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彼女と彼とある男  作者: ミノマ
くらひと
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9. コール音はしばらく続いた

 真っ昼間からバイトに出て、夕方シフトが終わる頃にはこのあたりには珍しく雪が降っていた。

 「寒いでしょ。途中まで乗っていきなよ」

 そう彼女に声をかけたのは、パートの中年女性だった。普段から気さくに声をかけてもらっていて、彼女も気兼ねなくその申し出を受け入れることができた。朝道路が凍っていて、自転車を使えなかったのもある。雪の降る中徒歩で帰るのは、できることなら回避したい。

 車に乗り込むと、同じく声をかけられたらしい別のバイトの大学生も隣に乗り込んできた。

 「おつかれさま」笑顔を向けられて、彼女もあいさつを返した。

 「駅までで良いよね?」

 「はい、よろしくお願いします」

 車がゆっくりと発進した。


 車の中は適度に暖かかった。隣の大学生とはそう話したこともないので、少し女性を交えて話をしたあとはなんとなく車内は沈黙しがちだった。彼女はいつしか眠気に耐えることに頭がいっぱいになっていた。

 着信音が鳴ったのはそのときだ。

 彼女ははっと目を開いて、辺りを見回した。運転席の女性はルームミラーから後部座席をうかがっていた。大学生も、自分ではないとばかりに彼女を見つめる。

 「宮丘さん、出ていいよ」

 慌てて携帯電話を取り出す彼女に女性は言ったが、画面に表示された相手の名前を見て彼女は着信を切った。

 「いや、いいです」

 「よかったの?」

 訊かれて、電話の相手を改めて見る。

 くらひと。

 名字はおろか漢字さえわからないのでひらがな四文字で登録していた。本当は「ストーカー」という名前で入れてやろうかと思ったが、何かの拍子に人に見られたときに何事かと思われるのでやめた。

 彼からの電話なんて初めてだった。なかば無理矢理登録させたものの、電話もメールもよくわからないと言って利用したことなんてなかったのに。

 目上の人と同席していたので、友人程度の電話は切って当然と思って、実際その通りにしたが、今さら気になってきた。何かあったのだろうか。

 もう一度画面を見る。再びの着信はない。

 「…かけ直して、いいよ?」

 女性が笑みを含んだ声で言った。隣からも、含み笑いが聞こえてくる。よほど自分は変な挙動をしていただろうか。

 顔が熱くなるのを自覚しながらも、これ以上かたくなになるわけにもいかなくなって、彼女は着信履歴から男の番号を呼び出した。

 コール音はしばらく続いた。

 しびれを切らした彼女が電話を切ろうとしたとき、ぴっと音がして、コール音が止んだ。慌てて電話を耳に当てなおすが、何も聞こえない。

 否、誰かの呼吸音が聞こえる。

 「もしもし?」

 本当に何かあったのかと心配になった彼女が声をかけると、一拍おいて初めて電話越しに聞く男の声がした。

 『…ひいろの声がする』

 「正解」返事があったことにひとまず息をつく。

 「さっき、電話かけたでしょ」

 『…ああ、そうだ、これ、電話。便利だね』

 「何の用?」

 男の声はいつもどおり呑気で、彼女は安心すると同時に無駄な心配をしてしまったことに腹立たしくなった。

 『えーと』

 「今車の中なの。特に用がないなら、あとでかけなおすから」

 『ケーキ食べにこない?』

 「はあ?」

 『だから食べ物買ってきて』

 「何がだからなのかわからないし」ていうかパシリかよっていうか掛け直すって言ってるだろ。

 『…ちょっと待ってよ』男の声は彼女を押しとどめるとゆっくり話し始める。

 『えっと、俺の家には今ケーキしかないのね。他に食べ物ないから、ひいろに何か買ってきてほしい。お礼にケーキあげる』

 「パンがないならケーキを食べれば良いじゃない」

 『パンじゃなくて良いよ』

 「冗談の通じないやつ」

 ときどき彼はこういう慣用句とかシャレとかに取り合わないことがある。というよりあまり知らないようだ。

 「自分で買ってくれば」

 『うーん…』

 「何」

 『風邪引きましたー』

 「知ってるって」怒った声を出してしまったが、言ってすぐに気がついた。いつもにまして変な男の言動。

 「…風邪って、熱出たの?」

 『わかんない』

 「大丈夫じゃないかもってそれ?」

 『うーん』

 「…何を買ってくればいいわけ」

 『…なんでもいいよ。食べられるものなら』

 なんでもいいわけがない。彼女は煮え切らない返事にいらいらしてきた。

 「じゃあ、油ごってごてのぎっとぎとな肉肉しい総菜買って行くから」

 『…それは食べられないかも…』

 「ならなんでもいいとか言うな。病人に食べられそうなもの見繕っていくから」

 『…ありがと』みょうに素直なのが体調の悪さを窺わせて少し彼女は不安になったが、そのまま電話を切った。

 「彼氏君ちまで送ってあげるよ?」

 声に顔を上げると、同乗者たちがそろってにやにやと下世話な笑顔を向けていた。

 「…いいです、買い物もしなきゃ行けないので、駅前で」

 「献身的だねえ」

 「彼氏じゃないですし」否定すればするほどこの手の輩は想像してしまうのはわかっていたが、まさか肯定する訳にもいかない。彼らは案の定より笑みを深めたが、それ以上詮索することはなかった。後々面倒になるだろうな、と思ったけれど、今は放っておくことにする。


そういえば投稿日と物語内の季節感はめちゃくちゃですね

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