六駅目 屋根裏の科学
誠斗が屋根裏部屋に上がると、アイリスがろうそくの火をともして待っていた。
「こいつ変わっているだろ? 魔力を流すだけで火がついて周囲を照らす道具なんだよ。とまぁそんなことはどうでもいいか。こっちだ。離れないでついて来いよ」
アイリスの先導で誠哉、マーガレットの順で進んでいく。
すると、数分もしないうちに巨大な黒い塊が目の前に出現した。
「……どうやら数代前……私の家が純粋な鍛冶屋だったころに発見され、修復されたモノらしい。もっとも、その使用法もそもそも使えるのかどうかも全く分かっていないけどね」
アイリスが火を燭台に灯すと、一気にいくつものろうそくの火が灯され、部屋を明るく照らした。
「これは……」
誠斗の目の前に現れたのは、この世界にないはずの明らかに異質なものだった。
しかし、パッと見ただけでそれが何かを理解することができた。
「なんだ? わかるのか?」
「はい……ほぼ間違いなく蒸気機関車と呼ばれるものだと思います」
「蒸気……機関車?」
そう目の前にあるものは紛れもなく蒸気機関車だ。
黒塗りの車体に大きな動輪、上部の煙突と多数の配管。
こんな事があるだろうか?
日本では過去の技術だと思われているものが目の前に未知の技術とし転がっているのだ。
かなり面白い状況だ。
「交通手段の一つですよ。この蒸気機関車がいくつかの客車や貨車……馬車の台車のようなものを引いて大量の人や物を運ぶためのものです。もっとも、走らせるためには大量の燃料と水、それと線路という専用の道が必要ですが……」
「なるほど……蒸気機関車か……」
アイリスはまじまじと黒い車体を見つめる。
そして、何かを考え込むようなしぐさのあと、誠斗の方を向いた。
「……三日後にまた来てくれるか? 少し試したいことがある」
「試したいこと? 碌でもないことじゃないの?」
「そんなことない。ちゃんと実のあることだ」
「はてさて、どうなのかしらね……」
マーガレットがいぶかしむような目で見るが、アイリスは気にする様子はない。
「まぁいいさ。とにかく三日後に来てくれ」
「わかったわよ」
その会話ののち、三人は屋根裏から廊下へと戻った。
だだっ広い廊下に戻ってもなお誠斗の興奮は収まらず、アイリスも似たような状態に見える。
その中でただただマーガレットだけが冷めた様子だった。
*
帰りの馬車の中、荷物が降ろされ軽くなった馬車には上の空で手綱を握るマーガレットといまだに上機嫌な誠斗の姿があった。
「やけに機嫌がいいわね」
「どうだろう? どちらかというと、懐かしいのかもしれない……」
「懐かしい?」
「そう。実は、異世界に飛ぶ寸前に蒸気機関車……大体、SLなんて呼ばれてりるんだけど、それが走っているのを友だちと一緒に見ていたんだよ」
飛翔は無事に逃げ切れたのだろうか?
今まで異世界に飛ばされた衝撃で頭から飛んでいたし、無事だと信じたかったからあまり考えないようにしていたが、彼は今どこで何をしているのだろうか?
もしかしたら、誠斗同様にこの世界のどこかに飛ばされてきているのかもしれないし、逃げ切って誠斗のことを探しているのかもしれない。
いずれにしても、携帯電話がつかえない以上彼と連絡を取る手段はない。
「友人か……それこそ懐かしい響きだね……もう何年も口にしていない言葉って言っても過言じゃないわ」
マーガレットが唐突にそんなことを言う。
「アイリスさんは友人じゃないの?」
「あんなのは腐れ縁よ。ずっと、昔っからあの一族とは持ちつ持たれつって感じなのよ……ある時は一緒にいて、またある時は離れてっていう感じにね。私が心の底から仲がいいと思った友人たちはとうの昔にいなくなったわ」
表情一つ変えずにこんなことを言い切れる彼女を見て、やはり彼女は不死者なのだなと改めて実感させられる。
正直なところその友人とやらが気になるが、こちらから聞き出すものではないのだろう。
誠斗は目の前に見えてきた森に目をやった。
「……まぁそれはいったん置いとくとしましょうか……して、あなたはあの蒸気機関車をどうしたいと思っているの?」
「どうしたいというと?」
「活用法よ。アイリスはおそらくあれを使って領民の生活改善をなんて言い出すでしょうね。そのために頻繁にマコトを呼び出すっていうことも有るはずよ。それが嫌だったら断ってもいいわ。もっとも、彼女とて無理に押し進めはしないだろうし、君がいつでも見れるようにしたいといえばその程度の配慮はしてくれるはずよ」
「……そういうことか……」
正直なことを言えば、この世界において蒸気機関車がたくさんの乗客や荷物を運ぶ姿を見てみたいと思う。
ここは日本とは違い広大でまっすぐな大地がある。森がある。谷間や断崖絶壁もあるのだろう。もしかしたら、誠斗の想像出来ないような地形が存在するかもしれない。
「仮にあれを走らせるとなると多くの問題を抱えることになるわ。まず、動かすための仕組み。アイリスはあぁ見えて鍛冶職人としての腕はかなりのものよ。そんな彼女が今日の今日まで利用法がわからないと首をかしげていた。それに誠斗自身、概要がわかっているだけで詳細な仕組みは知らないのでしょう?」
「まさにその通りだよ。蒸気機関車が客や荷物を大量に輸送できるというのは一般常識だし、動力源についても知らない人はいないはずだ。ただ、詳細な仕組みは専門家じゃないとわからない」
「問題はまさにそこなのよ。加えて、仮にその問題を解決したとしても機関車専用の道……線路と言ったかしら? を引くのにもかなりの時間と資金がいるでしょうね。これまでの交通事情の中に新しいものが突然現れるとなれば、既存の交通機関で利を得ているものたちからの妨害はあるだろうし、船、馬車、ドラゴンを使うという前提で動いている交易の流れすら変えかねない。それが吉と出るか凶と出るか……そこまでじっくりと考えてほしいものね」
マーガレットが次々と問題を突き付けてくるが、問題はそれですべてではない。
安全性を保障するための信号を始めとしたシステムや数々の技術を誠斗は知らない。
それらを一つ一つ積み上げて少しずつ鉄道という巨大なシステムを作って行かなければならない。
元々誠斗がいた世界にあったものだは言っても、この世界の大多数の人間にとっては未知の技術だ。
「今すぐ答えを出さずにじっくり考えなさい。確かに即決というのは大切だけれども、これはそうすべき問題じゃないわ」
マーガレットがそういうころには森がすぐ目の前に見えていて、馬車の速度が落とされ始めていた。
*
マーガレットの家に到着すると、リビングのイスに腰掛けて紅茶を飲んでいたマノンが飛びついてきた。
「なんで家にいるのよ。バカ妖精」
当たり前のように家にいた妖精に対してマーガレットがあからさまに不快感を示す。
それに対して、マノンは至って平然とした様子で対応した。こういった反応がわかっていたからこそ、そういった対応ができるのかもしれない。
「あなたに用はないわ。私はマコトに用があるの」
「人の家に勝手に上がらないという程度の常識はないの?」
マノンの言葉が火付けとなって二人の言い争いが始まった。
「大体、あんたたち妖精はいつもそうよね? 人の家に勝手に上り込んで、我が物顔で居座っているじゃない」
「いやいや、この森に棲んでいたのはもともと妖精だからね。後から住んだのはあなた。わかった?」
「昔は昔。今は今。この森自体はともかく置いといてこのツリーハウスの中はれっきとした私の家でしょうが」
「いやいや、森の中に勝手に建てたっていうのが正解でしょ? 大妖精はいまだに許していないわよ」
「あぁあのうっさい子供妖精たちはいいのよ」
なんだか、さらっととんでもない情報が聞こえてきた気がするがたぶん気のせいだ。
近隣住民(?)とトラブルを抱えているなんて情報はたぶん気のせい……
「そんなこと言っているから和解できないのよ。というか彼女の場合、子供というよりも……」
マーガレットはマノンの言葉をさえぎるように口を開く。
「和解なんて最初からするつもりはないわ。大体、あなたたちも私のことなんかほっといてくれていいのに」
「そうはいかないのよ。長老は……」
「はぁこれだから年長者ってのは気に食わないのよね……」
マーガレットが深いため息をつく。
それほどにまでもめているのだろうか。
「それをあなたがいうの?」
「私がって……どう考えても妖精の方が長生きでしょ? 間違いなく私が生まれる以前からここに住み着いて生きているじゃない」
「それはそうかもしれないけれど、あなたも並大抵の人間に比べれば十分年長者よ。そもそも、私ら妖精がこの場所に住み始めたのは亜人の差別が始まった時期であってずっとここにいるわけじゃないわ」
「だったら、私とあなたたちが住み始めた時期って変わらないことない?」
「百年をあまり変わらないといえる時点で時間感覚がくるっていることを自覚しなさいよ」
「それぐらいわかっているわ」
そんなやり取りの中、突然マノンが誠斗の方へとやってきた。
「まぁその話はまた今度することにするわ。今日はそれよりも重要な話があるわけだし……ということでマコト。ちょっと、来てくれる?」
「来てってどういうこと?」
「ちょっとだけで終わるから。そういうわけでマコトを借りるからね」
そういうとマノンは誠斗の手を引っ張って家から飛び出していく。
誠斗は抵抗する間もなく、ずるずると引っ張られて家の外へと出て行った。