金魚
拙い文章ですがぜひ一読ください。
小学校5年生のころ、夏祭りの夜、屋台のおじさんが金魚をくれた。
「お譲ちゃん、金魚いるかい?」
その日、友達が三匹、四匹とつれているのに反して、運動神経の悪い私はまだ一匹も連れていなかった。
何度も失敗し、なけなしのお金を払って挑戦している私に同情してくれたのであろうか、おじさんは小さな透明のビニール袋に金魚を一匹入れると、袋の紐を縛って私に手渡してくれた。
とても嬉しかった。
家に着くと、私はすぐに金魚をほかの入れ物に移した。家には水槽がなかったので、ガラスでできた丸い透明なボウルに入れた。それでは少し味気ないと言って兄がビー玉を何個か入れた。ガラスに映える彩がいっそう涼しさを引きたたせた。
金魚はその愛着ある表情で、ボウルに映った私の顔をものめずらしそうに見つめている。金魚のえさがなかったので、代わりにパンくずを小さく丸め、たべさせてあげた。私が一つ一つ水槽の中にそれを入れると、金魚は口をパクパクさせて嬉しそうに食べるのだった。
7月中旬、学校は夏休みに入った。
今年はひどい猛暑で、町内のプールはどこも満員だった。高いブルーの空と真っ白な入道雲を前にして、私は毎日のように学校のプールに通った。
自転車に乗って家を出ると、頬に涼しい夏の風がどこかの風鈴を鳴らしていた。この暑さの影響で、金魚の入っているボウルの水はすぐにぬるくなってしまい、日課であった水替えも日増しに母の仕事へと変わっていった。それでも私がボウルを覗くと水面に上がってきては口を開き、私の眼をじっと見つめるのだった。
そのたび、私は罪悪感というか、何か申し訳ないことをしているような、そんな気持ちにおそわれた。
その日は正午から雨だった。学校のプールへも行かなかった。母は仕事で夕方まで帰らなかったので、家には私一人だった。
家の中は薄暗かったが、雨の日はなぜかいつも落ち着いた気持ちになった。私が生まれたのが6月で、大雨の日に生まれたらしいから、何か関係があるのだろう。
雨滴の屋根に滴る音が耳にとても心地よい。ベッドでうとうとしはじめた頃、一階の鳩時計が三度鳴った。その時、ふと金魚のことを思い出した。
「こんな日くらいは私が世話をしてあげよう」。
そう思った。
きれいな水にうつしかえて、餌をあげよう。こんな単純なことをなぜ今まで疎かにしてしまったのか。
軽くなった自分の体を椅子からふっと持ち上げて、私はリビングへとかけ降りた。
テーブルの上に置いてある丸い透明なガラスボウル。
水の張ったその上に、金魚が一匹浮かんでいた。
泳いではいなかった。
動いてもいなかった。
生きていないことはすぐにわかった。
死というものに触れたのは、それが初めてだった。
同時に、生を実感したのもそれが初めてだった。
それは数秒間をおいて、心の奥から湧き出てきた。
私が餌をあげなかったから、
私が水を替えなかったから、
面倒を見なかったから死んでしまった。
本当にそうかはわからないが、金魚はもう動かない。泳がない。
金魚は死んだ。
何で死んじゃったの。
寿命。
この暑さのせい。
やっぱり水を替えればよかった。
きちんとした水槽で飼えばよかった。
酸欠かな。
死んだのか。
仕方ないよ。
生き物はみんな死ぬ。
本にそう書いてあった。
魚も、犬も、人も。いつかはみんな死ぬんだ。
私も、
いつかは死ぬのかな。
仕方ない。
私のせいではないだろう。
いや、わたしのせいか。。。
膨大な疑念。自責。焦燥。
それらが一瞬にして溢れてきた。
考えが出なくなっても、何かを考えようとしている自分がいた。
切なかった。
寂しかった。
突然の孤独感に泣いてはいけないような気がしたが、それを止めることはできなかった。
金魚の世話はほとんど母がしていた。
私は金魚にそこまでの愛着を抱いてはいなかった。
関係も浅かったに違いない。
それでもなぜだか涙はこぼれた。
その不思議な感覚を、私はそのとき知ったのである。
雨音が強くなった。
外はもうどしゃ降りだろう。
私は金魚を手に取ると、
そっと玄関のドアを開けた。
御精読ありがとうございました。
この小説から何かを得ていただければ幸いです。
次回作もよろしくお願いいたします。
追記
ご評価くださった方々、アドバイスなさってくれた方々に、厚く御礼申し上げます。改行のテクニックに関するご指摘から、文章構造に変化を持たせてみました。より読みやすい文章になっていれば幸いです。これからもよろしくお願いいたします。