僕は生きるために死ぬことを決意した
トールが杭を引き抜いた。
それから、僕の身体の下に手を入れて、持ち上げて、ベッドに戻した。
「……落ち着いたか?」
トールの問いに僕は頷いた。
「おとなしくしてろよ、ったく……」
ひらひらと手をふって、トールは部屋を出て行った。
杭が抜かれて、血はすぐに止まった。ひきつれたような形であとは残っているが、指で触れると穴はふさがっていた。
血が抜かれたせいか、頭が軽くなったように思う。血の気が引いて少し気分は悪かったが、頭の歯車はきっちりと噛み合っている気がした。正常な意識が、ようやく戻ってきた。
ストルイム、奔流に連なる者、生命の集合体。
なぜ、僕なんかが表に出てしまったのか。こんなみっともない人間が。
インガの10年を思う。気が狂うほどの時間を暗い洞窟で祈り続けた少女。その結果が僕ならば、なんて救われないことか。
(あぁ、死にたいな、死にたい)
だが死ねない。何度死んでも身体は修復されてしまうのだ。情けなさすぎて、涙がこぼれた。
「……すとるいむ?」
いつのまにか、インガがベッドの脇に立っていた。
「すとるいむ、泣いてるの?どうしたの?痛いの?」
「……うん、痛いんだ、心が」
「胸が痛いの?」
インガは僕に近寄ると、小さな手で僕の胸をなでてくれた。とてもやわらかくてあたたかい手だった。
「……痛い?」
僕は頷いた。
「この痛みは消えないんだ、きっと一生」
どうしようもなく、涙がこぼれて止まらなかった。
「……ごめんな」
「……?」
「ストルイムが僕みたいなやつで。僕はだめなやつなんだ。幻滅しただろ?」
しばらく、僕らは黙ったまま見つめ合った。沈黙が重たく感じた。
「……インガはずっと、思ってたのです」
とインガは静かに話し始めた。
「インガは何も知らなくて、何もできなくて、とてもだめだめなのです。だから、すとるいむがインガのこと要らない子だって思ってるんじゃないかと思ってずっと怖かったのです」
「……そんなこと、ないよ」
と僕は言った。
「頑張ってきたこと、知ってるよ」
そう言って、僕は唐突に思い出した。この世界に召喚され、洞窟の祭壇で目覚めた時のこと。湖から這い出した僕をインガがのぞきこんでいた。あの時、インガは泣いていたんだ。だから、僕は手をのばした。その綺麗な顔をつたう涙の雫をぬぐいたかったんだ。
「……インガはだめな子なので、私なんて必要ようなのは、とてもだめな人なのです。でもやさしくて、強くて、でも、とってもだめな人なのです。私が必要なのは、きっとそういう人なのですっ!」
インガは笑って、そっと僕に抱きついてきた。
「おかーさん」
とインガは耳元で呟いた。
「インガがおかーさんになってあげるのです」
インガの身体は不安になるほど軽くて、とてもあたたかった。
「昔、インガがとても小さかった時、夜、怖くて泣いてたらおかーさんが優しく抱きしめてくれたのです。温かくて、インガは心もぽかぽかしたのです」
だから、とインガは言った。
「コーキ、泣かないで。インガが抱いてあげるよ」
とめどなく涙があふれて止まらなかった。こんなに優しい気持ちになるのはいつぶりだろうか。
ずっと。ずっと怖かった。俺を、誰も必要だと思ってくれないんじゃないかと思って、怖かった。一人で完結した世界で、引きこもり続けた。
怖かったんだ。何もかもが怖かったんだ。でも、俺は、本当は生きたかったんだ。
佐藤幸希。
俺は、幸せを希望されて、生まれてきたんだ。
インガの小さな身体を抱きしめる。とくんとくんと、鼓動が伝わってくる。
あぁ、と思った。
どうしようもなく、この小さなあたたかい存在を守りたいと思った。
僕は、生きるために、死ぬことを決意した。