第十話「今世の富士宮の栄華は――すべて旦那様の功績です」
「うう……」
真っ暗闇の中、悠は怯えきった表情で己の肩を抱いていた。
先ほど――中庭で行われた莉於とガーディアンたちとの大規模戦闘を目の当たりにしたためである。
莉於は強かった。
これまでも幾度となく悠を守ってきてくれた彼女ではあるが、まさに鬼神の如き戦闘力だった。
群がるガーディアンたちをちぎっては投げ、残像を残しながら駆けまわり、手のひらに集めた闘気を解放して吹き飛ばす――まるでドラゴ○ボールのような戦いだった。
悠が怯えているのはそんな莉於の比類無き強さを目の当たりにしたからではなく――倒されても尚、悠の髪の毛一本、爪の欠片に至るまでを手に入れようと手を伸ばしてくる屍たちを目の当たりにしたからだった。
「恐い、恐いよ……エリカさんといい、ここの女の子たちといい、何かみんなおかしいよ」
ふたりはいま、校舎内の手狭なロッカーの中にいた。
群がるガーディアンたちを退けたはいいが、結局敷地内から脱出することはできず、こうして身を隠しているのだ。
「悠様」
「ひいいッ」
ガタンバタンと悠が後ずさる。
当然それ以上どこにも逃げられず、ロッカーの壁にもたれて頭を抱える。
ガタガタと、まるで極寒の猛吹雪に晒されたように全身が震えていた。
莉於は無言で小さな主をそっと抱きしめた。
言葉はない。強くもなく――けれど弱くもない。
逃がさないためではなく、確かめるための抱擁。いつでもこの体温が傍らにあったことを、自分を守り続けてきてくれたことを悠は思い出した。震えは治まっていた。だが――
「莉於――僕恐いよ。こんなに女の人が恐いなんて初めて知ったよ」
一度植え付けられた恐怖心は簡単にはぬぐえない。莉於は少しだけ困った顔をした。
「ちょっとここの学院生を一般の基準として考えるのは世の女性たちに酷かと思いますが」
温室育ちとは名ばかり。親の願望で世俗から無理やり切り離された少女たちである。
情報が氾濫する現代で、知識ばかりに偏重し、悶々とした日常を繰り返してきた彼女たちが、悠のような中性的な容姿の者や、十志郎のようないかにもな男を見れば、自制心を無くすのも無理からぬ(?)ことだった。
「みんなしてよってたかって僕に気持ちをぶつけてくるんだ。もうずっと女の子の身体のままなのかと思った。恐い――女の子が恐いよう」
そう言って悠は莉於にしがみついた。意外な力強さ。莉於から悠を抱きしめることはあってもその逆はない。莉於は珍しく落ち着かない気分になった。
「あの悠様――一応、莉於も女であることを忘れていませんか?」
女が恐いと言いつつ女の自分を抱きしめることは矛盾していないだろうか、と問う。
「莉於はいい。でも他の女の子は恐い――嫌いだよぅ」
ぎゅううっと、悠はよりいっそうしがみついてくる。
莉於はため息をひとつ、悠の頭を撫でながら言った。
「悠様、ここから無事に脱出できたら――今度は男子校にでも転校しましょうか」
「でも、それじゃ莉於と一緒にいられなくなっちゃうよ?」
「大丈夫です。今度は莉於が男装をしますから。悠様が女装をさせられたのです、莉於も男装をするくらいでちょうどいいはずです」
悠はきょとんとしがら、莉於の瞳を覗き込む。どこまでも純粋で、無垢な瞳が莉於を映していた。
「その理屈はよくわからないけど――莉於は女の子の格好のほうが可愛いくていいと思うよ」
――ごちん、と莉於のヘッドバットが決まった。
「いたっ――え、何!?」
「ほう――ほうほうほう。そう来ますかそうですかいやはやはや……!」
「え、え、え――どうしたの莉於。顔が真っ赤だよ、大丈夫?」
「大鳥エリカに毒されましたか。それとも豊葦原女学院の子たちにおべっかの練習でもさせられましたか?」
「ななな何のこと!?」
「そういえば微妙に女の匂いがついていますね」
「それは――エリカさんが引っ付いてくるのを見てみんなが面白がって……」
「肉の海に溺れたと」
「その言い方はものすごい誤解を生みそうだよ!」
「肉体の門に溺れたと」
「その名作映画は関係ないでしょ!」
「年に一度の芸術鑑賞祭でここのアマちゃんたちに見せてやりたい映画ですね」
「やめて――みんな卒倒しちゃうから! テロに等しいからそれ!」
悠は――心から笑っていた。
ここが敵地のど真ん中で、ふたりは追われる身なのだが、そんなことはもうどうでもいい。
ふたりが居ればどこでも笑い合える。そのことを確認し合えたことが何より嬉しいのだった。
「いつまでいちゃコラしてやがりますの?」
誰何の声と共に、バタン、とロッカーの壁が四方に倒れた。
眩いばかりの光がふたりを照らし出す。
ロッカーは手狭な更衣室にあったはずなのに、周りはだだっ広い空き教室に変わっていた。
「なんと――この学院は教室が移動変形するのですか」
「ねえ、それなんてゴ○ザウラー?」
莉於は悠を後ろに庇い、燃える瞳のエリカと対峙した。中庭で散々蹴散らしたガーディアンたちも半死半生ながら周りをぐるりと取り囲んでいる。
窓の向こうにはホバリングするUH―60ブラックホークが見えた。音から察するに校舎を挟み込んで二機が待機しているようだ。逃げ道はない。
「時間の問題ではありましたが――どうやら完全に詰みのようですね」
莉於は両手を挙げなら眩しそうに辺りを見回した。静かに――自らの運命を受け入れた者の諦観がそこにはあった。
「潔い態度で大変結構――などと言うと思いまして? ふっふっふ。初めてですわ――私をここまでコケにしてくれたおバカさんは。絶対に許しません。じわじわとなぶり殺しにしてやりますわよ!」
号令一下――次々に獲物を抜き放つガーディアンたち。もはや武人としての誇りすら捨てたのか、その眼に恥や躊躇いはない。ただ己を捨て、主の意を遂げるためのキリングマシーンと化している。
命を捨てた者の特攻――悠を守りながらでは、さすがの莉於も分が悪かった。
「待ってエリカさん!」
そのとき悠が――初めて莉於の影を越えた。
危機的状況では常に莉於の後ろに隠れているだけだった悠が――莉於を背中に庇っていた。
「もう――もうこんなこともうやめてよ。エリカさんの気持ちは嬉しいけど、僕は誰にも自分の『運命』を委ねるつもりはないんだ。僕の『運命』は僕が決める。だから――エリカさんとは一緒にいられないんだ」
誰のためでもない、自分の望んだ性別を――男になると悠は言った。言い切った。
エリカは真っ青を通り越して――幽鬼のような白貌になっていた。
大鳥として生を受けて十四年、これほどまでに誰かに拒絶されたのは初めてだったからだ。
「ゆ、悠様、本気では、ありませんわよね? 私、悠様が女性でも一向に構いませんのよ?」
「わかるよ、エリカさんの気持ちは。一緒にいるときいつも感じてる。痛いくらいだよ」
「でしたら、一番大切なひとの――人生で一番大事なときに傍らに居続けるのは当然のことではありませんか!」
「そうだね……でもごめん。やっぱり僕は男になりたいんだ。だから帰るよ、豊葦原中学に。謝らなきゃいけないひとたちがいるんだ」
嫌われるため、わざと傷つけたひとたちがいる。
望む性別のため――そんなものは理由にはならない。
悠が目指す男の中の男とは、誰かを犠牲にして成れるものでは断じてないのだから。
「いやッ――行かせません。悠様の苦悩も知らず、ただその愛らしい容姿にばかり憧れて、気持ちを垂れ流しにする者たちの元になど帰しはしません。私なら――悠様の苦悩も嘆きも全て受け入れてみせますわ!」
「いい加減にしなさい、大鳥エリカ」
窘める声は莉於だった。悠を庇うのではなく、共に並び立ちなが敢然とエリカに言い放つ。
「例え悠様が男でも女でも受け入れる――そう言ったあなたなら、いまの悠様の言葉の意味がわかるはずです。悠様は悠様の望む男の道を突き進もうとされています。例えその結果が望むものではなかったとしても、男としてのスジを通してみせると、悠様はそう言っているのです」
「莉於……ありがとう」
「いいえ、悠様。あのような作戦を勧めた莉於が愚かでした。よくご決断されましたね」
莉於はそっと悠の手を取り膝を折る。小さな、女の子みたいな白い手。でもいまは少しだけ大きく感じるのだった。
「ううん、もっと早く僕がこう言うべきだったんだ。莉於は僕の望みを叶えようとしてくれただけだよ。ごめんね、こんな情けないご主人様で」
とんでもない――という莉於の言葉は続かなかった。
走り寄ったエリカが莉於の頬を張ったからだ。
「エリカさん――!?」
止めようとする悠を、莉於は片手で制した。
続くエリカの二撃目を、莉於は受け止めていた。
「あなたはいつもそう――美味しいとろこだけかっさらって――ズルイですわ、憎らしいですわ!」
「ふん、莉於に能面仮面メイドなどと言っておきながら、あなたもようやく本音がでましたね。搦め手でこられるより、こちらのほうがよほどわかりやすいです――」
バシィン――と、今度は莉於がエリカの頬を張った。騒然となるガーディアンたち。だが、誰一人として手が出せない。頬を打たれた本人が直ぐさま莉於の頬を張り返したからだ。
「四六時中悠様の側にいて、悠様の心をがっちりと鷲づかみにして――あなた、ずっとずっと目障りでしてよ!」
「逆に四六時中一緒にいるおかげで自分の気持ちは二の次ですよ。わざと被ったはずの仮面はもう皮膚と癒着して取れない有様ですが何か?」
「それでも悠様の一番であることにかわりはないですわ! 私が望んでも決して手に入れられない立場にいるくせに贅沢ですわよ!」
「望めば望むほど遠くなっていきます。近づけば近づくほど主の望みとは真逆の結果になってしまう。そんな矛盾と二律背反を殺し続けていく立場がお望みですか?」
喧嘩など生まれてこの方したことがないのだろう、エリカの白い手は莉於の頬を打つたびに真っ赤に腫れ上がっていく。
感情の防波堤は崩れ去り、涙を流しながらふーふーっと荒い呼吸を繰り返している。
もう耐えられないとばかりにエリカは叫んだ。
「なら私はどうすればよかったんですの!? 大鳥の家名を捨てて、メイドにでもなればよろしかったと言うのですか!? ねえ――どうしたら私は悠様の一番星になれますの!?」
そのとき――耳をつんざく爆音が轟いた。
窓の外、ホバリング中のブラックホークがテールから黒煙を上げていた。
メインローターの感性モーメントによりくるくるとスピンしながら中庭へと墜落する。
敵襲――校舎の陰から飛び出たもう一機のブラックホークが見たのは、遙か豆粒ような距離を隔て、こちらに脇腹を向けている敵のヘリコプターの姿だった。
Mi―24ハインドVP。この距離から攻撃が命中するのならハインド搭載の空対空ミサイル以外に考えられない。だが爆発が小さすぎる。一体どうして――
そのとき、ブラックホークのパイロットは見た。
ハインドのサイドハッチで携帯ロケットランチャーを構える人影を。
まさか――と思った瞬間に、それは発射されていた。
RPG―7、対戦車グレネード。不安定なロケット推進で弾頭を飛ばすため、当たらないの代名詞とされている武器だ。
下手をすれば校舎に直撃――だからといってヘリで庇おうにも自機が爆散すればもっと被害が出る。着弾までの僅か数秒――直上に回避する以外に方法はない。
「何――!?」
次の瞬間、弾頭はまるで狙い澄ましたように機体の脇をすり抜け――爆発。
いっそ清々しいほど綺麗にテイルローターだけを破壊され、ブラックホークはきりもみしながら裏山へと落ちていった。
二機の戦闘ヘリを無力化したハインドは悠々と中庭へ進入。23ミリ機関砲でセントリーガンやトーチカを次々と掃討していく。
その圧倒的な暴虐の数々に、エリカはおろかガーディアンたちですらあ然とする他なかった。
悠と莉於だけは、その見覚えがありすぎる変態曲撃ち技に妙な安心感を覚えていた。
「お邪魔するよん」
そして――辺り一面が黒煙に包まれるころ、ベランダにひとりの人物が降り立った。
窓枠を跳び越え、一同が介する教室へ入ってくるなり、その人物は愛しい我が子を抱き上げた。
「悠――久しぶり、元気だった? ちゃんと食べてる? 恋人はできた? どうでもいいけどその制服似合いすぎだね!」
「と、父さん、そんないっぺんに訊かれてもわかんないよ」
父さんというには――どこからどう見ても女性にしか見えないその人物こそ、富士宮ヒロエの夫にして悠の父親である富士宮トモエその人であった。
「お久しぶりです旦那様――相変わらず馬鹿馬鹿しいほどの命中率ですね」
「んっふっふ、そうだろー。つい最近もカスピ海でレアメタルの新しい鉱床場所、『当てちゃってさー』。現地で発掘会社起こしてきたばっかりなんだー」
当たる――その一点にかけて神懸かり的な才能を発揮するのがトモエである。彼女をして最大の当たりはヒロエを射止めたことだと豪語するほどの愛妻家だった。
「さて、話はすべて聞かせてもらったよ――大鳥さんとこのエリカちゃん。いやー綺麗になったねえ」
「聞いていたって――いつから、どこからですの……?」
頬を腫らしたエリカが不満に満ち満ちた眼をする。当然だ。今し方、中央アジアからやってきた人間がどうして事のあらましを知っているというのか。
「恐れながら――私のほうからご報告をいたしました」
そう言って進み出てきたのは――教室にいた白百合の少女だった。
「あなた――私を裏切ったのですね!?」
「おいおい、それは違うよ。予めこっちからお願いしておいたんだ。エリカちゃんが愛故に暴走したら連絡ちょうだいって。蓮太郎さんにも話は通してあるよん」
「お父様にまで――!?」
「はい、というわけで先ほど蓮太郎さんからエリカちゃんへのメッセージを言付かりました。僭越ながら私、富士宮トモエが発表させていただきます」
ポケットの中からくしゃくしゃになったA4用紙を広げ、こほん、とわざとらしく咳払いしてからトモエは告げた。
「エリカへ。勘当します。探しません。好きに生きなさい――だってよ?」
「は――――――?」
あまりの事態にエリカは石像のように固まった。
悠も眉間にシワを寄せて口をあんぐりと開けている。莉於だけが的確な突っ込みを入れた。
「旦那様――先ほどレアメタルと言いましたか?」
「関係ない関係ない。大鳥さんとこの電子部門とこっそり大口契約なんか結んでないよ?」
レアメタルは希少金属と呼ばれ、電子部品の製造には欠かせないのである。
「なるほど――国際協定に拠らない独自ルートから直輸入できれば製造コストを抑えられるのは当然。外国の安価な電子製品と真っ向勝負ができますね」
「だから関係ないって。莉於ちゃん相変わらず考えすぎ。まあ――エリカちゃんもやりすぎたね。うちの莉於ちゃんを出し抜くためとはいえ元SASを雇い入れたのは不味かった。学生の範疇を越えすぎだよ」
私兵も十分範疇越えすぎですが――そんな常識的な突っ込みは皆無だった。
「勘当だなんてそんな――私は、私は……!」
エリカはペタンと尻餅をついた。
勘当――それはエリカにとって地球滅亡にも等しいことだった。
彼女を支えてきたアイデンティティが音を立てて崩れ去ったのだ。
もう彼女は大鳥ではない。地位も名誉も権力も、住む家さえない――ただの非力な十四歳の少女になってしまったのだ。
「エリカさん……」
悠は呆然とするエリカに何も言えなかった。
悠だってそうなのだ。富士宮という肩書きがなければ――莉於がいなければ何もできない無力な存在なのだ。
そんな自分が――果たして彼女に何をしてやれるというのだろうか。
「あー、悠。――悠っ」
トモエは我が子を肘でつついた。
「父さん……?」
「あのね――権力ってね、使うべきときにはきちんと使わないといけないものなの。抜くときには抜かないと伝家の宝刀って案外錆びやすいんだ。悠はいままで何回それを抜いたことがある? 私の言ってる意味、わかるよね?」
「で、でも僕は…………莉於?」
「私は悠様のメイドです。主の決定に従います」
確かに、自分は何もできない無力な存在だけど――支えてくれるひとたちがいる。
それはとても心強く、頼もしい。
僕はまだ何者でもないけど――それでも、少しだけ父さんや母さんの力を使わせてもらおう。
悠は大きく息を吸い込み、「よし」と気合いを入れる。
そしてエリカの前に跪くと手を差し伸べた。
「エリカさんよかったら――うちにおいでよ。いま僕が住んでるところは大鳥の本家とは比べものにならないくらい狭い家だけど、僕と莉於だけだから遠慮はいらないよ。あ――いまは十志郎も一緒に住んでるんだった。そういえば十志郎ってどうなったのかな?」
「腐海の瘴気に呑み込まれ生死不明です。欠片でも骨が残っているかどうか……」
「うん、でも十志郎なら平気だよ多分。とにかく――僕たち四人で一緒に暮らそう」
「悠様……」
エリカは怯えきった瞳で恐る恐る悠の手を取った。
悠はその手をしっかりと握りかえし、にっこりと笑い返すのだった。
「これにて一件落着だね。さて――アゼルバイジャンにとんぼ返りだわ。あとの処理はよろしく莉於ちゃん」
「旦那様――今回の件はありがとうございました。莉於ひとりでは悠様を取り戻すことは適わなかったでしょう」
「莉於ちゃん」
トモエはこつん、と莉於の頭を叩く真似をした。莉於はちょっとビックリした顔でトモエを見た。
「おまえはとっても優秀で強い子だけど、それでもまだまだ子供なんだから。きちんと大人を頼りなさい」
「旦那様――かしこまりました」
莉於は深々と頭を下げるのだった。
トモエは窓枠に足をかけながら「ああ、それから」と振り返った。
「あと――五日かな。せめてその間だけでも――ただの女になりなさい」
それだけ言い残して、トモエは行ってしまった。
夕闇のなかに消えていくハインドVP。
莉於はそれを見送りながら、「それはちょっと難しいかもしれません」と誰にも聞こえないように呟くのだった。
富士宮悠の性別が決定するまで残り五日と七時間――
ここまでで一区切りです。
読んでくださってありがとうとざいます。
まだ続きます。




