦略の1つでしかなかった。
だが、平和な時代に生まれて、16年。私もいつか、誰かを真剣に想って、悩んで、苦しんだり喜んだりすることがあるのだろうか。
そこまで考えて、首を振る。
それはないなと思う。私に、そういう感情は似合わない。私は今世も、天下統一のためだけにこの身を使うつもりだ。
と、そこまで思考を巡らせて、桜秀がずっと黙っていたことに気がついた。
「どうしたんだ?」
「いえ‥‥‥‥‥俺は‥‥素直になれていなかったのかもしれない」
多分、前世のことを言っているのだ。そういうのは、雰囲気で分かる。
「だから?」
「え?」
「だからなんだって言ってんだ。私だって、素直になれてなかったぞ」
私の晩年は、光秀に対して、怒ってばかりで彼の話を聞こうとはしなかった。
光秀のことを、信じられなかったのだ。そして、捻くれてしか彼を見ることが出来なかった。
それが、余計にもどかしくて、怒鳴ってばかりだったんだ。
そういえば、私はさっきも桜秀と喧嘩をしてしまったのだったと思い出した。改組制度の件で。
ストーカー事件によって、忘れてしまっていた。
桜秀の言い分もよく分かっていたのに、彼の意見を聞き入れていなかった。
私は、そこで初めて、今世も素直になれていなかったと気づき、そしてそのことを認めた。
「‥‥‥‥‥やっぱり、改組制度の件は、もう1度考え直してみる」
「え?!」
またも、驚く桜秀。今日はこいつ、「え」ばっかり言ってるな。
「いいんですか?」
「元々、お前の言う通り、無理のある提案だとは思っていた。ただ、私が頑固になっていただけだ」
諦めたわけじゃないがな、と。
「俺の意見を、いいと思っていたんですか‥‥‥」
桜秀が呟く。その言葉に今度は、私が驚いた。
「知らなかったのか?」
「知るわけありませんよ」
そう言われて、確かにと気付く。口に出していないことを分かるわけもないか。
「なんていうか、改めて報連相って大事なんだな」
「相互不信になってしまいますからね」
顔を見合わせて、困ったように笑う。
小宮と瀬名の2人の問題も、会話不足によるすれ違いが起こしていた。
もしかしたら、私が知らないだけで、桜秀にも言っていないこと、それによって起きてしまったすれ違いがあるのかもしれない。
恋をする日が来ることは願わないけれど。
いつか、本能寺の変の日に、お前が何を思い、見たのか、聞いてみたいな。そしたら、自分が考えていたものと違う事実が出てくるかもしれない。
遅くなりました!次話から文化祭の準備に戻ります!




