ナツグミに隠れたすてきな病院
私が住んでいる海辺の町には、おもちゃ専門の病院がある。そこのお医者さまにかかれば、どんなに壊れたおもちゃも元通りになると、すこぶる評判が高い病院だ。
そのおもちゃ病院は、明治時代の個人医院をリノベーションした建物だ。瓦屋根の西洋館はこじんまりとしていて、庭に広く場所が取られている。玄関までのアプローチには、今は白ユリと黒ユリのつぼみが並んでいる。白黒のユリ花壇の中にはクマのガーデンオーナメントが佇んでいて、『Welcom』という札を持っている。
そして玄関口にかけられた『くまのおもちゃ病院』と書かれた看板は、いつもナツグミの木に隠れていた。このおもちゃ病院の看板がかけられているのは、玄関口だけだ。
私はおもちゃとそう縁がない、いい歳した大人だ。そのうえ独身で子供もいないので『くまのおもちゃ病院』に行ったこともない。ただし病院向かいの喫茶店に通っているので、様子は目に入る。ときには開院前から何人か並んでいて、病院を出るときは、みんな良い笑顔になっている。どうやらお医者さまの腕は本物らしい。
私は喫茶店からおもちゃ病院を見つめるのが、日課となっていった。
ある日のこと。同じ町に住む旧友と、彼の六歳になる息子さんから、おもちゃ病院の中について聞いた。
旧友は子供の頃からおもちゃ収集家で、結婚後もその趣味は変わっていない。自分の部屋の壁一面に、おもちゃを並べているそうだ。
旧友は今年の春に新しい家族……娘さんが生まれた。なので、赤ん坊の娘さんの世話をしたり、上の息子さんの遊び相手をしたりと、育児に忙しい。
今日、旧友は息子さんとおもちゃ屋に行った。その帰りに私と喫茶店で会っている。旧友が座るソファー席の隅には、新しく購入したらしい、おもちゃが置いてあった。
「どうだ。このおもちゃ、なかなか面白そうじゃないか?」
旧友がしたり顔で聞いた。
「まぁまぁかな。……お前、奥さんはどう言ってるんだ。その収集趣味」
喫茶店のウェイトレスが「お待たせしました」と言って、私の席に、冷えたバニラアイスと熱いエスプレッソ珈琲を置いた。旧友とその息子さんの席には、メロンソーダふたつ、ピザトースト、フルーツパフェを置く。ウェイトレスはオーダーに間違いがないか確認すると、「ごゆっくり」と頭をさげて、厨房へ戻っていった。
「うちの奴か? いやぁ、結構うるさいよ」
旧友はピザトーストを前にして、丸い顔いっぱいに笑った。旧友の裕福さとだらしなさは、丸々とした巨体に表れている。
「少年と男の違いはおもちゃの値段だけ……とかナントカ、俺にチクチク言ってきやがる。ま、聞こえないふりをしているけどな!」
厨房にいるウェイトレスが、軽蔑の目でこちらを見ていた。
「笑いごとじゃないよ。パパ」
幼い息子さんが、旧友のわき腹を肘で押した。息子さんも父親ほどではないものの、顔の輪郭が丸い。
「パパがこんなんだから、ママは僕に『パパみたいになっちゃ駄目』って言うんだ。なのに、今日もまた自分のおもちゃだけ買って!」
「赤ん坊へのおもちゃも、ちゃんと買ったぜ」
「歯がためだけね!」
「そう。お姫さまが存分にかじれるよう、天然素材の歯がためだ」
何を言われても、旧友はひょうひょうとした態度だ。息子さんは頬を膨らませたまま、パフェスプーンを握った。
「まったく。パパのせいで、僕はあまりおもちゃが買ってもらえないっていうのに……」
息子さんがフルーツパフェのさくらんぼを、スプーンですくう。
「……だからさ。僕は壊れたおもちゃをよく、あの病院に持っていくんだよ」
スプーンからパフェの生クリームが垂れて、喫茶店の机を白く汚した。
旧友の息子さんは、窓からおもちゃ病院を見ている。息子さんはさくらんぼを飲み込むと、私に向き直った。
「あそこの先生にかかれば、どんなに壊れたおもちゃも元通り。そのうえ、おもちゃの改造もしてくれるんだよ」
「改造?」
私はアイスクリームをすくうのを、やめた。
「うん。おもちゃのパーツを、他のおもちゃにつけてくれる。たとえば……おじさん、今食べている珈琲がかかったアイス、なんて名前だっけ?」
息子さんは、エスプレッソ珈琲がかかったバニラアイスに興味津々だ。
「ああ、これはアフォガートだよ」
「アフォガート。うん、僕は今フルーツパフェを食べているけど、アフォガートも食べたくなったとするよ」
息子さんが、私のアフォガートの横に、自分が食べているフルーツパフェを並べた。
「そういうとき先生に『このふたつを使って、アフォガートのパフェを作ってよ』て言うとね。フルーツパフェからメロンとミカンを抜いて、珈琲をかけてくれる。……そういう改造を、やってくれるんだ!」
私はいまひとつ話の意味がわからず、眉を寄せた。ピザトーストを食べている旧友が笑う。
「子供の話は、わかりづらいよな。……ようは、うちの子が持っていったおもちゃ達を使って、新しいおもちゃを作ってくれるのさ。しかも足りない部品は、用意してくれる。アフォガートパフェにたとえるなら、珈琲に合わなさそうなメロンとミカンは抜いて、バナナとチョコチップクッキーを追加してくれる訳だ」
私は感心して、アフォガートとフルーツパフェを見つめた。
「なるほど。そういうこともしてくれるのか……」
「そうそう。息子だけじゃなく俺も、あの病院の先生には世話になってるんだぜ。ほんと先生は、たいした腕前だ」
旧友が、ぐっと身を乗り出してきた。
「先生はまるで神さまだ。俺の大事な兵隊コレクションも、あの病院で元通りにしてもらったんだ!」
「パパの兵隊さん、ぼろぼろだったよねー」
「ああ。腕が伸びきっているのもあったし、目玉が取れているのもあった……」
旧友がまたひと口、ピザトーストをかじる。旧友の歯とトーストの間にチーズの橋がかかり、皿にスライストマトが落ちた。
「他にもぐちゃぐちゃなところがあったけれど、全部、先生が治してくれたよ!」
息子さんがフルーツパフェの底のほうを、スプーンでぐるぐるかき回している。バニラアイスが苺ソースと混ざってピンク色になり、コーンフレークが沈んでいた。
私は喫茶店にいる間、旧友からおもちゃ自慢と、生まれたばかりの娘さんがいかに愛くるしいかを、さんざん聞かされた。デザートを食べたあとも。
支払いを終えて喫茶店を出たとき、旧友は改めて、私に言った。
「お前も壊れたおもちゃがあれば、あそこに持っていくといい」
私は肩をすくめた。
「いいや。私はお前ほど、おもちゃ好きじゃないよ。もういい大人だしな」
「そうかな?」
旧友がにやにやと笑う。
「昔はよく、一緒におもちゃで遊んだよな。なぁ――いい大人なら童心の大切さがわかるはずだ。お前の家にだって……捨てられないおもちゃが、ひとつくらい転がってるんじゃないか?」
「………」
「図星だろ」
「ああ、あるよ」
ほとんど処分してしまったが、ひとつだけ、家に残しているおもちゃがある。
ただ、もう治しようがないほどぼろぼろで、何年間も放ったらかしだ。愛着だけで捨てられないでいる。
「調子が悪くなったら、自分なりに治していたっけな」
「それ、うちの奴もやっている」
「うん。僕のママにも、大切にしているおもちゃがあるんだよ」
旧友と息子さんが、楽しそうに目配せをした。
「不器用なのに……あいつのそういうところ可愛いけれど。先生に診てもらったほうが、綺麗に治るのになぁ」
私はあごに手を当てて、道路向かいにあるおもちゃ病院を見つめた。
「ふたりともずいぶん……熊野先生を、信頼しているんだな」
「え?」
息子さんが顔をしかめる。
旧友も同じようなしかめっ面で、私の視線の先を追った。すぐにまた、いやらしい笑顔に戻る。
「おじさん、今なんて言った?」
「先生を信頼しているんだなって」
「その前……」
「あぁ、信頼しているさ!」
旧友が大声を出して、私と息子さんの背中を叩く。それから丸い体を揺らし、自信満々に言った。
「だからいつか、お前もあの病院に行きな。お前の大切なおもちゃは元通りになるし、ここからじゃ見えないものだって、見えてくるだろうよ」
旧友の言い方にはひっかかりを覚えたが、深く追求しなかった。
旧友と息子さんは新しいおもちゃと、赤ん坊への歯がためを脇に抱えて、家へと帰っていった。
それからもずっと、私はおもちゃ病院を観察し続けた。
ある雨の日、大怪我を負った恋人たちが、病院のドアを叩いていた。先生が出てきて、玄関口で対応していた。旧友が『まるで神さまだ』と称した先生は、背中が丸い老人だった。
恋人たちは「治してくれ」とすがっていたが、先生は「君たちはおもちゃじゃないから」と追い払っていた……まぁ、おもちゃ専門であるから仕方ない。
たぶんあの人間たちは、先生の腕が良いから自分たちも治してもらえると、かん違いしたのだろう。
また、ある晴れの日のこと。
入道雲の下、段ボール箱を抱えた小さな女の子が、泣きべそをかきながら病院にやってきた。
白いブラウスが似合う、可愛らしい女の子だった。両手で段ボール箱を抱えているので、顔をつたう汗も涙もふけていない。
私は喫茶店でランチを注文したあと、その女の子を窓から見守った。
あの子はきっと、大好きなおもちゃを持ってきたのだろう。ひとりで来たのは親にきつく怒られたから。おもちゃを壊したことで……。
経験からわかる。段ボール箱にすっぽり入ってしまうくらい、壊してしまったんだ。しかし愛する持ち物を壊してしまうのは、子供らしい証拠だ。何も気にすることはない。
私がチキンカツを食べ終えて、焙煎珈琲を飲んでいたころ――あの泣いていた女の子が、病院から出てきた。女の子は治療を終えた人形と手を繋いで、もう、とびきりの笑顔だった。
私は女の子の笑顔よりも、彼女の持ち物である人形に、釘づけになった。
美しく、女の子よりずっと大きい人形だった。そしてその人形は、驚くほど綺麗に治っていた。段ボール箱に収まるほど壊れていたなんて、とても信じられない……。
人形の肌は透けるように白く、痣も、つなぎ目も、見当たらない。憂いを帯びた目玉は、きちんとふたつそろっている。すこし震えているようだが、人形は、自分の足で歩いている。
女の子が笑いかけると、人形は何も言わず、頬から涙を落とした。
女の子と人形が去ってゆく。病院玄関口の花壇で、白ユリと黒ユリが咲き誇っている。白ユリには蜜蜂、黒ユリには蠅が集まっている。クマのオーナメントの青い目が、ユリの花壇で光る。
強い風。ナツグミの葉と赤い実が揺れる。そして病院の玄関口にかけられた、看板の全貌が現れる。
……熊野先生の病院だと勝手に思い込んでいたが、違った。『くまのおもちゃ病院』の前には『だいあ』という文字が、隠れていた。
私は自分の思い違いがおかしくて、ひとりで笑った。珈琲に己の笑顔が映る。
そうだ。今度うちの地下室に転がっているおもちゃも、あそこに連れて行こう。
とても気に入っていたから、つい遊んでいるうちにばらばらにしてしまい……踏み潰した部分もあるが。
あの病院なら信頼できる。きっとまた楽しく遊べるよう、魔法のように、元通りにしてくれるだろう。