幕間 シャルロッテ家の地下
シャルロ領を治めるシャルロッテ家の屋敷にあるアイリスの執務室。
そこに本来あるはずの主の姿はなく、代わりに分家当主のサフラン・シャルロッテがその座に座っていた。
彼女の前には青い服に身を包んだ銀髪のメイドが立っており、サフランはそのメイドからある報告を受けているところだ。
「……つまり、姉さまは影も形もなく完全に消えたと?」
「はい。様々な手段を用いているのですがまったく……」
「…………そう。わかりました。これからも一刻も早い姉様の発見に努めてください。ただし、くれぐれも姉様の失踪は外部に悟らせないように厳重に注意してください」
「はっ」
サフランに向けて頭を下げて去っていくメイドの姿を見送り、サフランは大きくため息をつく。
「…………困ったものですね」
先ほどのメイドから渡された報告書に目を通すと、どこぞの町へ行ったがいないだとかどこそこの店では目撃証言なしなどの文字列が羅列されている。
ただ、失踪の事実を隠す以上、あまり過去のことまで探れないでいるのかここ最近の目撃情報に限定されているのだが……
普通ならば、これぐらいしかわからないのかと激怒してもおかしくないレベルの情報量であるが、彼女の行方を知っている身としてはそんな感情など起きず当然の結果として受け止めることができる。
サフランはその報告書を先ほど返却された修理記録の横に置き、席を立った。
執務室の扉に“しばらくはいらないように”との旨を書いた札を下げ、いつも座っているイスのすぐ背後にあるマミ・シャルロッテの肖像画を軽く押す。
実をいうと、この屋敷にはあの秘密書斎以外にもマミ・シャルロッテが残した仕掛けが多数存在し、その多くの入り口には魔法が使われていないことが多い。
魔力痕による追跡を恐れたのか、はたまた人間が徐々に魔法という技術を失っていく未来を予測していたからかはわからないが、本当に重要なところ以外には魔法を使っていない場合が多い。
そういった意味であの秘密書斎の扉と内部の状態に関してはかなり特殊と言えるだろう。
サフランは肖像画の向こうに現れた通路へと足を踏み入れる。
もちろん、入り口の扉となっている肖像画を戻すことを忘れない。
執務室に誰かが入ってくることはないだろうが念には念をということだ。
サフランは肖像画の裏から続く暗い階段を下へ下へと降りていく。
その足取りはどこか重くゆっくりとしたものだ。
「………………暗いところ。じめじめしていて本当に嫌なところです」
まさにその一言に尽きる。
サフランが顔をしかめながら進んでいくとすぐに目的の場所に到着する。
「……そんなところに私を閉じ込めてるのはどこの誰だ?」
「…………これはこれは姉様。まだ生きていましたか。というか聞こえていたのですか?」
「無駄に声が響くからな。よーく聞こえたよ」
執務室のちょうど直下に当たる場所に造られたその小さな部屋は頑丈な扉で入り口が閉じられて、内側から脱出するのは容易ではない。
そんな地下牢と言っても差支えないようなその部屋の奥に鎖につながれたアイリスの姿があった。
「…………姉様に置かれましてはこの場所をどうお思いで?」
「不快以外の何者でもないな。どういうつもりだ?」
「………………姉様にはちゃんと説明をしたはずですが? 説明が足りませんか?」
無表情で部屋の前に立つサフランに対して、アイリスは不快感を隠すこともなく、一気に入り口の方までやってきて、部屋の扉の上部に設けられた格子戸を握る。
「説明が足りる足りない以前にどうして私がここにいなきゃいけないんだ!」
「…………納得していただけなければ困ります。一応、姉様の不在は一部の使用人と外部の一人しか知りませんので安心してください。どちらにしても姉様が今、表舞台に出ては困ります」
「困るって何なんだよ! お前は何をする気だ!」
アイリスは声を荒げるがそれに動じるサフランではない。
サフランは至極冷静にアイリスの目を射る。
「………………姉様にそれをお話しするわけにはいきません。ですが、姉様の悪いようにはしないと約束します」
「約束も何もこうしている時点でだな……」
「…………お願い事です。もう少しだけ、ここにいてください」
不満そうにしているアイリスに念を押すようにサフランは頭を下げる。
どちらにしてもここから脱出することはほぼ不可能なのだが、彼女が不服を持ったままここにいるといった状況はできる限り避けたい。
もっとも、すべてをちゃんと説明できるわけではないし、説明したところで納得はしてもらえないのだろうが、それでもサフランは再三アイリスに頭を下げる。
「本当にここから出れるのか?」
「…………はい。もう少々お待ちください。できる限り、姉様の悪いようにはいたしません。前も言いましたが、仮に今姉様が外に出られますと、私はあなたを始末しなければならなくなりますので……」
サフランはどこか冷めた視線でアイリスを見つめる。
「始末ね……いったい誰が私を始末しようって言ってるんだよ?」
「…………それにお答えすることはできません」
「どうしてだよ!」
「…………それだけはダメなんです」
激昂するアイリスを静めるようにサフランは静かな口調で語りかける。
しかし、彼女が落ち着く気配はない。
「なんでダメなんだよ! どうして、どうして……」
「………………姉様。姉様の気持ちはわかります。ですが、もう少し……もう少しここにいてください。私は姉様をお慕い申し上げているのです。ですから、悪いようには致しませんから……」
「わるいようにって! おい!」
「………………そろそろ時間なので失礼します。それでは」
サフランは自分を呼び止めるアイリスの声を背中で聞きながら地下牢を後にする。
肖像画の入り口を閉じたサフランはそれにもたれかかり、額に手を当てる。
「…………あぁ愛しの姉様。もうしばらくお待ちください……そうすれば、私と……ふふふっあはははははっ」
サフランの狂ったような笑い声はどういうわけか執務室の外へ一切漏れることはなく、広い執務室の中で彼女がただ一人笑い声を上げ続けていた。
*
サフランが立ち去った後、アイリスは地下牢の中に置かれている木製のイスに腰掛けた。
小さくため息をつき、上を見上がれば目に映るのは青い空ではなく灰色の天井だ。
「はぁ……どうしたもんかな……」
マミ・シャルロッテの書斎での出来事のあと、ほとんど彼女に殺されてもいいぐらいの覚悟であの紅茶を口に含んだ。
しかし、実際はどうだろうか? あの紅茶に入っていたのは単なる睡眠薬で次に目覚めたときにはこの部屋にいてすでに鎖でつながれていたのだ。
その直後に現れたサフランはしばらくここにいてくれと言い出した。
理由を問いただせば、命を狙われているからほとぼりが冷めるまでここにいるべきだの、あと少しで安全になるから待ってくれだのと具体的なことを話すことなくはぐらかされてしまう。
いったい、だれが命を狙うというのだろうか? 思い浮かぶのは蒸気機関車関連のことだが、誠斗やマーガレットが狙われていない(あくまでサフランがもたらした情報だが)というところを見るとそれ以外のところと考えるのが妥当だろう。
だが、彼女が本当のことを言っているのか? そんな疑問が湧き上がってくる。
仮に彼女の主張通りだとしても自分をこうして地下牢にかくまう意味が分からない。それに誰が命を狙っているだとか、どうすれば安全だとかそういったことを全く言わないことが気になって仕方がない。
「どちらにしても……厄介だな……」
アイリスとしてはこのまま大人しく地下牢に閉じ込められている気などさらさらない。
「絶対にここから出てやる……」
アイリスは灰色の天井を見上げながら、静かに決意を固めていた。




