幕間 路地裏の店
「はぁ……まさか、マーガレットのやつが新しい客を連れてくるなんて……」
シャルロッテ家の屋敷のすぐ近くにある町の路地裏にある店。
この町で唯一紙とペンを扱っている店の店主は大きくため息をついてローブを脱ぐ。
真っ黒なローブの下からは薄緑色の髪の毛と明らかに人間のモノではない長い耳が現れ、それが彼女が人間ではないと強力に主張する。
現在、店に客はいないし、客が入り口の扉を開けても相手がこちらを認識するよりも前にローブをかぶることができるのでカウンターでのんきに寝ているなんてことでもない限り、このことが外部に漏れることはない。
彼女はくしゃくしゃになってしまった髪を触りながら思考を巡らせる。
「しっかし、まさかあれが今のマーガレットのお気に入りなの? まさか、あんなぼけっとしたのが? いやいや、それはない。そんなことあるわけない」
今度はカウンターに肘をつき再び大きくため息をつく。
それから、自分が普段使っているガラスペンをくるくると指で躍らせながら、シルクの長々と独り言を続ける。
「まったく……マーガレットが信頼のおける相手だっていうから入れてやったけれど、ガラスでできたペンを見て何とも言わないあたり魔法の知識なんかは皆無みたいね。それとも、あれが人間に作れる代物じゃないってわかった上で何も言わなかったのかしら? どちらにしてもなんかいけ好かない」
「おい、シルク邪魔するぞ」
「はいはーい入っていいわよ」
店主の思考を遮るかのように、店の外から聞こえてきた声に返事をすると、恰幅のいい男が扉をくぐって店に入ってきた。
シルクと呼ばれた店主はにやりとした笑みを浮かべる。
「いらっしゃいアーサー。紙をご所望かい?」
アーサーと呼ばれた男は首をゆっくりと横に振る。
その表情からして、何か深刻なことが起こっているようだ。
「早急にエルフ商会に連絡してくれ」
「なんだい? エルフに用事なら目の前にいるじゃないか」
「まぁそうなんだけどな。少し早急に話したいことがあってな。緊急の用事だ。なるべく上のやつがいい」
どうやら、アーサーはシルクと話をする気はないらしい。
そう考えたシルクはさっさと考えをエルフ商会の方へシフトする。
「あぁそう。でも、なかなか上の連中には会えないと思うよ。私らエルフはプライドが無駄に高いからね。大体、エルフ商会なんて名乗っているけれど、実際に人間相手に商売しているのなんざほんの一握りだってことから考えても大体わかるでしょ?」
「あぁそうだな。でも、この問題がエルフにとっても我々馬車組合にとっても死活問題だと言ったらどうなる?」
あまりにも突飛な発言にシルクは一気に表情をゆがめた。
「はぁ? 大体、私らエルフなんて亜人追放令が出てからほとんど死んでるようなもんじゃない。これ以上に何が起こるっていうのさ」
「……少し不確定な事項を含むからあまり声を大にして言えないのだが……実をいうとな、アイリス様の家から珍妙なモノが出てきたらしい。それも馬車という存在を脅かすモノだ」
「ふーん。それで?」
ガラスペンを見つめながら話を聞く。
その様子はまるでそんなことは自分には関係ないと言っているように見えた。
「それででない! 貴様らは我々が倒れればそれを売る販路を絶たれるのだぞ! そうなれば、エルフ商会の死活問題になるだろ! ただでさえ少ない外貨収入を失いたいのか!」
男がカウンターを勢いよくたたくがその程度ではシルクは同時ない。
むしろ、にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべてその様子を眺めている。
「あのさぁ……わかってないのはどっちさ? 確かに馬車組合が傾くようなことになれば一時的にもエルフ商会は危なくなるかもしれないさ。でも、そうなったら今度はその新しいモノを運営する方にすり寄ればいいじゃないか? もっとも、シャルロ領内じゃ力が弱いとはいえ、ドラゴン組合ともつながりはあるわけだし、それ以外にもいろいろな相手と組んで商売をしているわけだから、まったくやっていけないってわけじゃないさ。まぁあんまり悪目立ちしたくないからドラゴンは避けたいところだけど」
「お前! 誰のおかげで商売ができていると思ってやがる!」
「思い上がるな人間! 誇り高いエルフが貴様らに従ってやっているのだ! そんなこともわからないのか!」
アーサーがどれだけ怒鳴り声をあげようが、シルクは引く気配はない。
それどころか、それ以上の威圧を持ってアーサーを睨み付ける。
おそらく、この場にほかの客が居たら真っ先に逃げ出しているだろう。だが、幸いにもこの店は路地裏にある上に常連または常連から紹介された人物でないと入れないので一日当たりの客はかなり少ない。
いたとしても、逃げ出すことはないだろう。この店の常連は自分には関係ないと涼しい顔でこの店内に入れるような連中ばかりで、逃げ出すほどの臆病者はそもそも、この店にたどり着けない可能性のほうがおおきいぐらいだ。
怒りに震えているアーサーに対して、一度は怒鳴り声をあげたもののすぐに冷静さを取り戻したシルクは淡々とした口調でアーサーを追い詰め始めた。
「大体、紙とペンの販売を実質上独占しているっていうのにこんな風に客を選りすぐっている時点で外貨が目的でこんなことをやっていると思うのか? そんなわけないだろ? まぁそりゃ私がエルフだって広く知れたらまずいが、それを隠密する魔法ぐらいは一日中行使していても問題ない。むしろ、純粋に金がほしいなら、笑顔振りまいてそうしている方がよっぽどか割に合ってるよ。でも、私がそうしないのは単純に外貨が目的じゃないの? お分かりかしら? 組合長殿」
「この亜人風情が! 何が目的だ!」
「さぁ? 何が目的でしょうかね? まぁその“新しいモノ”とやらの情報までこれまでのことをきれいに忘れ去るであろうあなたが言うことなど関係ないでしょうけれど……」
この時になってようやくアーサーは自らの身に迫る危機を察知した。
すぐ目の前まで伸ばされた真っ白な腕を見た途端に頭から冷水をかけられたかのように強烈な寒気が全身を襲い、思考がマヒする。
ただ、本能的にこれはまずいという思いだけが彼の思考を支配していた。
「別にこの程度で命はとらないよ。安心しな……今日は何もなかった。そして、例の一件から非常に権力が弱く肩身の狭いドラゴン組合が相手にならないから、馬車組合はシャルロ領内の物流を独占できている。それを脅かすことはない……ただ、アンタの中の事実がそういう風に塗り替えられるだけだ。わかったかい?」
「やっやめろ!」
何も拘束具があるわけでもない。
しかし、アーサーは体を動かすことができなかった。
そんな彼の額にシルクの白い指が当たる。
「おろかなのは貴様だ。人間風情が思い上がるな!」
「わるかった! 今日のことは謝る! だから!」
「黙れ」
その指を中心に花の形の魔法陣が展開し、そこから発せられる光が彼の体を包み込んでいく。
「やめろ! やめてくれ!」
「だから心配すんなって。花雪に人を殺せる術はない。本来なら、貴様のような屑に使うのは惜しいぐらいだが、今日は若干気分がいいからな。特別サービスだ。まぁ覚えていたら感謝してくれ」
シルクが指を離すと意識を失っているアーサーの体は一期に崩れ落ちる。
シルクは彼を床に寝かしたまま今度は頭頂部に手を添えた。
その手には先ほどと微妙に柄が違う“花雪”が浮き上がっている。
「へーなるほどね……そういうことか……」
にやりという笑みを浮かべて、シルクは彼の頭から手を放す。
その表情はどこか楽しそうですっきりしたように見える。
「あぁそうか。そういうことか……だから、マーガレットの奴あいつを……あはっなるほどね……私を利用としたわけか、相変わらず油断も隙もあったもんじゃない。でも、それはそれで最っ高に愉快ね! いいじゃん。久方ぶりに森の大妖精殿のところにも顔を出してみるか。マーガレットが一枚かんでいる以上知っている可能性の方が高いが、その時はその時でやることはたんまりあるしな!」
倒れているアーサーのことなど気にする様子もなくシルクはくつくつと静かに笑い声をあげる。
「まぁたまには感謝してやるよ。馬車組合長殿」
再び静かになった店内でシルクの声だけがやけに大きく響いていた。
読んでいただきありがとうございます。
次の話から第三章に入ります。
少々話が脱線気味ですが、次章では蒸気機関車の話に戻る予定です。
これからもよろしくお願いします。




