私は囚われの身
彼は気付かない。あなたも自分の父親と同じだということに――。
私がこの館へ連れられた日のことは、今でもはっきり憶えている。きっとこの先もずっと、嫌でも忘れられないだろう。
私はあの頃、幼なじみであるマルクスの執事に恋をしていた。背が高く無口な大人の男性で、私の理想だった。
マルクスは次期王候補の王子だから、執事であるあの人は常にマルクスの側にいた。私ではなく、あくまでも彼の護衛として。
子どもの私が相手にしてもらえることはないとわかっていた。だから、せめて彼の側にいながら、あの人を眺めることができたらそれで良かった。
もちろん彼が常に一人で可哀想だったということもあったけれど、私はあの人に会いたいがために、頻繁に彼を遊びに誘った。彼は私が遊びに誘うと喜んで着いてきた。執事のあの人も彼が喜んでいるからか、私には何も言わなかった。それどころか、優しい笑みを浮かべながら私たちを見守っていた。
私はこのとき、この瞬間が幸せでたまらなかった。だけど、それは突然終わりを告げた。
ある日、いつものようにマルクスと一緒に遊んでいたときのことだった。黒い服を来た数人の男が現れ、私に告げたのだ。
「貴女はマディユ陛下の妾に選ばれました。今夜にも館のほうへ来てほしいとのことです」
私もマルクスも呆気にとられて彼らを見た。
「嘘よ。そんなこと、私の父が許すわけないわ」
私の父は伯爵だったため、それなりの地位は保っているのだ。自分の娘を妾など卑しい女にさせるわけがない。
「既に決まったことです。貴女の父上もご承知の上です」
その言葉に、私もマルクスも、驚いて固まった。だけど私が驚いたのは、その言葉の内容だけではない。それを言った人物に対して驚いたのだった。
静かに佇んでいた執事に問い掛ける。
「あなたは……知っていたの?」
執事は強張った笑みを浮かべながら言った。
「はい。おめでとうございます」
その瞬間、私は悟った。
――ああ、私がどれだけ綺麗になろうとも、この人を愛そうとも、彼は私のために生きてくれることはないのだわ。
最初からわかっていたとはいえ、絶望に打ちひしがれる思いだった。こうして私は王の妾という、愛することも恋をすることも幸せになることも許されない身となった。
「――あいつの絶望する姿が見たかったんだ」
と、私が館に来たとき、開口一番マディユ様は言った。
「ちなみに私は子どもを抱く趣味はない。お前がもっと女らしくなったときまで、楽しみはとっておくことにするよ」
目の前が真っ暗になった。つまり私は父親の威厳を見せ付けるために妾にされたのだ。
特別愛されたわけでもなければ、身体目当てでもない。そんな私がこの館で生きていくには、辛い思いをしなければならなかった。他の妾たちに邪険に扱われ、生きた心地がしない。そんなとき思い起こされたのは、マルクスとの楽しい日々だった。
どんなときでも笑っていた愛しいマルクス。ああ、彼は今頃どうしているのだろう。一国の王子で器量の良い彼のことだから、きっと可愛い彼女でも見つけて、楽しく毎日を送っていることでしょう。そうであってほしい。
しかし、私の願いに反して、館ではマディユ様がマルクスに暗殺されたという不穏な噂が広がっていた。敵が多く、最低な王だと国民からの評判も悪かったため、そうだったとしても彼が咎められることはないという。
泣き虫でわがままで、私の側を離れようとしなかった彼。そんな彼が自分の父親を殺しただなんて、信じられるはずがなかった。彼が父親を殺す必要など、どこにもないはずなのに。
マルクスの就任式のとき、私は妾ではなく、伯爵の父の娘としてその場にいた。マルクスには私なんて米粒くらいの大きさにしか見えていないはずなのに、彼の熱い視線が身体中に突き刺さるのを感じた。嫌でも期待してしまう。彼が父親を殺したのは、私のためだったんじゃないかって――
彼が本当に父親を殺してしまったとしても、私を束縛しようと、きつく当たろうと、それでもいいの。私が本当に愛しているのは、彼だということに、気付いてしまったから。
- 2011.10.22 完 -