彼女が眠るまで
なんとなく顔を見に行かないといけない気がした
後からでも明日でもなく…今
アルフレッドは目の前の状況にらしくもなく混乱していた。
今日の訓練を一通り終え、汗も流して、急ぎの書類に目を通した後、アルフレッドは久しぶりに部屋で読書を楽しんでいた。
しかし急に、なんとなくシエラの研究室を訪ねないといけないような気がした。
何故か、と言われれば明確な言葉に困るのだが、これが野性の感だろうか。
アルフレッドはいつものように人目につかないよう窓から入る。否、入ろうと思い今日は異変に気が付いた。
窓の淵に手と足をかけたまま固まる。
なぜか、窓の下でシエラがうずくまっていた。
最初は具合が悪いのかと思って焦ったアルフレッドだが、ふと耳にしゃくりあげるような声が聞こえた。
(泣いて…いるのか)
「シエラ…?」
なぜ
疑問はぬぐえないままだがとりあえず声をかけた。
びくっとシエラの肩がゆれる。
「………」
「………」
お互い無言の沈黙が続く。その間もしゃくりあげる声だけは止まない。
どうしたものかとアルフレッドは悩む。
こんなシエラは知らない、見たこと無い。だっていつだって…
(…いつだってシエラは最後笑顔だった)
しかしこのままでは埒があかない。
そう判断したアルフレッドはとりあえず研究室に入りシエラの前に膝をついてしゃがんだ。
(小さいな…)
率直な感想だった。彼女はこんなにも小さかっただろうか。
顔は腕にうずめたままだが、目の前に人が来た気配がわかったのか、またシエラが再び震えた。
さて、どうしたものか。
アルフレッドが本気で困っていると、シエラが何か感じ取ったのか震える声を押し殺しながら小声で言葉を紡ぐ。
「…っ、だ、じょ…だか…」
「…シエラ」
しゃくりあげる合間にしゃべるものだからうまく聞き取れない。よく耳を澄まして次の言葉を待つ。
「だい、じょぶ…だから…」
「………」
「…きに、しな…で。ごめ…さい」
大丈夫、気にしないで、ごめんなさい
そう言われているのだと意味を理解した瞬間、アルフレッドの中に怒りがこみ上げてきた。問いかける声が自然と大きくなる。
「何が…、何…っが、大丈夫なんだ」
(何が大丈夫なんだ、こんなに…泣いてるじゃないか)
シエラを押すようにして勢いよくそのままシエラの左肩を掴む。後ろにバランスを崩して腕がほどけた瞬間に今度は倒れないように空いている手でシエラの右手を掴み支える。
これ以上顔を隠せないように。
どうして、なんで、自分はそんなに頼りないのか
行き場の無い怒り。それはもはや八つ当たりに近いものなのかもしれない。
頭ではわかっていても、やるせなさは胸のうちにしまっているほど小さくなく、またアルフレッドも大人になりきれなかった。
シエラは勢いでしりもちをついたような格好になり、呆けた顔でアルフレッドを見上げていた。
そんな顔を見てやってしまった、と思う反面、泣き顔はじめて見るなと冷静に思う自分がいるのをアルフレッドは感じていた。
ふと我に返ったシエラはまた顔を隠そうと腕を振って抵抗する。
しかしそんな赤子の抵抗のようなものがアルフレッドに通じるわけもなく、抵抗は無駄に終わる。仕方が無いので今度は言葉で抵抗する。
「手…は、なして、ください」
「嫌だ」
あまりの即答にびっくりしたシエラが一瞬固まった。でもシエラも今は本気で泣き顔を見られたくない。もう一度震える声でお願いする。
「はな、し…て」
「嫌だと言っている」
またしても即答。なかなかわかってくれないアルフレッドに対し、シエラにも怒りがこみ上げてくる。誰のせいでこんなに悩んでいると思っているのか。誰のせいでこんなに苦しい思いをしているのか。
こうなるともうシエラもやけっぱちである。
「だっ、だって、わた、っし、…薬、くさくて、仕事…しか、できなくて…、手だって…まめ、だらけで…やわらかく、なくて。…全、然…女性、らしく、なくて………それっ…で……」
だんだんと声が小さくなる。
シエラ自身、何を言っているのかわからなくなってきたがアルフレッドはじっと聞いている。話しながら冷静になってくると、恥ずかしさや申し訳なさ、情けなさがこみ上げてきていたたまれなくなる。
「……ごめん、っなさい」
いい歳して訳のわからないことばっかり言ってしまった。アルフレッドの顔を見ることができず下を向いてとりあえず謝る。また涙が出てシエラの下の床をぬらした。
しばし沈黙が続いたが、次に声を出したのはアルフレッドだった。
「シエラ」
「…ひっ…く、」
「シエラ」
もう一度、ゆっくりシエラの名を呼ぶ。
「……っ…」
今度こそ、シエラが顔をあげた。その目には涙がいっぱいにたまっている。
アルフレッドは肩を掴んでいた右手を頬にあて、親指で目元にたまった涙をぬぐってやった。一瞬だけ肩をふるわせたシエラだがそれを拒むことは無くおとなしくされるがままになっている。
アルフレッドはこぼれる涙を何度もぬぐい続けた。
どれくらい経ったか、シエラが落ち着きを見せ始めた頃に今度はアルフレッドがぽつりぽつりと話始めた。
何がなんだか泣いている経緯はまったくわからないが、先ほどの言葉に対しては言いたいことが沢山あった。
「…薬くさいとは、言ったが…嫌だと思ったことはない」
「………」
「シエラ、オレは一応第三王子だぞ」
「………っぅ」
シエラはまだ少ししゃくりあげてはいるものの、アルフレッドから視線を逸らさずきちんと話を聞いている。
「これでもオレは結構忙しいんだ。そんなオレが、嫌だと感じる場所で寝られると思うか?」
「………」
少し考えた後シエラはふるふる、と何も言わず首を横にふった。
それを見てアルフレッドはゆっくり続ける。
「それにオレは、出会ってからシエラをずっと見てきた」
「………」
「…確かに会ったのは、お互いの人生でいえば最近かもしれない。でもずっと見てきた」
「………」
「だから…この指が、ロールウェイスで多くの人を助けてきたこと、毎日仕事をしている人間の指だってこと、よく知っている」
「…っ……」
そういって視線はシエラと合わせたまま、アルフレッドは掴んでいたシエラの指先にやわらかく口づけをする。
握っただけでまめの出来た手だとわかる。
確かに他の女性に比べたら硬いのかもしれない。それでも剣だこばかりのアルフレッドの手に比べれば十分柔らかい。
特有の薬の匂いだって、シエラの人生そのものでもある。
それにこの手は、シエラが今まで頑張ってきた証だ。
自分を助けてくれた手だ。
そんなシエラだから、自分はこんなにも気を許しているのだ。
第三王子という派手な身分と整った容姿に反して、実は色恋沙汰に慣れていないアルフレッドの精一杯。伝われば良いと思いながら少しだけ握った手に力を入れた。
シエラはその行動に大きく目を見開いた。
泣きすぎて疲れきって夢の中にいるようなふわふわした気分だが、指にあたるアルフレッドの口元のぬくもりと吐息がそれを現実だとわからせる。
それを皮切りに、シエラの中でもう一度何かがはじけたのかまた見開いたままの目に涙がたまってきた。
泣き出すまでにそう時間はかからず、シエラはまた肩を震わせて泣き出してしまった。
「シエラ」
今日何回呼んだかわからない名前をもう一度呼ぶ。
すると「ごめんなさい」と小声で謝罪が聞こえ、次の瞬間 ふわり と嗅ぎ慣れた薬の匂いと暖かい温度。シエラが抱きついてきたのだと理解するのに結構時間がかかった。
あいている左手を器用にアルフレッドの首に回して抱きついてくる。アルフレッドがゆっくり握っていた右手も解放してやると両腕でさらにきつく抱きしめられた。首筋にかかる息や涙に心臓が高鳴る。
(だめだ…やっぱり…欲しい)
どっちでも良いと思っていた自分はどこへやら、そんな自分に心の中で苦笑しつつアルフレッドはシエラの震える背中に腕をまわした。