第九話「十志郎様――あなたの尊い犠牲は忘れません」
誰が知ろう。
悠が大勢の女の子の前で辱めを受けていたその瞬間、悠にとってもうひとりの重要人物がその光景を目撃していたことを。
「じーざす……!」
帰国子女のくせにてんで英語が喋れず、フロリダではボディランゲージとノリと人柄でなんでもトラブルを回避してきた少年――男子絶対禁制の敷地内で怯えていたはずの十志郎だった。
莉於が正門から白亜の大校舎に歩いていくのを目撃した彼は、無駄な身体能力の高さを発揮して、校舎の窓に張り付いてはこっそり中を覗いて莉於を探していたのだ。
そして、ひとつの教室を覗き見た時――十志郎は世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
豊葦原女学院の制服――市内の男子中学生の間でも可愛いと評判の制服に身を包んだ親友の姿を見つけてしまったからだ。
「おいおいウソだろう……悠、おまえなんてカワイ――いや、本当に女の子だったのかよ!?」
昨夜の湯殿でのイベントが思い出される。湯気の中にぼんやりと浮かぶ白磁の肌とくびれた細い腰、丸みを帯びたヒップライン。そしてつんと上向いた小ぶりな――だが抜群に男心を刺激する形のいい乳房。
十志郎の鼻の奥が鉄臭くなる。鼻血である。
こんなまさか――女の悠を想像して俺、こんな漫画みたいな……!?
十志郎は胸の奥に焼け付くような痛みを感じた。それは莉於を想うときとまったく同じ――切なくて甘やかな、どこか心地のいい痛みだった。
そして次の瞬間――十志郎の既成概念は音を立てて崩壊した。
悠の『スカートめくり』からの――『おむつ姿』である。
十志郎は70年代の漫画の主人公のように「ぶしゅー」っと鼻血を吹き出した。
*
「ななななな何ですのこれは――!?」
エリカの咆哮が教室中に轟くのを皮切りに――女生徒たちは一斉に色めき立った。
「おむつ――おむつでしてよ皆さん!」
「まさかそんな――私たち、なんてハイレベルな同級生を持ったのかしら!?」
「こんな一大事、豊葦原女学院創立以来のことでしてよ! 私たちはいま歴史が動いた瞬間に立ち会っているんですわ!」
他言無用――エリカ王朝の箝口令もなんのその。その場にいた全員がそれぞれ携帯を取り出しシャッターを切り始める。
「やめ――おやめなさい、鼻息荒く写メるのをおやめなさい! 学院生に相応しい高貴で優雅な振る舞いを忘れずに――ってこれは一体どういうことですの!?」
エリカが真っ先に問いかけたのは、悠の後ろ――白百合の少女だった。
「わ、私ではありません――お召し物を替える際、既にこのようになっておりましたので、てっきりエリカ様のご趣味なのかと――」
わっ――と教室中が喝采に包まれる。悠のおむつがエリカプロデュースになった瞬間であった。
「ふっふっふ――まんまと引っかかりましたね大鳥エリカ」
「真咲――Rioぉ!(ドドドドドドド)」
エリカは血を吐かんばかりの怨嗟を上げた。
「莉於にとってもこれは賭けでしたが――勝ちました。悠様のお漏らし癖があまりに酷かったのでつい昨日からムー○ーマン仕様にしていたのです」
「昨日――まさかあのときの!?」
「そう――あなたが男子トイレにいたあのときです!」
男子トイレにいた――その部分だけをわざと声高に強調する莉於。
火に油――どころか気化燃料を投下したような大爆発が教室で起こった。
「う――ウソです、デタラメです! 皆さん、このような不埒者の甘言、聞く耳を持ってはいけませんわよ!」
「これを見てもまだ同じことが言えますか?」
莉於が首の後ろに手を伸ばす。背中から金属バット――ではなく、一本の白く細長い――丸めたポスター状のものを取り出す。
「さあ、刺激と色事に飢えた女学院生たちよ――とくとご照覧あれ!」
莉於が両手でポスターを広げる。
そこにはあの――エリカと小便器のツーショット写真(悠だけは絶妙にフレームアウトしてある)がフルカラー大判印刷されていた。
小便器を目の前にフンス、と胸を張るエリカは間抜けとしか言いようがなかった。
「いやあああああああああああ! あなたそれ消してくれたはずではなかったのおおおお!」
「こんな面白いネタ、莉於がそうそう捨てるはずありません」
エリカはポスターを奪い取ると分子の塵になれ――と言わんばかりに細かく引き裂いて紙吹雪にするのだった。
「ふん。皆さん、こんな合成写真に騙されてはいけませんよ。これがこの女の手口なのですから――」
「まだあります」
「ひッ――きいいいいいいいい!」
全力で奪い取り引き裂く――だが今度はどんなに力を入れても切れ目すら入らなかった。
「ラミネート加工です。ぷぷ」
「このあまああああああああ!」
ポスターを足蹴に地団駄を踏むエリカ。セレブの威厳はどこへやら。いつもの余裕も雅さもかなぐり捨て、血涙を流さんばかりに莉於を睨み付けるのだった。
「きゃああああっ――!」
莉於とエリカが視殺戦を繰り広げる中、唐突にひとりの女生徒が悲鳴を上げた。
「エ、エリカ様――窓の外に変態が!」
そこには、窓に張り付いたまま鼻血の海に沈む変態――もとい十志郎の姿があった。
「悠様――!」
誰もが十志郎に注視する中――ただひとり、莉於の身体が爆ぜる。
白百合の少女は人間離れした超反応を示すが遅い。莉於の手刀を躱そうとするあまり大きく体勢が崩れる。追い打ちとばかりに莉於の回し蹴りが少女を廊下まで吹き飛ばした。
「莉於、莉於ぉ!」
「お辛かったですね悠様、よく耐えました。いつの間にかこんなにお強くなられて。莉於は嬉しゅうございます」
「あ、あなたというひとは……!」
全ての罪と恥を押しつけられ、ひとり悪者にされたエリカは言葉もなく顔を真っ赤にして肩を震わせるのだった。
「さて、大鳥エリカ。あなたを散々からかって莉於の溜飲もようやく下がりました」
「悠様のためと言いながら結局は私怨ですの!?」
「げふんげふん――何を言い出すのか。悠様の心の痛みは莉於の痛み。悠様の恥は莉於の恥です。悠様をダシに私怨を晴らそうなどと畏れ多い」
「血色よくつやつやとしながら言われても説得力ゼロですわ!」
「それはともかく――」
莉於が窓を開ける。十志郎をまるで借りてきた猫のようにひょいとつまみ上げると、女の園である教室の中心へと放り投げた。
途端、わっ――と女学院性たちが群がる。
「きゃー、男ですわ! 見るもおぞましい筋肉の塊! 太い二の腕! 厚い胸板!」
「不潔――でも何かしら、汗の匂いに混じって胸の奥が切なくなるようなこの香りは――」
男に免疫がないとはいえそこは年頃の女の子たち。口では散々悪態をつきながらも実は興味津々で十志郎の身体をいじり回していく。
「は――真咲、俺はいったい!?」
「十志郎様、莉於はいま感涙にむせび泣いています。すっかり存在を忘れていたあなた様が悠様をお救いするため、『男子絶対禁制』を掲げるこの豊葦原女学院にまで乗り込んでくるとは――この挺身は決して忘れません」
「わからねえ――言ってることが1ヨクトグラムもわからねえぞ真咲! ひ――ちょ、やめ、変なところ触るなおまえら!」
「まあ、侵入者の分際で小生意気な口を利きますのねこのオスは」
「この学院は治外法権下――あなたのような変態に人権はなくてよ」
「やだ、お父様とはとはまた違った若いオス特有の青々しさがたまりませんわ……!」
「ひいい――違う! 俺が知ってる、いつも俺をちやほやしてくれる女の子たちの反応と何かが決定的に違うぞ!?」
少女たちに絡め取られ、もはや満足に動くことすらできない。莉於はそんな十志郎を涼しげに眺めていた。
「世俗から切り離された敷地内で禁欲に身も心も焦がした女の子はやはり目の色が違いますね、さながら攻撃色の王蟲のようです。よかったですね十志郎様、ハーレムですよハーレム」
「うれしくねえ――俺はおまえが好きだって言ってるだろう真咲よおおお!」
たまらず十志郎は告白していた。まわりに女の子を侍らせた最低最悪な告白だった。
「莉於はそれほどでも」
「返事早!」
「十志郎、莉於のことが好きだったの?」
莉於の腕の中、悠がどこからどう見ても、信じていた男に裏切られた風味を醸し出しながら涙目で見つめる。
「いや、その――ああ、実はそうだったんだ。親友であるおまえに黙っていたのは悪かったが、俺の気持ちに偽りはねえ。ずっと真咲が好きだったんだ」
「じゃあ、昨日どうして僕と一緒にお風呂に入ったの?」
ざわざわざわ――
十志郎を取り囲む女の子たちから表情が消え失せた。当然だ。彼女たちの中で悠はあくまで宮藤悠さん(♀)なのだから。
「そ――それは単なる裸の付き合いというか――いってえッ!」
ひとりの女学院生が十志郎のたくましい大臀筋をつねり上げた。
「まったくこれだから世俗のオスという生き物は――口ではおまえだけだと言いながら、あっちこっちに愛をバラまいて」
「まったくですわ。私たちを悩ませるんですから。これはいよいよ本格的な調教が必要ですわね皆さん――はあはあ」
「やめ、摘むな! 変なとこ摘むなああああ! 悠、真咲、助け――……!」
十志郎の悲鳴は呑み込まれ、やがて小さくなって消えていく。莉於は悠を胸にかき抱き、見てはいけません――と、のたまうのだった。
「もはや細胞の一片すら残さぬ有様ですが――椿十志郎様は熨斗つけてお返しします大鳥エリカ」
「み、認めませんわ――こんな一方的なクーリングオフ!」
「あなたの敗因はアフターサービスの悪さです。情報の大鳥が聞いて呆れますね。勝って兜の緒を締めよ――です。悠様を確保した時点で油断しましたね」
莉於は悠を抱き上げると窓からひらりとエスケープ。エリカは扇子をへし折るとツインロールを振り乱して叫んだ。
「追いなさい! この敷地内から一歩たりとも出してはいけません! 大鳥に喧嘩を売ったこと――とっくりと後悔させてやりますわ!」
「御意――校内及び敷地内の全プライベートガーディアン及びプライベートマーセナリに告ぐ。コンディションレッド。繰り返す、コンディションレッド。本日は晴天ながら時々曇り、後に雷雨――ゲドル/シエラ/アシュタロスGO!」
校舎内はおろか山中にまで木霊する防空サイレン。
敷地内を取り囲む塀の頭上からはトゲせんぼが槍のように突き出しバチバチとスパークする。
ありとあらゆる通用口が施錠され、プロムナードには特火点が出現、パティオの各所には対人狙撃銃が次々と配備されていく。
一瞬にして戦場と化す学舎の姿に女学院生たちは悲鳴を上げながら逃げまどう。
――その子羊の群れに逆らうように、威風堂々とバトルフィールドへ歩を進める者たちがいた。
足音ひとつ立てず、風のように移動するその姿はまさにくのいち。
彼女たちの誰もが女学院生の仮面を脱ぎ捨て、これから巻き起こる戦いを想像し、喜悦に顔を歪ませていた。
「莉於、あの人たちなんなの――いっぱい来るよ!?」
「豊葦原女学院中等部、風紀委員執行部――放課後のティータイムより侵入者を嬲るのが大好きというバトルホリッカーたちです。悠様――莉於の側を決して離れぬように」
「はあはあ――あれが富士宮悠様。お噂の通りなんて愛らしい……」
「ちゃんとお顔はエリカさまに残しておかねば……」
「なら私は右の小指をいただきましてよ……」
「やだズルイ。なら私は左の薬指を……」
「なんかすごく恐ろしい台詞が聞こえてくるんですけどおおおお!?」
「ふん、異性の主に恵まれなかったメイドたちの成れの果て。どいつもこいつも暗黒面に堕ちてます。莉於も下手をすればこうなっていたかも知れないと思うと同情を禁じ得ませんね」
「そのようなもの無用に願います」
そう言って――多くのガーディアンたちの中からひとりの女学院生が歩み出た。
「何故なら強請るより勝ち取ることこそが人生には肝要。自らに足りないものは余所から奪ってでも手中に収める――それこそが我らの本懐。申し遅れました。私、豊葦原女学院風紀委員執行部筆頭、エリカさま付きお庭番第九位、朱薔薇の蕾の妹のツレ――ベルキーバと申します。さあ、貴女様もお名乗りを!」
その時、どこからともなく一陣の風が吹いた。
莉於はたなびく髪を風に遊ばせながら低く腰を落とす。
ズシン……と、聞こえるはずのない音が響き渡り、辺り一帯の空気が重く、息苦しくなっていく。
莉於を前にした全員がその迸る闘気に戦慄した。
「富士宮家第九代目当主専属まふぃあんメイド――真咲莉於、参る!」
まふぃあんメイドって何さ――!?
苛烈な戦闘が始まった。