第十四話「アジテーター――ひとはそれを扇動者と呼びます」
「いい天気だねえ」
悠、莉於、十志郎、エリカと四人揃っての登校である。
悠がのんびりしすぎたせいで遅刻は確定。
開き直った四人はだらだらと徒歩通学を楽しんでいた。
悠は終始ニコニコ顔で、木漏れ日に目を細めたり、鼻歌などを口ずさみながら歩いていた。
「ごきげんですね悠様」
言外に「あなたのせいで完全に遅刻なのに」と莉於は言っていた。
「だってさ、こうして四人で歩くとなんかワクワクするじゃない」
「悠様……相変わらず周りが見えていませんね」
はあ、と莉於は深い溜息をついた。
「コラ駄犬、あなたちょっと悠様にくっつきすぎではなくて!?」
「寄るなお嬢! そこから先は戦争だぞ!?」
こちらはエリカと十志郎。
莉於が悠の傍らを離れないために、必然残されたお隣ポジションはひとつだけ。しかしそちらはでっかい図体に占領されてしまいエリカは大層お冠だった。
「いい加減悠様のそばから離れなさい、そして私にその場所をお譲りなさい!」
「海に投げ出されて救命胴衣を脱ぐか!? スカイダイビングでパラシュートを外すか!? それと同じことだぞ! お嬢の命令でもこればっかりは譲れねえ!」
「我が子飼いながらなんと情けない。――それに、女が怖いと言いながらその女に向けて随分と生意気な口を利くじゃありまんせんの。ほら、もう一度ちゃんとこっちを向いて吠えてごらんなさいな」
「や、やめろ、そんな蔑んだ冷たい目で俺を見るな――触るな、抓るな、舐めるなああああ!」
スイッチが入ってしまった十志郎が、恐怖に引きつりながら悠の腕にしがみついた。
悠はそんな十志郎の頭をぽんぽんと撫でながらニッコリと笑うのだった。
「平和だねえ」
そのあまりにおおらかな態度に莉於とエリカは目を見合わせた。
「いつになく悠様が大物に見えますわ……ステキ」
「むむ。これぞまさしく富士宮家の覇道の試練を乗り越えつつある証拠、なのでしょうか」
悠が抱える雌雄共鳴体という問題。
男性に好意を向けられればその性別は男性に。
女性に好意を向けられればその性別は女性へと転換してしまう。
現在の悠の性別は隣の野球バカのお陰でどうにかこうにか男性のものになっている。
学校生活の中で、不特定多数の女子生徒から秋波を送られるという問題は、先日のセクハラ事件のお陰でだいぶ落ち着いているはず。
性別が決定する日時までにこのままの状態が続けば、悠は晴れて男性の身体を勝ち取れるはずだ。
だが悠を取り巻く環境は、そんな平穏を許してはくれないのだった。
「これは……」
豊葦原中学の校門が見え始めたとき、莉於は違和感を抱いた。
「何ですの……異様な熱気が」
まるで千秋楽――満員御礼の国技館のような――
ライブの開始をいまかいまかと待ちこがれる、炎天のフジロックに迷い込んでしまったかのような――
大勢がひしめき合い、零れる吐息のひとつひとつが合わさり空気を震わせる――そんな気配が伝わってきた。
「悠、放課後まで俺と保健室で寝てようぜ」
「うん? 十志郎眠いの?」
「教室に行ったら半分はあいつらがいるじゃねえか……!」
「半分? あいつら?」
「く、口にするものおぞましい、あいつらもきっと俺のカラダを狙っているはずなんだ、つまみ食いと称して俺のカラダを隅から隅まで…あああああっ!」
「そこ、女子に会うのが怖いからと言って悠様を怪しい道に引きずり込まないように」
HRが始まっている時間なのに校門は閉じておらず、四人が半開きの門をくぐるなり、ひとりの女子生徒が興奮した面持ちで大声を張り上げた。
「来た――来ましたッ!」
言いながらどこから取り出したのか伝令用のホイッスルを鳴らす。
おお、という大多数のどよめきが悠たちを叩き、その異常性が顕になった。
校門から直結するグラウンドは生徒で埋め尽くされていた。
右を向いても左を向いても女の子だらけ。およそ全校の女子生徒が集結していた。
制服姿の子もいれば部活の朝練帰りなのか、ユニフォームやプロテクター、道着を纏った少女たちもいる。
そんな勇ましい格好をした少女たちが真っ二つに割れて互いを睨み合っていたのだ。
「市井の学校に通うのは初めてですが、ずいぶんと殺伐とした朝礼が行われていますのね悠様」
「そんな、普段はみんな『さわやか3組』みたいに和気あいあいとしているんだよ?」
「悠様……自分はヒゲゴジラも真っ青なド直球セクハラをかましておいて『さわやか3組』を語りますか」
「ねえ、メイド長様って本当に平成生まれ――?」
などという会話を繰り広げながらも、莉於は自らの警戒レベルを引き上げる。
何かがオカシイ。自分の知らないところでこの学校に何かがあったのだと確信する。
人垣がざざっと割れる。即席の花道に導かれるように悠たちはグラウンドの真ん中へと誘導される。
四人が歩を進めると退路を断つように道が消えていく。
昨日までは安穏な、なんの変哲もなかった公立中学の少女たち。
それが一個の意思によって統率された軍隊のようになっていた。
悠たちが導かれた先。何の変哲もないグラウンドの真ん中。
――そこはステージだった。
バックバンドも照明もマイクも存在しない。だがそこは少女たちによって築き上がられた特設ステージだった。
異様な熱気が悠たちを包み込む。
数百人からの少女たちが期待と興奮に目を輝かせている。
一体何が始まるのか。どうして自分たちがここに連れて来られたのか。
それは一人の少女が口火を切ることによって明らかになった。
「ふ――富士宮悠くーん!」
「え、あ、はーい――って、ひ!?」
どおおおおおおおおおおっ――と、空気が鳴動する。
呼ばれて返事をしただけでこのリアクション。悠は飛び上がったあと慌てて莉於の後ろに隠れる。それを見て再び空気が震えた。
「真咲莉於様ぁっ!」
「主より上位の敬称で呼ばれるのには抵抗がありますが――何事でしょう」
悲鳴だった。悦びに満ちた黄色い悲鳴がそこかしこで上がる。この上なく不快そうな流し目で莉於は群衆を睨みつけた。
「椿くーん、十志郎くーん!」
「知らん――俺はここにはいない! こんな女だらけのおぞましい空間になど俺は存在していない!」
藁にもすがるようにヒッシと悠にしがみつく。莉於の時を数倍する歓喜の悲鳴が湧き起こった。
「ふふん、理解しましてよ。下々の者が私達を歓迎するため自主的に集まったということですのね。なんの飾り気もない質素な歓待ではありますが市井の中学生にしては身の丈というものを弁えていて微笑ましい限りではありませんの。よろしいでしょう、この大鳥エリカ、あなた達の好意をあまさず受け入れてさしあげますわ!」
「ごちゃごちゃうるせーんだよゴミが」
「は――!?」
誰何の発言をきっかけに、少女たちは次々とエリカに暴言を投げつけた。
「一昨日啖呵きって富士宮くんを攫っておいて翌日なにさらっと転入してきてんだよ!」
「何があったのかこっちは全部知ってるんだぞ負け犬ー!」
「金髪縦ロールがお嬢様の髪型だなんて勘違いしてんじゃねえぞー!」
「視界の端でちらちら揺れてうぜーんだよ、七面倒臭い髪型しやがってー!」
「誰が七面倒臭い髪型ですってこのこっぱどもおおおおお――!!」
自覚があったのか、エリカは面倒臭い髪を振り乱して怒鳴り散らした。
あまりの激昂に一瞬静かになるも、数が集まった少女たちが怯むことはなかった。
「な、なんて失礼極まりない連中ですの! 私生まれてこの方、こんな口にするのもおぞましい言葉を吐きかけられたことはありませんわ!」
「確かに。莉於はこの学校の生徒たちの評価を変える必要があるようです」
エリカはそうでしょうそうでしょうと頷いた。
「家名を笠に着る大鳥エリカに、こうも真正面からケンカを売るとは。なかなか見上げた度胸の持ち主です」
「近郷近在に私の味方はおりません!」
よよよ、と腰砕けになり、悠へと縋りつくエリカ。
「悠様、私のご主人様。わかっていたこととはいえ一人でアウェーにいるのは辛ろうございます。どうか慰めてくださいまし」
「元気だしてエリカさん。僕もとある事情でクラスの女子には嫌われてるはずだから――」
悠がそう言いながらエリカに手を伸ばしかけた時だった。
地割れかと――自分の足元を心配するほどの衝撃が四人を襲った。
数百人ひとりひとりが喉も張り裂けんばかりのブーイングと悲鳴の嵐。
それは音波兵器となって悠たちを叩きのめし――莉於は素早く悠の耳を塞いだ。
悲鳴だった。絶叫する少女たちから聞き取れた言葉――それを要約すれば『あり得ない』『どうして』と叫んでいるのだった。
〈Y子〉と〈E〉のカプだけはあり得ない。あってはならない。
それだけは洪水のような音の渦中にあって聞き取る事ができた。
「こ、この方たちは一体なにをおっしゃっていますの!?」
「まさかこれほど純粋で巨大な怒り――なんの邪気もなく存在していたとは!?」
耳をふさぎながらひたすら困惑するエリカ。莉於でさえ事態が飲み込めずにいる。
悠の耳を塞ぎながらでは、さすがのまふぃあんメイドもダメージを負いかねない。何か打開策は――
『やめなさいッッ!』
キィィィンと耳障りな声がその場にいる全員を打った。
少女たちは一瞬で静まり返り、ザッと、まるでモーゼのように人垣が割れ、その奥から拡声器を片手にひとりの生徒が現れた。
はち切れんばかり巨体を揺すりながらやってきたのは豊葦原中学三年、元生徒会長である一人の生徒だった。
「驚かせてしまってごめんなさいね富士宮くぅん」
女ばかりの中にあって一際異彩を放つ巨漢の男子生徒――松尾たかひろ。
その貫禄のボディで全校生徒から『松尾デラックス』と影で囁かれる彼は現在豊葦原中学で使われているコミュニティサイトをひとりで構築するほどの自称スーパーハカーであり、オネエ言葉を駆使するそのキャラも合わさり、一部女子生徒からはカルト的な人気を誇っていた。
「突然こんなに大勢で取り囲んでさぞ驚いたことでしょう。でもね、怖がらなくていいの。ここにいる子たちはみんなあなたのことがとっても大好きなのよ」
「え――?」
普通の男子なら小躍りしそうなセリフも、今の悠にとっては恐怖の対象でしかない。そして、まるで自分のかわいがっているペットにでも遜るような猫なで声は莉於とエリカの背中を一瞬で泡立たせた。
「我が主に何か御用でしょうか松尾先輩」
悠を隠すように莉於とエリカが立ちふさがる。むっとして口元を引き結ぶ松尾。銀縁眼鏡の奥が細くなった気がしたが鼻息か体温か――レンズが白くなってよく見えなかった。
「私は〈T〉派なのよ」
彼は早口でちっ――と吐き捨てた。
莉於はその意味不明の呟きをしっかり無視した上で問いを続けた。
「松尾先輩、主になりかわり今一度お尋ねします。既に授業が始まる時間だというのに、これは一体、何の騒ぎなのでしょう?」
莉於が完璧なメイドの所作をもって訪ねる。
事務的であり冷徹で冷淡。
だが本人の隠し切れない華が、怜悧な美貌が単なる儀礼を超えた優雅さを与えてしまう。
これまでも莉於の所作に目を奪われる同級生はいたが、いまは様子が違った。
グラウンドに集まった数百人からの少女たちがごくりと、一斉につばを飲む音がした。
「真咲さん、私たちは決してあなたのご主人様に危害を加えるつもりはないわ。ただお互いの教義がぶつかり合い、悲しくもこうして対立しているだけなの。互いが信じるところを確かめなければ、この行き場をなくした感情は私達の中で爆発してしまうことでしょう」
爆発しそうなのはおまえのウエストだろうに――エリカは彼女を見るにつけヒモでしばられたハムかローストチキンを思い出していた。
「あなたたちの言う教義とは、莉於の――引いては悠様にも関係のあることなのでしょうか」
「当然よ。あなたたちそのものと言っても過言ではないわ」
女子生徒たちがうんうんと頷く。小さい動作ひとつがいちいち数百倍になって鬱陶しいことこの上ない。
莉於はこの時、自分がとんでもないミスをしているのではないか――そう思い始めていた。
この場所に悠が居ては危険だ。悠に危害を加えない? 加えようとする人間が使う常套句ではないか。
莉於は自身を戦闘モードに切り替えながらそっと隣をうかがう。
エリカは先ほどからこの場にいるのも不快だと言わんばかりに松尾を睨み付け、悠の傍らをキープしていた。軽く口元を歪ませながら後ろの気配を探る。
十志郎は――ダメだ。大きな身体を丸めて意地でも女子を見ないようにしている。本当に使えない。
「それはどういう意味で――」
「ちょっと――ちょっと待ってちょうだい!」
ハム……松尾はムフーっと息を吐いて莉於を遮った。頬が真っ赤に上気して眼鏡には結露が溜まっていた。
「あなたの疑問を解消するためには、まず私たちの質問に答えてちょうだい。私たちはそのためにここに集まっているのよ!」
このらんちき騒ぎが最初から自分たちを目的にしていると知って、莉於はいますぐ悠を抱えて逃げ出したくなった。
悠のシャツの裾をしっかり握って離さない十志郎はブッチしたいくらい邪魔だった。
「実は私たちは全員、とあるインターネットサイトの会員なの。毎日夜が明けるまで意見交換し合うほど、そのサイトのとあるコンテンツにハマちゃってるのよ。ぐふふ、毎日毎日眠くて授業に出るのも大変なのよう」
元とはいえ生徒会長自らがネット廃人みたいなことを言っていた。大丈夫なのかこの学校は、とエリカは思った。
「実はそこの掲示板に昨夜、とんでもない画像がアップされたのよ! それを見た瞬間の私たちの気持ちをどう表現したものか――とにかく一瞬で眠気が吹っ飛んだのは確かなのよ!」
眠いんか眠くないんかどっちやねん、と口角泡を飛ばす豚骨――松尾に突っ込みたい莉於だった。
「画像――ですか」
「そうよ、画像よ。いいえ、もやはそれは単なるドットの集合体を越えた何かよ。私はピクセルの間から強固な意志のようなモノさえ感じたわ。だからこそ私たちは突き動かされるようにこの場に集っているの!」
彼はムワっとしめった上着の奥からふやけた一枚の写真用紙を取り出した。
「その画像がこれなのよ!」
「なッ――!?」
莉於は驚愕した。エリカは絶句した。そこに写っていたのはスカート姿の悠だった。
「これって豊葦原女学院の制服よね! ねえねえねえ、どうなってるの!? どうして富士宮くんがこの制服を着ているの!? 日付から見て彼が攫われた日よね!? というかどうしてこんなに似合っているの!? まるで物語の主人公みたいに似合いすぎでしょ!!」
もう我慢できない――と言わんばかりにまくし立てる松尾。
莉於の頭の中ではレッドアラートが大合唱していた。
「この、まるで私達の妄想の中から飛び出したような富士宮くんの完璧な姿――もしかして、もしかして富士宮くんって――本当は女の子なんじゃないのかしら!?」
「――――っ!?」
その言葉が発せられた瞬間――数百人からの瞳が悠へと注がれた。
十志郎が側にいようが関係ない。
それは圧倒的な好奇と好意がない交ぜになった視線の暴力だった。
悠はまるで石になったように動けない。
息をすることすら致命傷になるような――そんな極限の緊張感。
当然、悠の身体は『女の子』のものになっているはず。
本人の意志など関係なく、無遠慮で一方的な性転換。
莉於は再認識する。やはり自分はこいつらが大嫌いだと。
悠の苦悩も知らず好きだの嫌いだの――好いたの惚れたのと感情を垂れ流しにするケモノのような『思春期』どもめ。
その汚らわしい視線で莉於の主を汚すな。
己のパーソナルの根幹たる性別が一時も定まらない悠が、今日の今日まで他人を恨むことなく誰よりも優しく純粋な心根を持ち続けていることだけでも奇跡に値するというのに――!
「…………――――ッッッ!!」
全身全霊、莉於が殺意の波動を滾らせる。
だが松尾たちは愚かしいことに気づきもしない。
妄想の存在が現実にあることによる多幸感――快楽物質の作用により興奮が恐怖を凌駕しているのだ。
餌をぶら下げられた荷馬車のように、彼女たちは前を向いてしか奔ることができない。
莉於は今すぐ全員を■してしまいたいと、そしてそれを実行しようと本気で思った。
「――ッ!?」
不意に強く肩が掴まれた。
振り返ればエリカが首を振っていた。神妙な目つきと、自嘲を込めた口元で
莉於は眉間に寄った深い傷のようなシワを解くと、いつもの無表情に戻った。
そうしてエリカを見つめて頷く。エリカはふう、とため息をひとつ、肩を竦めた。
「それではよーい――」
「どんッ、ですわッ!」
猛然と――悠の両手をそれぞれ掴んだ莉於とエリカが脱兎のごとく走り出した。
人垣を跳び越え、誰彼構わず踏み台にして、悠の両腕を頑なに保持しながら逃げる逃げる逃げる――!
ひっとらえなさい――!
遙か後方でチャーシューが何か言っていたが構うものか――
「悠様、しっかり! きちんと立って走ってくださいまし!」
「ここが正念場です悠様! 彼女たちは純粋であるがゆえ自らの悪意に気付いていません。捕まれば骨すら残らないものと覚悟してください!」
悠を引っ張りながら必死に校門を目指す莉於とエリカ。
だが重い。悠の小柄な身体から想像もできない重みがふたりの手に――
「…………」
「…………」
振り返ればそこには悠の腰元にしがみつく十志郎の姿があった。
しがみつくだけでなく、かき抱くように悠を抱きしめ、その背中に顔を埋めているのだった。
「十志郎、ダメ……息、熱いよう……!」
「悠様の背中に顔を埋めてなにハアハアしてやがりますのこの駄犬が!」
エリカが吼えた。飼い主である彼女が言うならやっぱり十志郎は犬なのだった。
「十志郎ぉ、やめてぇ、いやあああ……!」
悠の背中に密着したまま激しくイヤイヤをする十志郎。身長一八〇センチがずるずると足を引きずるものだから速度は一向に上がらなかった。
「大鳥エリカ、前を!」
「な――伏兵!?」
いつの間にか、校門の前には完全武装した弓道部(女子)と剣道部(女子)が矢をつがい、剣を構え、万全の体制で待ちかまえていた。
「こっちですわ!」
退路が塞がれた以上、取れる選択肢は校舎内しかなかった。
ポッカリと口を開けた昇降口は果たしてどんな魔窟へと繋がっているのか。
とにかく――悠たちは伏兵を警戒しながら、ひたすら上を目指す。
後方からは大挙して押し寄せてくる全校女子生徒。
莉於たちには決断の時が迫っていた――!
「十志郎様! お顔を上げてください十志郎様!」
莉於が呼びかける。だが無反応。構わず続けた。
「莉於と――結婚を前提にお付き合いしてください十志郎様!」
「ウソつけええええええ!」
がばっと、十志郎が跳ね起きた。歓喜と猜疑が混ざり合ってなんだか訳わかんない顔になっていた。少女たちは――もうすぐそこまで迫っていた。
「いくら俺でもそんな露骨なウソには騙されねえからな!」
ちっ、と莉於は内心舌打ちした。
「いいえ十志郎様、事ここにいたり莉於は悟りました。最後の瞬間は莉於もやっぱり女でいとうございます。となればお相手は十志郎様しかおりません――もう言わせないでくださいまし恥ずかしい!」
「え、ウソ、マジ、信じてもいいのか――?」
十志郎はセンター前ヒットを打ったバッターのように全速力で走り出した。
「真咲、真咲、真咲ぃ! 俺、俺は――俺だっておまえのことががががががが!」
舌を噛みながら十志郎が莉於を呼ぶ。
一足飛び――二足、三足飛びに階段を駆け上がる。
追手の少女たちを大きく引き離すことに成功した途端、その腕にすっぽりと抱えられた悠を莉於は親権を奪い取った母親のようにしっかと取り上げた。
「十志郎様、ふたりで幸せになりましょう――来世で」
莉於の弾丸のような右足刀が十志郎の腹に突き刺さった。
くの字に折れた十志郎が手を伸ばす。掴みかけた莉於の腕――いっそ鮮やかなまでにそれをスルーして、莉於は踵を返し走り出す。もう決して振り向かず、前へ前へと――
「それでも好きだッ! 真咲莉於おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ――……!」
十志郎は再び腐海の中へと沈んで行き――今度こそ、二度と浮かび上がることはなかった。
「なんてこと――まったく心が痛みませんのね」
「本当に稀有な――捨て石の才能を持ったお方でした」
「過去形にしないでよ。十志郎、生きてるよね?」
飛ぶように――三人は校舎の階段を駆け上がっていく。
いまだ事態を飲み込めない男子たちが遠巻きにこちらを見つめていたが、そんなものは無視だった。
「それで、どこまで行きますのメイド長!?」
「屋上です。あそこは悠様の入学に際してヘリポートにしてあります。扉も頑丈なものに変えてあります」
「時間を稼いで助けを呼びますのね!」
「ひいひい……どうしてふたりとも走りながら余裕で話せるの!?」
「メイドの嗜みです」
「淑女の嗜みですわ」
その声は楽しげに弾んでいた。
屋上の扉が近づく。普段は立入が禁じられているそこをこじ開けようと莉於が拳を固める。
だが直前――まるで迎え入れるように扉が開く。
眩い光。逆光の中に人影が見えた。
「三人とも急いで!」
「――高桜様!?」
罠か――、一瞬ひるむ莉於だったが飛び込むしかない。すぐ後ろに迫る怒号と足音。
三人は滑り込むように扉をくぐった。
ズシン――と閉じた扉の向こうから衝撃が響く。
そして聞こえてくる数百人からの怨嗟の声。返せ返せ、〈Y子〉を返せ、返さねばタタリが降り注ぐぞ……ただひとつ、それだけが彼女たちから伝わってくる感情だった。
「〈Y子〉? 〈Y子〉とは一体なんのことですの?」
「見当もつきませんね」
「あなた方ならご存知ですの?」
振り返れば屋上には悠たちのクラスメイトがいた。高桜もえ、八重山鈴、越後谷一子、鮎川よしえ。
その中のひとり、高桜もえが悠たちの前に歩み出た。
顔をくしゃっくしゃにして彼女は跪く。
「ごめん……ごめんなさい富士宮くん、全部私のせいなの……!」
「高桜さん!?」
困惑する悠を放って、彼女は火がついたようにギャン泣きするのだった。




