三駅目 異世界の交通事情
マーガレットの家を見た地点から数分で池にたどり着くことができた。
広さは遠くから見た通りあまり広くはなく、雨が降らなければすぐに干からびてしまいそうだ。
その周りを軽く見回すと白い花が群生しているのが見えた。
「あった!」
誠斗はその花に向かって歩いていく。
もちろん、罠に警戒しながらではあるが……
これまで引っ掛かったのは落とし穴が一回だけ。ただ、それもマノンが居なかったら助からなかった。
地面に変なところがあれば石を投げてみてという形で進んでいく。
普通に歩けばたった二分ほどでたどり着く距離なのだが、そこに約十分かけてたどり着いた。
「はぁようやく手に入れた」
これで最後の一つだ。
指定されただけの分量もきっちりと生えている。
誠斗はそれを摘み取ると、その場から立ち去ろうと立ち上がった。
その時、はるか上空から大地を震わせるほど大きな鳴き声が聞こえてきた。
はじかれるように空を見上げると、真紅のドラゴンが上空を飛んでいるのを確認できた。
「ドラゴン……やっぱりいるんだ」
改めて異世界に来たのだなと実感させられる。
初めてこの世界に来た時も確かに見たのだが、そんなことを考える余裕などなかったから余計にかもしれない。
「ドラゴン便か……荷物の量からしてどこぞの貴族だろうね」
「えっ?」
突然、聞こえてきた声に振り向くと、誠斗の背後にマーガレットが腕を組んで立っていた。
「あぁちょっと、池の水をね……それにしても、こんな田舎で二日続けてドラゴンが拝めるなんて運がいいかもね」
「あの……ドラゴン便って?」
「そのままの意味よ。あなたがもといた世界じゃどうだか知らないけれど、速達の荷物や貴族が長距離を移動するときはドラゴンが用いられるのよ。空を飛んで地上の状態なんて関係ないし、なによりも早いでしょ?」
「まぁそうだろうな」
彼女の説明通りだとすると、この世界におけるドラゴンというのは自家用機や貨物機にあたるということなのだろう。正確に言えばちょっと違うかもしれないが……
「ドラゴンね……暴れたりしないの?」
「それはないわ。ちゃんと人が乗れるように訓練されているし、専門の資格を持った人が必ず同乗することになってるから大丈夫。まぁ時たま振り落されてみたいな事故があるらしいけれど」
「やっぱり暴れるんだ」
しかし、ドラゴンが交通手段とは意外すぎる。
ファンタジーなんかだとドラゴンに生贄を出さなければならないだとか、暴れまわって村を壊滅させたりと凶悪なイメージがある。
だが、この世界のドラゴンは人や荷物を背に乗せてせっせと働いている。
「そろそろ帰るよ。どうやら頼んだ材料もちゃんと採れたみたいだし、水も確保したからね。あとは家に帰って調合するだけね」
「はぁやっと終わった」
マーガレットの言葉で誠斗が脱力する。
材料自体を集め終わったのは分かっていたが、やはり頼んだ本人の承認があるまでは気が抜けなかったため余計にかもしれない。
「材料集めが終わっただけで帰ったらすぐに薬の調合に入るけれどね。まぁ歩き回らないでいいという点ではそれでいいのかもね」
マーガレットはそういうと、持っていた桶に水を汲んで立ち上がる。
「でもま。あまりぐだぐだしてる時間も余裕もないからさっさと行くわよ。ちょっと、お得意様から大量に注文が入った関係で急がないといけないから」
「大量って……そもそもどんな魔法薬を作ろうとしているの?」
「まぁ簡単に言えば万病に効く薬というところかな……して、そのお得意様ってのがちょっと厄介でね。納期が遅れるとこらまたやばいから急がないといけないの。わかったら、とっとと家に戻る」
「わかったよ」
万病に効く薬と聞いてその詳細が気になったが、この調子だと詳細が聞けるのは少なくとも商品を収めた後とかになりそうだ。
誠斗は薬草のはいったカゴを持って立ち上がると、そのままマーガレットの背中を追って歩き始める。
その時、太陽はすでに傾き始めていて、西の空がほんのりと赤くなり始めていた。
*
家に帰ってからは森の中の出来事とは違う意味で地獄だった。
マーガレットが住んでいる家のすぐ近くにあるツリーハウスに移動して、魔法薬の調合を始めたのだ。
誠斗は次々と飛ばされる指示を聞きながら様々な薬草を鍋に入れていく。
「ほら! さっきと同じあれよ。白い花。さっさと入れて!」
「えっと……これか!」
「次は!」
どうやら、タイミングが命らしい。
二人でバタバタとあわただしく様々なものを鍋に放り込み、落ち着いたのは日がどっぷりと暮れたころだった。
「……これで一晩置いとけば完成と……お疲れ様」
「こっ今度こそ終わった……」
誠斗はその場にへなへなと座り込んでしまう。
「……あのね。これが完成したら相手先まで届けないといけないから、最後まで気は抜かないで頂戴。移動中に全部だめになったら元も子もないわ」
「そうれもそうか……」
誠斗は小さくため息をつく。
届けるということは、あの森を抜けるまで荷物を持って歩くということだ。
罠に警戒しながら、歩くとなればまた神経を使うだろう。
とにかく、今夜はゆっくりと休もう。
誠斗は心の底からそう思った。
*
翌日。
マーガレットに叩き起こされた誠斗は重たいまぶたをこすりながら魔法薬をカバンにつめていた。
「これで分量は大丈夫だから、早く出発するわよ。あまり、もたもたしたら時間に遅れるわ」
「はい」
マーガレットの家に時計は存在していないため、現在時刻は分からないが東の空がうっすらと明るいだけで太陽が顔を出していないということと誠斗の体内時計の感覚からして現在時刻は、朝の四時ぐらいと言ったところだろうか?
こんな時間だというのにマーガレットは昨日同様の無表情のままリュックを背負っている。
「とりあえず、ここから北方向に歩いて馬車に向かわ。森を抜けてすぐのところに私の馬車があるからそこから馬車に乗り目的地に向かうの。それでは、出発しましょう」
マーガレットはそれだけ言うと、誠斗に背を向けて歩き出した。
「えっちょっと!」
彼女は慣れた様子で森の中を進んで行くが、誠斗はついていくだけでやっとだ。
妖精が仕掛ける罠はマーガレットが解除してくれるし、マーガレット自身が張り巡らせている罠は当然ながら発動しないのだが、そもそもここは道として整備されているわけではなく、けもの道という単語がぴったりとあてはまるような場所で、木の根があっちこっちから飛び出して足元をすくい、低く垂れた木の枝が行く手を遮る。
そんな条件が複合的に存在しているこの道をスイスイと進むのはかなり困難だ。
それでも、誠斗は時々躓きそうになりながらも必死にマーガレットの背中を追う。
「ちょっと、速すぎない?」
「ごめんなさいね。結構、急ぎだから……もうちょっと頑張って頂戴。そうすれば、あとは馬車に乗るだけでいいから」
彼女はそれだけを言うと、誠斗の方をまともに見ることなく、そのままのペースで歩き続ける。
もうちょっとという言葉である程度の明確な目標が生まれ、多少の希望を抱いた誠斗は今の歩調をなんとか維持して歩き続ける。
そのころになると、だんだんと木々の密度が低くなってきて、森が少しずつ明るくなってきた。
「出口だ」
薄暗い森の外からの光が差してきているのだということを理解してして、誠斗の顔からは思わず笑みがこぼれる。
「えぇ。もう少しで馬車に乗れるわよ」
マーガレットのそんな言葉を聞きながら誠斗はその光の方へ向けて歩いていった。
*
森を抜けてからの移動は速かった。
森を抜けた先の街道沿いにある宿屋に預けてあった馬に馬車をつなぎ、大量の荷物を荷台に乗せて馬を走らせた。
前の世界で見た鉄道に比べて速度も遅く乗り心地も悪いが、これまでの徒歩での移動を考えると楽に感じる。
「ところでさ、この世界には馬車やドラゴン以外にどんな交通機関があるの?」
昨日、ドラゴンを見てからずっと気になっていた疑問の一つだ。
確かに魔法薬の効能も気になるが、それはいずれわかる。だったら、こちらの方を先に聞きたいと思ったのだ。
ドラゴンを交通機関と数えるならば、もっと誠斗には考えられないような移動手段があるのではないかという期待から来たものだ。
「交通機関?」
しかし、誠斗の質問は彼女に通じなかったらしく、マーガレットは眉をひそめた。
「あぁえっと……つまり、町と町の間を移動する手段っていうか……そんな感じ」
「なるほどね。そういうことだったら、主に三つあるわ。まずは今、私たちが乗っている馬車よ。これは代表的な交通機関といっても差し支えないわね。馬車は道があればどこへでも行けるし、馬を適度に休ませれば長距離の移動でも楽にできる。まぁ私みたく個人で所有しているのは少ないけれど、安価で利用できる荷馬車や乗り合いの馬車がたくさん存在するらしいわ。そして、金に糸目をつけずに速く移動したいのならドラゴンね。荷物の量は少なめで乗れる人数もかなり限られているけれど、いかんせん空を飛ぶものだから地上の状態なんて関係ないし、そもそもの移動速度が速いかららしいから馬車なんてあっという間に追い抜かせるわ。最後に海岸沿いだけに限られた話でいえば船があるわね。これが荷物も人も多く積載できるから海に面している国同士の国際貿易なんかに使われることが多いそうよ」
「なるほど……」
ある意味で予想がついていたが、ドラゴン以外に奇想天外な交通手段はなく、元の世界にあったような自動車や電車、飛行機と言ったものは存在していない。
そんな話を聞いていると、誠斗の頭の中にはこの世界に飛ばされる寸前にいた蒸気機関車が力強く走っている姿が思い出されていた。
この世界に鉄道を張り巡らせたらどれだけ便利になるだろうかと……
それは無理でも森の中を楽に移動する手段がほしい。
誠斗は昨日の経験を踏まえてそう思っていた。
「どうしたの? 考え事?」
「まぁちょっと……元の世界のことを」
「そっか。まぁそういうこともあるわよね」
マーガレットはそれ以上、なにも言わなかった。おそらく、誠斗に気を使っているのだろう。
沈黙を保つ二人を乗せた馬車はそのまま街道を進み、森の近くにある町へと入って行った。