七駅目 妖精の長
マーガレットの家を出てから数十分。
誠斗とマノンは日が傾き、暗くなり始めた森の中を歩いていた。
薄暗い森と聞けば、獣のうめき声が聞こえるとか不気味な印象があるが、この森はそんなことはない。
この森には獣のたぐいのものが住んでいないらしく、森はシンと静まり返り、時々聞こえてくるのは妖精たちのささやき声や笑い声ぐらいだ。まぁそれはそれとして不気味であるのだが……
「それで? 僕はいったいどこへ連れて行かれるの?」
前を歩くマノンに尋ねると、彼女は少し迷ったように空を仰いでから答えた。
「いやね。長老にあなたのことを報告したら、あなたに会いたいって言い出して……」
「長老が?」
「そう。長老が……厄介ごとじゃないといいんだけど」
マノンが小さくため息をつく。
だが、誠斗としては何か問題を起こした覚えはない……といいたいが、つい数十分前のマーガレットとマノンの会話を聞く限り、あまり穏やかな要件ではない可能性がある。
いくらアイリスカードを発行してもらったといってもマーガレットの家から出なければならないようなことになれば、この世界で生きていける自信がないのでそれは絶対に避けたいところだ。
いや、蒸気機関車のことを口実にすれば、アイリスに何とかしてもらえる可能性も……いや、一応これは排除しておこう。
そんなことをごちゃごちゃと考えているうちに前を歩くマノンが立ち止まった。
「ついたよ」
そう言って振り返った彼女の背後には天空まで届いているのではないかと錯覚するほどの大きさを誇る大樹がそびえたっていた。
「すごい……」
「でしょ?」
その大きさに圧倒されると同時に誠斗の中で一つの疑問が生じる。
なんでこれほど大きなものが外から見えないのだろうか? というものだ。
当然ながら周りの木も同様の大きさというのならともかく、この木だけが抜きんでて大きい。
それこそRPGやなんかでは内部が迷宮になっていて冒険をしてもおかしくないレベルだ。
「この木にどうして今まで気づけなかったのかって思ってるでしょう?」
「えっまぁそうだけど……」
「まぁ当然よね。こーんな大きさなんだもの。これに関しては私もよくわかっていないんだけど、これを守るように不可視の結界が張られているみたい。それ以外にも幾重にもわたっていろいろと結界が張られているみたいだとか、中には何かあるなんて言う噂が真しなやかにささやかれているけれど、その真相は長老でもわからないんでしょうね。調べる気がないだけかもしれませんが」
そう言ってマノンは苦笑する。
確かに住むのに問題がなければいちいち深く追及する必要のないことかもしれない。
そんなことを思いながら改めて天高くそびえる大樹を見上げた。
「私は長老に話を通してくるから、くれぐれもここでおとなしく待っててね」
そういうと、マノンは大木の方に飛び去っていく。
その場に残された誠斗は暗がりに包まれていく森の中で近くにあった木に寄りかかるような形で体を預けた。
「この世界には不思議なものがあふれているんだな……」
天高く伸びる大樹はまだまだ序の口なのかもしれない。
地底深くまで通じる迷宮にエルフが住む広大な森……妄想はどこまでも膨らんでいく。
でも、そのためには足が必要だ。
それは自分のためだけではなく、この世界の人々の為に。
自分一人ならば、その足で歩けばいい。マーガレットの手伝いをして稼いだお金で馬車を買えばいい。安い乗合の馬車もある。ドラゴンに乗って文字通り世界中を飛び回ればいい。
でも、それだけではだめだ。
この世界には移動手段が少なすぎる。
この世界がどこまで広がっているかなんて知らないけれど間違いなく広大だ。
同じ志を持った誰かはお金がなくてあきらめているかもしれない。
別の誰かは時間がなくてあきらめているかもしれない。
結局、広大な大地を走る蒸気機関車を見ていたいだけなのかもしれないが、その木を見た誠斗はそんな考えを抱いていた。
「この世界に新しい光を……なんてね」
つい先日まで普通の学生をしていた自分が何を言っているのかと考えると笑ってしまいそうだ。
「あなたがマコト君?」
そんな中、一人の女の子が誠斗の顔を覗き込んだ。
藍色の髪を長く伸ばしている女の子は見た目だけでいえば、5歳ぐらいの女の子だ。
しかし、その背中には妖精という種族の特徴である大きな羽をはやしていて、それが彼女が妖精であると証明している。
「そうだけど。あなたは?」
「私はカノン。よろしくね。そう。これからよろしく」
「えっあぁはい」
「そんなに硬くならなくてもいいよ。そう。硬すぎ……それよりもさ、あなたはこの大樹を見て何を思ったのかな? ううん。何か思ってるよね?」
「えっ?」
目の前の女の子は現れるなり何を訪ねているのだろうか?
それに硬いといわれるほど硬い態度で接しているつもりもない。
「……大きくてすごいなって思えたかな」
「そうじゃなくってほら、ほかにもあるでしょ? なんかこんなことがんばるぞー! とか、こうしなくちゃいけない気がする! うん。そんな気がしちゃうとか!」
少女は両手を上げたりパタパタと振ったりして全身で主張を展開する。
「あったよ」
「やっぱり! うん。やっぱりそうだったの! あはっ」
カノンは笑顔を浮かべて中を一回転した。
「やっぱりだ! 予想通り! あははっ!」
「やっぱりって何がやっぱりなのさ?」
「あははっ! あははははっ!」
「あぁ! こんなところにいたんですか!」
ちょうどそこへマノンが大声を上げながら駆け寄ってきた。
「あははっ! あぁマノンじゃない! マノン! どしたの? ねぇどしたの?」
「どうしたのじゃありませんよ。まったく、あなたという人は……急に飛び出していかないでください」
「あはは! まぁいいじゃない! そう。いいでしょ! 居ても立っても居られないんだからさ! そう。久しぶりに楽しい出来事なの!」
カノンに詰め寄るマノンと悪びれる様子もないカノン。
その前で誠斗だけが話についていけずに置いてけぼりをくらってしまっている。
「あぁもうほんとにあなたという人はこれだから……」
「いや、マノンこそ本題を忘れないで上げようよ。そう。忘れないで。マコト君が混乱しているよ。うん。混乱してる」
カノンの言葉を聞いたマノンが大きなため息をつく。
「わかりましたよ…………やればいいんでしょやれば。その代りあとでお説教ですからね」
「ひどっ! うん。ひどすぎるよ! 殺生だよ! 私は長老なのに! 長老! 妖精の中で一番偉いのに! さいきょーなのに!」
「はいはい。さいきょーですね。さっさと本題に入ってください」
「はい……」
一瞬、しょぼくれた様子を見せたカノンであったが、すぐに立ち直りこちらを向いた。
「それでは……改めて私がこの森に住んでいる妖精の長老であるカノンだよ! 長老だからね! こんな見た目だけど、妖精の中で一番偉いからね! さいきょーだからね!」
「しつこいです」
「ごめんなさい」
うん。カノンが長老だというのは分かった。
ただし、目の前の光景を見る限り長老と部下というよりは仲のいい姉妹を見ているようだ。
誠斗はそんなことを思いながら改めて大樹を見上げる。
「マコト君! 君に話がある!」
カノンが誠斗の目の前に立つ。
「結局、話ってなんですか?」
「あぁそうだった。改めて聞こうかな。あなたはこの大樹を見て何を思い。何を感じたかな? あぁ見た目の話じゃなくて感情論。なにかしなくちゃーとか感じなかった? 感じたよね?」
「まっまぁそんな感じかな……」
「カノン様。それじゃ誰も理解できません」
「あれ? そう?」
マノンが指摘するもカノンはちゃんと理解できていないようだ。
その様子を見てさらにマノンが小さくため息をつく。
「いや、大丈夫だよ。言いたいことはなんとなくわかる」
本当になんとなくだ。
その言葉を聞いたカノンは満足げな表情を浮かべる。
「そうか! そうだよね! あはははっ! そう。それでね。あなたに一つ言いたいことがあるの! そう。言っちゃいたいの!」
「言いたいこと?」
「そう!」
カノンはそこで言葉を切り深呼吸をした。
そして、笑顔を引っ込めて誠斗の目をまっすぐと見据えた。
「これより儀式を始めます。そう。始めちゃいます」
そういうと、カノンは何かに祈りをささげるように胸の前で手を組んだ。
「ニンゲン。ヤマムラマコト。あなたは心に秘めた想いがはっきりと見えたはずです。それに従って行動するかはあなた次第です。ただし、それに従い行動しているときにその初心を忘れそうになったとき、あなたはここに戻ることになるでしょう。その権利を妖精の長であるカノンが保証します」
「えっ?」
「返事を」
「えっえっと……はい」
その返事を聞き届けたカノンは年相応の笑みを浮かべる。
「お疲れ様。これであなたはここに来る権利を手に入れたの! そう。手に入れっちゃったの!」
「ここに来る権利?」
「……それに関しては私から説明するわ」
理解が追い付かない誠斗の前に見かねたマノンが進み出る。
「この大樹は願いの木と呼ばれています」
「願いの木?」
「そう。これは、人間の心の奥底にある願望やその人物が生きる意味を発掘し当人の思考という形で返答するというものなんだよね。間違えちゃいけないけれど、この木からの返答を聞いたからと言って必ず実行しなければならないというわけではないけどね。それでこれも重要なことなんだけど、二度目にここを訪れれば一度目と同じ返答を聞くことができるというものです。もっとも、詳しい原理はさっぱりだけど。そして、今この願いの木は私たち妖精の管理下にある。だから、カノン様は妖精の長としてマコト君にこの場所へ来る許可を下ろしたというわけよ」
「なるほどね……」
ここまで来てようやく理解ができた。
とんでもなく長い道のりだったとしか言いようがないだろう。
どうせこうなるのなら、最初からマノンが説明すればいいなんて思ってしまうのだが、なぜそうしなかったのだろうか?
この世界に来て日が浅い誠斗にこの世界の妖精についての知識はないから答えは出ない。
あとでマーガレットにでも聞いてみようか?
そんなことを考えている誠斗の瞳にはバカみたいに笑いながら飛び回るカノンとそれに付き合わされるマノンの姿が映っていた。