そうして意識が爆発した
「この世界には特殊な性質がある。元の世界にはなかったものだ」
と、トールは歩きながら話す。
「この世界で、強い思念は特別な意味を持つ。それは祈りとか呪いとか呼ばれたりするものだ。有り体に 言えば、この世界では強く願ったことは物理現象に作用を及ぼす。……理解できないって顔だな?」
「……えぇ、まぁ」
僕は曖昧に頷く。
「手を上げてみろ……いいから上げろって」
言われるままに僕は手をあげる。
「それが、ある意味もっとも基本的な作用だ。お前は今、手をあげようと考えただろ?そうして、実際に手を上げた。精神が物理現象に作用を及ぼしたってことだ。これを敷衍して、もっと強く念じれば……そら、あそこにある屋台のりんごを持ち上げてみろよ。試しにやってみろ」
言われるがまま、僕は屋台のりんごが浮かび上がるのを想像して念じた。
(上がれ!)
りんごはピクリともしない。念じ方が足りないのかと思い、奥歯に力をいれてりんごを凝視して念じる。
(……上がれっ!)
しかし、一向に持ち上がる様子はない。諦めてトールを振り返ると、トールはそんな僕をにやにやしながら見ていた。
「……騙しましたよね?」
「騙しちゃいない」
とトールは肩をすくめる。
「念じ方が足りないんだ」
「それじゃどれだけ念じればいいんですか?」
「そうだな」
トールは少し考えてから言った。
「少なくとも10年は念じ続ければ、あるいは動かせるかもしれないな」
僕は呆れて言った。
「それは普通、不可能って言いませんか?」
「その通りだ」
とトールは頷く。
「不可能なかもしれない、無意味かもしれない、無駄かもしれない。普通はそう考える。だが、普通を超えたその先にあるもの。それを秘蹟という」
「秘蹟?」
「そう、それは妄執であり、システムだ。その一つを見せてやるよ」
トールに連れられて、街を囲む城壁を抜ける。見上げた先に、三角屋根の見張り台が見える。
(あそこから飛び降りろとか、正気の沙汰じゃない……。死ねと言ってるのと同じだ……)
俄に暗い気持ちになりながら、トールについていく。
トールの足が止まったのは、城壁を抜けてまもない丘の中腹に空いた洞窟の前だった。
「おー、祭壇なのですっ!」
「祭壇?」
祭壇というよりは、やはり洞窟だ。
「インガ、カンテラは?」
トールの声にインガがびくんと反応して、洞窟の入口からかんかんと火打ち石で火をつけてカンテラを持ってくる。
「はいですっ」
「ここばっかりはインガのが慣れてるからな」
トールは僕に振り返って言う。
「行くぞ、足を滑らせるなよ」
トールに後について洞窟に入る。中は湿度が高く、地面も外壁もじんわりと濡れ、ところどころ苔生していた。時折ひたひたと水滴の落ちる音が聞こえる。
「ふんぐるい、むぐるぅなふ♪すとるいむ、ふたぐん!」
中には一応道らしきものがあり、トールは慎重に、インガは勝手知ったるという様子で鼻歌交じりに歩いて行く。僕も足を滑らせないように慎重に歩いて行く。
程なくして小さな部屋に行き当たった。灯火の光が地下室を照らし出すと、僕はその異様な光景に僕は思わず息を飲んだ。
4メートル四方程の部屋、その壁全てにびっしりと彫刻が彫られている。それは一見すると巨大な樹木の表皮のように波うっている。よく見ると、それは無数の人の顔であり、騙し絵のようにある人の顔がある人の目になっており、ある人の鼻の穴が口になっている、という具合に立体的に折り重なって構成されている。女がいて、男がいる。苦悶の表情があり、狂喜の表情があり、憤怒の表情がある。老婆の顔があり、赤子の顔がある。そのどれもが真に迫っていて、思わず目が離せなくなる。
「……あまり見るてやるなよ。良いものではない、たぶんな」
トールが平坦な口調で言う。
「言っただろ、この世界で強い思念は特別な意味を持つ。この祭壇もその産物だ」
彫刻の顔の口が穴になっていて、トールは歩みを止めずにその口に入っていく。その先は長い階段になっていた。どれだけの年月をかけたのか、相変わらず外壁には精緻な人の顔の模様が彫られている。その中を降りていくのは、得体のしれない怪物の臓腑の中に降りていくようで気味が悪い。
階段を降りるにつれ、不思議と壁に苔が目立ち始める。それに何だか……。
「……温かい?」
「地熱だ。地下から湧き上がってくる熱で、この一帯は肥沃な土地が広がっている。ここに王都があるのはそのためだろうな」
3階分は降りただろうか、階段の先には巨大な空間が広がっているようだった。トールが持っていた燭台で篝に火を灯すと、見覚えのある光景が浮かび上がった。僕が目覚め、這い出した場所だ。苔生した鍾乳石に囲まれたその空間は小さな篝火では照らしきれず、暗闇の先は見通すことができない。
「……地底湖?」
「そうだ」
答えるトールの声が遠く反響した。
「王都クマリナドゥの地底には巨大な地底湖が広がっている。そして、お前はここで生まれた」
「……どういうことです?」
「この街には風変わりな風習があってな。ここでは人が死ぬと埋葬はしない。棺桶の代わりに小さな船を作る。遺体を船に乗せて、地底湖に放つんだ。地熱によって暖められた地下空洞で、人は屍蝋にはならない。高温高湿の環境でバクテリアの活動が促進され、遺体は急速に腐敗し、溶け落ちる。船も腐蝕して沈下する。やがて、すべてがこの湖に飲み込まれる。この湖は人であったものが溶けて混ざり合った、言うなれば生命のスープだ。そして、この湖から流れでた水路が土に有機化合物を供給して土地を肥沃にする。水路は土にろ過されて無毒化される。人はこの湖に繋がる土で農作をし、家畜を育て、地下水を組み上げて飲み、蒸発した水が雨となって降り注ぐ。そうして、やがては人は老いて死に、湖に還る。それは古来よりこう呼ばれている。奔流、と」
「……奔流?」
「奔流、それは流転するシステムだ。奔流とその象徴たる地底湖は古くから神聖なものとして崇められていた。生と死を司るそれは神にも等しいものだった。だから、災厄に見舞われた時、人は奔流に救いを求めた。その方法は至って単純だ。ひたすら崇め、呼び続けること。苔の一念巖をも通ず。そうして、お前の魂が召喚され、この湖の自ら生まれたのがお前だ」
「……すぐには信じられない話ですね」
「そうだ、言っただろ。不可能なかもしれない、無意味かもしれない、無駄かもしれない。だが、それでも続けることによってのみ顕現する奇跡、それが秘蹟だ。そもそもが常人の理解の外にあるものだ」
トールはふんと鼻を鳴らす。
「見せてやるよ、召喚を。インガ、歌ってみろ」
「はいですっ!」
とインガは頷いて、歌い出す。
「ふんぐるぅい むぐるぅなふ♪」
聞き覚えのある歌だった。折にふれてインガが口ずさんでいるへんてこな歌。
「すとるいむ ふたぐん!」
歌が地下空間を反響して、満たしていく。
「ふろんざぼ すたんざめす♪」
僕は目をこすった。視界が濁ったように思ったからだ。
「うえるんす ふおんど!」
視界が明滅する。
「いあいあ! すとるいむ ふたぐん!
いあいあ! すとるいむ ふたぐん!」
極彩色のモザイクが視界いっぱいに広がる。
そうして、意識が爆発した。
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