第2話 明智桜秀という男
天正10年6月2日
京都・本能寺にて。
「きゃあああああ」
「なにをしている!女子供は逃れよ!」
激しい戦場の中、逃げ遅れた者達に私は焦って言う。
「しかし‥しかし!」
「いいから!行け!」
そのあと、いくつか言葉を交わした気がしたが、それはもう忘れてしまった。
しばらくして、私に言われた者は少し迷ってから走って逃げていく。
それでいい。それでいい。
私は、もう死ぬのだから。
部下の謀反。
私は、少数の武士しか引き連れておらず、武装もしていない。
兵の数は実に何倍もの差があった。
計算し尽くされた謀反の計画。
感情的に行動に移したわけではないことが分かり、全くもって、あいつらしい。
だが、私の首は決して渡すまい。
「信長様、こちらへ」
「ああ。頼む」
私はこれから切腹する。だから、ここで最後の仕事をしなければならない。
ゆっくりと息を吸い、叫ぶ。
「皆のもの!戦いながら聞け!これから私は死ぬ!それまで奥の部屋を明け渡してはならない!」
この場は任せても大丈夫だろう。
私の味方が僅かに頷いたのを見届け、私はその場を去ろうとした。
その瞬間だった。
一瞬だけ、あいつと目があった。
私達は数十メートル離れていたが、すぐにわかる。
その瞬間に私の中に湧いてきた感情は、様々。
謀反の恨み、しかし捨てきれない部下への慈しみ、それゆえの裏切られた悲しさ、死への寂寥ー‥‥
激情だった。
多くの感情が沸いては沈み、その交錯が私の心を滅茶苦茶にする。
だけど、もう一つ。もう一つだけ、私の中に大きく、確かな感情があった。
それは。
それはーー
「‥‥‥‥っ」
チャイムの音にハッとする。
昔のことに思いを馳せていたら、少し眠ってしまったらしい。前世の夢を見ていた気がするが、どんな内容だったか思い出せない。
ただ、胸の奥がきゅうと締め付けられるような感覚が私の中に残っていた。
目覚めた私は、あのことも夢だったら良かったのに、とぼんやりと考える。
あのこととは、例の転入生のことなのだが‥
「ねーっ今日、転入生が来るんだって!」
「男子?女子?」
「男子!結構かっこよかったよ〜」
「はー?男子かよ!女子がよかった」
「名前は明智?織田さんと明智くんで本能寺の変始まっちゃうじゃん」
教室内がドッと湧き上がる。転入生、という存在に皆浮き足立っていることは丸わかりだった。
ところが、私はそれどころではない。
その転入生の存在が、本当に明智光秀の生まれ変わりなのか、そうじゃないのか。気が気ではないのだ。
昨日は、私と桃吉と康久の3人で話し合っても答えは出ず、結局実際に会ってみて判断ということになった。
そんなに悩むことじゃないよ、と桃吉は言ってくれたが。
はあと一人で頭を抱える。
桃吉は別のクラス、康久はそもそも違う学年。なので、彼との初対面は私ということになる。
正直言って、気が重い。
前世で自分を殺した男だぞ?気まずいどころの話ではない。
と、考えていると、教室の扉が開き、担任の先生が入ってきた。
「はーい。静かに。今日は転入生を紹介します」
予想されていた言葉。わあああっと教室で歓声が上がる。
「はいはい。静かに。‥‥入っていいぞ」
遠慮がちに入ってきた、明智桜秀という男。
その姿が私にはスローモーションに見えた。周りがうるさいが、その声は遠く聞こえる。
その中で、私は冷静に思考する。
ああ、光秀だ、と思った。
顔こそ前世とは違っているが、その雰囲気が、動作がそのまま光秀だった。
目を離せずにいると、彼はこちらを向こうとしたので、慌てて目を逸らす。
先生が促し、彼は簡単に挨拶をした。
「京都から来ました。明智桜秀です。よろしくお願いします」
京都。そこは前世の私達にとって馴染み深い土地だ。
「まじか‥」
そして本能寺も、京都にある。
口に手を当てて考え込む。
ということは、前世を覚えていたり思い出している可能性も十二分にあると考えられるのだ。
「ーー、ーい、織田ー?織田!!」
「あ、はい」
担任教師に呼ばれていることに気がついて、慌てて答え、席を立つ。
「明智、今立ち上がった女子の隣の席だから」
なんで、私の席の隣なんだ‥‥
隣の席、空いてるなとは思っていたが。なんでわざわざ‥‥
と、頭を抱えそうになるのを必死に堪えていると、彼はこっちにやってきた。
心臓が、大きく鳴る。
彼と真っ直ぐに目が合ってしまったら、どうなるのだろう、と。その不安が私の頭をよぎる。
しかし彼がここまで来るのを待たずして、先生は私に対する爆弾発言をしてきた。
「よし、次の授業はちょうどホームルームだから、織田。案内してやってくれ」
「はあ?」
思わぬ言葉に目を向くと、先生は悪びれずいった。
「お前、次期生徒会長候補だろ?そのくらい面倒見てやれ」
どうやら私が面倒だから嫌だと思っているみたいだった。
違う。そういう問題ではないのに。
しかし、クラスメイトの目線は、こちらに集まっている。とてもじゃないが、断れる雰囲気ではない。
いや、しかしー
「織田、いいよな」
「はい‥‥」
先生の最後の念押しに、私はうなずくしかなかった。
⭐︎⭐︎⭐︎
「前の学校では剣道部に入っていたのか」
廊下に私の声が響く。
現在、桜秀を連れて案内している途中だ。とりあえず一通り案内をし、私達は部活の話をしていた。
「はい。だけど今回の学校ではどうしようか迷っていて」
「そうだな。私も中学までは剣道をやっていたのだが、高校ではやめてしまったしな」
「そうなんですか」
桜秀の言葉に頷く。
予想外にも、私は彼と普通に話すことが出来ていた。
まるで、それが本来の関係で、当たり前かのように。
「生徒会に入って、忙しくなってどうしてもな」
「ああ、さっき先生が言っていた『生徒会長候補』ですか?」
「そう。よく覚えているな」
「すごいですね、生徒会長」
「いや、そうでもないぞ」
はは、と乾いた笑いをする。
‥‥‥‥言えない。
天下統一の足掛かりに、生徒会長を目指してるなんて、言えない。
色々と誤魔化すために、咳払いをし、話題を変えてみる。
「それより‥‥明智、なんでずっと敬語なんだ?」
少し、彼をなんて呼ぶか迷った。そして無難に名字で呼びかけ、疑問を口にした。
すると、今度は彼は明らかに目を泳がせていい澱んだ。
「‥‥あー。えーと、なんとなく、ですかね」
「あと、京都弁ではないのか?」
「ああ、それは練習してきたんですよ。こっちで浮いてしまわないように」
気まずそうな表情としどろもどろな言い訳。聞きたくなってしまう。
やはりお前は前世を覚えているのか、と。
「へえ」
「‥‥」
「‥‥」
しかし、私は質問を飲み込み、黙り込む。
すると、微妙な雰囲気になってしまった。
その空気を変えようと、他の話題を探す。
他愛のない話、他愛のない話と考えて、はたと思い至る。
思い浮かばないはずだ。
前世はそんな話をしたことはほとんどなかったのだから。
戦や領地や堅苦しい話ばかりで。
それに、こうやって「対等」に話すこと自体、絶対になかったことなのだ。
だから、こうやって何気なく離せている方がイレギュラーで。
急に、どうしていいのか分からなくなった。
「‥‥京都は、どんな場所だ?」
だから、唐突な質問になってしまったのは仕方がない。
「え‥っと‥‥」
「あー、ごめん変な質問だな。ただ、京都には行ったことなくてな」
嘘ではない。
生まれ変わってからずっと避けてきたからだ。死んだ地というのももちろんある。あるが、なによりもあそこには、思い出が多すぎるのだ。
「そうですね‥‥」
桜秀は、視線を少し下げ、考え込む。
「答えになっているか分かりませんが、そこは思い出の地、ですかね」
「は?」
驚いた。私と同じことを思っていたなんて‥‥
目を見開く私に、彼はふわりと笑う。
「生まれて育った地ですので」
「あ、ああ。そういうことか」
うん。そういうことだよな。当然だ。
またも、沈黙が流れる。
うーん。あとは、光秀が喜びそうな話題ってなんだ??
ええい、まどろっこしい。昔なら、こちらが気を遣う必要なんてなかったのに。
むしろ、腕前を見たいと言って、わがままを言うことも出来た。相撲大会をさせたり、鉄砲を扱わせたり‥‥
「あ」
ピンと来た。
桜秀は不思議そうにこちらを見ている。
確かここの近くにあったはずだ。
「なあ、少し行きたいところがあるんだが、いいか?」
⭐︎⭐︎⭐︎
「なんや、すごいな」
京都弁だ。
桜秀は素の言葉で感動している。 ここに連れてきて正解だったなと思う。
「あ、すみません」
「いや。すごいだろう、この部活は」
私の言葉に力強く頷く。
私が彼を連れてきたのは、部室だ。
ライフル射撃部という部活の。
光秀は、鉄砲の腕前がピカイチだった。
だから、この部活があると知ったら、喜ぶかなと思ったのだ。
まあ、正直言うと、気まずいから、剣道部に入部しないように誘導する意味合いもあったが。
「試し撃ちしてもいいんだぞ」
「え、勝手にいいんですか?」
「度々ここの部活の助っ人に来ることもあるし、大丈夫だ」
「じゃあ、一回だけ」
桜秀は、そう言って、ライフルを手に取る。鉄砲とは遥かに違う感触であろうが、重さはそれと大して変わらない。
所々、使い方は教える。飲み込みの早い彼は、すぐに覚えて、ライフルを構えた。
静かに、10メートル先の的を見つめる目は、真剣そのものだ。
構える時の気品と確固たる意思、そして力強さ。
その息遣いさえも、昔を想起させる。
私は、この瞬間、前世を懐かしく思ったのだ。
パンッ
的の真ん中に当たっている。
初めてのはずだが、すごい。
「お見事」
「どうも」
でも、納得いかない。私は、真ん中に当たるまで割と苦労したんだぞ?とてつもなく悔しい。
悔しいが、それを口に出したら、信長の生まれ変わりだとバレてしまいそうでこわい。
しかし、その代わりに、ポツリと呟いてしまった言葉はもっとまずかった。
「‥‥本当に、いつもながら、すごいな」
「え‥‥」
彼の戸惑った表情を見て自分の失言に気がついた。
「いつもながら」って、ずっと前から知ってるみたいに言ってしまった。
「あ、いや違‥‥」
う、まで言いかけて、こっちを真っ直ぐに見つめられる。
「ずっと疑問に思っていたんです」
そう言って、私に一歩一歩近づいてくる。その度に私は後ずさる。
「あなたに、どこかで会った気がして」
私は壁際まで後退しきってしまい、いよいよ追い詰められる。
やばいやばいやばい。
そんな風に冷や汗をかいている私の横の壁に、桜秀はそっと手をおく。
やばい。
「あなたは‥‥」
やばい。
「あなたは、織田信長の生まれ変わりですよね?」
ばれるーーーー!!!