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第七話「莉於はもう――普通の笑い方など忘れてしまいました」

 翌日。

 十志郎はお腹を押さえながら誰よりも早く野球部の朝練に出かけていった。

 悠は莉於とともに徒歩通学である。

「やっぱりおかしいよ莉於」

 さわさわと木漏れ日が揺れる通学路。さわやかな朝に似つかわしくないしかめっ面で、悠は昨夜からの疑問を口にした。

「どうして僕はあのとき、『女の子の身体』になっちゃったんだろう?」

 それは夕べのことである。

 莉於のプロディースで十志郎と混浴をすることになった悠は、確かに直前までは男の身体だったはずなのだ。

 それは十志郎が『親友』としての好意を一心に悠に向けてくれていた賜であり、何ら女の子になってしまう外的要因が存在しなかったことに悠は納得がいかないのだった。

「悠様、あまり深く考えすぎませんように。女の子になったとは言ってもそれは蒸着プロセスのごとく一瞬のことだったのでしょう。雌雄共鳴体リバーシブル・シンパシーであるお身体が固定化するまで、多少不安定な状態が続くのかも知れません」

 しれっと告げる莉於の額には、僅かな汗が浮いてることに悠は気付かない。

「そんなわけにいかないよ。おかしい。絶対おかしいよ。こんなことはあり得ないんだ」

 普段にはない強い断定口調だった。莉於は悠の隣――一歩後ろに退いた距離で息を殺す。

「だってあの場には十志郎しかいなかったんだよ。僕は男の子になる要素しかなかったのに、それなのに女の子になってしまった――これらが指し示す答えはただひとつだよ」

 ごくりと喉を鳴らし、緊張にこわばった顔で莉於はその答えとやらを待った。

「多分だけど、あのときあの場所には僕のことを好きな女の子の幽霊・・かなにかがいたんだよ。姿形は見えないけど、僕を想ってくれる気持ちだけは本物で、だから十志郎が側にいても僕は女の子の身体になって――莉於?」

 そこには直立不動の姿勢のまま仰向けにすっ転ぶ莉於の姿があった。

「どうしたの莉於、眠いの? お空は青いよ?」

「いえ、失礼いたしました。この莉於、悠様の非凡なる想像力の豊かさに眩暈がしてしまいました」

「そんな、大したことじゃないよ、状況を冷静に分析した結果だよ」

「マジボケもここまで来ると致死毒ですね。不覚ながら吐血しそうですゲフっ」

「どうしたのさ、今朝はちょっと褒めすぎだよ」


 そんな会話を交えながらHR前の教室。十志郎の姿は見えない。野球部の朝練が長引いているのだろう。一子たちからの強い視線を感じつつ悠と莉於は自分の席に着く。

 先ほどまでは上機嫌だった悠もいまは元気がない。やはり昨日の今日なのでクラスの空気も微妙だった。

 そしてこれから、もっとも憂慮すべき事態が起こる――はずなのだ。

 大鳥エリカの襲来――もとい転入。

 本人自らが宣言していったのだ。「明日からはクラスメイト」だと。

 大鳥財閥ほどの力とコネがあれば転校など容易い。昨日、彼女がこの学校に来ていたのもきっと手続きのためだったのだろう。

 莉於は昨夜のうちに悠にこんこんと言い含めていた。

 なるべく大鳥エリカとの接触を避け、今後ひとりになるような行動は取らないこと。できる限り莉於の側を離れないようにと。

 最悪、大鳥エリカ本人ならどうとでもあしらえるし、実力行使もできる。

 一番憂慮するべきは彼女の持つ――正確には大鳥財閥が抱えるボディガードたちの存在だった。

 大鳥財閥お庭番衆――。

 その上位陣に至っては莉於でさえ不覚を取りかねない実力者ばかり。

 古くは将軍家に仕えていた忍者の末裔であるだとか、シルクロードを渡り、天竺でカラリパヤットの原型を創設した修道者であるだとか、古代ローマはコロセッオにおいて拳一つで生き残ったグラディエーターが始祖であるだとか、悠が知ったら大喜びしそうなマユツバ設定満載の連中である。

 とにかく、あらゆる不測の事態を想定して悠と莉於は今日という日を厳戒態勢で迎えていた――


「えー本日は突然ですが転校生を紹介します」

 やってきた担任がお決まりの台詞を口にする。

 季節感を無視した脈絡のない転校生の登場に、喜びよりも真っ先に首を傾げたクラスメイトたちは愛すべき常識人と言えた。

 悠は不安と恐怖を顔いっぱいに張りつけ――莉於を振り返った。

 大丈夫です――莉於が目で応えると、悠はかすかに微笑むのだった。

「では登場していただきましょう。どうぞー」

 微妙にテンションのおかしい担任教師に促され扉が開く。

 ガラガラガラ――現れた転校生の姿に教室は水を打ったように静まり返った。

 現れたのは大鳥エリカなどではなく――

 どこの誰とも知れない、厳ついおっさんだった。

 彫りの深い顔つきからして欧米系。ひげ面にブーニーハットを目深に被っている。防弾ベストを押し上げる胸板がとんでもないぶ厚さで、鋭すぎる眼光に気の弱い女生徒などは小さく悲鳴をあげていた。

「えっと、大鳥エリカさん、じゃないよね?」

 頷くのもバカバカしい悠の質疑に莉於は反応できなかった。

 莉於だけではない。あまりに場違いなおっさんの登場に一子やよしえたちはおろかクラス全員がポカンとしたままだった。そして――

「GO GO GO!」

 おっさんが投げ出すような勢いで床に身を伏せた。次の瞬間、窓ガラスが割れ、強烈な閃光と爆音が教室を灼いた。

「しま――悠様!」

 莉於の視界が戻る頃には――悠はおっさんの腕に抱えられぐったりとしてた。

「目標確保! ずらかるぞ大尉! KEEP MOVE!」

 教室にスタングレネードを投げ込んだと思わしき男――もろこしヘッドがベランダから叫んでいた。

「了解だ軍曹」

「俺が持とう」

「キャンディーバーの包み紙のように軽いガキだ。問題ない」

 数言交わす合間にもおっさんは悠を自身の体にくくりつけ、流れるような動作でカラビナにラベリングロープを通していく。

「待ちなさいあなたたち!」

 目を押さえ、慌てて追いすがる莉於を無視し、おっさんともろこしヘッドはベランダから降下。莉於もそれを追い、躊躇いなく四階から身を投げた。

「悠様! お気を確かに! 悠様!」

 風を切る莉於の身体は四足獣のようなしなやかさで着地。だが必死な呼び声は爆音にかき消された。上空から飛来した大型ヘリが砂塵を巻き上げながらグラウンドに強行着陸する。

 V―22オスプレイ。サイドハッチが開き、中からスカルマスクの男が莉於に向かって威嚇射撃を敢行した。

「貴様らああああああああ!」

 莉於は弾丸を置き去りに、疾風の速度で校庭を駆け抜ける。悠を積み込み、上昇を始めたヘリのフロントガラスへと突撃した。

「――ふっ!」

 気合いとともに猫科動物の如く跳躍。ヘリのコックピット部分に張り付くと渾身の拳を振り下ろす。対弾仕様のガラスがひび割れ、続く二撃目で完全に粉砕する。

「すげえ嬢ちゃんがいたもんだな」

「――がはっ!」

 ヘリを操縦する男――強いロシア訛りがある――の手には電気銃テイザーが握られていた。

「悪く思うな。クライアントの命令なんだ」

「なん、ですって――!?」

 叫びながらヘリから転げ落ちていく莉於。わっ――と校舎のほうから悲鳴が上がった。

「莉於ちゃーん!」

「きゃああああ!」

「わーすげー真咲、映画みてーだぞー!」

「言ってる場合じゃないでしょ!」

 痺れる身体で辛うじて地面に五点着地を決め、ふらふらと立ちあがる莉於。もう手の届かない距離まで高度を上げたヘリから、聞き覚えのある声が大音量で降り注いだ。

『ほーほっほっほっっほ! やりましたわ、ついにあたなを出し抜きましたわよ真咲莉於!』

「大鳥――エリカァ! これはどういうことですか!」

 普段の莉於からは考えられないような大剣幕。ヘリの爆音すらかき消してしまいそうな憤怒の咆哮だった。

『私は確かに言いました。明日からはクラスメイトだと。ですがこの学校でクラスメイトになるなどとは一言も言ってません。私の城――豊葦原女学院とよあしはらじょがくいんに悠様をお迎えし、そこで轡を並べる事にいたしましたの』

「あ、あなたというひとは――!」

『協定違反はそちらが先。椿十志郎はくれてやります。その代わり私は悠様をいただきます。なあに、お誕生日が終わる頃には返して差し上げますわ。ですが、あなたの悠様は二度と帰ってはこないでしょうけどねえ! ほーほっほっほっほっほ――ほがっ!』

 ホバリングの振動で舌を噛んだらしいエリカの悲鳴を残してオスプレイは飛び去っていく。

 向かう方角は確かに――遙か西の山岳部に居を構える豊葦原女学院に間違いないようだった。

 莉於は全身の汚れをパタパタと払い、ゆっくりとした足取りで校舎へと戻る。そして騒然とする教室へ入るなり、担任を押し退け教壇へと陣取った。

「もう色々言われているとは思います――悠様を攫ったのは大鳥エリカです」

 いや、火を見るよりも明らかだろ――クラス全員の無言の突っ込みが莉於に注がれた。

「莉於は中学生とは仮の姿、本当は悠様の専属メイド兼まふぃあんメイドなのです」

 いやもう意味わからん――このときのクラスの連帯感は卒業式の送辞のそれを凌駕した。

「これほどの騒ぎを起こしておいて何を言っているのだろうとお思いでしょう、ですが莉於はただ言って起きたかっただけなのです」

 全身ボロボロになりながら、だがその眼光はいささかも衰えず、莉於は宣言した。

「悠様は――莉於が必ず連れ戻します」

「富士宮くん、別に世界の果てにまで連れ去られたってわけじゃないのに、――のに」

「ねー、電車で一時間圏内だよねー」

 もえと鈴の突っ込みにその場の全員が頷いた。莉於は聞こえていないかのように締めくくる。

「ですから、そのときはどうか迎えてやってください。お願いします」

 深々と――頭を下げ、莉於は教室を後にする。

「待てよ」

呼び止めたのは一子とよしえだった。

「まるでヒロインを敵対する組織に連れ去られたむっつり主人公みたいなノリだな。色々説明不足にもほどがあるだろうコラ」

「さっきの――ヘリから言っていた協定違反というのが厳密にどういう意味なのかはわからないけど、昨日椿くんが突然帰ってきたことと関係があるのね?」

 莉於は無言だった。

 富士宮と大鳥との間に交わされた協定とは、お互いの利益を損なわないよう互いの領分を侵さないというごくごくシンプルなものだった。

 だがそれでも機密は機密。富士宮に列する莉於がそれを喋るわけにはいかない。

 黙して語らない莉於にしびれを切らして一子は言った。

「昨日、富士宮にあたしらのこと『けしかけ』させたのもおまえの仕業なのか」

「――ッ!?」

 莉於の能面が僅かに崩れた。

 それは同級生には決して見せてはいけない表情。氷の塊がわずか一滴の雫に解けるくらい微かな――それでも一子たちには十分な答えとなった。

「どうしてだよ。何であいつにあんなことさせた。あんなことすりゃあいつがどんだけヘコむかわかってるだろう!?」

「富士宮くんの専属メイドを公称するあなたが、そのことをわからないはずがない。じゃあどうして『わざと嫌われる』必要があったのかしら?」

 当事者たる一子とよしえの糾弾はまったくの正鵠で――莉於はふうっと息を吐いた。

「やれやれ、少々お二方を見くびっていたようです。こんなことになるなら仏心など出さず、最初から八重山さんや高桜さんをスケープゴートにするべきでした」

「えー、あたしともえがぱんちらー?」

「そんな、富士宮くんにあんなことされたら私、お嫁に行けないよう、――よう?」

 真っ赤になりながらも満更ではない様子の鈴ともえだった。

「もちろんわかっています。ヒトには決して越えてはいけない一線があります。嫌悪と軽蔑は別の感情なのです」

「あたしらなら許容範囲みたいな言い方するな!」

 一子は心の底から叫び、よしえが続けた。

「とにかく、あまり私たちを甘く見ないことね。過ごした時間はあなたに及ばなくても、みんなそれなりに富士宮くんのことは理解してるつもりよ」

 よしえの言葉に莉於は唇の端を持ち上げた。

 笑おうとした。でもダメだった。

 暖かな笑い方なんてもう忘れてしまった。

 出来損ないの、嫌らしい笑みばかりが浮かんでしまう。

 誤解される前に莉於はペコリと頭を下げた。

「悠様は素晴らしいご学友をお持ちになりました。ですが、その優しさがどれほど悠様を苦しめているのか、あなたたちは知らない。莉於はあなたたちがすべからく嫌いです」

「おう。あたしもおまえが嫌いだ。いっつもスカした顔でそつなく何でもこなしやがって。おまえみたいなのが側にいるだけでこっちはいらんコンプレックスに悶えてんだよ」

「学生でありながらメイドの仕事も完璧にこなして、あなたみたいな莫大な経験値の塊が同級生だなんてショックだったわ。何をどうしても追いつけやしない。私もあなたが嫌いよ」

 一子とよしえの告白は莉於と轡を並べる者が少なからず抱いてしまう感情だった。

 莉於が現れるまでは、運動でも勉強でも、それぞれの分野でトップだったふたりなのだから。

「でもね、それって憧れとか好意の裏返しだよね、――よね?」

「だよねー。そういうところが嫌いって、逆に気になって好きでたまらないってことだよねー」

 もえと鈴の言葉もまた紛れもない事実。一子とよしえは真っ赤になってそっぽを向き、莉於はそんな彼女たちを眩しそうに見つめていた

「そんなふうに莉於もただの学生でいられたらよかったのかも知れません。ですが、莉於は悠様のメイドであることに誇りを持っています。そしてやるべきことは決まっているのです」

 教室の扉を開く莉於。その背中に一子は問いを投げた。

「おまえひとりでどうするつもりだよ」

「悠様を連れ戻します。それ以外にありません」

 力強い足取りで、莉於は教室を後にする。

 廊下を抜け昇降口を通り、ふと正門の前で校舎を見上げた。

 教室の窓から見つめる皆の顔を胸に刻み込み、莉於は真っ直ぐ前へ――戦場へと向かうのだった。

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