六十一駅目 星空が輝く夜に
サフランとの交渉の後、誠斗はツリーハウスの窓から顔を出して夜空を眺めていた。
日本とは違い灯りが少ないために星がより輝いて見える。
それはいつも感じていることだ。しかし、こうしてゆっくりと眺めていると星々は日によって少しずつ表情を変えているのだということを実感できる。
夜空の中に広がる星の数は幾千にもおよび、今見ているのはそのうちの一部だ。これは、星だけに言えることではない。
誠斗が見ているのはこの世界のほんの一部だ。今回の鉄道会社を立ち上げるための提案だって、いうなればこの世界の中にあるシャルロ領という小さな領域の一部だけを見たうえでの提案だ。それがこの世界のすべてに通じるということはありえない。
そう考えると、この世界というのはどれほど広いのだろうか? 今、自分がいる場所がシャルロ領だということは十分承知しているのだが、このシャルロ領を含めた領域を指す旧妖精国と呼ばれる地域が実際にどれほどの領域を示すかということすら知らないし、そもそも、シャルロ領を配下に置く帝国がどれほどの国土を誇っているのかということについても漠然とした知識しかない。
これに関しては改めてマーガレットにでも聞けば教えてくれるのだろうが、彼女は今、妖精に呼ばれて外に出かけているので、それは彼女が帰った後にするとして星空を眺めていることにする。
スッと手を星空に向けて伸ばすと、届きそうな気がするのだが、実際にその星々があるのは何万光年という遠くの場所でちょっと手を伸ばしたぐらいで届くわけがない。
それでも、そうしたくなるのはなぜだろうか? その星まで手が届く気がするのはなぜだろうか? 人間の心理というのは不思議なモノで目の前に見えているモノは自分の手に取れるような気がしてしまう。しかし、それを実際に手に取ろうとすると多大な労力がかかる。
これは今の自分の現状にも当てはまるかも知れない。
鉄道というかつては身近にあったモノを手にしようとしてもかつての自分では想像でないような労力がすでひ発生している。
正直なところ、最近になって鉄道の実現が本当にできるのだろうかという疑問が生まれているのだ。
もちろん、なんの道筋もないなんてことはない。しかし、いくら道筋を決めようと、いかに準備を重ねようと自分がやろうとしていることはあの星のごとく遠くにあるような気がして、心細くなる。
「まったく、こんなこと考えてらしくないかな……」
「…………何がらしくないのですか?」
ボソッとつぶやいた言葉に返答があったことにおどろいて振り向くと、そこにはいつの間にか家の中に入っていたらしいサフランの姿があった。
彼女は無表情でこちらを見ているのだが、その眼はどこか面白いものを見つけた子供と似たようなモノを感じた。
「何をしに来たの?」
サフランの様子がどうであれ、彼女に対して警戒は怠らない。
彼女と出会ってそれなりに経つのだが、いまだに彼女からは得体のしれない何かを感じる。
十六翼評議会議長代理という肩書がそうさせているのかもしれないが、彼女自身があえてそう言った気配を出しているのかもしれない。
「………………あなたと少し話がしたくてお邪魔しましたが、少々面白そうな言葉が聞こえてきましたので……まぁそのあたりのことはまた、機会があったら聞くとしましょう。それよりも、せっかくですからお話ししましょう? 純粋にサフラン・シャルロッテというヤマムラマコトというただの人間二人の会話です。私は、あなたに興味があります。あぁ理由は聞かないでください。ある人物の影響とだけ伝えておきます」
まったくもって、彼女が何をしたいのかわからない。
普通の会話をという割にはちゃっかりと不法侵入をしているし、ある人物の影響で自分のことが気になったという理由も少し引っかかることがある。
サフランが誠斗に対して興味を抱くきっかけとなりえる人物はすなわちこの世界で誠斗のことを知っている人物だ。
この世界に来て三ヶ月半ほどしか経っていない上に活動範囲が非常に限られているせいで意外と真のことを知っている人物というのは少ない。人づてに誠斗について聞いた誰かが興味を持ち、それが偶然にもサフランの身近にいる人物であるという可能性もなくはないが、それは排除してもいい可能性だ。
誠斗は自身の頭の中で自分のこの世界における知り合いを思い浮かべて、その中でサフランとつながりそうのある人物を絞ってみようとするが、答えは出ない。強いて言うならば、情報屋であるシルクがサフランとも取引をしている可能性やマーガレットもしくはアイリスが個人的にサフランと会っている可能性があるが、状況的に考えて前者はともかくとして後者はまずないであろう。
誠斗はそこまで考えて小さくため息を吐く。
やはり、彼女に対して何かを話すときは注意をした方がいいのかもしれない。いくら、こちらが信用を寄せていたところで彼女がそうであるとは限らないからだ。
「………………そんなに私といるのがそんなに不快ですか?」
誠斗のため息を意図していたモノと別の意味で受け取ったのか、サフランが眉をひそめる。
「いや、そんなことないよ。ただ、まぁちょっとね」
その人物は誰なのかと問いただしたところで彼女が白状するとは思えないのでなにも言わずにごまかしておく。
しかし、誠斗の態度が気に入らなかったのか、彼女は眉をひそめたままだったが、やがていつも通りの無表情に戻る。
「…………少し話が脱線しました。私が興味を持っているのはあなた個人です。話せる範囲で構わないのでお聞かせ願えませんか? そうですね。例えば、あなたがいた世界での友人の話しなんてどうでしょうか?」
「元の世界の友人って……何でまた?」
「…………私が個人的に興味を持ったからです」
彼女はこれ以上語ることはないといわんばかりの口調で答えた。
どうやら、彼女自身の言葉とは裏腹に必ずしも友好的に接しようとしているわけではないらしい。というよりも、今更ながら用事があるから今日以外は会えないとか、来客があるから本館には通せないと言っていた彼女がなぜ、このような場所にいるのかという疑問も生じる。
しかし、そんなことを追及したところで彼女は答えてくれないだろうから、この疑問は忘れることにしよう。
「……元の世界での友人ね……そう言われてすぐに思い浮かぶのは二人かな。一人は海原飛翔。もう一人は……えっと、思い出せないな……なんて、名前だったっけ?」
元の世界で飛翔以外に親しくしていた人物がいたことは覚えているのだが、その詳細な容姿や名前を思い出すことができない。
なぜ? と聞かれてもその理由は分からないし、そう簡単に忘れてしまうほど関係は浅くなかったはずだ。
そんな誠斗の姿を見たサフランはどこか納得したような表情を見せた。
「…………やはり、そうでしたか」
「やはりって?」
「………………いえ、納得できました。私はこの後、行くところがあるのでこの辺で……続きはまた、例の鉄道運営についての返答に来た時にでも聞きます」
彼女は一方的にそう言って、姿を消した。一応、補足しておくが、あくまで扉から出て行ったとかではなく、文字通りその場から消えてしまったのだ。
誠斗は結局、最後までサフランの意図がわからないままであったが、考えても疲れるだけなのでこのことについてはこれ以上、考えない方がいいだろう。
その後、マーガレットが帰宅したのは数分経ってからのことであった。




